地球のつぶやき
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生物の進化:グールドの死を悼む
Letter グールドへの道


 
生物は、進化してきました。その進化の結果、私たち人類も誕生しました。私たちは、この話をごく当たり前のこととして受け入れていますが、これを受け入れないひとも、世の中にはたくさんいます。それも、充分教育の行き届いたひとや地域においてでもです。
 あるひとたちは、進化を否定します。そのひとつに創造説があります。創造説では、聖書の創世記に書かれているように、生命は神がつくったものであり、種は、べつべつに創造されたまま、現在に至ります。したがって、ヒトはヒトとして、つねに万物の長として、この世に君臨しつづけてきましたし、これからも君臨していくのです。創造説のように、種の変わること、つまり進化すること否定する考えをするひとたちもいるのです。このようなひとたちは、進化説だけを学校で教えるは、間違っているとして、進化説と創造説との両方を教えるべきだと考えています。
 有名な事件として、スコープス事件があります。1925年7月、アメリカ合衆国テネシー州デートンで、高校で進化論を教えた生物教師、ジョン・スコープスが、聖書の創造説に反するとして、裁判がおこなわれました。この裁判は波紋を呼び、アメリカを代表する弁護士クラレンス・ダローと、元国務長官W.J.ブライアンが検察側に立ち、世界中の注目を浴びました。その間、テネシー州は、進化論は聖書の創造説に反するとして、公立高校で進化論を教えることを禁止するバトラー法を制定しています。スコープスは有罪となり、罰金100ドルを科せられました。その後、州の最高裁判所で無罪となり、バトラー法も1967年に廃止されています。
 余談ですが、ブライアンは、晩年、原理主義(Fundamentalism)に献身していました。その影響もあって、裁判で検事補をつとめました。しかし、この裁判で、ブライアンが科学上の発見に無知なことが判明し、面目をつぶしました。それと同時に、原理主義も大きな打撃を受けました。ブライアンは裁判の結審から5日後に急死しました。
 もちろん科学者たちは、創造説に反対します。その反対者のひとりに、古生物学者グールドがいました。裁判の顛末は、彼のエッセイに詳しく書かれています。
 進化論への道は、険しく遠いものでした。進化説が出現する前、激変説(catastrophism)の立場の科学者たち、たとえばキュビエが唱えたのは、一度の生物の創造ではなく、ノアの大洪水のような天変地異によって、何度も生物は死に絶え、そのたびに生物はあらたに創造されたと考えました。種は不変で、生物相が置き換わるだけです。これによって、古い時代からいる古生物やその多様性を説明しようとしました。しかし、創造するのは神です。
 激変説に対して、より新しい考え方として、斉一説(uniformitarianism)がありました。斉一説では、過去も現在と同じような作用が働いていたと考えました。ラマルクの考えは、生物は、いつでも無生物から誕生し、そしてつねに単純なものから複雑なものへと「前進」していると考えました。ですから、ある時点で生物相をみると、早く出現した生物は複雑で、あとから出現したものは単純な生物であることになります。
 激変説も、創造説の一部を含んでいます。生物は神の連続的創造によるものである。スイス生まれのアメリカ博物学者のアガシーも、このような創造説の立場をとっていました。アガシーは1846年ハーバード大学の博物学教授で、比較動物学博物館は、彼が、創設したものです。そのアガシー教授のポストに、グールドがついていました。
 連続的創造説には、宗教的背景のほかに、当時の生物発生に対する常識があったのです。有機物から、生物は、偶然に、自然に、生まれてくると考えられていました。このような考えを、偶然発生説、または古い自然発生説といいます。たとえば、食べ物を放っておくと、カビが生えてきたり、ウジがわいてきたります。有機物から、まるで生物が生まれたきたようにみえます。ですから、環境さえ整えば、どこからでも生物は誕生したと考えられていました。
 無生物から生物が出現すると前提は、パスツールの科学的実験で否定されました。白鳥のような形をしたガラスビンを用意します。そのなかに、有機物(肉汁)を入れます。有機物を加熱して、中にいる微生物を殺します。殺菌後、外から微生物が入らないように、ガラスビンの口を長く、細く伸ばし、口はあけておきます。こうしたことによって、空気は出入りするのですが、長い首の入り口付近ついた水滴のために、微生物は進入できず、そのビンの中の有機物からは、生物は誕生しなかったのです。この実験によって、生物の偶然発生しないということが確かめられました。
 この実験によって、ラマルクの連続創造説の部分は否定されました。「前進」という部分だけのこし、生物はあるとき、あるところで誕生し、その生物を祖先として私たちに至る道筋があるということです。このような考えを新しい自然発生説といいます。
 そして進化という仕組み知ったのは、1859年です。そう、それは、ダーウィンの「種の起源」の出版された年です。私たちのいま信じている進化説というものは、長い歴史をもっていたのです。「種の起源」から、まだ150年もたってないのです。1859年、
 150年たって、私たちは進化に関して、多くのことを学びました。進化を担っているのは、DNAとよばれる物質であること。そして、DNAは、すべての生物に共通するもものであること。進化が生物の多様性をつくったこと。などなど、私たちは科学の名のもの、多くのことをダーウィン以来、付け加えてきました。でも、なぜ、キリンの首が長くなったか。なぜ、ゾウの鼻が長くなったのか。なぜヒトは考えるようになったのか。その理由は、DNAの研究は答えてくれません。わたしたちは、いまだに、進化の仕組みの全容がわかっていないのです。
 もし、私たちの地球とまったく同じ、もうひとつの地球があったとしたら、そこでは同じように人類が、誕生したでしょうか。そして動物園や水族館、植物園には同じ生き物が見えることができるでしょうか。
 ひとつの考えとして、進化とは長い時間の思考錯誤の結果あるのだから、現在の生物種は、現時点での最高の組み合わせであるというものがあります。その頂点にいるのが人類である、と考えます。人類は、生まれるべくして生まれたという考えがあります。でも、これは、ラマルクの考えの変形版にみえます。そこには、科学的根拠はありません。それは、私たちの願望であって、人類が誕生する必然性は、今での研究成果からはみることができません。
 もうひとつの地球では、想像もつかない生物の国があるはずとグールドは考えました。つまり、進化などというものは、予測不可能で、なにがおこるかわからないというのです。
 進化は、目的論的に、キリンの首や、ゾウの鼻は、伸びるべくして伸びたという答えを求めるのでしょうか。もしそうなら、首の短いキリンから今のような長いキリンまで、また鼻の短いゾウから今のように長いゾウまで、さまざまの長さの首を持つキリン、さまざまの長さの鼻を持つゾウがいてもいいはずです。このような考え方を平衡進化説といいます。
 でも、化石の証拠は、そうはなっていません。あるとき突然、首の長いキリンが出現し、あるとき突然、鼻の長いゾウが出現します。つまり、新種がある日突然、誕生し、その後、ほとんど変化してないということを示しているようにみえます。このようは考え方を、断続進化説といいます。1972年、グールドたちは、この考えを提唱しました。その後、この断続進化については長く議論されてきました。
 人類は生物の長で、それは、生まれるべくして生まれたという、人間には非常に心地よい考え、あるいは、変化とは、時間によって一様におこるという考え、そこには斉一説的考え方が見え隠れしています。そのように考えたいという気持ちが、科学者の心のどこかに潜在し、無意識にその虜になっているのかもしれません。グールドは、そんな甘い考えつぶしてきました。
 グールドは、なにもアナーキストのように、なんでもかんでもつぶせというのではなく、科学的に、素直に、自然を眺めた結果、そうなったのです。なかなか抜け出れない歴史的束縛、人類として優越感、常識という根拠のない先入観、それは、上で述べたように科学の歴史では、失敗の歴史として語られています。現在のわたしたちにも、実はつねにその危険にさらされているのです。歴史的束縛、優越感、先入観などだれもが、意識していようが、いまいが、心にもっている考え方を前提とすれば、議論なしに論理を展開していけます。でも、これは、大きな落とし穴なのです。
 そんな落とし穴にはまらずに、科学をすべきだとグールドは教えてくれました。科学的には冷静で、カリブ海の陸産巻貝化石の研究をし、進化についてつねに新しいことを考え、Natural History誌に25年間科学エッセイを連載し、バージェス頁岩を世界的に有名にし、ハーバード大学およびニューヨーク大学教授で、1982年のNewsweek誌の表紙になり、1997年にはアニメThe Simpsonsに登場し、野球好きで、クラシック好きで、毒舌家で、2番目の妻と二人の子供が残して、60歳でグールドは逝きました。まだまだ教えてほしいことがいっぱいあったのですが、もう新たな教えを乞うことはできなくなりました。今回はグールドの成果の中心に書きました。


・グールドへの道・
 私の専門は地質学でも、岩石学や地球科学とよばれる分野です。ですから、グールドの専門の古生物学とは、少しずれています。専門が違うので、私は、グールドの論文は、読んだことがありません。多分今後も読まないと思います。でも、彼の書いたエッセイや書籍は、いくつか読んでいます。そして、彼のその博識と深い思索には、いつも感銘を受けていました。
 私は、グールドとは、まったく面識はないのですが、彼の研究態度や研究手法に感銘を受けていたので、できれば、彼のところに、1年間滞在できないかと考えていました。それは、今いる職場が、5年間勤めると、1年間の研修をさせてくれるので、その時の研修先としてグールドのところを考えていた矢先の訃報でした。
 グールドと私は、専門も違うし、考え方も違います。でも、考える姿勢や態度は、非常に共感を覚えました。現在の科学者でいちばん気になっていた人でした。
 せめて、彼の仕事から学ぶために、本を見ようにも、グールドのエッセイや書籍で読んだものは、残念ながら手元にはありません。今まで、読んだ本は職場の図書館に寄贈していたからです。そして、転職のためにそれは見れなくなりました。でも、グールドの書籍で、この2年ほどの間の読書記録に残っているものをたどると、
Natural History誌に連載されたエッセイ集:
ダーウィン以来 ―進化論への招待
パンダの親指 ―進化論再考(上・下)
ニワトリの歯 ―進化論の新地平(上・下)
がんばれカミナリ竜 進化生物学と去りゆく生きものたち(上・下)
単行本:
ワンダフル・ライフ ―バージェス頁岩と生物進化の物語
フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説
時間の矢・時間の環―地質学的時間をめぐる神話と隠喩
を読んでいます。
 まだ、読んでない本として
エッセイ集:
干し草のなかの恐竜 ―化石証拠と進化論の大展開(上・下)
ダ・ヴィンチの二枚貝 ―進化論と人文科学のはざまで(上・下)
八匹の子豚 ―種の絶滅と進化をめぐる省察(上・下)
フラミンゴの微笑 ―進化論の現在(上・下)
嵐のなかのハリネズミ
単行本:
個体発生と系統発生
人間の測りまちがい ―差別の科学史
暦と数の話 ―グールド教授の2000年問題
などがあります。さらに、まだ訳されていないものとして、
エッセイ集
I Have Landed: The End of a Beginning in Natural History
単行本
Rocks of Ages : Science and Religion in the Fullness of Life
The Structure of Evolutionary Theory
があります。このほかにも多数のものがあるはずですが、私の現在手元にあるか、発注中のものです。
 中でも「The Structure of Evolutionary Theory」は、グールドの大作のひとつで、2002年3月発行されたものです。1464ページにおよぶもので、最後の大作というべきものでしょう。執筆に20年を費やしたといわれています。
 今注文中でまだ手元にはありませんが、書評によると内容は以下のようです。自然選択、適応、変化の蓄積という古典的ダーウィニズムに関する3つの観点についての議論、そして、種からさまざまなレベルでの自然選択、自然選択だけでないさまざまな仕組みによる進化、激変説を含む広範な進化の原因が、古典的ダーウィニズムへの3つの挑戦的試みとしておこなわれているようです。進化についての、彼のライフワーク的考えがまとめられているようです。
 グールドの本で、読んだものは、半分ほどです。読んだ量でいえば、半分しか、学んでいないことになります。
 でも、読むことと学ぶこと、あるいは読んだ量と学んだ量が比例する訳ではありません。ようは、彼のスピリッツというか、態度、姿勢、心構えというようなものを学びたいのです。
 それは、いつになることでしょうか。たどりつけない目標かもしれません。ですが、目標達成は、目標を向かうことから、はじまります。長い道のりの、まだ一歩を踏み出したばかりかも知れませんが、まずは、学び、理解すること。そして、できれば、グールドとは違った地平を目指したいと考えています。
 最後になりましたが、グールド(Stephen Jay Gould)享年60歳、心からご冥福を祈ります。(合掌)