地球のつぶやき
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No. 13

Essay ■ 地質と村おこし
Letter ■ 厳冬期の調査


 
道南に行きました。いうまでもないと思いますが、北海道の南部、渡島半島を、道南と呼んでいます。道南に資料収集にでかけました。2002年も押し詰まった12月23日から28日までです。いくら北海道とはいえ、雪があるから、無謀なような気がしたが、出かけました。そのときに感じたことを紹介しましょう。

Essay

 北海道では、2002年の夏は涼しく、そして雪も遅かったのです。そんな11月下旬、道南行きを決めました。今年は雪が少なそうだし、大学の講義の終わる12月下旬でも、道南なら、まだ雪がないかもしれない、あっても少ないのではないか、と考えたのが、ことの起こりです。
 今年は、新しい調査テーマを設定して、北海道の地質調査をしようと考えていました。しかし、実際は、あまり調査できませんでした。忙しいこともありましたが、11月にはいって予定していた調査が、2度ほど雪でだめになったせいもあります。
 道南には、調査目的の一級河川として、後志利別川と尻別川があります。その河原や河口で、石ころと砂を取ることが目的です。そして、今回は、新たなテーマとして、火山も調べたいと思っていました。火山では、代表的な岩石標本(1、2個)の採集と、たくさんの地点からの写真撮影をしたいと考えていました。
 もし、これが実行できれば、その年の夏や秋に、やり残した地質調査を、補えると思ったからです。この調査でいくつか感じたことがあります。それは、小さな市町村の村おこしについてです。
 地質学者は、どんな都道府県でも、どんな市町村でも、ほぼ調査をしています。ですから、日本列島の地質は、だいたいわかっています。つまり、どんな市町村でも、地質学者は、一度は訪れて調査したわけです。あるいは、少し村の歴史や紹介を読むと、多くの市町村で、かつては○○を採っていた鉱山跡、鍾乳洞、渓谷、滝など、地質学者なら詳しくしているはずの情報が記述されています。そんな情報を積極的にあつかって、村おこしをしてはどうか、という考えです。
 いろんな自然科学の分野がありますが、生物と同様、地質も、どの市町村でも存在します。地質とは、大地がどのような岩石、地層でできているかを調べ、その大地がどのような歴史を経てきたかを調べることです。そのプロセスとして、新しい化石が発見されたり、珍しい鉱物が発見されることがあります。
 そんなことから、その地域の地名の入った地層、化石、鉱物などがみつかることがよくあります。生物では、その村固有のもの、あるいは村の名前のついたものなどは、ほとんどないはずです。でも、地質の素材ならあるのです。そんな地質素材を積極的に使って、村おこしをしたらよいのではないか、と考えました。
 先ほども述べましたように、現在、日本の地質はほとんどわかっています。どこの岩石にはどのような鉱物資源が含まれているか、どこの地層にはどんな化石が出そうか、それが、大体わかっているのです。概略がわかっているので、もし、詳しい調査をすれば、それに鉱物や化石が見つかる可能性があります。
 現在、地質の素材で、いくつかの市町村で、村おこしをしています。そんな村おこしは、その市町村で、日本中で自慢できるような化石、たとえば恐竜の化石、村の名前のついた大型化石などが発見されている場合です。つまり、発見や、知名度がまずあり、その知名度を利用して村おこしをするということです。私の提案は、市町村の知名度を上げるために、地質学者の調査をサポートするのです。このようなことをやっている市町村もあります。
 例えば、北海道日高支庁の様似町では、カンラン岩を産する幌満があります。その温泉宿泊施設のとなりに、合宿所のようなものがあり、研究者が長期滞在するときには、自炊ですが、格安で宿泊できます。
 もし、市町村で、そんな便宜をはかれば、地質学者も、その卵の学生たちも、その施設を利用して、安心して長期の調査をすることができます。長期の調査をすることができれば、成果も上がるはずです。
 もし珍しい化石でも発見されれば、それを大々的に村おこしの素材とするのです。
 今回の調査で、最初に訪れたのが、瀬棚郡今金町です。さて、今金町といって、日本でどれくらいの人が知っているでしょうか。私も名前は知っていましたが来るのは、今回が初めてです。
 今金町を、少し紹介しましょう。北海道檜山支庁(ひやましちょう)の北部にある町です。道南全体は、渡島半島と呼ばれ、渡島半島の北部に今金町があります。内陸にあり、海には面していません。人口は7,000人弱の町です。檜山地方では江差、上ノ国についで3番目に人口の多い町です。
 と、このように紹介したのですが、あまり、記憶に残らないと思います。では、次に、今金町の地質に関する、紹介をしましょう。
 今金町は、一級河川の後志利別川が町の中心を流れています。江戸時代初期の寛永(1624〜44)時代には、後志利別川上流域で砂金の発掘がされました。砂金の採掘作業のために、多くの和人が入地しました。明治時代の初期には、メノウやマンガンなどの鉱物資源が、発見されまし。また、美利河ダムの工事現場から、ピリカカイギュウの化石が発見されています。奥美利河温泉は、古くから利用されて、今も利用されています。
 どうです。このような記述を読むと、今金町に興味をもちませんか。河原で、メノウやマンガンの石ころを、あわよくば砂金の一粒も拾いたい、それがだめでも、展示室でメノウやマンガン、砂金を見てみたい、おみやげでもあれば買いたい、などと思いませんか。さらに、ピリカカイギュウて、いつの時代のどんな生きもので、それほどの大きさで、どんな暮らしをしていたのか、なぜこの地から見つかったのか、気になってきませんか。そして、一目見てみたいという気が起きませんか。
 こんな興味をもつのは、私が、地質学者だからでしょうか。もし、他の人たちも同じような感想を持つのなら、温泉つきの宿泊施設でも用意して、冬はスキー場もあり、夏は、ハイキング、キャンプ、川遊び、展示場ではピリカカイギュウや砂金、マンガンが見れ、歴史的な紹介もあり、みやげ物が買えるというようなところなら、一度行ってみたいと思いませんか。
 現実には、必ずしも、そんな期待をすべて満たすとは、思いません。でも、そんなこと、村おこしとして目指すような市町村があっても、いいのではないでしょうか。これは、地質学者のわがままな希望に過ぎないのでしょうか。それとも、だれもまだ考えたことのない画期的アイデアでしょうか。


Letter

・厳冬期の調査・
 さて、冬の北海道で地質調査するとどうなるのでしょうか。たいていは期待通りには、いきません。私は、10年間、北海道に住んでいました。そして、冬の地質調査がどんなことになるのか、よく知っているはずなのに、「もしかしたら」という淡い期待を抱いてしまいました。
 以前、厳冬期の足寄(あしょろ)での調査をしたことがありました。厳冬期でしたから、真冬日でした。真冬日とは、昼間の最高気温が氷点下のままの日のことです。もちろん、仕事ですから、日が昇ることから調査をします。地質調査の基本は、露頭を調べることです。ですから、道路だけでなく、川沿いが調査の主要なルートとなります。
 すると、どうでしょう。川の中のほうが、外気より温かいのです。考えてみれば、当たり前のことです。外気は、氷点下10数℃だったのですが、凍ってない川は0℃前後です。ですから、水の中のほうが、温かいのです。
 その調査は、まだまだ過酷でした。調査をするとき、黄色い派手なベストをつけるように指示されました。山に入ってみると、林道のあちこちに車が止まっています。こんな時期に変だと思いながらも調査をしました。ときどき、パーンという音が聞こえてきます。なんだかわかりませんでした。そして、ベストや音のなぞが、林道で、ハンターにであってやっととけました。シカの猟期だったのです。音は鉄砲を撃つ音、ベストは誤射予防のためだったのです。
 話が横道にそれました。この地質調査は、アルバイトとしてしておこなったもので、地滑り調査でした。地滑りに関すデータをとるのですが、その一環として崖で、くずれた砂がたまっている崖錐(がいすい)とよばれるところも調べることになっていました。軟らかい砂たまっているはずなのですが、ハンマーでたたくとカキーンと、岩をたたいているような音がします。そうです、ぬれた砂がカッチンカッチンに凍っているのです。
 厳冬期の北海道での調査は、大変過酷なのです。そして、夏のような成果はなかなか上がりません。でも、仕方なく調査しなければならないこともありるのです。
 そのほかにも、大学院時代や研究生時代(いわゆるOD時代)には、数々のアルバイトをこなして生活の糧を稼いでいました。ですから、懇意にしている地質コンサルタントの依頼を受けたら、断ることもできず、厳冬期の調査をした経験が数々あります。
 でも、北海道をはなれて、はや15年。本州の温かい地での冬になれたせいでしょうか。北海道の冬に、まだ順応してないようです。
 今回の道南の調査も、もちろん、ほとんど成果はありませんでした。このエッセイをふくめて、いくつかの文章を書いたこと、そして、一番の成果は、なんといっても、冬の北海道の厳しさを思い知らされたことでしょうか。