地球のつぶやき
目次に戻る

Essay ■ 44 パラダイム・シフト
Letter ■ 非常識を目指して


(2005.09.01)
 今回は、常識についてです。あまり深く考えていないときは、常識に基づいて考えています。でも、そんな常識が足かせになることにあります。常識破りの意味について考えていきましょう。


■Essay 44 パラダイム・シフト 

 多くの人が持っている普通の考え方、つまり「常識」とは、ある時期に、ある社会が、自然発生的に生まれてもっている考えのことです。それは、生活の指針、行動の仕方、ある文化などにも適用できます。常識とは、大多数の人が、しらずしらずに持つようになっていきます。
 もちろん、生まれたばかりの子供は、常識を持っていませんから、彼らに常識が持てるようにする仕組みがあるはずです。新しくその社会に参入する人はすべて、その常識に基づいて教育を受け、その常識の範疇で行動できるようになります。そのような教育を行うのは、両親であったり、学校であったり、会社であったりしますが、常識を共有する社会全体による教育ともいえます。ある人は、その常識をより良きものにするために貢献するでしょう。社会自体が常識に基づいて、成り立っているのです。
 その社会に生きる人は、常識を基準に考えればいいのです。もし、判断に困ることが生じても、常識に照らし合わせれば、常識が判断の基準となるので、そこから考えを巡らせばいいのです。でも、たいていの場合は、常識による判断で、困ることはないでしょう。
 それになんといっても、常識をマスターするのに、苦労がいらないのです。なぜなら常識を身に付けるために、子供の頃からその社会で教育を受けてきたのです。知らず知らずに身に付けてきたのです。そして、常識に基づいて行動しているので、日々使っているます。ですから、生活するにも困まらないのです。
 さらに、その常識の社会のシステムで優等生となるいうことは、常識形成によりよく貢献をすることともいえます。そうすれば、出世にもつながりよい地位が確保されていきます。常識とはいいこと尽くめのように見えます。
 ところが、ある社会が発展していき情報や知識が増えてくると、「常識に合わないもの」も見つかってくることもあります。常識に合わないものでも、初期の社会であれば、常識も完成しておらず発展中なので、常識の範疇を拡大していけば、より広範な常識として、よいものになっていくでしょう。「常識に合わないもの」は、初期の社会では、常識改善、拡張のネタにできるものにもなります。
 しかし、さらに長い時間がたってくると、どうしてもその常識では説明できない事実や情報が、いくつも見つかってきます。時間と共に「常識はずれ」が増えていくことでしょう。
 一方、その社会の住む多くの人は、常識の範囲内でしか、物事が考えられなくなっていきます。「常識はずれ」が少ないうちは、無視できるでしょうが、「常識はずれ」が多くなると、常識そのものが怪しいのではないかと考える「常識はずれの人」がでてきます。
 そんなとき、今までの「常識」と「常識はずれ」の両者をすべてうまく説明する「常識はずれの考え方」が発見されることがあります。今まで、「常識はずれ」に悩まされていた若い優等生たちの中には、「常識はずれの考え方」に飛びつく人もでてくるでしょう。そして、その「常識はずれの考え方」が充実してくると、今までの常識が雪崩のように崩壊することがあります。
 このような社会における常識の崩壊は、考え方の変化ですが、大転換を伴います。今までの「常識はずれの考え方」は、普通の社会では大事件と共に起こります。社会における常識を崩壊させるほどの考え方の変化は、社会全体の変化を伴っていることが歴史が示しています。
 例えば、幕藩体制から文明開化へ、あるいは軍国主義から民主主義へと「常識はずれの考え方」に変わるとき、それは革命的な社会の変化が起きました。ですから、歴史の中で革命が起きた時には、考え方の大転換も起ることがありました。
 科学の世界でも、同様に大転換があります。ただし、科学の大転換は、社会の大転換とは少し違っています。科学とは、論理や証拠を積み重ねていきます。ですから、現実社会では、一見何事もなかったように日常生活が営まれていますが、意識や思考上では科学の営みに革命と呼ぶべきものが起こります。
 有名なものでは、コペルニクス(Nicolaus Copernicus)の地動説があります。1543年に発行された「天球の回転について」の中で、コペルニクスは、地動説を論理的に展開しました。「天球の回転について」という著作は全6巻からなり、地動説は、第1巻で詳しく述べられており、天動説から地動説に対する反論を想定して、反論として地動説の立場から天体運動が論理的に説明できることを示しています。
 天動説から地動説は、市民の日常生活に変更を迫るものではありません。しかし、当時やその後の天文学者、知識人、宗教家たちは、プトレマイオスの天動説をとるか、コペルニクスの地動説をとるか、2者選択を迫られる、非常に重大な出来事になりました。普通なら、より合理的な地動説に変えればいいと思ってしまうのですが、科学の営みにおける常識を変えるということになるわけです。精神的には多大なる苦痛を伴うのです。考え方といえ、そうそう簡単にはいきません。これも精神や思想の上での革命というべきでしょう。
 余談ですが、コペルニクスは「天球の回転について」の中で、「回転」の意味で使われたrevolutionが、1600年ころから「革命」という意味に使われるようになりました。哲学者のカントは、このような考え方の革命を、1788年発行の「純粋理性批判」(第2版)の序言で、「コペルニクス的転回」と呼びました。科学の世界では、このような「コペルニクス的転回」が、たびたび起ってきました。
 科学の世界では、「革命」あるいは「コペルニクス的転回」を、「パラダイム・シフト」と呼ぶことがあります。
 パラダイム・シフトの「シフト」は、「入れ替わり」や「転換」という意味です。「パラダイム」という言葉は、聞きなれない言葉です。英語では、paradigmと書くのですが、もともとはギリシャ語のparadeigmaから由来しています。ギリシア語のparadeigmaは、「模範」や「範例」を意味する言葉で、英語では、ラテン語などの名詞や動詞の語型変化を覚えるために、利用する代表的な例として使われていました。
 ところが、アメリカの科学史家のクーン(Thomas Samuel Kuhn)が、1962年に発行した「科学革命の構造」で、別の使い方をしました。それが今日でも使われているパラダイムやパラダイム・シフトという言葉のはじまりとなりました。
 クーンは、パラダイムを、「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」と定義しました。つまり、ある時代の科学者たちが持つ、共通の考え方というような意味で用いたのです。上述の内容でいえば、ある時代のある社会の科学における「常識」のことです。
 クーンは、科学の歴史を研究して、パラダイムが3つのプロセスをへて崩壊し、新しいパラダイムへと転換、つまりパラダイム・シフトが起こると考えました。
 常識が通用する時期を通常科学(normal science)と呼んでいます。パラダイムに基づいた研究がなされている時期を、クーンはパズル解き(puzzle solving)状態と表現しました。
 パラダイムでは対処できない変則事例(anomaly)が蓄積してきて、パラダイムは、やがて危機(crisis)を迎えます。危機を回避するために、今までのパラダイムにこだわらず新しい考え方が提示され、科学革命(scientific revolution)がおきます。
 クーンが「科学革命の構造」を発行した1960年代は、いろいろな学問のあり方の見直しが迫られていた時代でもありました。純粋な学問だけでなく、学術体制や、政治、外交、社会まで、広く問題が起こっており、その見直しが必要となる時代でもありました。そのときの基本姿勢をパラダイム、その転換をパラダイム・シフトと位置づけて、パラダイムの考え方を拡張解釈して、いろいろな分野で用いられるようになりました。
 以上のようなことからわかるように、常識からは革命的大発見は生まれそうにありません。ですから、非常識を恐れることも、まして排除する必要はないのです。むしろ歓迎すべきです。
 ただし、社会は非常識を嫌います。非常識の人が常識の社会に紛れ込んでいると、いろいろなトラブルが起こります。ですから、最終的に、常識が主流で通常的な状態であれば、非常識は排除されます。ただし、もし、その社会が危機的状況であれば、非常識な考えでも変則事例をうまく説明することを示すことができれば、革命を起こせるかもしれません。でも、そんなことをなしうるのは、チャンスに恵まれ、そして能力のある一握りの人です。
 自分が、非常識をおこなおうとすると、気軽にはできません。それなりの覚悟が必要です。常識派、つまり大多数派から、非常識の人は叩かれるはずです。そん反撃を覚悟しなければなりませんし、耐えて反論しなければなりません。非常識に生きるには、叩かれても負けない論理と、何よりも強靭な精神力が必要です。
 さらに大切なことは、大局観が必要となります。今自分がいる社会が危機的状況であるのかどうかは、常識の社会を良く知らなければなりません。また、革命的な「非常識な考え」を生むには、常識の真髄に通じていなければなりません。革命家は、非常識であるべきですが、常識人以上に常識に通じ、社会の動向に敏感でなければなりません。非常識を実践するのも、なかなか大変なようです。


■Letter 非常識を目指して 

・非常識を目指して・
 私は、非常識派を目指し、革命家になりたいと、常々考えています。そのために、私はいつも、「主流派からは創造的なものは生まれない」と、周りの人にいっています。もちろん、いっているだけでなく、「非常識な考え」を生み出すチャンスを虎視眈々と狙っているところです。
 でも、なかなか非常識な考えが生まれません。まだ、常識の真髄に通じることに、まだまだ四苦八苦している状態です。これでは、非常識に達する前に常識人にすらなれないかもしれません。でも、なんとかしたいともがいています。
 私は地質学を専門としてます。そして教育学もここ10年ぐらい専門のひとつとしてきました。最近は哲学も目指しています。もちろん、教育学も哲学も、地質学を中心にすえたものです。また、もともとの専門である地質学も、いまや一般的なもの(プロパーとよばれます)からはずれました。教育や哲学をしやすい素材に変更しました。
 そんな地質学、教育学、哲学が融合したものを、私の「非常識な考え」として樹立したいと考えています。まだまだ歩みだしたばかりです。道は遠く険しいようです。でも、ライフワークとして、目指し続けていきたいと思っています。道半ばですが、非常識になることがまだできません。まだ「主流派からは創造的なものは生まれない」ばかりを唱えている狼少年の状態です。でも、目指した道ですから、歩み続けるしかありません。


目次に戻る