地球のつぶやき
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構造主義的地質学
Letter 哲学者の生き方/地質哲学


 
構造主義という考え方をご存知でしょうか。もともとソシュールという言語学者に、その方法論の端は発しますが、レビ・ストロースという人類学者が確立した方法であります。構造主義というと、硬く、形式を重んじるような感じがしますが、実は、形式を打ち砕いた考え方なのです。
 構造主義を簡単にいうことは難しいのですが、考えをまとめる方法として、以下のようなやり方で行われます。レビ・ストロースの神話学を例としましょう。
 方法には4つのステップがあります。
 1. まず、対象としているもの(文化、自然、理論なんでもいいのですが、レビ・ストロースは神話)ものの集合をひと束にして考えます。広範囲にわたってもいいのですが、その集合は何らなの共通性、何か、どこか似ているものをあつめます。
 2. つぎに、その集合の基本となる要素、単位に分割していきます。その要素、単位をレビ・ストロースの場合は神話素とよんでいます。
 3. その要素をつらぬ「軸」をいくつか、みつけます。その軸のうち、二項対立するようなもの(これを「構造」と呼んでいます)をいくつか選びます。
 4. そして最後に、その対立軸を「構造」として、整理、分析します。レビ・ストロースは、その軸をもとに、表を作成し、解釈しました。そこから、さらにプラスαを見出せればしめたものです。
 ここでは、「構造」とは、要素に分解されたものから作りあげられたものですから、定まったものではありません。構造主義でいう「構造」とは、それぞれの対象に応じて見出されるものです。ですから、もともとあるものではないのです。帰納的に見出されるものです。
 それに、「構造」は、分析するための視点を示すものです。その「構造」解析から、何を抽出するかは、研究者の能力によっています。ですから、「構造」は、ある対象物の本質を見抜くための、ひとつの手法なのです。より深く分析するための方法論というべきものです。
 構造主義は、要素還元主義とそこから総合的に組み立てていく手法、いってみれば西洋の伝統的な帰納法と演繹法を合体させたような手法を構築したのです。レビ・ストロースが、人類学や神話学であまりにみごとにおこなったものですから、大いにはやり、多くの分野でその適用者がいます。
 この構造主義の祖ともいうべきレビ・ストロースが、構造主義の源泉として、マルクス主義、精神分析、そして地質学があるといっているそうです。意味深長です。いずれも、一見すると無秩序にみえるようなものですが、その奥には、隠された本当の秩序(構造)が見つかるというのです。あるところまで調べが進んでいきと、急に構造が見えてくるというのです。
 地質学のどのような点をさしてそういったかは詳しくは知りませんが、私なりに解釈していきましょう。
 たとえば、整然と重なった地層があるとします。まず最初にその地層をみたとき、その地層の重なりの整然さだけが見えてきます。しかし、そこで自然を相手にデータを収集をすれば、さまざまな次元、階層の秩序(構造)が見えてくるというのではないでしょうか。それを、わかりやすく説明するために、こんな例を考えました。
 この地層から、地質学的に読み取れるさまざまなことを、その各地質学的要素(地層素とでも呼びましょうか)として考えていきます。地層素にあたるものは、岩石の種類(岩相)、化石、地質構造、変成・変質作用などが考えられます。
 岩相、つまり岩石(堆積岩)の種類の違いを詳しく調べます。すると、堆積岩がたまった環境、たとえば深海や、沿岸、河口、扇状地などが読み取れます。そして、地層の下から上に岩相変化を調べていくと、環境の時間変遷が読み取れます。
 つぎに、化石を調べていくと、化石とはもともとその時代に生きていた生物ですから、生活環境を知ることができま。また、地球の長い時間の経過の中で、化石が生存していた時代がわかります。つまり、化石の種類に応じて時間と環境が読み取れます。あるいは、環境の時間変化が読み取れます。
 また、地層の地質構造を調べていきますと、その地層が、現在のこの地で見れるようになるために経てきた地質学的変動を、順番に、つまり時間にそって読み取っていくことができます。また、地質学的変動とは、地質学的環境の変化を意味します。
 また、岩石の、変成作用や変質作用を調べていくと、堆積物が固まり、変成し、変質し、風化していく変化の順番、程度、そして変化のための条件変化(環境変化)が読み取れます。
 以上のように、岩相、化石、地質構造、変成・変質作用などの地層素は、時間と環境、環境変化という軸が見えてきます。2項対立的ではないですが、無理くり対立させて、時間、変化という軸を選びます。これが、地層における「構造」ということになります。
 それを、表やグラフにして考えていくと、なにかそこから新しいことがわかってくるでしょうか。これからの課題です。とりあえずは、このような手法で、分析してみようと考えています。構造主義の手法は、地質学という学問の体系を整理するのには役立かもしれません。
 でも、現在のところ、それ以上でも、それ以下でもないような気がします。レビ・ストロースのような閃きは、生まれません。このような方法論は、どうも、私には、還元主義的で、いままでの科学的手法の範疇を超えていないような気がします。構造主義をしっかりと理解した人がおこなえば、もっと違った分析ができるかもしれませんが、今のところ、私にはうまくいきません。
 もっと還元主義的でない手法、もっと総合的な手法、もっと自然を理解しやすい手法はないのでしょうか。私が、いま模索しているのは、そのような方法です。現在、構造主義をアンチテーゼとすべく、ポスト構造主義、あるいはポストモダンなどという考え方が提唱されています。でも、私には勉強不足でまだわかりません。人間の知恵など限りがあるはず、過去の哲人の中に、いい知恵があるかもしれません。それを勉強中です。


・哲学者の生き方・
 実は、わたしは、今、地質学を考えるための新しい手法がないか模索しています。そのためのブレインストーミングとして、先人のいろいろ考えた人たち、つまり哲学者の考えを勉強しています。それは、著者の書いたものから、その解説書まで、その哲学の内容が直接わかるものであれば、原著(もちろん日本の訳)を読むより、解説書を読んだほうがいいかもしれません。両方を平行しておこなっています。
 今回のエッセイは、構造主義の解説書と、デカルトの「方法序説」、プラトンの「ソクラテスの弁明」、「クリトン」、「パイロン」(いわゆるソクラテスの3部作)を読んだのちの私なりの復習を兼ねています。
 デカルトも、ソクラテス、プラトンも読んでいると、その学問に対する真摯な態度に感銘を受けます。その内容に関しては、古い部分もあるのですが、その精神は、時代を超えて、現在にもつうじるものです。彼らの哲学よりも、生き方を学ぶべきなのかもしれません。

・地質哲学・
 実は、先月(7月)の13日から23日まで、カナダのニューファンドランドにいってきました。カナダの大西洋側にある大きな島です。
 目的は、先カンブリア紀−カンブリア紀境界(V-C境界と呼ばれています)の地層を見ることです。地質調査ですので、地層とその地層をつくる石を、しつこく見てきました。
 でも、本当にしたかったことは、地質学的に第一級の意味をもつ境界を、「生(なま)で」みて、そこで何かを感じられないかということです。自然、実物に接したときでないと、その感覚、感動は得られません。それを味わいたかったのです。
 というのも哲学というのは、書斎的でずっとこもって思索していくような感じがしますが、もっといろいろな哲学の形態があってもいいのではないかと考えています。構造主義は、そういう意味では、人文科学だけでとどまらず、自然科学の分野(生物学)でも、応用されています。
 ソクラテスが、対話を通じて、哲学を深めました。デカルトも、いまでの書物を通じた哲学に限界を見出し、世界を見聞してその哲学を深めていきました。わたしも、彼らにあやかって、自然物(地層や岩石)をじかに触れることによって、地質学への思索を深められないかと考えています。書斎派ではなく、野外(フィールド)派として地質哲学を構築できないかと考えています。
 まあ、それこそ、机上の空論とならいようにがんばるしかないです。本当にできるかどうか、私の能力と努力にかかっているのでしょう。まあ、道は険しく遠いけれどがんばります。
 このエッセイでは、その思索の遍歴が、現れてくるはずです。実は、最初から、そのつもりではじめたのですけどね。