地球のつぶやき
目次に戻る

Essay ■ 42 思考実験:思考と現実の狭間
Letter ■ 過去、現在、未来・腕の見せどころ


(2005.07.01)
 考え、想像する力は、人間の偉大なる能力です。そんな能力を科学にも有効に使っている人もいます。私の想像したものも、一緒に紹介します。さて、いいものでしょうか。それとも、とんでもないものでしょうか。


■Essay 42 思考実験:思考と現実の狭間 

 人は昔から、いろいろなことを想像して、考えてきました。しかし、想像しただけでは、正しいかどうかわかりません。想像したことが正しいかどうかは、実験で調べることができます。また、実験の結果から、新しい考えを生み出すということもしてきました。想像と実験の繰り返しによって、人は深く考えるということをおこなってきたのです。
 想像とは頭の中(思考)の中の産物であり、実験とは現実のものごとを調べることです。想像と実験は、思考と現実ですから、一見相反するものにみえます。しかし、想像と実験は相反するものではなく、うまく共同し、すばらしい成果が出せることが、今まで多くの人が、それを証明してきました。頭の中で実験をして、その頭の中の実験結果から、いろいろなすばらしい考え方を生み出してきたのです。そんな思考と現実の狭間の考えを紹介しましょう。
 まずは、頭の中での実験を体験してみましょう。まず、何でも真っ二つに切れるナイフを用意します。もちろんそんなものは現実にはありませんが、頭の中ではどんなものでも想像できます。ものを切るためには、ものが見え、切れたかどうかの結果を見る目も必要です。それも用意しましょう。何でも切れるナイフを持つ実行者と何でも見えるという観察者が必要ですが、それを頭の中で用意すればいいのです。
 では、実験をはじめましょう。川原に落ちているどんな種類の石でもいいですから、拾ってきて、それをこの何でも切れるナイフで切っていくことにしましょう。もちろん、その石も想像でいいのです。
 切るたびに石は半分の大きさになります。どちらか半分の石を再度切ります。4分の1になった石をまた半分に切ります。さて、この半分に切るという行為は、どこまで続けられるでしょうか。もし、物質が無限に小さくできるのであれば、この行為は無限に続けられます。もし物質の大きさに限界があるとするならば、あるところでこれ以上切れない「何か」になってしまいます。さて、どちらになるでしょうか。
 ギリシア時代の哲学者のデモクリトス(Demokritos、 紀元前460年頃〜紀元前370年頃)は、もうこれ以上切れないものにいきつくと考え、それを「アトム」と呼びました。デモクリトスは、アトムが特有の性質を持つ究極のものだと考えました。何種類かのアトムがあり、それらが万物の根源だとしました。
 これは、現在の原子論に通じる考えかたです。デモクリトスは、現代風の原子論を、頭の中の実験だけで作り上げたのです。ギリシア時代には、現代のような実験装置はありませんでした。しかし、デモクリトスだけでなく、多くの哲学者たちが、このようなすばらしい実験をおこなっていたのです。
 デモクリトスの実験は、頭の中でおこなうおこなっていますが、実験の一種とみなされます。このような頭の中の実験を、「思考実験」と呼んでいます。思考実験とは、実験道具や実験装置を使うことなくおこなうものです。思考実験は、時には、妄想やデタラメ、間違いに結びつくことにもなることがあります。しかし、うまく使えば、非常に有効なものです。
 先ほどのナイフのように実際には存在しないものや、どんなものでも見える目のような、ありえない条件を想定して、目的のものはどうなるかを、想像力だけで展開していけるからです。目では追えないほど早い出来事、見えないくらい大きいもの、知ることのできないほど昔のことなど、思考実験はどんな条件でも実験可能にしてくれます。
 今では、思考実験の多くは、コンピュータの中でシミュレーションとしておこなわれているものです。でも、残念ながら、プログラムを書いたり、初期条件を決めたり、データを選ぶのは、人間ですが、行うのはコンピュータです。思考実験と同じことを、人間とコンピュータが共同でおこなっているのですが、思考実験の手軽さと比べると、シミュレーションは煩雑です。シミュレーションのほうが科学的ではありますが、やはり限界があります。
 思考実験には、いろいろな効用があります。例えば、その時代の科学の重要な問題点を指摘することがあります。有名な思考実験に、「シュレディンガーの猫」というものがあります。
 「シュレディンガーの猫」の思考実験とは、次のようなものでした。箱の中に放射性物質のラジウムを入れます。ラジウムはアルファ線を出して崩壊します。箱の内に飛び出したアルファ線をすべて捕らえられる検知器を設置します。検知器がアルファ線を捕らえたら、箱の中に青酸ガスを注入する装置のスイッチが入ります。ラジウムは1時間で1個のアルファ線を出すとしましょう。
 さて、この箱に猫を入れると、1時間後に猫はどうなっているでしょうか。つまり、猫は生きているか、死んでいるかどちらでしょうか、という思考実験です。箱のフタを開けるまで、結果はわかりません。実は、この実験は、重要な問題を提起し、まだ完全には解決されていない問題です。
 多くの研究者は、観測者が箱を開けて観測を行った瞬間、その猫の状態群(この場合は生きている状態と死んでいる状態の2つ)が、一つの状態に収縮する、と考えています。これは、コペンハーゲン派とよばれる解釈で、現在主流となっている考え方です。これは、観察者を、特別な存在として解釈していることになります。崩壊が1時間で一度起こるというのは確率であって、本当に起こるかどうかはわかりません。このような確率的な振る舞いは、量子力学による解釈によるもので、フタを開けるまでは決められないという考えです。
 この考えに対してシュレディンガーが反論するために、この思考実験を提示したのです。時間の流れでみれば、フタを開ける前に、この事件はすでに起こってしまっていることです。もし、コペンハーゲン派の説を信じるなら、生きた猫と死んだ猫が重ね合わさっているというとんでもない状態であります。こんなばかげたことがあっていのかということを、この思考実験を通じて、シュレディンガーが主張したのです。
 現在、このシュレディンガーの提示したおかしな世界がありうるという解釈もあります。生きている猫の観測者と死んでいる猫の観測者がフタを開けるまでは、重ね合わさった状態で存在し、箱を開けた瞬間に、どちらか一方の観察者だけに分岐してその世界が継続し、他方は知らない別の世界の状態へと分岐する、というものです。そのため、この考え方は多世界解釈(エベレット解釈)と呼ばれています。
 「シュレディンガーの猫」の思考実験の意味するところは、「ミクロの世界の理論をマクロの世界に結びつけることができるか」という問いだったのです。大きさの違う世界では、それぞれ別の振る舞いとして捕らえられているものを、同時に起こす思考実験を提示して、そのとき、どう解釈すべきかを考えるきっかけを与えたのです。なかなか意義のある思考実験でした。
 思考実験の効用の次の例を出しましょう。今までの考え方が間違っていることを、思考実験によって示すことができます。そのいい例が、ガリレオ・ガリレイの落下実験です。これは、一種の背理法をものいうべきものを用います。
 ガリレオは、アリストテレスが示した「重いものほど速く落下する」という考えを否定する思考実験をしました。アリストテレスの考えは、一見正しく思えます。では、アリストテレスの考えを信じて、重いものほど速く落下するとしましょう。
 2個の同じ重さの鉄球を用意します。これらを高いところから落とすと、2個とも同じ速さで、同時に地面に落下するはずです。では、2個の鉄球を軽いひもでつなき、ひもをたるませて落しましょう。さて、このたるんだひもで結んだ鉄球はどのようなスピードで落ちるでしょうか。
 鉄球はひもで結ばれたのだから、1個の物質とみなせます。すると2倍の重さを持つので、2倍の速さで落ちます。しかし、ひもがたるんだ状態で落ちているのですから、1個のときの同じ速さで鉄球は落下していくはずです。どちらが本当なのでしょうか。ひもでつながれた2個の鉄球を1とみなすのか、2つみなすのかによって、結果が変わってきます。これは、最初の、「重いものほど速く落下する」が間違っているに違いないと考えたため起きた矛盾です。
 ではどれが正のかは、ものはどのように落ちるかを実験で確かめて、正しい法則を見つければいいのです。実際にはガリレオは、実験室で、ゆるい傾斜の斜面を使って落下の法則を見つけています。これも、なかなかすばらしい思考実験です。
 次なる思考実験の効用として、ある考えを拡大していき、別のより大きな概念へといたることがあります。タイムマシーンが実在するという私が考えた思考実験を紹介しましょう。
 地球上にどこまでも鮮明に見える望遠鏡を用意します。もうひとつ、宇宙のどこでも置ける鏡を用意します。遠くに置いた鏡で、望遠鏡で覗くという思考実験です。この鏡と望遠鏡を使えば、自分自身や周辺の様子が見えるはずです。
 さて、月に鏡に置き、地球から望遠鏡で覗きます。地球の光が月に届き、その光が鏡に反射しているのを望遠鏡で覗くのです。月まで光が届くのに片道で1.28秒ほどかかります。それを望遠鏡で覗くと2.56秒前の自分の姿が見えることになります。
 この思考実験を拡大していきます。もし、火星に鏡を置くと、12.67分(火星の平均公転半径を使いました)×2で、25.3秒前の自分の姿が見えます。冥王星に鏡を置くと、5.5時間×2で、11時間前の自分の姿がみえます。もしかすると、望遠鏡を覗く前の準備している姿が見えるかもしれません。この思考実験は、私たちはタイムマシーンの原理をもっているということを示しています。
 しかし、よく考えると、この効果は離れてさえいれば、その距離に応じて起こっているのです。光は有限のスピードで伝わります。ある距離を伝わるには有限の時間が必要です。この思考実験では、その有限の時間が核になるようにしたものです。
 光でもの見る限り、私たちは、過去を見ていることになります。遠くなればなるほど、昔のものを見ていることになります。これは、この思考実験の中だけの話ではなく、現実に起こっていることです。何のことはない、私たちは、タイムマシーンの乗っているのです。日常生活では、その効果があまりに小さいため気づかないだけなのです。
 タイムマシーンは実在しないのではなく、実在し、私たちはタイムマシーンに常に乗っているのです。目でものを見るということは、タイムマシーンを通じてしか、見れないということです。私たちは下りることのできないタイムマシーンの乗組員なのです。現在というものは、自分の頭の中にしかなく、周辺に広がって見えているのは、距離に応じた過去なのです。
 実は、このタイムマシーン効果は、私たちはよく知っていることなのです。遠くの星からの光は、過去のものであるということです。星の距離を示すのは光年という単位を使います。たとえば1光年の距離の星とは、その星が1年前に放った光を今見ているということです。宇宙のような広大な世界では、タイムマシーン効果は絶大です。それを私たちは知っているのに、日常にはタイムマシーンはないと考えてしまってます。この思考実験はそんな盲点を教えてくれるものです。
 さて、この私の考えた思考実験は、うまくいったでしょうかね。


■Letter 過去、現在、未来・腕の見せどころ 

・過去、現在、未来・
このタイムマシーンを突き詰めるのと、
目では「今」が見えないということになります。
目で見えているのは、距離に応じた過去です。
「今」を感じ、見ているのは、
頭の中、つまり思考でだけになるのです。
また、行動することとは、「今」考えていることを、
「未来」に向けて実践することです。
行動とは「未来」へとステップといえます。
私たちは、「過去」を見て、頭の中で「今」を感じ、
「未来」に向けて行動しています。
これが、私たちの行動の時制なのかもしれません。
私たちは過去しかみえないタイムマシーンに乗って
今を感じ、未来に向かって今の行動をしているのです。

・腕の見せどころ・
思考実験とは、すばらしい道具だと、
私は常々考えています。
これを使わない手はないとすら思います。
しかし、科学の世界では、
なかなか常套的な手段とはなりません。
それに思考実験だけで論文なんて書けません。
でも、思考実験こそ、腕の見せどころともいえます。
いくら知恵を絞っても、
すばらしい思考実験なんてなかなかでてきません。
でも、そんなことを意識しながら、考え事をしていれば、
いつか、いい思いつきが生まれるかもしれません。
そんな日を夢見ながら、
今日も想像を膨らませていきましょうか。


目次に戻る