地球のつぶやき
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No. 21

Essay ■ 22 災害と倫理:北海道の被災地を調査して
Letter ■ 倫理ということ・写真


 紅葉真っ盛りの10月上旬に、日高山脈を横断してきました。行きは西から東に日勝峠を越えていき、帰りは東から西に狩勝峠を越えてきました。横断の目的は、河川の地質調査でした。いろいろ考えたすえの調査行でした。

■Essay

 今年、2003年の北海道の夏は、冷夏でした。それに加え、日高や十勝地方は、8月10日の台風10号、9月26日の十勝沖地震がありました。この地域は、繰り返し、大きな災害にみまわれたのです。そんな地域を調査することに、私は、躊躇していました。
 災害は誰にとっても嫌なことです。そんな災害を防いだり、事前に予測したるするために、科学、あるいは学問は重要な役割を果たします。
 地震はなかなか正確な予測できません。1993年の北海道南西沖にしろ、1995年の兵庫県南部にしろ、2001年の芸予にしろ、2003年の宮城県北部にしろ、予想してないところで地震が起き、大きな被害を出しました。今回の十勝沖では、マグネチュード8.0という大きさに比べて、専門家も驚くほど、被害が少なかったのです。それは、予想外の幸運でした。
 火山噴火は、日本ではかなり予測できるようになりました。そして、人災がだいぶなくなってきました。人が火山噴火で直接死ことは、かなり減ってきました。そして、火山噴火に伴う防災も進んできています。
 台風も同様に、かなり精しく予測できるようになってきました。ですから、ある程度台風には備えることができます。
 ところが、北海道のようにほとんど台風の被害を受けることがないような地域では、どんなに人間が防災を知っていても、滅多にないことなので防災の効果を発揮できないこともあります。これは明らかに人災です。
 また、数年あるいは10年に一度の台風が襲来すると、今まで自然物があまり受けたこと状態におかれるため、予想以上の被害を受けることがあります。沖縄など、台風が年に何度も来るようなところでは、台風で大規模な自然災害は起こりません。ところが北海道では、同じような台風でも今回のような大災害になります。そんな時、自然が受けた被害が、そのまま人間の生活に被害を与えることもあります。今回の台風で、北海道にはそんな被害が多く見られました。
 そんな被災地である日高と十勝地域を10月10日から13日まで4日間、調査してきました。調査の目的は河川の地質調査でした。私のここ数年の研究テーマとして、北海道の一級河川、13個をすべて調べることにして予定を組んでいました。その一環でした。
 計画では、今年の秋には、日高の沙流川、鵡川を調査する予定でいました。ところが、台風10号の襲来で、両川は大きな被害を出しました。沙流川では、行方不明者1名がまだ見つからないまま、約2ヶ月たった10月6日に捜索が打ち切られました。台風の被害から復旧してない道路がありますし、漁業ではいまだに被害が出ています。
 沙流川と鵡川はそんな被災地なので、私は予定していた調査を来年に延期するつもりでいました。被災者に対して、学術的調査とはいえ、自分の興味で調べることは、失礼だと思っていたからです。実は、同じ思いを有珠山でしたことがありました。
 2000年11月に、私は個人的に有珠山を訪れました。2000年3月の有珠山の噴火から、7ヶ月くらいしかたっていないころでした。7月末には避難指示の解除がなされ、8月末には避難所がすべて閉鎖されました。しかし、噴煙がもくもくと立ち上がる中、やはり洞爺湖温泉も、温泉街特有の華やかさもなく、どこか落ち着かないような不穏さがありました。
 そして、忙しく復興や冬の準備をしている人たちを見ていると、いくら研究のためとはいいながら、自分自身の興味の延長で被災地を見ることに羞恥を覚えました。そんな気持ちをもって有珠山の噴火の被災地に赴いた自分が恥ずかしくなり、何もみずに、すごすごと引き返した経験がありました。
 多くの火山学者は、自分が研究してる火山の噴火は、一生に一度も経験できないような現象です。ですから、火山学者は、自分の研究地域の火山でなくても、自分の研究の参考にするために、火山が噴火を起こすと調査に行くことがあります。そして、研究者は研究者のネットワークで、一般の人が立ち入れないところも入り調査することができます。もちろん研究をして、火山予知や防災に役立つようにすることは必要不可欠です。そして、研究者として経験を積み、知識を増やすことも大切です。
 それもすべて了解した上で、研究者としての倫理を問いたいのです。研究者としてというより、人間としての最低限のモラルといっていいかもしれません。研究とはいえ好奇心に基づく行動と、人間としてモラルの間のどこで線を引くかという問題です。研究者といえども人間です。自分に興味があるから、出かけていくのです。でも、研究のために必要なことと、興味本位、いってみれば野次馬根性の間のどこに一線を引くか、越えてはいけない一線がどこかにあるはずです。私自身、その整理をせずに有珠山にでかけ、引き返す羽目になったのです。
 今回も、台風の被災地である鵡川と沙流川の調査は、8月中はやめるつもりでいました。それは、自分の心の整理ができなかったからです。9月中旬くらいまで迷いながら、やっと結論を出しました。調査に行こうと決心しました。
 被災地を、自分の地質学者としての目でみて、何らかの形でアウトプットする必要性を感じたからです。その決心のきっかけとなったのが、北海道の地質学者ためのメーリングリストでのあるメールでした。
 十勝沖地震では、札幌でも液状化現象がおこり、傾いた家がでたこともあり、ニュースになっていました。だれか専門家が調査しているだろうと、みんな思っていたのでした。しかし、だれも調査していないことに産業技術総合研究所北海道センターの地質学者のOさんは気づかれました。液状化現象を、Oさんが記録するために、急遽現地に赴き、調査されました。そして緊急の調査の内容は、地質学者にメーリングリストとホームページを使って公開されました。
 これは、非常に重要なことだと感じました。直後でないと収集できない情報を、専門家でないと収集できない情報を、記録として残すことは大切です。公的機関の人間としてOさんが、それを責務と考え、急遽調査され、報告されたことは、素晴らしいことだと思います。このような情報は今度の対策に不可欠なデータとなるはずです。
 このメールとホームページをみて、私がもっている地質学者としての能力を使うべきであると考えました。そして、地質学者として、自分のできる方法で記録を残すべきではないかと考えました。今回の被災地には、他の地質学者が入っていはずです。しかし、私のような見方で被災地を見ている地質学者がいないかもしれません。そうならば、私しかとれないデータがあるかもしれません。
 もともと、私は、その周辺を調査するつもりでした。その機会を利用して、地質学者として、記録に残すことが大切だと思い直したのです。もちろん、公式に行くわけではありません。個人の研究というレベルで行きます。いってみれば興味の延長線です。でも、その記録をしっかりとデータとして残し、公開していけば、その情報は、どこかで、だれかの役に立つ可能性があります。
 もし、誰も調査していない地域や情報、見方がそこに含まれているのなら、その情報は重要な意味を持つかもしれません。ですから、被災地の人に配慮しながら、専門家の目で、記録することが大切だと思いました。
 私は、沙流川と鵡川を河口から最上流まで、十勝川を中流から上流まで、川沿いの地質学的調査をしました。私は、人と川のかかわりにも興味があります。そんな視点で、被災地の川と人、そして人の営みを駆け足ですが見てきました。
 そして感じたことは、2ヶ月たったいまでも、思った以上に台風の爪あとは残っているということでした。
 河川沿いの道路や遊水地の施設は、まだ破壊されたままものがかなりありました。道路では鵡川中流域の川沿いにある富内から福山間を通ろうと予定していたのですが、まだ復旧されないまま通行止めになっていました。遊水地はひどいままでした。遊水地ですから、洪水時には水没し、破壊される可能性があります。覚悟の上の施設だからそれはそれでいいのですが、やはり、その被害の状況をみると、水害の恐ろしさ、威力に恐怖を覚えます。河川内の木々は、なぎ倒され、流木がからまっていました。河口付近やダム湖にたまった流木は、周辺に山積みされたままになっていました。そんな生々しい災害現場を見せ付けられました。海に流れ込んだ流木が魚網にかかり、目的のシシャモより流木のほうが多くかかるという事態も起きています。
 しかし、人々はたくましく生きていました。これが救いでした。
 私が泊まった宿泊施設では、被災地であるにも関わらず、通常の営業をしていました。十勝では芽室町に泊まったのですが、チェックインをした後、一枚の紙を渡されました。余震がまだ多発しているために、地震があった時の注意が書かれていました。私が住んでいる江別でも、震度1程度ですが、未だに余震を感じることがあります。被災地の宿泊施設では、大きな地震があれば余震は当たり前というように通常の営業していました。
 でも、この宿泊施設は、地震前は連休のため満室で予約できなかったのです。地震が起こってから予約を入れると空き室が2つも出ていたのです。顔には出してなかったのですが、かなりのキャンセルによる被害があったと思われます。台風でも同じような被害があったでしょう。
 観光地は、すでに観光地の顔を取り戻していました。その裏には、まだ被害さめやらぬ現場を見て見ぬ振りをしている観光客、被害を当たり前として受けて止めて営業をしている観光業の人々、そして懸命に復旧をしている土木業の人々、さまざまな顔が見えました。
 みんな災害以前のような昨日を取り戻すために、今日を働き、明日のために復旧をしていました。そんな人々たくましさを、見せ付けられました。


■Letter

・倫理ということ・
 この文章は、実は別の目的で書いたものです。しかし、ある公的組織は、この文章の内容は、その組織と共同でおこなっている研究者を批判しているという意味にも取れるというので、「検閲」にかかり却下されました。
 私は、もちろん彼らの公的立場というものもわかります。そして担当の人も、私が主張しているように、良識ある研究者ばかりだけでなく、自分の興味が講じて、ついつい被災者に対して配慮を怠る研究者もいることも理解しています。お互いわかった上での立場の違いが現れた結果、「却下」となりました。
 でも、この原稿を没にするのは癪なので、このメールマガジンで紹介することにしました。私は、今でもこの文章の立場は間違っていないと思っています。
 実はこの文章、かなり自制して書いています。研究者とはいえ、意図してはしないでしょうが、無意識に被災者への配慮を怠っていないかという、自分自身の自戒をこめた文章なのです。たとえばアンケート調査で、被災者に立ち入ったことを聞いてはいないか。災害の様子を記録するために、個人の土地や家屋を配慮なく調査、撮影していないか。もしかするとそんな行為に対して、被災者は、いやな思いをしているのではないか。そんなことを配慮しているだろうか。
 その地を訪れる人はだれであれ、被災者には配慮するというのは、倫理などという難しい言葉を出さなくても、常識の範疇ではないでしょうか。でも、研究、仕事などという大義名分ができた時点で、そんな配慮がどこかへいってしまってないでしょうか。もともとは好奇心に発する研究心もあるはずです。もしちろん、公務としてしなければならない研究、あるいは研究者もいます。でも、直接その公務に近い研究ではない人は、好奇心のほうが勝ってないでしょうか。
 それを考えたとき、私は、有珠山から逃げ帰って、今回はあえて出かけてという経緯があったのです。それをこの文章では、自戒として紹介したのです。研究者でもこのような倫理が問われるのですから、マスコミに従事するする人は、もっと配慮が必要なはずです。多くの人が加熱したマスコミの無礼さ、無配慮、被災者の困惑すらネタにしてしまう傍若無人さ、こんなこんな報道はみていて不愉快になります。それは、私からいまさら言うべきことではなく、多くの人が感じていることでしょう。
 ここまでにしましょう。これ以上いうと愚痴になってしまいそうです。

・写真・


鵡川上流の紅葉
 紅葉真っ盛りのいちばんきれいな季節に日高山脈を横断しました。占冠村下トマムの鵡川上流の景色です。しかし、この紅葉のきれいな景色の影に、災害の傷跡が生々しく残っていました。


鵡川河口の流木
 2003年8月10日、北海道を襲った台風10号は、多くの被害を出しました。台風10号は、1981年夏の台風以来の大被害となりました。鵡川河口では、大量の流木が積み上げられたまま、柵の中に置かれていました。人的被害は死者10名、行方不明者1名、重軽傷者3名を出しました。


沙流川河口近くの陥没した道路
 台風による増水で、遊水地内につくられた道路は、下がえぐられ陥没していました。もちろん立ち入り禁止となっています。今回の台風で道路や橋の損壊したところは約1100箇所におよび、道路は国道18路線30区間、道道50路線60区間が不通となりました。いまだに復旧していないところもあります。


沙流川河口近くの樹木
 遊水地内に植えられた木は、増水によって、かなりなぎ倒されていました。なぎ倒されてない木も、流木が絡まり、ひどい状態になっていました。洪水のすごさを思い知らされます。道の発表によれば、道内の被害は、総額819億200万円に及ぶそうです。


沙流川中流二風谷ダムの流木
 二風谷ダムの敷地内には、台風によって倒れ、流された木が大量に流れ込みました。ダムを守るために、流木は取り除かれましたが、行き場所がないのでしょうか、柵の中に大量に積み上げられていました。


沙流川中流のなぎ倒された木
 沙流川中流の長和内の河川内に生えていた木は、すべて同じ向きに、なぎ倒されているところがありました。同じ方向にきれいに並んでなぎ倒されている木を見ていると、不思議な気持ちになりました。