地球のつぶやき
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No. 09 ハットンの見た露頭:現実とスケッチ |
(2002年10月1日)
近代地質学の基礎を築いたのは、イギリスの地質学者のジェームス・ハットン(James Hutton、1726〜1797)とされています。ハットンは、スコットランドのエディンバラで生まれました。彼が調べた地域、特にスケッチの残された現場を、今回見に行きました。 イギリスは、ベーコン(Francis Bacon、1561〜1626)を生んだ国です。ベーコンは、「ノウム・オルガヌム」(1620年)で、科学に、精密な観察と実験をもちこみ、実証主義を提唱しました。ベーコンの国、イギリスで、実証主義的に地質学が構築されたのは、1世紀半もあとのジェームス・ハットンでした。 ハットンは、花崗岩の貫入や地層の不整合という現象を、自分で、実証的に観察し、18世紀末に理論化しました。それは、「地球の理論」(Theory of the Earth)という著書で体系化されました。1775年に、エジンバラ王立協会の会合でハットンが発表したものが、1778年の会報に掲載され、1795年に増補され、「地球の理論」の2巻の単行本として出版されたものです。 ハットンは、地球内部の熱によって、地表が上下運動して、さまざまな地質現象が、永遠に繰り返されるものだと考えました。地球を大きな熱機関と考えたのです。ハットンは、花崗岩は、地球内部の熱によって形成されたという火成説を唱え、A. G. ウェルナーらの水成説と対立しました。 ハットンは、ルネッサンス以後蓄積されてきた、化石や鉱物、地層、岩石の断片的知識を、はじめて、科学的に地質学として体系化しました。ハットンは、多くの事実から仮説を構築するに当たって、論理的な考え方でおこないました。そして、その科学的な考え方は、斉一(せいいつ)説と呼ばれ、火成説とともに、近代地質学の基本的な考えとなっています。 ところが、ハットンの「地球の理論」は、難解であったため、当時の世には、ほとんど評価されませんでした。さらに、空想的で思弁的な同名の本が、かつて何冊かあったこと、彼が無神論者であったことも災いしていたのかもしれません。 ハットンの友人で、このシッカー・ポイントの調査にも同行したプレイフェア(John Playfair)は、この説の重要性を理解していました。エジンバラ大学の数学教授プレイフェアは、1802年に、「ハットンの地球理論の解説」(1802)という本を出版し、ハットンの考えを普及に努力しました。ハットンの説は、この本によってようやく世に知られるようになりました。 その後の研究の蓄積と、ライエル(Charles Lyell、1797〜1875)の「地質学原理」(1830〜1832、全3巻)によって、「斉一説」に基づく地質学が、充実していくのです。チャールズ・ダーウィンは、ライエル友人でもあり、ライエルの説に影響をうけて、進化論を提唱にいたります。進化論と斉一説は相反するものですが、ライエルは、ダーウィンの説を強力に支持しました。 さて、私は、2002年8月31日から9月10日まで、地質学発祥の地、イギリスを訪れました。今回の調査で訪れたのは、イギリスの北部、スコットランドのエディンバラ周辺でした。ハットンが野外調査をした地でもあります。 教科書の写真で、何度もみいているのですが、ハットンが見て、地質学の礎(いしずえ)とした露頭を、現場で見てみたいというのが、今回の訪英の一番の目的でした。まあ、自己満足かもしれません、現場主義的におこないたい私のやり方でもあります。 さて、ハットンが調べた地質で、スケッチが残されている露頭がいくつかありますが、なかでも有名なのは、不整合の露頭です。それは、ジョン・クラーク(John Clerk of Eldin)が、ハットンに同行し、描いたものが、たくさんあります。 「ハットンの不整合」と名づけられている露頭があり、近代地質学のハットンの業績を象徴しているものです。「ハットンの不整合」の露頭としては、シッカー・ポイント(Siccar Point)と、アラーズ・ミル(Allar's Mill)の露頭が有名です。 シッカー・ポイントは、エディンバラの東方約50キロメートル、ダンバー(Dunbar)という町の近くにあります。シッカー・ポイントは、非常に有名なところで、地質学の教科書にもよくでているところです。この付近の地質巡検には必ず入れられるようなところで、日本人の地質学者も何人も訪れています。 ここの露頭は、ジェームス・ホール(James Hall)が描いたスケッチがあります。一応、概略はわかるのですが、実際の露頭を見ると、かなり違いがあります。これは、露頭のほうが見事で、スケッチが見劣りするためでしょう。 もう一箇所のアラーズ・ミルの「ハットンの不整合」は、ジェドバラ(Jedburgh)という、イングランドとの境界に近い町はずれのジェド川(Jed Water)のがけにあるものです。 アラーズ・ミルの不整合は、スケッチが有名です。スケッチはジョン・クラークが描いたものです。スケッチでは、不整合の露頭が崖になっていて、上は、平らな地形になっています。崖沿いには、道があり、道の奥は、牧草地なっています。道には、騎乗した旅人と馬車の騎手が、すれ違うときに手を上げて挨拶しているもので、当時の様子が感じられて、不整合の露頭もさることながら、その風景のスケッチが、印象に強く残っています。 今回、アラーズ・ミルも訪れました。しかし、その「ハットンの不整合」は、あまりにもスケッチとはかけ離れたものでした。川の対岸にその不整合の露頭はありました。しかし、風化や浸食が激しく、昔の面影は、ほとんどありませんでした。一応、露頭の前の草は刈られていて、露頭の全貌を見ることはできました。でも、その露頭での本当の不整合面は、上から雨水で流された土砂をかぶっていて、よくわからなくなっていました。 「ハットンの不整合」のスケッチがされている場所で、露頭を2箇所みました。そして、どちらも、現実と、事前に得ていた情報とは、かなり違っていたというのが、最終的な印象でした。 しかし、考えてみると、写実的なスケッチとは、どんなものでしょうか。今回の調査で、私は大量の写真をとりました。スコットランドだけで、1000枚以上とりました。ハットンは、もちろん写真のなかった時代の人です。 では、写真のない時代は、なにを写実としたのでしょう。もちろんスケッチでしょう。スケッチは、人手によっておこなわれます。そして、ジョン・クラークの手記や印刷物をみると、現場では、ラス・スケッチをして、帰ってきてから、じっくりと絵を描き直しているような気がします。 とりあえず、必要なところだけを、現場では描いて帰るわけです。ラフであろうと詳細なスケッチであろうと、現場で書いたもののうち、重要なものは、清書されます。そのときに、現場のスケッチをもとに、いろいろ手を加えます。ジョン・クラークの馬車もそのようなものでしょう。このようなことは、多くの人が、研究者ももちろん、現在でも当たり前におこなっていることです。しかし、スケッチや写真をつかって、「事実」や「生データ」を、提示しているわけです。 現代では、写真を私たちは、つい写実の象徴と考えてしまいます。しかし、「実物」や「現実」などの「なま」のものを、カメラで「切り取る」こと、そして「記録」することは、その行為をする時点で、すでに加工をしているのです。写真ですら、構図、露出、シャッター速度などを決め、そして、2次元の画像として、「切り取って」いるのです。だから、ハットンのスケッチを、間違っているなどと批判してはいけないのでしょう。 彼が、何を記録し、何を観察し、何を伝えたかったか、そして、それが伝わったかが、大切ではないでしょうか。もちろん、写真でも同じです。 ジェームス・ハットンは、「地球の理論」(Theory of the Earth)の結論として、有名な格言を残しています。 "We find no vestige of a beginning and no prospect of an end" 「私たちは、はじまりの痕跡も、おわりの予見も、なにも見つけられない」 Letter 確かな岬/写真撮影 ・写真撮影・ |