地球のつぶやき
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No. 14

Essay ■ 14 常識と非常識
Letter ■ 付加体/自然の神秘


Essay

 今回は、常識と非常識について考えます。地質学の世界では、両者が混在していることがあります。地質学の分野でいうと、常識が「地層累重の法則」で、非常識が「付加体」となります。
 突然、述語を出しましたが、現在、地質学の世界では、この常識と非常識が混在しています。そして、この混在のおかげで、研究者は、非常に慎重に自然をみるようになっているという話題です。
 まず、常識についてです。ここでいう常識とは、地質学だけに通用するものでなく、日常生活においても、あるいは、感覚的に常識と思えるということです。
 こんな人をよく見かけます。自分の机が、いつも書類の山となっている人です。書類の山には、そのうち読もうと思って買っておいた書籍、読みかけの週刊誌、通勤で読んできた新聞紙、ちょっと気になる郵便物などなど、積み重なっています。そして、山が崩れそうになったり、とうとう崩れたりすると、かたずけられます。捨てられないものは、保存すべき場所に収まります。そしてめでたく、机は本来の広さをとりもどします。しかし、なん日かたつと、また同じような山ができます。
 書類の山をよくみてみると、古いもの(整理して最初に置いたもの)が下にあり、新しいもの(今日置いたもの)がいちばん上に乗っています。新聞は規則的に挟まっています。新聞には日付がありますので、整理した日付から、一日にどれほど書類がたまるかわかるほどです。
 ここでいいたいのは、常に上にものが積み重なるようにして置かれるという環境では、古いものが下、新しいものが上、という規則性があるということです。わざわざ述べるまでもないほど、当たり前のことです。この規則は、非常に常識にかなったものです。ここでは、古いものが下、新しいものが上という規則性はすなおに納得できます。
 地層でも同じことが起こっています。陸から河川によって運ばれた土砂が、海に流れ込むと、今まであった海底に、新しい土砂がたまり、ひとつの地層となります。その海底も、かつて、土砂が流れ込んでできた一つの地層です。地層とは、この繰り返しによってできます。つまり、より新しいものが、古いものの上に積み重なってできていきます。地質学ではこのような規則を、「地層累重の法則」と呼んでいます。「累重」の「累」も「重」も、次々とかさなるという意味です。
 ある崖に地層が出ているとしましょう。そして、その地層は、垂直に立っています。まるで、本を立てて並べたように整然と地層がでているとします。この地層の上下を調べます。
 まず、調べるべきことは、ひとつの地層の中で、地層がたまったときの重力の方向を知ることです。どういうことかといいますと、現在の上下ではなく、地層がたまったときの上下を知ることです。
 こんな実験をするとよくわかります。ペットボトルに土砂と水を入れて、ふたをして、よく振ります。そして、静かにおいておくと、大きな石ころが、いちばん先に沈み、つぎに、粒の大きな砂から小さな砂がたまっていきます。最後に長い時間がたってから、粘土のような粒の小さなものがたまります。その粒の大きさは、下から上に向かって、大きいものから小さいものへと変化していきます。
 これは、ペットボトルの中の話ですが、一つの地層でも、同じことがおこります。このような現象(級化層理(きゅうかそうり)とよびます)を利用すれば、ひとつの地層の中で、どちらが上か下か判定できます。ひとつの地層の上下は、もちろん、その上の地層にも、下の地層にも、重力の方向は適用可能です。つまり、ひとつの地層の上下がわかれば、連続する地層全体の上下関係がわかるわけです。
 一つで不安ならば、いくつかの地層を検討して比べればいいのです。すべておなじ結果なら、めでたし、めでたしです。もし、結果がばらつくようなら、どちらかの上下判定が間違っています。実際には、簡単に上下判定もできない場合も多くあります。そんなときは、別の証拠を探します。
 上下判定に利用できるものが、いくつかありますが、生物の生活跡などは有効です。当時住んでいた生物が這った跡は、当時の海底面にあたります。海底面とは、その当時の地層の一番表面にあたります。這い跡のある面が、地層の表面と判定できます。気をつけなければいけないのは、這い跡はくぼんでいるということです。あとから覆った地層は、出っ張っています。それを間違えないようにしなければなりません。
 穴を掘って棲家とする生き物もいます。そんな生物の巣穴は、海底面から下に向かって掘られていきます。ですから、巣穴の跡があれば、上下判定ができます。
 さて、いくつかの上下判定の方法を用いて、先ほどの崖にあった地層は、右側が下、左側が上とわかったとします。すると、この地層全体の上下判定もできたことになります。ここで例としてあげた調べたい崖の右側が下、左側が上だになるわけです。となると、右側の地層が古く、左側の地層が新しいものとなります。
 ここで用いた原則が、「地層累重の法則」です。非常に常識にかなった法則です。しかし、この常識的な「地層累重の法則」が、すべての地層で、普遍的に使えるととは限らないことがわかってきました。
 それはプレートテクトニクスという考え方の登場からです。プレートテクトニクスという考え方は、地球表面でに10数枚のプレートがあり、それが、移動しているという考えです。中央海嶺で海洋プレートは生成され、海溝で海洋プレートは沈み込みます。大陸プレートは、分裂や合体はしますが、沈み込むことはありません。
 プレートテクトニクスで、海洋プレートが、大陸プレートの下に沈み込むところでは、海洋プレートの上にたまっていた地層が、プレートに伴ってもぐりこもうとします。しかし、堆積物は、軽いため、沈み込めず、プレートからはがされて、陸側のプレートにくっつきます。これを「付加」といいます。
 プレートの沈み込みが続く限り、付加は続きます。前に付加した地層の下側に、つぎの地層がもぐりこんでは、付加していきます。つまり、古い地層の下に、新しい地層が入り込むのです。それが、長い間繰り返されて、大きな地質体となったものを、「付加体」と呼びます。
 付加体で形成された地層は、堆積順序が「地層累重の法則」を守っていないのです。「地層累重の法則」を守っている地層と、守っていない地層は、見かけや構成が全く違っていることもあるのですが、ときには、砂岩から泥岩という、河川が運んで「地層累重の法則」にしたがってたまった地層と同じものものがあります。
 それに、「地層累重の法則」を守らない付加体で、上の地層と下からくっついた地層との境界は、薄いかみそりの刀も入らないないほどぴったりくっついていることもあります。だれが見ても、そこには時代のギャップ、それも逆転した(古いものが上、新しいのが下)ものがあるなどとはわかりません。でも、付加体では、そのような常識はずれのこと、非常識なことがおこっているのです。
 では、そんな見てもわからないようなものを、どうして見分けたのでしょうか。
 それは、微化石とよばれる非常に小さな化石の研究と、詳細な地質調査(センチメートル、ミリメートルのオーダーの調査や資料採集をすること)によってわかってきました。
 微化石は、顕微鏡や電子顕微鏡などで見なければ判別できないほど、小さな化石のことです。微化石の研究では、日本の研究者が大いに貢献しました。
 微化石は、コノドント(ヤツメウナギに近い動物の食物を選別し、すりつぶす器官)や有孔虫や放散虫、珪藻などがあります。このような多種多様な微化石を用いて、一枚一枚の地層の詳細な年代決定をおこなって、どの地層の間に時代間隙があるのかを見極めてきました。非常に根気のいる研究です。
 ですから、地層をみたとき、それが、「地層累重の法則」でたまったものなのか、それとも「付加体」でたまったものなのかを見分けなければなりません。地質学者は、常識と非常識を、いつも意識して、調査することが求められているのです。


Letter

・付加体・
 付加体は、上で述べたものより、実は、もっと多様なものから構成されています。もともとの構成物の順番(層序(そうじょ)といいます)でみますと、下から、海洋地殻とその上にたまった遠洋性堆積物(固まるとチャートや頁岩になります)、そして一番上に海溝付近でたまる陸源の堆積物から構成されます。この陸源の堆積物が、「地層累重の法則」でたまるものと同じ種類なのです。
 海溝の陸側は、沈み込むプレートと平行な多数の断層によって、ずたずたに切りきざまれて、プリズム状の断面をもったものとなっています(このような構造をデコルマンとよぶことがあります)。このような付加体の内部の断層は、逆断層の一種の衝上(しょうじょう)断層といます。
 ですから、付加体とは、厳密に言えば、「地層累重の法則」をやぶっているのではないのです。「地層累重の法則」を守ってたまった地層が、プレートの沈み込み帯という特殊な環境で、もともとあった構造が、ある一定の法則に則って改変されたのです。
 地質学者が地層を陸で見るときは、形成された環境を見ているのではありません。ですから、詳細ささ観察と、広域を把握する視点、つまり個々の地層を詳細に、かたや広域に周辺の地質を見るしかありません。そして、詳細で広域に及ぶ地質調査で、その地層ができた環境を割り出すことができるのです。
 付加体で形成された地層だと判明したら、そこには、かつて沈み込み帯、海溝があったわけです。つまり、そこは、かつてのプレートの境界があったわけです。それが、海洋プレート同士の境界か、海洋プレートと大陸プレートの境界かだったはずです。それは、さらに広い視点で地質を眺めれば見極められるかもしれません。
 地質学者は、地を這う調査をしながら、何億年、何十億年前の地球の姿を想像しながら、歩いているのです。

・自然の神秘・
 常識的に考えることは、楽です。すでにある考え方をそのまま、別のもに適応するだけですから。
 でも、非常識的に考えることは、最初は抵抗があります。地質学者もそうです。でも、非常識が知識として頭にはいり、野外でそんな現象を目の当たりにするとも、もはや、その非常識も、地質学者では、常識となってしまいます。
 ぱっと見て目にみえる自然の姿があります。しかし、そのもう一つ奥に隠された神秘を垣間見ることができるのです。それは、自然を知る醍醐味でもあるわけです。
 自然は、どんな神秘をもっていようとも、黙っています。見る側が、その神秘を見つける努力をしない限り、見ることはかないません。でも、自然は誰も分け隔てをしません。努力をした人には、誰にでも、その神秘を見せてくれます。
 自然は、心が広いのです。