地球のつぶやき
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Essay■ 104 Jupiter:一人じゃない
Letter ■ ポータブル・カーナビ・ノスタルジー


(2010.09.01)
  今年の夏は暑かったので、時々高原に避暑にいきました。ただ涼みに行ったのではなく、まだ周ってないところを見てきました。そのときに、たまたま聞いていた音楽に心に残りました。音楽と心について、今回は考えてみました。


Essay■ 104 Jupiter:一人じゃない

 私は、現在、1年間のサバティカルで、愛媛県の山奥に滞在しています。そこでテレビもラジオもない生活を送っています。新聞もとっていません。土曜、日曜も関係なく、役場の総合支所内にある執務室に、朝から夕方までいます。
  通常の生活を振り返ると、こんな一日を過ごしています。5時過ぎに起きて、朝食をとり、6時過ぎに自宅を出て、20、30分ほどかけて歩いて総合支所の執務室にいきます。そして一日、仕事をします。5時過ぎに執務室をでて自宅まで歩いて帰ります。帰宅したら、炊飯器をセットして、温水プールにいきます。7時くらいに帰ってきて、夕食の準備をして、食べます。食後しばらく休んだら、もうすることがないので、寝床に入り、眠くなるまで、本を読みます。
  日常生活の時間と睡眠、プールの時間を除くと、24時間の大部分を研究に費やして過ごしています。淡々とした単調な研究生活を、一人で毎日繰り返しています。独身の研究者時代に戻ったようです。こんな生活に満足と幸せを感じています。
  情報源や外部との連絡のために、インターネットにつながる環境だけは確保しています。そのインターネットを通じての各種の情報収集はできます。インターネットは使いようによっては、さまざまな使い方ができますが、現在の私のような一人の世界に篭って集中するという生活をしていると、情報を極力排除するという選択も可能です。自分の必要に応じて情報の入力量を調整できるのが、現在の環境の最大のメリットかもしれません。
  ニュースはインターネットのニュースサイトのヘッドラインだけで充分で、必要に応じて詳細を見ればいいのです。テレビも北海道の自宅にいるときは、時間つぶしもかねて結構な時間、見ていましたが、こちらに来てまったく見なくなりなりました。
  ただ娯楽として、音楽や映像を見たくなることがあります。そんな時、YouTubeなどの動画サイトをみます。検索すれば、たいていの見たいものがあります。このごろは、昔聞いていた懐かしい歌手の映像をみることが多いです。
  話は変わりますが、先日、天狗高原というところにでかけました。天狗高原は、私が住む町にある大野ヶ原の東延長にある高原で、カルスト地形をみるにはいいところです。高知県(津野町)と愛媛県(久万高原町)の県境になります。ある朝、青空が蒼く、ついつい天気に誘われて、急遽、天狗高原に出かけることにしました。
  数年前ですが、天狗高原にある天狗荘に、家族で泊まったことがあります。しかし、あまりじっくり見ることなく、そのまま四万十川の源流に向かって、山を降りてしまいました。今回は天狗高原をじっくりと見ようとしました。以前にはなかったセラピーロードという散策路が、新たに(2007年より)にできていました。その道を1kmほど歩いたのですが、なかなかいいコースで、山頂からの道とも交わっているようです。4km以上もコースがあり、ルートもいくつかあります。
  下界は残暑がきびしいのですが、1000m以上の標高のところにくると、すがすがしい気候です。支所を出たときには晴れていたのですが、天狗高原に来ると、残念ながら、雲がかかってしまいました。山の天気は変わりやすいものです。少々残念で、心残りですがしかたがありません。
  天狗高原は、ススキの穂が出はじめていました。そろそろ秋が始まっていました。非常に心地よいところなので、また来こようと思いました。秋が深まったら、今度はじっくり歩きに来くることにしましょう。
  天狗高原を車で走っているとき、ある曲を流して聞きました。いい曲だと思いましたが、以前に感じたとの同じ心持ちには、なぜか、なれませんでした。そんな心持ちになりたくて、かけた曲だったのですが。
  天狗高原に出かける1週間ほど前に、市内の最高峰の山に登るために大野ヶ原に出かけました。そのとき車で流れていた音楽が心に染みました。ついつい何度もリピートして聞いてしまいました。いつも車で流れる曲は、自分で選んだものです。ですから知っている曲ばかりで、その曲ももちろん何度も聞いたことがあります。なのに、その時、なぜかある曲にだけ、聞き入ってしまいました。
  その時流れていたのは、平原綾香さんの「Jupiter」という曲でした。たまたま大野ヶ原の高原の心地よい道を走っているとき、その曲の出だしの「Every day I listen to my heart 一人じゃない」という歌詞が、どうしたことか、心に深く入ってきました。毎日一人で生活をし、一人で研究に向かい、一人で調査も出かけていきます。なのに「一人じゃない」という歌詞が、心に飛び込んできたのです。そうです。一人で生きているようですが、一人で生きているわけではないのです。
  今まで、この曲の歌詞をあまり深く考えずに聞いていたのです。この曲は、数年前に流行ったので、多くの人が知っているはずです。私も聞いていました。しかし、フォルストの組曲「惑星」の「Jupiter」に歌詞をつけたということと、広い音域を歌っていること、などついつい話題の部分に注目してしまい、その音楽の中身を聴くことをしていなかったのでしょう。それまで歌詞をじっくりと聴いたことがありませんでした。
  なによりそれを聞いていた私の心理状態が、その音楽の歌詞を聴く状態で、なおかつ受け入れる状態になっていたのでしょう。何度も繰り返し聞くうちに、その曲にはいい言葉がちりばめられていることに気づきました。もっと、はやく気づくべきなのかもしれませんが。
  天狗高原は、大野ヶ原と連続していて、似たようなカルスト地形の高原です。景観としては、似ています。大野ヶ原以上にカルスト地形が広がっていて、壮大です。そんな天狗高原で、同じような気分を味わいたくて、その曲を聴いたのですが、なぜか同じような心持になれませんでした。
  周りの環境を整えたしても、同じ心境に達せなかったのはなぜでしょう。
  このエッセイを書くために、YouTubeで平原綾香さんの歌うJupiterをいく種類か聞きましたが、いい曲であることはわかるのですが、同じ気持ちにはなりませんでした。唯一似た気持ちになったのは、Jupiterの音楽を聴きながら、歌詞をディスプレイに表示して読んだときでした。その理由は、いまだに分かりません。
  このエッセイでは、心の問題を何度か取り上げていますが、心はなかなか難解で、私の手に負えないものです。ちょっとしたことをきっかけに、心が大きく波打ったり、いつもと同じものが、心に大きく響いたりすることがあります。逆にどんなに努力しても、心が応えてくれないこともあります。今回もそんな経験でした。心とは、私にとっては、御しがたい不思議な存在です。
  この1年間の目標としていることを達成するために、集中し、努力し、毎日、四苦八苦しています。そして、当初計画していたように、論文を書きだめること、四国の地質を広域調査すること、町内と近郊の調査をすることに精進しています。その目標を達成するために、可能な限りの時間を集中するために、一人で過ごすことが多くなります。傍目には、淡々とした単調な時間が過ぎているように見えます。一人で生活をしているように見えます。しかし、実は多くの人の影響を直接、間接に受けて生活しています。人が、生活をし、生きていくのは、「一人じゃない」ことを痛感させます。
  そろそろサバティカルの折り返し点となります。サバティカルの目的を達成し、夢に近づきましょう。その遂行が、私の人生設計の中で重要な部分を占めていくはずです。自分の力を信じて、今日も淡々と生きていきましょう。
「夢を失うよりも
  悲しいことは
  自分を信じてあげられないこと」(Jupierより)


Letter■ ポータブル・カーナビ・ノスタルジー

・ポータブル・カーナビ・
車は借り物で、カーステレオはついていますが、
カセットですので聞くことができません。
ラジオも付いていますが、山奥なので電波が入りません。
私の持っているポータブル・カーナビは
音楽も流すことができます。
8Gbのメモリースティックに
大量の音楽データ(MP3形式)を入れています。
ポータブル・カーナビは
SONYのnav-uシリーズのNV-U35です。
このカーナビは、なかなか便利で、
歩くときも自転車でも使えます。
地図も最新版が入っています。
なんといっても私が一番便利に感じているのは、
GPSのトラックデータをメモリーに
保存できることです。
そのデータをパソコンに取り込んで、
地図で表現することができます。
調査のときは一応ハンディGPSも車に置いて
併用していますが、
もう車では必要ないかと思っています。
このカーナビは、なかなか便利です。

・ノスタルジー・
私が子供の頃にはじめて聞いた音楽は
当時流行ってきた歌謡曲です。
そのころの歌手を映像として
YouTubeでみることもできます。
思春期を過ごしたころのアイドルの映像も
YouTubeで見ることができます。
フォークソングやロックも聴くこともできます。
そんな古い映像をみていると
ノスタルジーに浸ってしまいます。
ただ、私と同年代や前後の世代の歌手ばかりなので、
最近の映像をみると、その高齢化に驚いてしまいます。
もちろん自分も同じように年をとっているのですので、
お互い様です。
月日の流れは止めることはできません。
有効に使うのみです。


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