地球のつぶやき
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Essay ■ 59 要素還元主義:可能性の低いことも起こる
Letter ■ 「早わかり 地球と宇宙」出版しました


(2006.12.01)
  今回は要素還元主義というものを見てきます。そこに含まれている危険性を考えていきます。


Essay■ 59 要素還元主義:可能性の低いことも起こる 

 皆さんはミステリーが好きでしょうか。私は時間がなくて、ほとんど読まなくなりましたが、もともとミステリーは好きでした。家内は、推理小説を読み、テレビのサスペンスドラマもたくさん見ています。私がミステリーが好きな理由は、論理と証拠という、科学と同じような手法で、謎解きがなされるからです。ですから非常に論理的で面白いからです。
  では、架空のミステリーを紹介しましょう。それは殺人事件のミステリーです。
  ある山奥の工事現場で地下を掘り返していたところ、人骨が見つかりました。工事関係者は、もちろんすぐに警察に届けました。警察が来て、付近一帯の詳しい捜査が行われました。
  すると、その人骨は、首が鋭利な刃物で切られて、頭骨と刃物が体のすぐ近くに埋められていました。このような状況証拠から、警察は殺人事件とみて捜査を始めました。ところが、警察の懸命の捜査にかかわらず、事件は解決できませんでした。いわゆる迷宮入りです。
  皆さんは、なぜ迷宮入りしたのか、わかりますか。何が問題だったのでしょうか。情報は上記のものだけです。
  人骨が発見されるとは、死んだ人、つまり死体があったことを意味します。そこには、人の死があったことが確かです。人の死には、いくつかの可能性があります。もしその死が、自殺や自然死なら警察は問題にしなかったでしょう。もし、なんらかの事件による不慮の死であれば、それは殺人事件として、警察が調査をはじめることでしょう。
  殺人事件として、決定的な証拠になったのが、切り落とされた頭骨と、その首を切り取ったであろう刃物が一緒に発見されたということです。
  この単純はところに、どんな誤謬が入るというのでしょうか。現場に残された証拠は、犯人を探るのに重要な役割を持っています。最初の証拠から殺人事件が起こったことを推定して、その推定を裏付けるためにさらに証拠を探し、最終的に犯人にたどり着こうというのです。科学だって同じやり方をします。科学で、証拠から論理が組み立ていくプロセスそのものです。
  さてこのミステリーですが、事実は、もともと近くにあった村が平家の落人部落で、変わった風習があったのですが、その村は廃村となったので、その風習を今では誰も知らなくなったのです。平家の末裔として源氏を打たずに死ぬのは未練だから、せめて武士の無念を示すために儀式を執り行っていたのです。その変わった風習とは、死んだ人の首を切断して、その切った刃物と共に埋葬するというものだったのです。
  もしこんなミステリーを書いたら、読者は皆、怒り出すことでしょう。死体の首を切って埋葬するなんて可能性はほとんどないことだし、そもそもそんな風習は聞いたことがありません。ですから、そんな誰も思いもよらないことを最初から考えて警察は動きません。警察は可能性の一番高い殺人事件としたのです。迷宮入りしたのは、警察の責任ではなく、犯人がいなかったためなのです。
  でも、この架空の殺人事件の真相が、誰も考え付かないことであっても、本当にあったことであれば、仕方がありません。
  私が、このような架空の話をしたのは、科学的に考えていこうとするとき、実は無意識の前提をもっているのではないかという、注意を促すためでした。その「無意識の前提」とは、
・可能性の高いものが起こるはず
・結果と証拠にはならかの因果関係があるはず
というものです。私たちは、このような先入観を持って物事をみてしまっているのです。そして、その先入観を「無意識の前提」として、真実と思い込んでしまうのです。
  「無意識の前提」は、科学の重要な考え方である(要素)還元主義と呼ばれるものでもあります。還元主義とは、「結果は原因から」あるいは「原因から結果へ」というものが、一義的な因果関係で説明できるという考えです。その因果関係とは、法則や規則、あるいは理論などというものです。
  還元主義は、19世紀から20世紀にかけて科学の世界で広く展開されている考え方です。もちろん今の科学も、還元主義でなされています。科学の成したものをみると、還元主義的手法がいかに強力で、私たちに快適さ、便利さをもたらしたかがよくわかります。現在も、一番よく利用されている考え方です。いや、科学的な論文は、還元主義的に書かないと、不備があるとされます。取るに足らない可能性だけを議論して、一番の可能性を無視しているようでは、科学的論文と認められません。
  何か起こった結果があれば、そこには必ず原因が存在するという考えは、当たり前です。逆に、原因がそろっていれば結果は自明となり、きっと起こるということも信じられます。
  還元主義では、何事かを成し遂げたければ、努力すればゴールにいけるということを保障してくれます。ゴールに行けないときは、その原因追求し、原因を克服すれば、きっとゴールは到達できるはずなのです。これは物事を成すときに、非常に重要な動機を与えてくれます。還元主義では、きっとゴールへは行けるという前提があるので、がんばれるのです。
  さらに還元主義では、複雑な現象を解明したいときは、複雑なものを単純化していきます。不要な要素を除き、より根本的な要素だけを選び、さらにどれが主たる原因かを検討していきます。それらの要素の中から、一番根源的な原因を見つけていくのです。このような還元主義が、近代の科学や技術を支えてきたともいえるのです。
  ところが、私たちには知りえない真実、あるいは稀な出来事では、可能性の高いものが起こるという論理が選ばれるとは限らないのです。特に歴史的な現象や事件は、一度だけしか起こらないことです。そこで小さな可能性を選んだことがあったとしたら、私たちは間違った結論をずっと信じていることになるのです。
  あるいは原因究明をいくらしても解明できない場合、そもそも可能性の高いほうに原因がないのかもしれません。だから、いくら可能性の高い方を探しても、答えが見つからないのかもしれません。
  もし可能性の低いものが選ばれた結果も、私たちの信じている科学の体系に混じっていたら、科学とは危ういものに見えてきませんか。
  探しても答えが見つからないときは、答えを探す場所がまったく違っているのかもしれません。真っ先に捨て去った少ない可能性の中に、答えがあるのかもしれません。
  還元主義を使わなければ、科学は成り立ちません。しかし、還元主義にも限界があることを知っているべきです。そして、もし還元主義が行き詰ったときには、捨て去った可能性を省みることもしなければなりません。そして、なにより科学自体には、そのような不備があることを承知して使っていく必要があるのではないでしょうか。


Letter■ 「早わかり 地球と宇宙」出版しました

・「早わかり 地球と宇宙」出版しました・
2006年12月1日に「早わかり 地球と宇宙」 という本が発行されました。
見本刷りは11月半ばに入手していました。
12月に入ってから書店に並ぶというのを聞いていたので、
それからメールマガジンなどで紹介しようと考えていました。
しかし、先週町にでかけて書店を見たら、
すでに置いてあったのを見つけました。
そしてメールマガジンの読者からも見つけたという連絡を受けました。
そこで、宣伝を始めることにします。
この本は久しぶりに書いたものであったのと、
今回は出版まで結構苦労したので、満足感はなかなか大きいです。
1年前の10月に出版社には完成稿を入稿していました。
しかし、シリーズで出すということなので、
化学の原稿が出てくるまで作業は止まっていました。
春から本格的な編集作業がスタートしました。
私は、夏休みに主として校正作業をしました。
図版の修正作業に手間取ったり、
ページ変更があり、かなりのページで修正を要したり、
新たにコラムの10ページほど書くことになったり、
最後の最後で縦組みから横組みに変更したりで、
いろいろあわただしかったのです。
それに今年は新学科の授業が始まっていたので、
時間のない中、修正作業をやったので、なかなか大変でした。
夏休みもこの本に忙殺されることになりました。
でも思い入れもそれなりにあります。
資料を提供した方々に献本をしたのだが、なかなか評判はいいようです。
地学に関する本がいくつかでているのですが、
一般の人には、私の書いたものの方が、分かりやすいのではないかと
編集の方ともども自賛しています。
興味ある方は書店で手にしていただければ幸いです。


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