地球のつぶやき
目次に戻る

Essay ■ 35 区切られる時間
Letter ■ 葛藤


(2004年12月1日)
 いよいよ師走です。2004年もあと一月で終わろうとしています。地質学の世界で慣れ親しんでいた、ある時代も、終わろうしています。今回は、そんな話題です。


■Essay 35 区切られる時間 

 人は、色々なものを分けて名前をつけてきました。そして、一見、分けようのない連続しているものにも、区切りをつけ、名前をつけています。時間の流れが、そのいい例でしょう。
 物理的な時間の流れは、連続していて、切れ目がありません。ところが、人は時間の流れを、時計の秒針のように一様で均質に流れるとは感じていません。淡々と正確に一様に流れる時間を、人には単調すぎて、もしかするとうまく感じることができないのかもしれません。
 人は、時間の経過に伴って起こる変化を、いくつかの感覚器官を通じて感じ、その変化した感覚を脳内で時間と感じているのでしょう。つまらない時は、ほんの1分でも長く感じ、早く終わらないかと思ってしまいます。ところが楽しいときは、1時間でもあっという間に感じて、もっと続けばいいと思うほどです。人は、時間をそのときに体験している内容や出来事として感じているのです。ですから、人の中で、時間は一様に流れていないのです。
 しかし、人間ですから、生活をしています。生活をしているとどうしても、生活によって時間が区切られます。トイレに行ったり、食事としたり、睡眠をしたり、人が生きている限り、どこかで生活に区切りが入ります。その区切りを時間の区切りに利用するのが、いちばん手っ取り区切りとなるはずです。
 生活の中で流れる時間としては、夜と睡眠を利用して区切る1日が大きな単位となります。そして1週間、1月、1年などが、時間区切りの単位となっていくでしょう。物理的な時間は、午前0時の1秒目も、大晦日の午後11時59分59秒からの1秒も同じものです。しかし、人は、そこに区切りとしての意味を待たせます。
 人間の感覚や生活に基づいた時間のほかに、もうひとつ別の時間を知る方法があります。それは、過ぎ去ってしまった時間、過去の時間です。それは、時間を理解するとでも言った方がいいかもしれません。過去は、現在に生きる私たちには、もはや再び体験できないものです。しかし、過去であっても時間が流れていたというなんらかの「手がかり」から理解することはできます。その手がかりとしては、自分自身の記憶がいちばん身近なものでしょう。
 ところが自分が生まれる以前で、体験しようもない古い過去もあります。いや、今まで流れた来た時間からすると、経験した過去の時間より、経験していない過去のほうが圧倒的に長いのです。でも、そんな古い過去であっても、なんらかの出来事があったという手がかりを見つけることができれば、そこに、時間の流れを感じることができます。
 古文書に記された出来事や事件などは、過去を読みとる重要な手がかりとなります。そんな手がかりをたくさん集めて過去を再構築することができます。そんなとき、人は、時間の区切りをつけ、名前をつけます。その出来事や事件が大きければ大きいほど、過去の記録が多くなり、その事件は時間の流れのなかで重要な意味合いを持ってきます。つまり、大きな時代区分となっていくはずです。
 地球の歴史でも同じように過去の手がかり、つまり証拠から時の流れを感じることができます。過去に起こった事件が、地層や岩石の中に記録されます。過去の手がかりとして、化石などはわかりやすい例でしょう。また、地層や岩石ができること自体が事件ともいえます。事件が大きければ大きいほど、その区切りは大きく扱われるべきでしょう。
 事件の大きさは、生物種の絶滅の数、あるいは新しい種の出現の数、地層の岩石の変化、火山活動の規模、変動の起こったの範囲などで、区別することができます。例えば、同時代の地層を世界中で調べ、絶滅した種が多いということがわかったとすると、その時期に全地球的に異変が起こったということを示しています。それは、ある海域の消滅、大陸の分裂、巨大火山の噴火、隕石の衝突、環境の変化など、なんらかの全地球的異変に起因しているはずです。たとえその原因が特定されていなくても、絶滅の規模から、地質学的事件のランク付けすることは可能です。
 このように過去の記録を色々な視点から読み取ることによって、地球の時代を、事件の規模によって区分することできます。これは地質時代区分と呼ばれるものです。
 地球の地質時代区分は、古いものから順に、太古代、原生代、顕生代となります。それぞれの時代は細分されていきます。その区分は、階層深く、細かくなされています。
 顕生代は、古いものから順に、古生代、中生代、新生代となります。新生代は、第三紀と第四紀に分けられています。第四紀は一番新しい時代ですから、現在を含んでいます。
 さて、つい最近、この新生代の区分が変わったのです。昨年あたりから、その改定案はホームページで示されていたのですが、今年の8月、イタリアで開催された第32回万国地質学会で、時代区分の検討結果が紹介されました。この新しい時代区分は、国際層序委員会(ICS)で承認されているものです。
 それによると、新生代は2つに分かれます。古い方から、パレオジン(Paleogene)とネオジン(Neogene)の2つです。以前は、その上の区分として、第三紀(Tertiary)がありました。ですから日本語訳として、第三紀に対してパレオジンは古第三紀、ネオジンは新第三紀と訳されていました。ところが第三紀がなくなったのですから、パレオジンとネオジンは、新名称にすべきなのかもしれません。中国では、パレオジンを古近紀、ネオジンを新近紀と訳しているそうです。日本語で読むとごろが悪いので、日本でもいい訳を考えなければならないでしょう。
 しかし、今回の改変の重要な点は、なんといっても第四紀という時代区分が消えたことです。これまで第四紀は2つに細分されていて、古い方から更新世と完新世に区分されていました。第四紀という名称がなくなり、更新世と完新世はすべてネオジンに入れられています。
 年代区分の検討は、国際的におこなわれています。前回おこなわれたのは1989年のことでした。実はそのときに第三紀という時代区分も正式な時代名称からははずされており、非公式に使用可能という状態でした。でも、1989年の地質時代区分図には、第三紀という名称はまだ記入されていました。
 しかし、今回、示されている図には、第三紀も第四紀も使われていません。今回の時代区分の検討結果は、第三紀そして第四紀をなくす方向性を強めながら進んでいるようです。
 しかし、「はいそうですか」と簡単にいかないのが世の中です。すでに、第三紀や第四紀などは、日本だけでなく、世界的に定着している時代名称です。教科書にもいたるところに、これらの時代名は使われています。それも地質学や地学だけでなく、歴史の教科書などにも使われています。今回の変更がそのまま進むと、その影響は非常に大きいといえます。
 例えば、日本では第四紀学会というものがありますし、国際第四紀学連合(INQUA)などもあります。それらの組織は、時代名称がなくなったら名称変更すべきなのでしょうか。どうすればいいのでしょうか。
 ただし、INQUAの層序年代委員会の委員長は、この提案を承認する文章を出しています。でも、同じINQUAの執行委員会は反対しているようです。まだまだ混乱中のようです。多分、これからあちこちで議論が活発に起きると思います。そして次回の改定作業は、2008年に短い期間に集中して行われる予定です。そのときには、決着をみるのでしょうか。
 この問題の根源は、時間の区分が人為によることに由来していると考えられます。本来時間という区切りのないものを、人の都合によって分けてきたのです。ですから、過去の記録に対する蓄積が起こると、今までの区分では説明できないこと、別の大きな区切りが必要になることなどが生じることがあります。そして、より多くのことをもっともらしく説明できる時代区分へと整理、改定がおこなわれます。今回はそんな時期に当ったのです。
 データの蓄積は、学問が進歩すと共に、必然的に起こるのことともいえます。例えば新しい年代測定技術が生まれると、新しい時代データが爆発的に増えてきます。ですから、変更がたびたび起こることは、仕方がないことかもしれません。
 しかし、定着した名称が、あるとき突然消えるというのは、やはり混乱を招きます。特に当事者たちは混乱をするでしょう。最終的にその区分が定着するかどうかは、多くの人がそれを使っていくかどうかによります。変更の程度が大きければ大きいほど、定着には時間がかかるかもしれません。
 区切りのない時間というものを区切り、そして知識が増えたらその区切りを変更する。その変更で混乱する。さてさて、人間というものは、困ったものです。本当に進歩しているのでしょうかね。


■Letter 葛藤 

・葛藤・
 人は、いろいろなものを分類して、名前をつけてきました。これは、人として言葉というものを持ち、コミュニケーションをするがために、仕方がないことのなのでしょう。今回は、ものに名前をつけるということによって生じた不都合なことを示しました。
 でも、区分して名前をつけるということは、人間でないとできない能力を示しています。区分するとは、多数あるものから、特徴と違いを見分けるということです。そして、その区分が多くの人が納得するものであれば、それは、ある分類の名前として定着することになります。
 多くの場合、その名前は最初に区分して名前をつけた人にその命名権が与えられます。あるいは、命名権とは言わなくても、最初にその名称を使って広められると、定着してしまいます。しかし、定着したからといって、その名称は科学的に合理性があるとは限りません。
 今回取り上げた第三紀と第四紀は、それぞれ違った由来をもっています。
 かつてヨーロッパでは第一期(primary)と第二期(secandary)という地層名称が使われていました。1760年に、アルデュイノが、イタリアの地層に対して、第一期と第二期にならって、第三期という名称を使いました。これが第三紀の始まりです。また、第四紀は、1829年にデノイヤーが第三紀にならって使ったものです。
 その後、大本の第一期と第二期は使われなくなったのですが、第三紀は第四紀とともに残り、現在まで使われていました。しかし、その三番目や第四番目という言葉には、もはやその本来の意味は、用をなしていません。
 第四紀も第三紀も対等に扱うべきのような名称に見えますが、じつはそうではありません。新生代(6550万年)として考えたとき、時間的にはほとんどが第三紀(6369.4万年)が占め、第四紀(180.6万年)の中でも更新世(179.45万年)が大部分を占めています。
 今まで第四紀を区分していた根拠を用いると、かつての第三紀の最後の時代である鮮新世の一部を含み、更新世と完新世という、いくつかの時代をまたぐものとなります。これでは、新しい時代区分を採用して、第四紀と併用すると、混乱をきたします。また、第四紀は、現在を含み、私たち人類の進化を考えるには重要な時代なのですが、科学において、人類や現在を特別扱いするの理由はありません。
 学術的には第三紀とともに第四紀もなくしてしまい、統一の取れたものにした方が合理的です。ですから、今回の変更によって、よりよく改定されたわけです。でも、研究者とはいえ人間ですから、感情もありますし、変化を好まない、今まで通りがいい、という考えももちろんあります。そのような葛藤が今、まさに起こっているのです。


目次に戻る