地球のつぶやき
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Essay ■ 32 アースネーム
Letter ■ 化石採り


(2004年9月1日)
 北海道では、小・中・高校の夏休みは短く、8月20日に終わっています。それとあわせるかのように、9月になれば北海道の短い夏は終わり、秋がはじまりつつあります。そんな四季ぞれぞれの北海道の自然を満喫して2年半がたちました。私たち家族が、自然を求めて経験してきたことを紹介しましょう。


■Essay 32 アースネーム 

 今年の夏は北海道も5年ぶりの猛暑となりました。海、山や川などの涼しいところが大賑わいでした。我が家でも長男の希望をかなえるために、海に出かけました。車で1時間もかからずに、海には行くことができます。私は、自然のままの海岸が好きなので、以前調査で見つけていた、人があまり来ない砂浜に行きました。キャンプしていた人が1組、そして我が家のように海遊びに2組ほどの家族が来ているだけでした。あいにくその日は台風の影響で波が高く、海に入ることはできず、砂浜で遊ぶのが精一杯でした。でも小さい子供ですからそれでも充分楽しんでしました。風がありましたが、快晴の暑い夏の日を、海で一日を過ごしました。
 なぜ、安全でシャーワーなどの設備の完備された海水浴場にに行かないのかというと、私は、他の人にじゃまされずに見ることのできる、あるがのままの自然に接することが大好きですし、大切だと思っているからです。つまり、自然の中に一人で佇みたいのです。
 私が好きな自然は、山、森、川です。その象徴として、静かな森の中の清流が大好きです。私は、地質学を専門としてきたので、長年、野外調査のため、人が入らないような山の奥地まで踏破してきました。ですから各地の清流を思う存分味わってきました。野生の清流に接すると、私は、そこにいるだけで、心からほっとできるような、あるいは自然に畏敬の念をいだいてしまうような、不思議な気持ちがわいてきます。そんな時、自然と一体化したような幸せな気分になります。そんな自然に抱かれて、ずっとそこに佇んでいたいと思います。
 北海道に来て2年半が過ぎました。その間、私は自宅の近くで、山、森、川を味わえる場所がないか探していました。北海道に転職し、家族で引っ越してきたのも、実は、そんな自然に身近に接したいという気持ちを満たすことも大きな理由であったのです。ところがです、そんな野生のままの自然の接せすることのできる場所が、身近になかなか見つからないのです。大好きな山、森、川を求める我が家の旅の記録を紹介しましょう。
【山】
 大好きな山、森、川のうち、山はあきらめました。現在住んでいるところは、札幌市の東隣にある江別市というところです。この今住んでいるところは、石狩の低地帯のはずれで、地形からすると、山は遠いところにあるからです。ここに住んだのは、私と家族との妥協の結果でもあります。
 電気、水道、電話さえあれば、私は、田舎ほどいいと考えていました。家内も私の希望はある程度理解はしていたのですが、生活に不便なところは嫌だといいます。その両者の希望や、子供たちの生活環境を考えて、今の地に住むことを決めたのです。
 私は、山をあきらめることにしました。まあ今住んでいるところは、野幌丘陵というところですから、山ともいえなくもありませんが、私の思っている山とは程遠いものです。でも、子供たちが大きくなれば、あちこちの高い山に行きたいと思いますが、まだ、時期尚早です。
【森】
 次は、森についてです。北海道立野幌森林公園に隣接するところに私の職場である大学があり、そして自宅も森林公園に接するところを選びました。北海道立野幌森林公園という名前のとおり、森です。そして、公園ですので、まわりがどんなに開発、都市化されても、きっと森のまま残っていると信じています。
 長男も、その森のはずれにある市立小学校に越境入学し、毎日、数便しかないJRバスで通っています。その小学校は1学年1クラスで、10数人の少数クラスで、全校生徒100人ほどの農村地帯の小さな学校です。森を総合的な学習などで利用した教育を行っています。私も長男も望んで、その学校に決めました。この学校の生徒は、自分用の森歩き長靴と軍手を学校に常備しておくことになっています。
 こんな森に、四季折々、家族で出かけています。春は残雪の堅雪の中を長靴で歩き回ります。夏は森の中で、キャンプ、ハイキング、サイクリングなどを楽しんでいます。先日は、森のキャンプ場でキャンプをしました。また、自転車で森をつっきて長男の小学校まで1時間ほどかけてサイクリングにも行きました。秋の紅葉のころもいいです。森の中にはキノコがいっぱいあり、朝散歩していたら、キノコ採りに来ている人からおいしいキノコを教えていただき、採って帰って味噌汁の具にしたこともあります。冬の森は、残念ながらまだ味わっていません。雪の中を歩るくにはスキーやカンジキなど使わなければなりません。今年の冬、長男が歩くスキーを学校で習ったら、一緒に森の中をスキーで歩きたいと考えています。それを今から楽しみにしています。
 私の好きな自然のひとつの森は、身近に得ることができ、それを満喫しています。
【川】
 問題は、川です。これは、私の望む自然の象徴として川があります。ですからこればかりはあきらめることのできないのです。
 私の住んでいる家に近くには石狩川があります。石狩川はもともとはアイヌ語で「まがりくねった川(イ・シカラ・ペツ)」に漢字をあてたものだといわれています。北海道の開拓がはじまるまでは、アイヌ語の通り蛇行だらけの川でした。石狩川の全長は、もともと356kmあったそうです。現在、日本で一番長い川は367kmの信濃川で、2番目は322kmの利根川です。ですから、もともと石狩川は信濃川に匹敵する長さの川だったのです。ところが明治以降、治水事業として蛇行をショートカットする工事が各地で進められ、現在の石狩川は、100km近くも短くなり、268kmの長さになりました。かつて蛇行していた名残はいたることに三日月湖として残されています。
 石狩川では1981年には台風12号の被害で、私の住む江別市も堤防決壊で大きな水害となりました。実は、その1年前まで、私は札幌に住んでいたのですが、その被害のときには別の地に移っていました。また、記憶に新しい昨年8月の台風10号では、鵡川と沙流川の洪水で大きな被害を出しました。
 こんな被害は誰だって嫌です。ですから、治水はすべきですし、今までこれからもされていくでしょう。
 一級河川の管理は、国土交通省です。川での被害があると、国は、流域の管理を厳重にし、災害や事故を起こらないように警戒します。またダムなどの重要施設では、テロの危険性を考えて、一般の人がなかなか近づけないようになっています。先日看板にその旨が書いてあったので驚きました。
 このように、河川管理の一環として、石狩川は、蛇行がまっすぐにされて、河岸はことごとく堤防になっています。そしてその堤防から水辺へは限られたところしかいけません。つまり安全とされているところだけです。その多くは人工的に護岸をされた親水公園やゴルフ場のようなところです。
 このような対策は正当ですし、河川災害による被害は出すべきではありません。そのような理由は、充分理解できるのですが、やはり、私は、自然のままの川が好きです。だから、私は、自然の川に触れることのできる河原がないか探しています。でも、なかなか近くには見つかりません。車で1時間以上かけないとそのような河原が見つかりません。なかなか気軽に川遊びができないのです。
 今年の夏は、そんな河原を、石狩川本流ではなく、支流で探すことにしました。身近なところもあきらめました。車で日帰りができるところを条件としました。このような妥協のもとで、山、森、川の出会う場として山の清流を探しました。今年の夏、主に探したのは、自宅の北西にある当別周辺の山、西側の夕張周辺の山です。いずれも自宅から車で、1時間から2時間ほどかかります。
 当別の山にはいい川原がみつからず、夕張の山に目標を変えました。ここにはきっといい河原があるのではないかと思い、散々探しました。いい河原を見つけても、そこにいけなっかたり、立ち入り禁止だったり、思い通りになりません。たまたま森で地元の人にであって、いい場所を聞きました。車で入るのが怖くなるようなような道でしたが、なんとかたどり着きました。そこは、私が探していた理想に近い川でした。
 私が捜し求めたてた川のよさは、家内や子供たちにもすぐにわかったようです。皆その川の美しさに心を奪われました。前日に降った雨で本流は濁っていたのですが、上流のこの川は澄んできれいでした。川底の石ころがきらきら輝いて見えました。夏の暑い日でしたので、子供たちは、魚すくいに、水遊びです。全身ずぶ濡れで遊んでいました。長男がパンツ一丁になって泳ごうとしましたが、あまりの水の冷たさに、胸まで浸かっただけで、やめてしました。私は、石の調査と、化石探しです。
 この川の水は、飲めそうなほどきれいな水ですが、寄生虫のエキノコックスの危険性があるので、飲むことはしませんでしたが、それほどきれいな水でした。そこで、楽しい一日を過ごしました。
 数日後、そんなきれいな川に魅せられて、再度夕張の山の別の川原にいきました。その日は天気がよかったのですが、支流だと水が冷たそうなので、本流の河原にしました。予想通り、流れ込む支流の水は冷たいのですが本流の水は冷たくなく水遊びができました。そこで子供たちはパンツ一丁になって遊んでいました。
 こんな水遊びは、私が子供のころはどこでもできたのです。しかし、今では、ものすごく贅沢なことなのかもしれません。特に都会に住む人にとって、人のいないような清流の河原など、何時間もかけて出かけないと見つけられない貴重なものかもしれません。それを味わう贅沢と捜し求めて見つけた喜びを味わっています。
 遠出はしなければならないのですが、なんとか私が求める川は見つけることができました。
【アースネーム】
 考えてみると、川は山と海をつなぐものであります。川をつくっているものは水です。水は、海から来たものです。海の水が蒸発して雲となり、陸で雨として降ったものが、海に戻る過程として川があります。海は生命のふるさとです。すべての生命は細胞を満たす液体として海の水に似た成分をもっています。私たち人間も、生命の誕生の場である海をいまだに血液としてもっています。
 海に通じる水の流れてとして自然の川を求めるのは、私ひとりの思い込みではなく、人間のあるいは生物の本能のようなものかもしれません。自然の川に接したときに私がほっとするのは、もしかするとそんな生命としての本能が発する「海という故郷につながった」という安堵の吐息なのかもしれません。
 岸由二著「リバーネーム」と、それを題材にした川端裕人著の小説「川の名前」があります。そこで、「私の川」を決めて名前の一部に組み入れ、自分自身を自然の一部として結びつこうという発想です。素晴らしい発想だと思います。
 私は、それを少々改良して、「アースネーム」というものを提唱しましょう。
 地球をあるがままの姿を捉え、その姿を用いて自分自身を記述することがいいのではないかと思います。海、陸、川など自然物だけから、位置を記述するのです。海と陸の大区分で、その地点はどの大地に属しているのか、そして、その大地を流れる川は何というもので、その川のどのあたりに位置するのかを記述していくのです。このようは地域の記述の仕方を「アースネーム」と呼びましょう。
 自分の住でいる地球を宇宙から見たとき、まず、海と大地の織り成す模様が見えるはずです。私なら、北海道とよばれる大きな島に住んでいます。そして、その島を宇宙から見ると明瞭な目印なるのは、海に流れ込む川です。そんな大地を流れる川を使って、位置を詳細に記述していくのです。日本海石狩湾に通じる川として、石狩川があります。その石狩川水系に千歳川があり、千歳川の支流に早苗別川という小さな川があります。早苗別川の源流域は野幌森林公園にあたります。そして私の家はその源流の森の北はずれにあります。このように自分の位置を示せば、人工的な都道府県や市町村の行政区分や、意味のない番地などに頼らずとも、自分が大地のどこにいるのかを示すことができます。
 例えば私の経歴は、「本州瀬戸内海淀川水系木津川」で生まれ育ち、「北海道石狩湾石狩川水系豊平川」から「本州日本海天神川水系三徳川」、「本州東京湾帷子川」、「本州相模湾相模川」、「本州相模湾酒匂川」、「本州相模湾千歳川」、「北海道石狩湾側石狩川水系千歳川」へと移転してきた、となります。「北海道石狩湾側石狩川水系千歳川支流早苗別川源流の森の北」の住人というように、河川を支流にさかのぼっていけばいくらでも詳しく示すことができます。「アースネーム」のような自分の地球での所属を、海と大地と川の織りなす模様から示すというのは面白い発想だと思います。
 このような示し方をすると、その人がどのような自然観体験を持っているのかを他人に知らせ、理解してもらえるような気がします。もし、今自分が所属している川や流域が、人工的なコンクリートの川だと悲しく映りませんか。少しでも自然の姿を守りたい、蘇らしたいと思うようになれるかもしれません。
 また、自分の好きな自然があるところ、ほっとできる自然のあるところを探し求めて、見つけられたら、自分の心の所属としてその位置を「アースネーム」として記憶にとどめておくことがいいかもしれません。私は、これからも大好きな山、森、川をもとめて歩き回っていくと思います。そして、残り少ない自然のままの山、森、川に出会ったとき、やはり安堵の吐息を発していたいと思います。そんな「アースネーム」の数を増やすようにしてきたいと思います。もし、あなたがそんな自然の姿のみつけて、「アースネーム」として心にとどめることができれば、きっとそこを守りたい思うはずです。あなたも、そんな自然を、「アースネーム」を求める旅に出られてはどうでしょうか。


■Letter 化石採り 

・化石採り・
 夕張の川で家族で水遊びを2度しました。お盆の休日とお盆明けの平日の2日です。それぞれ別の河原でした。ところが、人の来ないような川で、実は二度とも人に出会いました。いずれも、アマチュアの化石採りの人でした。別々の人でした。実はこの地域は、白亜紀の地層が出ているところで、北海道でも有数の化石の産地であります。
 化石採りの人はいずれも親切で、子供たちに化石の見つけかたを教えてくれました。そして一人の人は、別の場所においてある化石をわざわざ取りに行って子供たちにくれました。その人は、川の各地に化石をおいてあるそうです。いいのは持って帰るそうなのですが、それほどよくないのですが、すてるのももったいないので、おいて置き、化石の好きな人に出会ったら、あげるためだそうです。
 目が慣れてくると、子供たちでも化石の破片が入った石が見つかりました。もちろん完全なものではなく、破片ですが。アンモナイト、イノセラムス、そのほか貝化石をいくつか見つけました。
 いい夏の思い出となりました。


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