地球のつぶやき
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Essay■ 85 激変説と斉一説:宗教の呪縛と開放
Letter ■ 宗教の呪縛・今時の学生気質


(2009.02.01)
  地球に流れた時間は如何ほどのものでしょうか。その検証はどうすればいいのでしょうか。科学者たちも悩み、議論しました。その背景には強い宗教的呪縛がありました。宗教から科学が解放されるために、多大な苦痛を伴いました。そのような苦労を、歴史の激変説と斉一説の論争から眺めていきましょう。


Essay■ 85 激変説と斉一説:宗教の呪縛と開放

 17世紀後半から19世紀にかけて、ヨーロッパでは、産業革命がおこりました。特に、18世紀には、イギリスでは、石炭運搬のために各地に運河が掘られ、地下の様子を知る機会が増えました。ヨーロッパ各地でも、化石が多数見つかって、知識も蓄積されてきました。そのような知識から、地層の違がっていると、産出する化石も違うこともに気づかれるようになりました。なぜ、地層ごとに違った化石が出てくるのか、という疑問に対する答えが必要になりました。
  その答えを出すのは、当時の自然哲学者(今の科学者)たちでした。答えを出すためにいくつもの解釈がなされます。その解釈の違いによって論争が起こります。科学とは、証拠や論理に基づいてなされるはずです。しかし、所詮、人間の営みですから、どうしても、常識や宗教的背景の影響を受けます。そのような影響を物語る論争が18世紀のヨーロッパでで起こりました。
  地層ごとの化石の変化をめぐって、激変説と斉一説という2つの説で論争を起こりました。この論争は、地球の創世、あるいは過去の歴史認識に関わるもので、進化論への道を拓いたともいえます。
  激変説とは、天変地異説とも呼ばれ、英語ではCatastrophismといいます。この説は、地層の形成や化石の起源を、天変地異によって説明しようとする立場です。
  当時のヨーロッパでは、聖書に書かれていることは、絶対的なものだと考えられていました。生物は、聖書よれば、神が最初の一週間に一気につくったものです。もしそうなら、ヒトも含めて、どの時代にも同じような生物種がいたことになるはずです。ところが、化石が地層ごとに違っているという事実は、当時のキリスト教的考え方では、説明が困難な問題となります。
  そこで登場したのが、激変説です。聖書の創世記に書かれている事件によって、ある時代の生物種を入れ替える(絶滅させる)ことができれば、新たに生物が誕生させることができます。つまり、その事件を契機に、違う生物種を再構成すれば、化石種の変化が説明できます。
  幸いなことに、聖書にある「ノアの洪水」がそのようなことを起こせる天変地異になりえます。ただし、問題は、聖書によれば「ノアの洪水」は一度だけの異変であったことです。
  そのような異変が何度も起こったと考えたのが、フランスのキュビエ(G.D. Cuvie、1769〜1832年)でした。「ノアの洪水」が最後の大洪水とされていました。キュビエは、「ノアの洪水」のような天変地異によって多くの生物は死に絶え、あるものが土砂に埋もれて化石になっていたと考えました。
  キュビエは、各地から産する動物化石、とくに脊椎動物化石を研究し、激変説によって古生物種の変化を説明していました。キュビエは、「比較解剖学」の手法を確立したような大御所で、脊椎動物古生物学の祖ともいわれています。化石から、古くから犬や猫、人間はいることがわかっていますが、その骨格には、変異も進化もないし、変種でさえ骨格は近似しています。これは、生物が進化しない証拠だと考えました。また、生物は種として分類され、分類間の中間的な種が存在しないことも、進化の反証となると考えていました。天変地異によって、すべての種が絶滅するのではなく、箱舟に乗って生き残った個体がいたと考えていました。化石の中に現在と同じ種も見つかることも、聖書の記述と矛盾をなくすことができます。
  当時の市民は、聖書の信じていました。もちろん、当時の科学者たちの多くも聖書を信じていました。そして、激変説も信じていました。ですから、当時のヨーロッパでは、激変説が主流派となってました。
  一方、斉一説(niformitarianism)は、聖書を否定する、いわば異端的な考え方です。
  斉一説は、過去の自然現象も、現在みられるものと同じ作用がおこっていたとする考え方です。この説は、18世紀末にハットン(J. Hutton、1726〜1797年)が唱えた説です。ハットンは「地球の理論」(1788年)の中で、「自然法則は地球が太陽の一員であるかぎり、過去現在をとおして不変である」と述べています。その考えは、「現在は過去鍵である」で象徴的に表現されています。
  斉一説の原理である現在の自然現象は、非常にゆっくりしたものです。少なくとも、生物の進化は観察されません。また、化石がつくられている過程も見ることもできません。ただし、「ノアの洪水」ほのではなくても、大雨が降れば、大洪水が起こります。その洪水によって、大量の土砂が海まで押し出され、その中には生物が閉じ込められることがあることは、経験できます。これは、一枚の地層とその中の化石というものを形成すメカニズムの基本といえそうです。これが、現在に起こっている作用です。
  ただし、そのような大洪水は、非常にまれな現象で、各地でみられる大量の地層の連なり、あるいは、地層の侵食、褶曲などを考えると、そこには膨大な時間が介在しなければなりません。
  聖書にかかれてている地球誕生は、せいぜい6000年前、最大に見積もっても26万年前です。これくらいの年数では、どう考えても、多数の地層、多様な化石、地層の侵食や褶曲などを起こすには、あまりにも時間が足りなすぎます。
  斉一説と激変説の論争は、地球誕生して以来、どれくらいの時間が経過しているかが最大の論点となります。地球の年齢は、年代測定の技術が発展する20世紀後半を待たねばなりませんが、論争の決着はもっと早くみました。
  激変説は、当初多くの支持を受けていたのですが、いくつも不都合な点が見つかってきました。化石種だけに見られる絶滅種が、多数見つかってきました。中生代の恐竜のように、今ではまったく見られない種があまりに多く存在しました。また、ケルビン卿(ウィリアム・トムソン、William Thomson、1824〜1907)は、灼熱の地球(当時地球はそのような起源を考えていた)から現在の温度まで冷めるまでの時間を計算すると、とてつもなく長い時間(2000万年から4億年)が必要だとしました。などなど、多くの化石、地層、データなどの集積によって、激変説ではどうにも説明できない事実が増えていきました。
  1830年代には、ライエル(C. Lyell、1797〜1875年)が「地質学原理」という本を出版して、そのような斉一説をまとめました。やがて、斉一説が世に広まり、主流派へと転換していきます。「地質学原理」は科学が目指すべき方向を示していました。斉一説は、地質学のみにとまらず、近代的な科学の確立に重要な役割を果たしました。
  「地質学原理」を、若きダーウィンはビーグル号の航海中に携え読んでいました。地球には、十分な時間が流れていたという確信を持ちました。その地球に流れた長い時間を利用して、生物が進化したとする考えが、1859年、ダーウィン(C.R. Darwin、1809〜1882)の「種の起源」によって唱えられました。
  科学とは、事実から仮説を立て、それを実証するものです。仮説に基づいて、新たな事実を積み重ねていきます。そして、仮説を修正したり、まったく新たな仮説をつくる。科学は、データが少ないときは、常識や従来からの考え方で説明しようとされます。しかし、データが増えてくるとともに、従来の考えの修正や追加では、どうにもならないことになってきます。そして、やがてパラダイム転換が起こります。この18世紀のパラダイム転換は、科学と宗教と分離ということも成し遂げました。以降、科学が科学として独立して独自の道を歩むことができたのです。
  こんな繰り返しが、科学の営みといえます。科学のすばらしさは、かつての説を否定するという、自己修正機能を持っていることかもしれません。


Letter■ 白い正月・ものは考えよう・母の携帯電話

・宗教の呪縛・
現在の日本にいると宗教の呪縛の意味をあまり感じることはありません。
しかし、日本でも、キリスト教や仏教を命を懸けて信じ、
その信念を貫いた庶民が多数いた時代もありました。
ですから、日本人が宗教の呪縛がないというわけではありません。
ただ、現在そういう時代に生きているというに過ぎないのです。
今も、宗教に殉じ、命を賭して戦っている人も多数います。
これが人間の性というには、あまりにむなしい気がします。
人類は科学という非常にすばらしい考え方を手に入れました。
宗教の教義自体の真偽を問うのではなく、
宗教と社会、宗教と科学などのあり方に対して
もっとよい考え方は生まれないでしょうか。
誰が何を信じても、共存できる社会は生まれないのでしょうか

・今時の学生気質・
大学は講義は終わり、定期試験が行われています。
2月から3月にかけて入試のはじまります。
大学入学は選り好みしなければ
必ず入れる時代になりました。
ただ、就職は非常に大変になってきています。
大学を卒業しても必ずしも望む職に就けるとは限りません。
せっかく決めた職も内定取り消しも起こりました。
入るに易く出るに難く。
そんな時代になりました。
それでも、職に執着せず、
職を見つけず卒業していく学生も、
かなりの数見かけるようになりました。
人それぞれですが、若い貴重な時間を
有意義に使ってもらいたいと願っています。


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