目次
Letter 201
Letter 202
Letter 203
Letter 204
Letter 205
Letter 206
Letter 207
Letter 208
Letter 209
Letter 210
Letter 201 ぱんせ
日付: 2003/ 5/17 01:21
小出良幸さま
お返事遅くなりまして、スミマセン。
27日は、午前中院ゼミです。午後は学部の潜りが2コマ。
午後ならトンズラして平気なのですが、午前の院ゼミは、認知言語学で、授業を聞いてないと(聞いてても)わからないので、休めません。あしからず。
前は不調で今回は授業…手の届く距離まで近づくと、なんやかんやとあるものですね。何なんでしょう。
今日源氏物語の発表(2回目)で、レジュメ作りに追われていました。頭の動きがおかしくて、話がまとまらないので、目一杯やってるつもりでも停滞しているような感じです。挙句、印刷するためにレジュメの順番を整理したあと、いらない扉を消しているうちに、誤って今日やった分が全て消えてしまって。急遽、留意点を並べたレジュメを作って、発表をしました。サンザンです。前にも2度同じことがありました。3度目ともなると、動じるよりも唖然としてしまって、心の中は「虚」の一字。バックアップは大切ですね。
小出さんからのお返事は、13日から14日に変わる頃、読みました。
そして、今一度読み返しました。
昨日、随分前に買ったパスカルの「パンセ」を何気なく広げていたら、「第一章 精神と文体とに関する思想」の七に、次の一節がありました。
人は精神が豊かになればなるほど、独特な人間がいっそう多くいることに気がつく。普通の人たちは、人々のあいだに違いのあることに気づかない。
同じ章の五三には、
「倒れた馬車」か、「転覆させられた馬車かは、故意かどうかによる。
「こぼす」か「注ぐ」かは、故意かどうかによる。
とありました。私の読み癖なのですが、箴言集は始めから読まず適当に開いたところを読みます。この二つの節も適当に開いて目に付いた箇所です。「パンセ」は神とか信仰とかいう言葉に覆われているような本に見えますが、パスカルに関する知識もなく、キリスト教的素地を持たずに生きてきた者であっても、面白く読める本だと思います。そして、何にでも意味を見出すようにインプットされている脳は、いつものように、小出さんのお手紙とこの二節が、同時期に私の眼前に現れたことは、運命的出会いだと認識しています。
ここ二日の不眠がたたって、今ピークです。
続きはまた後で。
スガイミサト
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Letter 202 連絡
2003/ 5/17 07:28
菅井様
こんにちは。
27日午前、不可の件、了解しました。
レポートの返事を半分ほど書いたのですが、
忙しくて後半部がまだ書けません。
近々書き上げます。
連絡まで。
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Letter 203 風立ちぬ いざ生きめやも
[Clubgeo 529] より転載
日付: 2003/ 6/ 7 09:58
達者にしてゐますか?みなさま
はや六月。
紫陽花も見頃ですが、どんな花木草が目に付きますか?
私は近頃、ドクダミとかオオバコ、ツユクサなど、昔幼い頃に身近に感じていた植物がいとおしいです。紫陽花のように、昔はあまり好きではなかったものや、あまり身近過ぎて(ありふれていて)憧憬の対象となる(=いいなぁと思う)ことのなかったものに、引き止められることが多くなりました。年かな・・・。
まず、山下さん。
私のアドレスとして挙がっている
○○○○
を削除してください。
どちらも卒業・解約により現在不使用です。
よろしくお願いします。
<現在の所属(学校)や学年、最近何をしているかなど>
所属は、○○○○○○○
最近は、イロイロ調べものをしていました。(ゼミの発表が立て続けにあったもので。)
修論に関係のある異界・他界・あの世・異郷…の意味の違い・仕組みに始まって、日本人の宗教観を一通り。でも、結局自分の定義が最終的な拠り所になるので、数多ある「異界」論に、立ち向かうのは無意味だと気が付いて、西欧・アジア・日本の文化的接触(交流史)と、肝心の作品購読に取り掛かろうとしているところです。あ、『万葉集』の発表構想も練らねば。
それから、9.11同時多発テロとイラク攻撃(戦争)を、皆がどう受け止めているのかを、アンケートしています。
地球の裏側で起きたことで、自分とは関係ない問題だと思いましたか?それとも、自分の身に今(いつか)降りかかってくるかもしれない問題だと思いましたか? そして、イラク攻撃が終了して、アメリカが見ているのは北朝鮮だそうですが、北朝鮮が日本に戦争を仕掛けてくること(今のところウワサ)は、ありうると思いますか?それとも絵空事でしょうか?
もし良かったら、これらについてもご意見ください♪
後は、ぼ〜っとしています。
否、大概はぼ〜っとしています。
今も、ぼ〜っとしているところです。
それでは、今日はこれで。
ごきげんよう
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Letter 204 長々と・・・
[Clubgeo 530] より転載
2003/ 6/13 15:16
ClubGeoの皆様
こんにちは。
菅井さんに続きまして、遅ればせながら私の近況報告です。他の方々も近況報告、よろしくお願いします。
私は、6月7日を持ちまして、転居しました。
同じ市内ですが、野幌森林公園という道立の大きな森の周辺の住宅地に引っ越しました。ここが多分、終(つい)の住まいとなるはずです。
そのために、100年間持つような頑丈で大きな家にしました。そして健康と、セキュリティ、そして防災を配慮した家を新築しました。新築とはいっても、築8年のモデルハウスを移築しました。骨組みの木造部分はモデルハウスのままですが、外装、内装の目に見える部分は、新品となっています。ですから、新築に近いものが、半額と行かないまでも、3分の2程度の金額で購入することができました。もちろんローンですが。
なおかつ広さも、もともとの予定の1.5倍から2倍近くなりました。土地は80坪ほどです。これは、北海道の郊外では普通の広さです。延べ床面積が90坪あります。将来、2世代住宅として利用できるほどの広さを確保できました。つくりも3階建てでそうなっています。満足のいく住環境となりました。これで、終の住まいとなると考えています。
住所は、
○○○○○○○
です。
さて、転居で問題が生じました。いままでYahooBBというADSLというインターネット環境で、なおかつIP電話を主な使用目的として利用していました。ところが、今回引っ越したところは、光ファイバー回線で、ADSL回線が利用できなくなりました。もちろんYahooBBも解約することになります。ですから、メールをためておく場所もなくなります。プロバイダーも新たに決めなければなりません。
そこで思案の末、Bフレッツという上り下り100Mbpsという高速のインターネット環境にすることにしました。プロバイダーもBフレッツのできるNiftyに変えいました。またまたNiftyです。これで、Niftyへの入会は3回目となります。実際に引けるかどうか、NTTが検査してからですから、まだ結論は出ていませんが、Bフレッツを申し込みました。
このような高速通信だと、映画も送れるほどの能力を持っています。だたし、すべての回線が100MB以上のスピードが確保されている必要がありますが。IT環境で、一番の問題は通信回線のスピードの遅いことでした。私は、そのような環境は、遠からずADSL(12Mbps)や光ファイバーなどの高速環境(いわゆるブロードバンド)の普及によって解決されると見越しています。
パソコンやその周辺機器のスピードや処理能力は非常に高く、200万画素の画像やカラープリントが当たり前の時代となりました。ところが、WEBの画像は、通信環境が整っていないため、画素数やサイズを制限して、つまり、情報をかなり少なくして、利用しているという状態であります。
しかし、個人使用のIT条件に見合う通信環境が近々来るであろうと考え、高品質の画像をデータベースとして利用することを考えて研究をしています。大学のサーバーを使っています。私一人で、数GBのデータベースを構築しています。
かつては大学の通信環境は、10Mbpsと非常に早かったのですが、いまやADSL(12Mbps)のほうが早くなっています。まして、光ファイバーであれば、大学はたいして恵まれた環境ではなくなってきました。大きなデータをあつかっている先生は、自宅のADSLのほうが早いといって、自宅で研究されている先生もいます。
まだ、一部の地域だけでしょうか、私の新しく住んでいるところは、ADSLのだめだということから、光ファイバーの恩恵を受けることになりました。だたし、その分の経費は必要です。いままでの通信環境の2倍の経費を払うことになります。これも研究のためと思って、投資します。
人間とは困ったものです。早さをもめられる装置で遅くなることには苦痛を感じます。悩んだのですが、Bフレッツにすることにしました。おもちろんIP電話も大きな魅力でありますのでつけます。
こんなこともあろうかと、メールの宛名は変えることなく、今までどおりで届くようにしています。
以上、長々とした私の近況でした。
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Letter 205 鏡像
日付: 2003/ 6/16 00:54
小出良幸さま
本稿は、20030520付[パラドックス]への返答です。
小出さんからの返信・問いを踏まえながら書き進んでいます。
ただ、どれが誰の言葉なのか煩雑になってしまうので、便宜的に記号を付けました。
●内は小出さんの言葉、▼内は私の言葉、※内は私の註です。(記号だらけで逆にウルサイかもしれませんが。)
――――――――――――――――――――
●「自己」と「実体としての私」は等価、同義なのか、よくわかりません。単に、「表裏の関係」から、「他者」あるから、「自己」があるのか。もしそうなら、「実体としての私」とは、「他者でないもの」にすぎないのか、という疑問も生じます。●
「自己」は語義的には「私」と同義で使いました。文脈に合っている方を、適宜使い分けただけで、作為的に、何らかの意図を持って使い分けたわけではありません。(精神分析的に、あるいは私の文章を文学の分析と同じ方法で各語の用い方を分析すれば、特別な意味が実はあるのかもしれませんけれど。本人の意識には、上ってきておりません。)
そして、もう一つの謎を呼び起こした「実体としての私」についてですが、「他者でないもの」だと思います。つまり、私が考えている「実体としての私」を突き詰めていくと、「肉体」にぶち当たります。人間を肉体と精神とに分けた時、肉体は精神の器であると同時に、有界性(物理的なカタチ)を持っています。しかし、精神のほうは、どうでしょうか。カタチを希求することはあっても(私の考えはコレだ、というように)、カタチはありません。
※ここでは、混乱を避けるため、遺伝子等の肉体を作っている極小物質レベルが持つ非?有界性(=連続性)は無視します。※
●「ゲーデル命題」の一種かもしれません。「ゲーデル命題」とは、論理体系の真偽の問う命題のことです。ある論理体系が正常(論理的に間違いない)であったとしても、その体系の「真偽」が証明できないというゲーデルの「不完全性定理」に由来するものです。●
「ゲーデル命題」、聞いたことのあるような、ないような…三段論法の謎と同じような、論理(体系の正誤)と現実の相違ですね。「私は他者である」は、見事に現実との相違を呈しています。(二分法の弊害ここでも露見。)
ただ、最後にそう言い放つことを、私の脳が許した(変な言い方ですが)のは、<「私」と「他者」の間の境界線は判然としないものなのではないか>というイメージがあったからだと思います。そう、先ほどの「精神」を土台とすると、「私―他者」関係が融解してくるように思えます。すると、「私―他者」関係は不可分、つまり二分法に当てはまらないことになります。
【ここから少し資料(人の意見:フロイト&ラカンの理論)を使います。どれも、小出さんからのお返事が届いた後発見した資料です。(先に感想を言えば、「同じようなことは、誰でも考えるんだなぁ…。」)
また、文中の<>は、ラカンがフロイトの概念につけた名前、あるいはラカン自身の用語です。】
私の苦手な精神分析の方面から、この「私―他者」関係に切り込んだフロイトは、幼児がその発達段階の初期において、母親(初めて出会う他者)・外界と自分との間に明確な区分線を引かないこと<想像界>を指摘しています。例えば、母親が好きなものを好み、嫌いなことを嫌うというのも、この段階の心理としてあると思います。つまり、人間の原初段階が、極めてモノローグ的な段階であるということになります。
すると、自分と他者の間に、いつどのように線引きがされるのか、ということが問題になります。段階としては、<鏡像段階><象徴界>があります。
鏡を見た幼児が、鏡の中の自分を、自分自身だと誤認することを<鏡像段階>と言うのですが、コレでは何だかよくわかりません。鏡の中に映った自分は、自分と同じ背格好・相似性を持った「鏡像」に過ぎません。つまり、「鏡像」は自分の姿かたちを写し取ったものではあっても、鏡のこちら側にいる自分自身ではないのです。しかし、鏡に映った自分を、幼児は自分自身だと思い込み、幼児は鏡の中の自分を見て「外界と切れている自分の身体」を認識します。ただ、<鏡像段階>は<想像界>の末期に含まれるステップで、「鏡像」との間もモノローグ的な関係にあります。
このモノローグから抜け出す時、それは初めて他者が他者として、つまり自分と相容れない者として認識されることになります。で、その契機は父親の介入です。
ラカン曰く、<鏡像段階>とは、自分自身が外部のもの(この場合の「鏡像」)にしか還元できない(同一性を見出せない)という、主体の他者への疎外を経験することだと考えたようです。ひっくり返して考えると、自分自身に辿り着くためには、自分が「鏡像」にならなければならない…つまり、自分が他者にならねばならない…ことになり、自分の内に「自他」の矛盾を抱え込むことになります。このままだと、先の私のようなオカシナ人間が世の中にはびこることになります。しかし、人というのは上手く危機を乗り越えるように作られているようで、「鏡像」を自分自身だと誤認したまま、誤認に気付かずに生きていくんだそうです。お話の例としては、オイディプス王が挙げられます。父殺し・近親相姦という二重の禁忌を犯しながらもそれに気づかぬまま王に君臨してしまうところが、この「鏡像」誤認と合致します。
――「我は他者なり」。(う〜ん、どこかで見たなぁ、似た言葉…。)
これはアルチュール・ランボーの言だそうです。「鏡像」という「他者」によってしか自分自身を見出せない苦悩の叫びとして、ラカンの<鏡像段階>を考える時に、有効なモデルとして挙げられます。(もちろん、オイディプスも最後には禁忌を犯したことを知って、ランボーのように、苦悩することになります。)
▼究極的には、「自己は他者である」と言うこともできるかもしれません。アベコベの感も否めませんが、<A他者との関係によって付加された私>は、<@実体(個体)としての私>にとって、「他者」性を帯びているのではないでしょうか。▼
レポートを書いている時に感じた、自分の中の@Aが分裂したような恐怖は、ランボーが叫んじゃったのと同じ感覚だったのだろうと思います。そして、私が勝手に考えたAは、ラカンが「鏡像」として捉えたものとほぼ合致するように思います。私はラカンと違って不勉強な凡人なので、「他者」性を帯びていると言いましたが、ラカン的にはそんな曖昧なものじゃなくて「他者」以外の何者でもなかったようです。でも、ホントに「他者」と言い切れるほど、「鏡像」は自分と切れたものなのか、まだ完全に納得できてはいません。
●「実体としての私」が捉え切れてないような気がします。それは、いいかえると「自己」や「アイデンティティの確立」を「他者」から論じているからであって、「実体としての私」からあるいは「私」から論じてないからなのです。●
ゲーデル命題が引き合いに出されたこの部分に、答えようと思う程、離れて行くのは、<鏡像>を覗き込もうとするからなのかもしれません。
「実体としての私」を捉えること、あるいは「実体としての私」から論じるということは、自分自身を他者の角度から論じることになります。理論的に…だけでなく、実感として、そうであるように思います。自分自身を照射する他者の視点が、今自分に欠けている問題だとすると、今の私は、この小出さんの指摘に答える術を持っていない、ということになりましょうか。そして、小出さんの解釈の正誤は、かような芯の部分において正であった、ということになるのではないでしょうか。
――――――――――――――――――――
最初のレポートを書いたとき、私はラカンの鏡像段階も知らなければ、ランボーの言も知りませんでした。不勉強を白状すると、これらを知ったのは、ほんの4・5日前です。ゲーデル命題のところまで書き進んだ後、知りました。まだフロイト・ラカンについて、飲み込めていないところ、疑問のあるところは当然たくさんあるので、文章の書き様も、「こんなことらしい」的な書き方になっているところが見苦しいですね。上手く飲み込めていない∴上手く使えていない…。作業仮説として、もっと理論を形骸化させねばならなかったと、今更反省しています。
しかし、このレポート問答に使える材料だと思ったので、あえて引っ張ってみました。どうでしょう。
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Letter 206 反近代のアンソロジー
日付: 2003/ 6/16 00:54
小出良幸さま
レポートの返答があまりにも長くなってしまったので、枝葉の後話を別便でお届けします。別便ゆえ蛇足も多々ありますが、扱いはレポートと一緒でも可です。
今回複数の資料を参照しましたが、ランボーの言が載っていたのは、福原泰平『現代思想の冒険者たち 第13巻 ラカン』(講談社1998)です。福原氏はランボーが「われは他者なり」と言い放ったことを挙げて、次のように言っています。
「詩人の炯眼においては、我を見出すのは他者においてしかないのだと、ストレートに見えたかもしれない。しかし、普通われわれの誰しもが、みずからの起源や運命と向き合うことを忘れて、例えばオイディプスのように気づかぬ愚かな王となっていく。」そして、「自己の生涯をみずからのものとして生きることのできない人間という悲劇」ができあがるのだ、と。
福原氏が精神科医だからなのかもしれませんが、ランボーが普通の人と違う「詩人だから」と言うところ、オイディプスを「愚かな王」と蔑む視線が、私の気に食わない点です。
近代の精神史が、いわゆる狂気とか障碍といった「健常」を逸脱しているキャラクターを疎外し、隔離することから始まるのだとすると、精神科医は、その上に乗っかる人です。そして、近代人はその影響を少なからず受け、疎外・隔離するものなのだと思うようになります。
小出さんが取り組んでいるユニバーサルデザインのような方向性は、こうした近代の精神史を批判するイイ種だと思います。
ランボーは確かに詩人です。私は詩人ではありません。でも、ランボーが思い考えたことと同じようなことを、私も思い考えました。それも、福原氏が「詩人だから考えられたことだ」と思っていることを。つまり、福原氏にとって、あるいは近代人にとって常軌を逸している「詩人」と、私は、その常軌を逸している部分で合致してしまったことになります。私も詩人(狂気の人)だと言われてしまえば、反論もシャットアウトされてしまいますが、もし、私が常人の域に留まることを許されれば、やはりランボー同じ人間として並置されるのが筋だと思います。「近代人にとって」と言い、「人間にとって」と言わなかったのは、反近代を常に模索する「現代」というものの在り様を問うているからです。そう、私たちは、少なくとも私は、「近代」を背負いながらも「現代」に生きているのだから、福原氏のような「近代人」的な物言いをすんなり受け入れるわけにはいきません。
(これは、オイディプスについても同じことが言えます。オイディプスは果たして愚かな人間でしょうか。彼を「愚か」とするならば、廻り廻って私たち人間を「愚かだ」と言うことになります。こういうの、社会を腐らせる元凶だと思います。「あの人は違うんだ」とか「あの人は愚かだ」とか、言ってしまった瞬間に、言った本人がそのようになるのに。先のレポート中、福原氏の物言いをパロディにしていますが。)
話がまたも思わぬ方へ進んでいきました。
ランボーも朔太郎も山頭火も、詩人に限らず、広く芸術家について考える時、研究者はとかく彼らを特権化しようとします。各作家の特異な点、すなわち個性に焦点を当てて、スゴイスゴイと持ち上げるわけです。でも、だから彼らは私たちタダ人とは違うのでしょうか。「心身に支障をきたすような悩み」を抱えることは、異常でしょうか。
個性の尊重は、結構なことだと思います。しかし、これは崇め奉る(つまり特権化する)こととは違います。差異を認める行為が、個性を尊重することです。人を敬う心も、非常に大切だと思いますが、人を敬うことは、決して崇め奉ることではありません。非常に単純なことのはずなのに、単純だから難しいのでしょうか。
妥協(バランス)。
抽象的な言い方ですが、多分、誰しも様々なことに対して、ある程度のバランスを保っているから生きていられるのだと思います。あくまで「ある程度」であって、理想的なバランスを取れている人はほとんどいなくて、多かれ少なかれバランスを崩しているのでしょう。
今の私を例にとれば、先の返信に書いたように、自分自身を照射する他者の視点・客観性の欠如がバランスを崩しています。
「私は他者である」というのは、今でなくとも、私がこのレポートを書こうとすれば、いつでも行き着く言葉だと思います。でも、あえて今この言葉が出てくることを考えてみると、やはり、今自分が考え思うことと、対峙するような他者の考え・思いを求めているのだろうと思います。反対側の重みがないと、妥協をすることも、バランスをとることもできない。
箴言でもないのに、テンデバラバラな内容になってしまいました。
この2通のメールを書くのに、随分時間を要しました。
風邪をひいて3日寝込み、今日仕上げ、ようやくの送信です。
しかし、時間≠出来。書けば書くほど書けないですね。/困_困\
スガイミサト
contentへ
Letter 207
今、しばしの猶予を
2003/ 6/19 10:45
菅井様
こんにちは。
菅井さんからいただいた2つのメールに対して返事を書こうかと思っているのですが、落ち着いて考える時間がとれません。なかなか深い思索ゆえに、こちらも理解するのに深く考えなければなりません。そしてそれに対して返事を書こうというのなら、さらに精神的余裕がないとなりません。今は精神的余裕がありません。今しばらくの猶予をください。
落ち着くのには、あとしばらく時間がかかりそうです。お持ちください。なかなか頭が働かないのです。引越しのせいでしょうか。それとも怠慢でしょうか。あまりいうと自己弁護になります。
ではまた。
contentへ
Letter 208 自己を求める旅
2003/ 6/30 13:57
菅井様
こんにちは。
2003/ 6/16 00:54付け「鏡像」へのコメントです。
菅井さんは、「自己」(あるいは「実体としての私」、「私」)と「他者」の境界、定義、あるいは表現方法といってもいいかもしれませんが、それをしきれずに、大きな悩みのタネとなっているようですね。
私は、不可知な問題は深入りしないタイプですから、菅井さんのような悩みはありません。でも、菅井さんの悩みは、実は哲学自身の悩みのような気がします。それは、「私となにか」という問題を哲学ではずーっと悩んできたようなきます。もしかすると、文学でも、これは大きな命題であったかもしれません。
西洋哲学において「私」の認識は、神からの呪縛から開放されるための歴史かもしれません。西洋哲学は、古代ギリシア時代の自由な発想における自己の探索から、キリスト教という宗教風土の中世にあっては、スコラ哲学という神中心の哲学になります。そこでは語られる「私」は、神からみた「自己」というべきものばかりで、現代風のあるいは日本人にわかるような「私」がなかなか見出せません。
私はあるエッセイで、スコラ哲学者であるオッカムについて書いたことがあります。スコラ哲学者以来、哲学を宗教という枠組みの中で考えざる得なかった風土があるためでしょう。でもそれはいた仕方ないことでしょうが、彼らの神から見た「私」、あるいはどこかに見え隠れする神の存在が、私たち日本人には特にしっくりこない理由だと思います。
16世紀から17世紀にかけてのイギリスの経験主義と大陸の合理主義によって、哲学が、神の直接支配から、人間的なもの、あるいは現実的なものへとなり、理性による「私」を考える契機となったのではないでしょうか。
イギリスの経験主義といえば、ベーコンがその祖となるのでしょう。ベーコンは、帰納法的手法から、「知は力なり」(人間の知識と力は合一する)を導きました。しかし、ベーコンも神の呪縛から逃れた訳ではないのです。へ-昆は言いました「哲学を少しばかりかじると、人の心は無神論へ傾く。が、哲学を深く知ると、心はふたたび宗教へと戻っていく」と。
大陸の合理主義の祖、デカルトは、西洋哲学の祖とも位置づけられています。デカルトは、思考世界と物質世界を区分し、思考世界のスタートとして、「考えるゆえに私は存在する(cogito,
ergo sum)」をおきました。デカルトは物質を中心とする自然科学の基盤を与えるとともに、人間の理性、あるいは合理主義が思索世界の真理を把握することが可能なはずだとしました。そして、その論理の原点が、「私」と合理性だと思います。
ところが、この時代以降、西洋哲学は、「私」と「神」をめぐって、議論が迷走し始めます。菅井さんが以前挙げられたパスカルも「人間は考える葦だ」といいましたが、この言葉が象徴するように、非合理主義者のように思われてしまいますが、御存知のようにパスカルは科学者でもありました。真空の存在を証明したり、流体静力学の平衡に関する「パスカルの原理」を発見したり、高度の数学に関する研究もあります。ですから合理的精神を持っていた科学者であったはずです。
この「人間は考える葦だ」は、デカルトとまったく逆のアプローチで、人間あるいは「私」を表現しているのだと思います。その現れは、「哲学を嘲ることこそ真の哲学することである」という言葉でしょう。彼は逆説の人、現代的な言い方をすれば「脱構築」の人なのです。
意識(知覚)を哲学にまでに高めたのはフュームでしょう。フュームは知覚のみが語り得るもので、その事物の本質を知ることはできないという不可知論を展開します。そして感性(欲望)が理性より優先する、「理性は情念の奴隷なり」と考えました。
近代哲学の「最初の人」と呼ばれるカントは、合理主義と経験論を総合して先験的観念論を展開します。フュームが知覚外にあるものは認識できない不可知としたものを、カントは理性の哲学で乗り越えようとしました。
カントの哲学では、「自己」とは、「認識の主体」と「実践の主体」として、まずあります。「認識は直感か概念かである」とします。直感は感性から生まれます。概念は経験か悟性から生まれます。つまり、直感と概念の総合こそが認識であるといっているのです。その「認識の主体」が「私」であるわけです。
ところが、「認識の主体」である「私」は、「実践の主体」としての「私」でもあります。「実践の主体」である「私」は、理性的存在であると同時に、感性的存在でもあるのです。「私」は、理性(精神)と感性(自然、感性的欲望)に従わざる得ません。でも理想として、感性は、理性によってコントロールされなければなりません。この点でフュームと対決しています。
カントは「私は何を知りうるか」という問いに対して、数学と自然科学の認識を妥当なものとして、その認識の根拠を人間の心にあると考えています。これこそ、神から人間のあり方を根拠付ける論理だと思います。「自己」を認識主体としての必要性を見出したのです。でも、あくまでも神の呪縛から逃れるための論理なのです。
ドイツのカントからはじまり、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続くドイツ観念論は、大きな哲学の潮流となります。そのドイツ観念論の完成者がヘーゲルとなります。いってみればデカルトからはじまる理性による哲学の集大成をおこなったのです。
ヘーゲルは、「自然の認識」が「自己」を通じて「絶対知」の次元に至る「意識の経験」であるといいます。そのような過程を経て「真なるものを実態としてではなく主体として捉え表現する」ことができるといいます。ヘーゲルの哲学は、弁証法をもちいて、現実世界とその歴史のすべてが、精神的なものが発展していく姿で、それが自己認識へいたるプロセスだと捉えました。
デカルトからヘーゲルまでの認識論では、「私」を神から切り離し、さまざまな方法で認識しようとしてきました。でも、そこで、「私」とは何なのかという答えは出たのでしょうか。どうも「私と何か」に対する答えは、出てないような気がします。神からの離脱に多くの勢力を使っていたような気がします。
でも、そのプロセスで、「私」やその他の基本的で重要なものごとを、神を介在の有無を考えたり、感性や理性、知、認識などさまざまな視点で考える方法論をいろいろ考案していくプロセスだったような気がします。でも、このプロセスこそが、デカルト以来、人間を神から切り離す作業というであったような気がします。でも、このおかげで、重要な考える方法論を人類は手に入れたのです。
近代の哲学がヘーゲルを頂点にする認識論であったのに対し、現代の哲学は存在(実在)論へ転換していきます。本質から存在への転換です。さらに言語に端を発す構造主義への転換がおこります。また、構造を巡って迷走しますが、これはここでは本質的でないのでやめましょう。この段階になると、「私」を探ることは、どこにいってしまったのでしょうか。哲学の本流からは、なくなります。
もしかすると、近世までの神との解放戦線に疲れはてたのかもしれません。1500年におよぶ神の支配は、日本人には計り知れないものなのでしょう。また、ペーコン、デカルト以来400年におよぶ戦いは、一人相撲だったのでしょうか。でも、「私」を求める西洋哲学の旅は、神の呪縛をとくことに専心し、とうとう重要な問題の答えを求めることを、どこかに見失ったような気がします。
本当は、「私とは何か」とは、私たちにとって、非常に重要な、そしてもしかしたら永遠の命題かもしれません。それを放棄したのでは、哲学は単に考えるテクニックという道具になってしまいます。道具を開発することも重要でしょうが、やはり本流である問題を解決、あるいは挑む姿勢は不可欠ではないでしょうか。
ここで述べたことは、「私」ということを中心に西洋哲学史を概観したものです。少々難解でこなれていないかも知れません。あるいは誤解があるかもしれません。
でも、私は哲学者ではないのですが、F.シェリングの「難解だというのは、哲学者に対する稚拙な苦情である」という言葉を最後に、終わりましょう。
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Letter 209 ありがとうございました
日付: 2003/ 8/ 7 00:13
皆さま
4日間、お世話様でした。5時に無事帰宅いたしました。
巡検では、枕状溶岩と岬での石拾いが面白かったですが、4日の講座は考えること多く、無知の涙に暮れましたね。(アンケートは、帰りの飛行機中書いてましたが、書き終わりませんでした。。)他にも、電線にとまる鷹・地質館脇の濁流・昆虫の屍骸(墓場?)展望台・カラスの大群・・・「あ〜っ!!」と思わず叫んでばかりの3日間でした。細々したことは、後日HPに!
田口さん、無事に空港までアリガトウゴザイマシタ。
蜂か虻かに刺された前田くん、その後お加減如何でしょう?
下田くん、具合どう?夕飯少しは食べられたかな?(ナビマデゴクロウサマ!)
結ちゃん・葉月ちゃん、車に電車に疲れたでしょ?
→皆さま、御身体おだいじに&うなぎでも食べて元気つけてくださいね。
伊予残留中の皆さま、暑いし台風近いしで、大変でしょうけれど、
残り数日、夜を楽しみに気力体力で乗り切ってください!
(イイお仕事ができますように(^_^)/~)
それにしても、いつもの如く、お役に立つどころか、遅刻・不注意等々足引っ張りまくりでしたね。<(_ _)>。ついでに口が悪くなったことにお気づきの方もありましょうか…人に感化されやすいタチが裏目に出てしまって…重ね重ね<(_
_)>。
セッカク生活のリズムも常人並になったことですし、山中修行でもして身を律してきましょ。
ではでは、本日はこれにて。
ゴキゲンヨウ
スガイミサト
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Letter 210 近況
2004/01/07(水) 09:22
菅井様
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
年賀状をいただき、ありがとうございました。メールでの返事とさせていただきます。
さて、以前お話していたメール交換ですが、不定期でいいですから、交換しませんか。メールマガジンについて考えることなく、こつこつとメール交換をしましょう。ただし、菅井さんには修士論文や進路とも関係がありますので、忙しいようなら返事はいいです。昨年春から夏のメールを最後に連絡をしていませんでした。ですからですが、再開したいと考えています。
まずは、私の近況報告からしていきましょう。このメールを書きながら、自分の今後の方針を練ることにしていきたいと考えています。
ClugGeoの挨拶でも少し書いたのですが、今年は、少し落ち着いて仕事をしたいと考えています。
まず、春から2年間は、落ち着いて仕事をしたいと考えています。そのために、講義日を火曜日(前期のみ北大で1コマ非常勤講師)、水曜日(3コマ)、金曜日(3コマ)としたいと考えています。これは、調整が必要で、最終的には非常勤講師の予定が優先し、事務の人が決めていきます。木曜日は会議日となります。理想としては、月曜日を一日あけられればと思っています。また、3月で、メールマガジンで一番負担となっていた「Terraの科学」が終わるので、だいぶ楽になります。そして、精神的、時間的に楽になった分を、やりたいことに全勢力をかけるつもりです。
今まで2年間手探りでして来たことを、あと2年間で一区切りをつけたいと思っています。私は、研究テーマとして、科学、哲学、教育の3つの柱があります。もちろん、すべて地質学に関するものばかりです。新天地での4年間のまとめとして、区切りをつくりたいと思っています。
・地質学:データベースの一応完成と新しい方法論を模索する
・地質哲学:地質哲学についての概説的な本もしくは論文を書く
・科学教育:学生、市民、教員教育の方法論の論文を書く
地質学のデータベースとは、「北海道の川と火山」のホームページ上で展開しているものです。川も火山も実物があるのですが、持ってくるのは不可能なので、画像と映像によるデジタル記録をしています。砂と石は、実物を採取して、それをデジタル化し、データベースとしているものです。これを、あと2年ほどで、まとまりをつけたいと考えています。
このようなデータベース、そして砂と石という実物を使った研究手法を、なんとか科学にする方法がないかを模索しています。まだ、なにをどうしていいかがわかりません。まずは、文献や教科書を読んでいきたいと考えています。そのためには、時間が必要です。それを2年間確保したいと考えています。
地質哲学は、「Terraの科学」をかなり改変して、哲学的に深くしたものをとりあずは考えています。半年分で本1冊ほどの分量になります。少々厚くてもいいですから、全体で、1冊の本にしたいと考えています。これは、メールマガジン「地球のつぶやき」にも書いたのですが、大森さんとの約束の論文より前に、この本を完成したいと考えています。できれば、大森さんとの約束の途中経過として、この本の原稿を見せたいと考えています。
大森さんとの約束とは、2年前のClubGeoの北京巡検のときにはじまったものです。私が地質学を哲学的に深く考えたいという姿勢に大森さんが共鳴して、一緒に論文を書く約束をしていました。
私は、地層境界と地質学における時間というものを抽象化して書くこと、大森さんはその実践として先カンブリア期−カンブリア期境界(V-C境界といいます)の新しい境界案の提示をするという約束でした。そのために、2年前の夏前に学会で東京に行ったときに大森さんの家に行き、私の構想を紹介しました。そして、論文の相談もしていました。
その後大森さんは体調を崩され、半年ほど療養され、昨年春ごろから再び仕事を始められました。頭がなかなか働かないといいながらも、こつこつを仕事をされ、重要な資料などを交換していました。
大森さんが、昨年秋に、約束の報告を書かれ、送ってこられました。そして、もう少ししたら学会誌に書くということでした。ショックでした。私は、それまで、1年半ほど、仕事らしいことをしていないからです。環境変化、当たらしテーマをいくつも始めた、赴任したて、忙しい、などなど言い訳はいくらしても仕事ができるわけではありません。でもそのとき、これまでの仕事のやり方を考え直さなければならないと痛感しました。やり方を変える前に、できるだけのことをしようと、昨年暮には、論文を2つ書きました。あと2つは、3月までに書いて、報告するつもりです。
私が、今までの1年半、一番力を注いできたのは、地質哲学ではありませんでした。大学の講義とそれに関連した「Terraの科学」です。しかしこの中で、私の考える地質哲学を展開しています。あるいは次の科学教育とも深く関係しています。そんなやり方をなんとか、進めていき、集大成したいと考えています。それが、私の考える地質哲学の一歩ともなると考えています。このまとめを、「Terraの科学」連載の終わった春から取り組みたいと考えています。
最後の科学教育が一番はかどっています。あるいは、この数年、科学教育に一番力を注いできたともいえます。教育とは、まず、教師自身がよき教育者であるべきです。あるいは、それを目指す人でなければならないはずです。理想の教育者像として、科学をできる人が、しっかりとした哲学をもち、だれにでもわかりやすく教育することが理想です。私自身がそんな教師になれるかを実験材料として、実践していきたいと考えています。
科学教育のはじまりが、PacGeoであり、EPACSであり、ClubGeoでした。現在私が参加しているのは、ClubGeoだけです。このClubGeoも、参加はしますが、やはり博物館あってのClubGeoですから、私は、主体にはなれないと思っています。
ですから、現在の私の立場でおこなうことは、本業の大学生の教育はもちろんやりますが、市民教育をなんとか成功させたいと考えています。それが、「Terraの科学」であり、「地球のささやき」で月一度衛星画像をつかっておこなった連載エッセイでした。やっと、今日、その英語版が完成して、公開されました。これに関しても、今度、論文を書こうと考えています。そして、以前にも話をしたのですが、ClubGeoのメンバーとの個別のメール交換を少しずつ始めていきたいと考えています。その最初が菅井さんです。今までは、不定期でしたが、できれば、不定期のままでいいのですが、月に何通かのメールを交換していきたいと考えています。まあ、これは相手、つまり菅井さんの事情が合えばの話ですが。
さらに、昨年から新たに取り組みだしたのが、国立教育政策研究所との共同研究である教員教育です。岐阜県をモデル地域として、小・中学校の先生を対象にしたものです。昨年秋には、このために、3回ほど岐阜に1泊2日でいきました。その関係で、論文をひとつ書き上げ、現在共同研究者に回覧中です。あとひとつ実践報告の論文を現在執筆中です。これで、私のノルマを果たしたと考えています。これをなんとか3月までに終わらせたいと思っています。
あと2年と年限をきった理由は、3年目(赴任して5年目)に、1年間の海外研修をしたいと考えています。うちの大学には、勤務期間が5年以上に達すると、1年間の海外研修に出る権利を得られます。ただし、これは、学部内で1名という割り当てがあるので、他に希望者があれば、勤務実績の長い人を優先となります。でも、春に申請ができますので、行いたいと考えています。ただし、どこに行くかがまだ決まっていません。
まだまだ、終わりのない研究計画ですが、できれば、私の研究者は人生として残された時間で、5年計画を4回おこなえないかと考えています。それが私のライフプランでもあります。
以上長々書いてきましたが、私の頭の整理にもなりました。お付き合いどうもありがとうございました。
忙しくなければ、菅井さんの近況と春からの予定を教えてください。
ではまた。
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