地球のつぶやき
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Essay ■ 50 捏造:科学と人の心
Letter ■ 仁科芳雄・雪解け


(2006.03.01)
 高名な研究者が捏造事件を起こし、マスコミを騒がせています。なぜ、そのようなことが起こったのでしょうか。考えてみました。


■Essay 50 捏造:科学と人の心 

 人の営みを考えると、大半の人は、善良に暮らしています。悪いことをしそうなときも、理性や良心、心が止めます。しかし、人の行為ですから、中には、悪意を持って、あるいはやむにやまれぬ事情があって、悪いことをする一握りの人がいます。悪いことをした人が、罰せられるのは当然です。
 数例の悪い人の行為をもって、そのグループ、そのコミュニティが悪いと決め付けるのは、間違いです。しかし、世論をつくるのも人ですから、少数の例を持って、そのグループ、コミュニティを悪者に仕立てることがあります。これも、人の営みなのもしれませんが、当事者以外を、必要以上に追求するのは、大きな労力をかける割に、得るものは少ないはずです。
 湯川秀樹、朝永振一郎などのノーベル賞受賞者たちを育てた仁科芳雄は、「日本の現代物理学の父」と呼ばれることがあります。仁科芳雄は、中央公論社「自然」(1971年3月20日発行)の中で、「科學は呪うべきものであるという人がある」からはじまる「ユネスコと科學」いう文章を掲載しています。
 「呪うべき」理由として、仁科氏は次のように書いています。
「原始人の鬪爭と現代人の戰爭とを比較して見ると,その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある.個人どうしの掴み合いと,航空機の爆撃とを比べて見るがよい.さらに進んでは人口何十萬という都市を,一瞬にして壞滅させる原子爆彈に至っては言語道斷である.このような殘虐な行爲はどうして可能になつたであろうか.それは一に自然科學の發達した結果に他ならない.」
 確かにこの理由には、一理あります。科学が「呪うべき」悪であれば、その科学を生み出し、運用している科学者も、悪のコミュニティの一員といえます。科学者も人間ですから、時には悪いことをすることがあるのです。
 そんな例として、最近の論文の捏造事件が、韓国や日本でも、ニュースをにぎわしています。
 2005年末に発覚した韓国の黄禹錫教授の捏造事件は、共同研究者が「卵子を違法に入手している」と公表したことから発覚しました。黄教授は、ヒトのES細胞(胚性幹細胞)の研究を世界に先駆け成功させ、「韓国の誇り」ともいわれていました。2006年1月10日、韓国のソウル大学調査委員会は、黄教授の2004年と2005年の論文が「ES細胞作成に成功したといういかなる科学的根拠もない」という最終調査結果を発表しました。その結果、研究は捏造であると結論付けられました。
 東大の多比良和誠教授らのおこなったRNAに関する研究で、12の論文について、日本RNA学会は、異例のこととして2005年4月に「実験結果の再現性に疑義がある」として、東大に調査を依頼しました。東大調査委員会は2006年1月27日「現段階で論文の実験結果の再現には至っていない」とする報告書を発表しました。つまり、同じ結果が得られず、研究に信頼性がないことになりました。まだ捏造につていは灰色ですが、研究室の学生全員の移籍も正式に公表され、研究活動は事実上、停止することになりました。
 少し前になりますが、2000年11月5日の毎日新聞朝刊がスクープした旧石器捏造事件は、アマチュア考古学研究家の藤村新一氏によるものでした。彼は、次々と前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡を発見していきました。しかし、それがすべて捏造だと判明しました。その結果、登録された遺跡の抹消や教科書の書き直しなど、大きな社会問題になりました。
 このような捏造事件は、今回の韓国と日本のことだけではなく、世界各地でも、起こっていることなのです。
 2002年には、「超伝導」の捏造事件がアメリカの名門ベル研究所でおこりました。シェーン氏は、超伝導に転移する温度の最高記録を次々と塗り替え、2年間で「Science」と「Nature」という権威のある雑誌に16の論文を含む、4年間で80本あまりの論文が報告されました。一時はノーベル賞確実とまでいわれながら、捏造事件として決着しました。
 過去にも、このような捏造事件は、繰り返しありました。有名なところでは、ピルトダウン事件でしょうか。
 1912年11月にドーソンらがイギリスのロンドン郊外にあるピルトダウンで発見した人類頭骨が発見されました。一緒に発見された化石などから、その人骨は旧石器時代のものとされました。しかし、同年代の人類化石と共通点が少ないことから、議論の的になっていました。その後、1949年に大英博物館による年代測定で、その骨が1500年より新しいものであることが判明しました。1953年にはオックスフォード大学の調査で、オランウータンの頭骨が加工がされたものと判明しました。40年もたった後、人骨化石の捏造が発覚しました。
 このような捏造事件の背景には、ねたみ、名誉欲、愉快犯など、いろいろな理由があるのでしょう。大規模な研究費投入によって研究の成果を迫られる状況、大学の研究に対する評価など、やむにやまれぬ事情もあるでしょう。科学も人の営みですから、間違いもあるでしょう。しかし、間違いでなく、捏造を行うということは、あきらに良心、つまり自分の心に反することを行っています。韓国の黄教授、東大の多比良教授、考古学の藤村氏、ベル研究所のシェーン氏は、繰り返し捏造の作業をおこなっています。
 このあたりの心理的な作用はよくわかりませんが、一度でも不正を行うと、何度も行うとことになってしまうのは、人間の性なのでしょうか。もしそうなら、人間とは弱く、悲しいものです。
 仁科氏はいいます。「われわれ科學者の中には今日までただ科學の進歩を目指して進み,その社會に與える結果に對しては比較的無關心なものが多かつたのであるが,今後はその結果が如何に使用されるかについて監視する必要がある.」と。
 科学者とは、ある国、ある時代、人間の知性をリードすべき階層に属する人たちです。そんな人は、進歩的と考えられる国からたくさん輩出しているはずです。高等教育も受けているはずです。それでも、捏造は起こるのです。事実かどうかは分かりませんが、ある人に言わすと、このような科学における捏造は氷山の一角だといいます。
 捏造した個人を罰することは必要でしょうが、個人が属したグループやコミュニティを批判することは、生産的な道ではないでしょう。再発を防止する対策として、仁科氏のいうように、監視を強くすることも必要でしょう。しかし、監視も人間の営みですから、どこから抜け道があるでしょう。そんな抜け道がないように、監視を一層強化することになるでしょう。これではイタチゴッコで、結局は自分たち自身が、科学をやりづらくなることでしょう。
 それよりも、「科學者の中には今日までただ科學の進歩を目指して進み,その社會に與える結果に對しては比較的無關心なものが多かつた」という反省の方を重視すべきでしょう。捏造は、もはや科学者の倫理のレベルではないかもしれません。人としてやっていいこと、やっていけないことの正常の判断をどんな状況でもできること。やむにやまれぬ事情があっても、悪いことはしないという、強い心を持てること。いってみれば、人間として基本的資質を問うことが必要なのではないでしょうか。
 間違いや誤解は、人間ですから起こります。どんなに慎重に見直したつもりの論文でも起こります。私も何度か論文や本でミスをしたことがあります。でも、間違いや誤解は、自分の心を欺いていません。捏造は、人を欺く前に、自分自身の心を欺きます。自分の心を人間として基本的資質と位置づけるべきではないでしょうか。当たり前の結論ですが、自分の心を基準にすることが、科学者としてはもちろん、人間として一番大切なことです。
 捏造事件から学ぶべき教訓は、一度でも心を欺くと、二度目の捏造は一度目より心が楽になり、三度目は当たり前になり、四度目は繰り返さなければ存在できない自分がある、という人間の弱さではないでしょうか。ですから、最初の一回目の捏造と良心の葛藤で負けない心が重要になります。
 最後にまた、仁科氏の言葉を引用しましょう。
「科學を呪うべきものとするか,禮讃すべきものとするかは,科學自身の所爲ではなくて,これを驅使する人の心にあるのである.」
科学者も人間です。人間ですから弱い心もあります。でも、越えてはいけない最後の一線を越えない心だけは、なんとしても持ち続けたいものです。


■Letter 仁科芳雄・雪解け 

・仁科芳雄・
 ここで引用した仁科芳雄の「ユネスコと科學」の文章は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られたものを、利用させていただきました。青空文庫を、私は時々利用させてもらっています。デジタルとして文章が必要なときや、手元に古い書籍がないときなどに、ここで読みたいものが見つかることがあるからです。
 それに原典を読むと、あるフレーズしか覚えてなかったことが、ある時代のある社会状況で書かれたいたことが、文脈からよくわかります。
 私も、「科學は呪うべきものであるという人がある」というのをどこかの本で読んだのですが、うろ覚えでした。今回、原典を読んで、いろいろ思うことがありました。そして、今回のエッセイのタイトルの副題である「科学と人の心」という言葉も、そこから出てきました。仁科氏は、この文章を、UNESCOの設立趣旨を戦争と科学の関係で述べていました。
 しかし、この文章の趣旨は、現在日本で話題になっている捏造事件のニュースを聞くものにとっては、新鮮に感じるのは私だけでしょうか。

・雪解け・
 北海道だけでなく、全国的に雪が降る冬でした。今年は北海道も、昨年の冬に続いて雪の多い年でした。しかし、北海道にも暖かい日がめぐってきました。雪の多い年だっただけに、春が待ち遠しいものです。まだ大学は入試を行っている時期なのですが、雪解けを見ると、ついついその先の春を思い浮かべてしまいます。しかし、目の前の大切なことをまず、ひとつひとつ行っていきましょう。


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