地球のつぶやき
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Essay ■ 43 数で勝負:時間の矢を飛び越える
Letter ■ フラウンホーファー


(2005.08.01)
 本当のことを知りたいと思っても、なかなか知ることはできません。でも、何とか知りたいとき、人はあの手この手を使って、知恵を振り絞って考えていきます。この世に一つしかないものが経てきた時間、まだ来てないが来るであろう時間、そのようなものは、今からはなかなか知ることできません。でも、知ろうという努力がなされています。


■Essay 43 数で勝負:時間の矢を飛び越える 

 日本では四季がはっきりとしており、季節ごとに風物や楽しみが違っていて、いい環境だと思います。どんなに暑い夏もやがて秋になり涼しくなります。どんなに雪の多い冬も、やがて雪が融けて春になります。季節は巡り、そんな繰り返しが日本列島では起こっています。
 昨年の夏は例年になく、暑く、台風もたくさん上陸しました。このようによくみると巡ってきた季節にも、その年その年で違いがあります。暑い夏、寒い冬といっても、違いを探せば見つかります。
 自然界における出来事、現象、作用は、どんなに同じような繰り返しがあるように見えても、同じものではありません。つまり、時間経過に伴う自然の変化とは、不可逆な変化といえます。自然界では一方向にしか時間が流れないのです。自然界における時間の流れは、「時間の矢」ともいうべき存在なのです。
 それぞれの人の経歴は、自分しか経験したことがなく、誰にもマネのできないことです。では、自分中心に考えると、自分の歴史を探るには、どのようにすればいいでしょうか。2つのアプローチがあり得ます。ひとつは、自分自身の内部を詳しく調べる方法、もうひとつは、自分以外の類似のものから間接的に調べる方法、の2つがあります。
 自分が誕生したときの様子を知ろうとしても、自分自身には誕生の記憶はほとんどないはずです。しかし、自分の体を何らかの方法で調べれば、自分の年齢はいくつくらいかは見当がつくはずです。記憶をたどれば、誕生以降の様子は思い出すことができます。記憶のある時期の経歴はたどれたとしても、正確な誕生の様子には、たどり着くことはできません。
 より多くの情報を得るには、自分より前から生きている人で、自分の誕生知っている人、たとえば母親から当時の様子を聞くことが、非常に有効な方法です。しかし、これは、人だからできる手法であります。もし、自然物であれば、まして地球や太陽のようにこの世に一個しか存在しないものについては、この方法は使えません。
 では、太陽や地球の一生、あるいは履歴、歴史を探りたいと思ったら、どうすればいいでしょうか。少し深く考えていきましょう。
 地球の場合は、地球内部にその岩石や化石などに歴史が断片的ですが記録されています。ですから、自分の内部を調べる方法が適用できます。また、地球以外の惑星もありますから、それらとの比較する方法も使えるでしょう。
 しかし、太陽は、一つしかありません。太陽自身も、今の状態の太陽しか探ることができません。過去の太陽の歴史を、今の太陽から試料を手に入れたり、証拠を得て、直接探ることはできそうにありません。では、どうすればいいでしょうか。
 そんなとき、数で勝負する方法があります。
 宇宙を、もし宇宙の外から眺めることができれば、宇宙は多数の輝く小さな点でできていることが見えてくるはずです。その輝く点とは、銀河のことです。つまり、多数の銀河があるということです。また銀河を外から見ると、多数の輝く小さな点、星でできていることが見えてくるはずです。天の川は、英語でミルキーウェイと呼ばれるように、ぼんやりと明るい光の帯です。これはすべて星(恒星)によってできています。
 自然界は、このような階層があります。小さなスケールでも、生物、岩石、鉱物、分子、原子、素粒子など、さまざまな階層があります。そしてそれぞれの階層には、構成要素が多数あります。もちろん、ひとつひとつ詳しく調べれば、それぞれ個性が見つかるかもしれません。しかし、たとえば、恒星という階層の構成物という視点で見れば、多数の同等のものがあるということになります。つまり、私たちは、多数の実例をもっていることになります。
 宇宙には、多数の星があります。そのような多数の実例を利用すれば、太陽の生い立ちを、間接的ですが調べる方法となります。
 たくさんの星があります。たくさんあるのなら、とりあえず整理することです。整理するには、まず区分して、似たものを順番に並べてみる必要があります。もし、その区分や順番に意味が見出せれば、それは何らかの論理を見出せるかもしれません。
 やってみましょう。やり方は次のようになるでしょう。
 星にはいくつかの種類があるはずです。太陽と似た星を多数集めて、調べていきます。太陽と似たタイプの星の中にも、いろいろな種類の星に区別があるでしょう。それらいろいろな太陽類似の星を、ある星の一生だと仮定して、並べてみます。もちろん、誕生の頃にする理由、死の間際にする理由が必要でしょう。なんらかの理由を見出しながら、見出せないときには、強引に並べてみます。すると、そこには、時系列らしきものに沿って並べられた星の列ができます。ひとつひとつの星はまったく違うものですが、一見星の一生を示すような順番とみえるものがこれでつくることができます。もし、その並びに、何らかの法則、原理、論理によってで説明できるものがあれば、その順番は単に偶然ではなく、ある必然の可能性を示すことができます。
 もちろん、このやり方でてくる論理は仮説にしか過ぎません。歴史は繰り返しませんし、太陽にも個性があるし、規則には例外があるでしょう。だからの仮説の可能性は高めることはできるしょうが、あくまでも仮説の域を出ることはできません。しかし、まったく履歴がわからないと投げ出すより、仮説でもいいですから手にできれば生産的です。この宇宙で唯一の太陽自身の履歴が、誕生から死まで、何らかの根拠を持って推定することができるかもしれないのです。
 では、今いったような考え方で、太陽の履歴を探っていきましょう。
 分類の仕方は、まず、よく見ることです。今回の場合は、星をよく見ることです。星が瞬くのは、地球の空気が揺れているためです。地球の大気を通して星を見ていることを、忘れないようにする必要があります。
 星を見たとき、明るさと色に違いあることに気づきます。この明るさと色の違いが、区分の重要な手がかりとなります。
 明るい星から暗い星まであります。肉眼では見えないような暗い星もあります。同じ明かりでも、近いと明るく、遠いと暗くなります。ですから、遠い星は暗くなっています。見かけの明るさは、本当の星の明るさとは限りません。もし、星までの距離が何らかの方法で測ることができれば、本当の明るさがわかります。本当の明るさは、真の明るさ、絶対等級、光度などで表されています。
 星の色は、青白、白、淡黄、オレンジ、赤、深赤に大雑把に分けられます。多数の星を色に合わせて並べてみると、青白から深赤まで、ただらかに変化していきます。欠けた色もなく、緑色もないがわかります。これらの色の違いは、星の構成成分の違いではなく、星の表面温度に由来していることがわかっています。つまり、高温の星(10,000 K 以上)は青く、低温の星(2,500 K)は赤いのです。
 もっとく、詳しく星を見ていきましょう。
 太陽の光を、プリズムを通して見ると、黒い線がみつかります。これをフラウンホーファー線といいます。フラウンホーファー線とは、発見者の名にちなんでいます。フラウンホーファーは、576本の黒い線を発見しました。その後、これが、太陽の外側にある温度の低いガスの成分によってできた吸収スペクトルと呼ばれるものであることがわかりました。また、明るく輝く輝線スペクトルもあることが発見されました。
 このように、光の成分を細かく調べていくことをスペクトル分析といいます。スペクトルとは、光を波長の順に分解して並べたものです。離れていても、スペクトル分析すれば、その星にはどのような成分が含まれているかがわかるのです。現在、太陽の光の中から、25,000本あまりのフラウンホーファー線がみつかっています。
 輝線スペクトル(星に含まれる元素の特徴)によって、星が区別できます。このような星の分類を、スペクトル型といいます。そして、各スペクトル型は、さらに0〜9まで細分されています。
 さて、明るさと色が、星の特徴となることがわかりました。それをグラフにして比べた人がいます。横軸に色(スペクトル型、表面温度、色指数、色温度、有効温度のいずれか)、縦軸に明るさ(絶対等級、真の明るさ、光度のいずれか)をとり、観測した星のデータを並べます。
 この図は、1905年に ハートスプラング(Hertsprung)が考え、1913年にラッセル(Russell)が図にしたものです。二人の頭文字をとって、HR図とよばれています。
 この図では、大部分の星が集まる並びができました。このような並びにある星を、主系列星と呼んでいます。なんと、星の92%がこの領域に入ります。私たちの太陽も、主系列星にはいり、G2型というスペクトル型で約6,000 Kの温度をもつ星だとわかります。まあ、ごく普通の星だということです。
 この主系列から外れる8%ほどの星は、特殊なものとなります。星が特殊であるとは、もともと似たような星だとすると、星の誕生の頃と死の間際のため、特殊な状態にいると考えられます。
 さまざまな星が、この図でつくる一連の経路がどうも、星の一生を示しているようです。この図の星の並び総括的に説明する理屈がわかれば、星の一生の一般的なシナリオができます。そして、そのストーリーは、太陽自身にもあてはめられるはずです。
 以上のような考え方に基づき、太陽の誕生のストーリーをつくることができます。それは、次のようなものとなります。
 太陽誕生の場は、 分子雲と呼ばれているところです。分子雲とは、普通の宇宙空間に比べて、分子が少し多いところです。宇宙空間には、1立方cmに、10のマイナス30乗からマイナス29乗個という、ごく少しの物質(分子、原子)しかありません。真空といっていいほどです。分子雲では、1立方cmに、100から1000個の物質があります。温度も宇宙空間の3Kの比べればやや高く10〜30Kとなっています。
 分子雲の中に物質のムラがあると、物質の多いところ、少ないところができます。物質が集まっているところは、周りより、引力が強くなります。するとと、引力によって分子が集まってきます。物質が集まれば、さらに引力は強くなります。その相乗効果がおきます。やがて、分子雲の中にコアと呼ばれる物質が濃集したところができます。
 分子雲コアの密度は、1立方cmあたり、1万から10万個になります。コア全体では太陽系の数倍ほどの量になります。
 分子雲コアができるとさらに引力が強くなり、さらに物質が集まります。ある量の物質が集まると、コア自身の収縮が始まります。密度も温度も急激に上昇していき、星と呼ぶべきものができます。
 まだ輝いてはいないのですが、星の温度は上がっています。しかし、光(可視光)は、星の周りにあるガスがじゃまをして外にはもれることはありません。そんなガスの中で、星が生まれ、成長していきます。ただし、赤外線がもれるので、観測することはできます。
 ある程度以上の大きさの星になると、核融合が始まります。つまり、星として輝きはじめることになります。明るく(太陽の1,000 倍程度)、高温(3,000〜5,000 K)で輝きます。まだ、核融合は不安定な時期です。このような時期の星を、古典的Tタウリ期星(CTTS)とよびます。この星は、特徴的にガスを自転軸の上下から噴出する双極分子流というものがみられます。まわりのガスを集めて、あまったものが飛び出していくためと考えられます。
 やがて、不安定であった核融合が安定しはじめます。核融合が安定した星を、弱輝線Tタウリ期星(WTTS)と呼びます。この時期は、300万から6000万年ほど続くと考えられます。CTTSとWTTSをあわせて、研究者の名前をとって林フェーズと呼んでいます。
 弱輝線Tタウリ期星を過ぎると、星は主系列星となります。星の安定期に入ります。一定の明るさで、長期間、燃え続けます。燃え続ける期間は、星の物質量によって違いますが、太陽では、100億年ほどだと考えられます。1億年たらすの誕生の時期を考えると、かなり長い安定期間です。つまり、星は安定した期間で一生の大部分を過ごします。ですから、主系列星の星が大部分であったのです。
 星の誕生と同じようにして、星の死も、多数の星の観測からわかります。私たちの太陽の将来も、推定できるのです。
 物質の多い(質量の大きい)星ほど、早く燃え尽きます。それは、放出エネルギーが大きいからです。大きな星は、明るく輝き、短い一生を送ります。そして最後は、超新星爆発という華々しい終わりを迎えます。その跡には、ブッラクホールや中性子星が残ります。
 太陽程度の星だと、爆発せずに、赤色巨星となって、惑星状星雲を形成して、やがて白色矮星になります。
 以上述べたような手法が、多数の類似のものから、固有のものの一生を推定する方法です。この方法を使うことで、太陽の誕生から死までの一生を推定することはできました。しかし、ここでの論理の組み立ては、完結した論理ではありません。なぜなら、太陽もそうであった、あるいはそうなる可能性は高いでしょうが、本当にそうであったのか、本当にそうなのかは、実証できません。なぜなら、過ぎ去った時間はもう二度も再現できませんし、まだ来ていない時間を調べることはできないからです。
 時間の矢の中で起こる出来事は、今以外、完全な証明はできないのです。しかし、これでもかこれでもかと多数のデータを並べることによって、推定に説得力を持たせることが、この方法です。ちょっと強引ですが、時間の矢の先や根っこを見るには、このような大胆な方法しかないようです。


■Letter フラウンホーファー 

・フラウンホーファー・
 上で出てきたヨゼフ・フォン・フラウンホーファー(Joseph von Frahofer)は、1787年3月6日にドイツのバイエルン州のシュトラウビンクでガラス磨き職人の息子として生まれました。1799年、11歳からガラス製造工場で、レンズ磨きの徒弟として働き始めました。
 バイエルンの知事を務めたヨゼフ・フォン・ウッツシュナイダーに才能を見出され、1806年19歳のときに、ウッツシュナイダー光学研究所に雇われました。彼は、ウッツシュナイダーの援助を受けて、光学や数学の専門知識を修得していきました。
 フラウンホーファーは、ガラス製造の光学機器の腕のよい職人で、22歳には早くも監督者となっていました。光学機器の技術開発、新しい研磨技術、高精度なガラス材料の製造などで、その才能を発揮していきました。
 1813年に、上で述べた太陽光のスペクトルの中に暗線を発見しました。実は、イギリスの科学者ウィリアム・ウォラストン(William Hyde Wollaston、1766年8月6日〜1828年12月22日)が、1802年に太陽光のスペクトルの中に、太陽の元素により吸収されてできる暗線のあることを発見しています。それとは、まったく独自にフラウンホーファーも発見していたのです。
 普通であれば、最初に発見した人にその栄誉が与えられるのです。つまり、1年先に見つけたウォラストンの名が付くはずなのに、フラウンホーファーの名がついたのは、なぜなのでしょう。
 実は、ウォラストンは、この暗線を、色の境目にあるために、意味がないと考えたのでした。ですから、暗線の意義を最初に見出したフラウンホーファーに、発見者としての栄誉が与えられたのです。ウォラストンは、すばらしい結果を手にしていたのに、常識にとらわれて、その意味を理解できなかったのです。フラウンホーファーの意味の発見の報告には、ウォラストンは、さぞ、悔しい思いをしたことでしょう。
 さて、フラウンホーファーは、1819年にはミュンヘン大学に勤務して、1823年にはミュンヘン大学教授になり、同年バイエルン科学アカデミーの正会員になりました。彼は、職人という出身でありながら、研究者として華々しい出世をしていきました。
 もちろん、他にもさまざまな業績もあげていました。1821年には回折格子の製作、1824年には大きな屈折天体望遠鏡を製作、などさまざまな研究機材も開発しました。
 フラウンホーファーは、技術者と研究者の両方の才能を兼ね備えた人だったようです。現在の科学界では、なかなか両方を兼ね備えた研究者は少ないようです。科学技術が多岐にわたること、複雑さを増していることなどから、なかなか一人でいろいろな才能を発揮するのが、難しい時代なのかもしれません。しかし、私は、そんな研究者にあこがれていますが、まあ無理な話ですね。


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