目次
Letter 191
Letter 192
Letter 193
Letter 194
Letter 195
Letter 196
Letter 197
Letter 198
Letter 199
Letter 200
Letter 191 あたふた
日付: 2002/12/13 22:19
小出良幸さま
メール2通、読みました。
私寄りの内容ゆえ、書きたい意欲が沸々と湧いているのですが、今書き始めると来週のゼミ発表が…ということになりそうなので、いい所を見計らって、書きます。(来週3つも発表があるのに、一つも終わっていないのです。にもかかわらず、明日は大船芸術劇場で映画「砂の器」と「黒い雨」を見てきます。)
前田くんにケンカ…それは、売りにくい!!
でも、突付きようで、何とかなるかもしれませんね。織田信長バージョン「鳴かぬなら…」の勢いで、試みてみましょう。
では、しばしレジュメ作りをします。
スガイミサト
content
Letter 192 Fw: メール解禁
[Clubgeo 522] より転載
日付: 2003/ 1/13 00:01
:前座:
そんなに長く書くつもりはなかったのですが、気づいたら長くなってました。
年始から重ーいメールですが、内容は薄ーいはずなので、気楽にどうぞ。あ、風邪っぴきさんは、お腹の調子が悪くなるかも!
----- Original Message -----
From: 菅井美里
To: clubgeo
Sent: Saturday, January 11, 2003 1:24 AM
Subject: メール解禁
皆さま、寒さに負けず、風邪などひかずにいらっしゃるでしょうか。
今年もインフルエンザの季節がやってまいりました。私は数年ぶりに寝正月(インフルエンザ正月)を免れ、それだけで満足な出だしでございました。そして、ようやっと本日フロッピードライブが届きまして、メール再開の運びとなりました。
切羽詰まった時ほど饒舌になる癖は相変わらずで[517]に対して、アレモコレモと口を挟みたいのですが、頭の中が『伊勢物語』とジェラール・ジュネット(構造主義的文学理論の旗手?)のお陰で混乱しております。なぜかいつも発表とレポートが団子状態で訪れるスケジュールで…。
そこで、まず脳内ウォーミングアップを兼ねて前回の構造主義の欠陥に関する短かいお喋りを紹介します。
「お喋り」といいました。これは私(M)と戦争文学がご専門で45歳サル年の先生(K)との対話です。といっても、小出さんの言を受けて、いろいろ考えているうちに、「同い年の文学者はどんな切返しをするのかな」という興味、および「何か文学側からのお知恵を戴けるかも」との思いから、訊きにいったというのが経緯です。唐突に質問をしても疑念なしに答えてくださるので、前置きなしで、以下のように喋り出しました…
M「感覚を既存の言葉で表せない時、新しい言葉を作ればいいと思いますが、どうでしょうか。」
K「確かに、既存の言葉で表せない感覚を表現しようとする時、新しい言葉を作るというのは一つの方法ではある。でも、その感覚をひとつの言葉ではなく、説明することが、まず必要だろう。その感覚がどういう感覚なのか、を説明する。端的に表現できる言葉がなくても、それで充分足りることがほとんどであろうし、われわれがまず感覚を表現する時には、既存の言葉で表現しようとするだろう。その上で、端的に表現できる新しい言葉が必要なら作ればいい。」
M「言葉がコミュニケーションの手段である以上、新しい言葉を提出する時、その新しい言葉を共有できる新たな解釈共同体が産出されることになります。そして、この新たな解釈共同体がなければ、新たな言葉を産出した意味自体が失われると思います。客観的に見ると、これは新たな構造を作る行為であり、共同体に個の独自性(オリジナリティー)が吸収されるようにも見えます。すると、個の独自性は、ありえないのでしょうか。」
K「共同体の独自性があるだろう。たとえば「期待の地平」なんて文学をやっている人間にしか通用しない。非常に小さい共同体の中での言葉である。ただ、知っていても、それを使うかどうか、認めるかどうかは、個々人の判断。同じことをやりながら、その言葉を使う人もあれば、もともとあった言葉で事足りると考える人もある。理論に出てくる言葉も同じように。」
M「じゃ、極めて個的な、個人の独自性は、使うかどうかとか認めるかどうかといった部分に、敢えて見ることができるのでしょうか。」
K「なんかむりやりだけどね。」
他にもナンダカンダとお話したのですが、大筋はこんなところです。「既存の言葉に新たな意味を付する」については、聞き忘れてしまいましたが、「説明する」という方法を見落としていたことに気づきました。当たり前といえば、当たり前なのかもしれませんが、今までの話の中で出てこなかったので、ご紹介しました。
また、<「新しい言葉」を発したとしても、偉大な(?)作家(影響力のある人)ならともかく、そうではないわれわれのような人間、たとえば近代文学会の中で新しい言葉を使ったとしても、何の影響力もない。つまり、意味がない>とも、仰ってました。小さな共同体内だけで通用する言語特有のスキマカゼが…。もちろん、非力さを憂いているのではなく、一現実の確認です。
となれば、必要なことはその小さな共同体固有の言葉(引いては考え)を大きな共同体あるいは「力ある共同体」(→後述あり)に発信すること、発信して大きな共同体・「力ある共同体」の内でもその言葉・考えを機能させることだと思います。これは、場合によっては、大なり小なり既存の価値観を転覆させることになります。ま、そこまで行かなくとも、多様な共同体のあり様をすべての人が認知し、意識することが肝要になります。それだけでも、随分世界が変わってくるはずです。無意志的で無責任な多様性尊重ではなくて、より高次の思考を求めようとするの行動が、そこにはあるからです。
●ここからは、「構造主義的思考」に関して、[517]に対する質問&意見です。
前回末尾の「逸脱が構造化される」というのは、逸脱と思っていたものが逸脱でなくなる、すなわち一つの構造をなしていると認められることと解してよいでしょうか。ならば、そうではあると思います。否、そうならざるを得ないと思います。もしかすると、「共同体の独自性」という言葉に、引っかかりを感じずには居れない方もありましょうか。言い方を変えれば、共同体に吸収されることですからね。「逸脱の構造化」が先のような意味であれば、同義の言葉になります。
ただ、やはり「普通」とか「基準」とかいう曖昧にして普遍性を持った「力のある共同体」が消えることはありません。抽象度の高い言葉を使いましたが、「力ある共同体」は、いわゆる時代時代を左右する力を持った共同体(イデオロギーを作る集合あるいは権力者)のことです。(もちろん私の造語。)ですから、非常に狭い意味で「共同体の独自性」を捉えようとするなら、反イデオロギーの立場にある共同体やイデオロギー側に無視されている(気づかれていない)共同体は、非常に個性的な共同体と言うことができると思います。そして、その共同体構成員のアプローチには、(「なんかむりやり」かもしれないけれど)共同体の個性とは次元の異なる独自性が見出されてしかるべきなはずです。
「構造を意識すると問題解決できない」「構造に捕らわれないことこそ、その構造を一番よく利用することではないか」という言がありましたが、前者はすっと理解がいくのですが、後者の意味がよくわかりませんでした。
物語(小説)を構造分析してみて、再確認したことですが、構造は構造に過ぎず、私たちは構造なんか知らなくたって物語を読み、紡いでいます。構造を明らかにすることは、私たち自身の読み(解釈)を整理整頓し、説明しやすくする方法、「文法」「化学記号」みたいなものです。読み(解釈)そのものではありません。「構造を意識すると問題解決できない」とは、文学の場合、こんな感じだと思うのですが、一致してますでしょうか。「構造に捕らわれない」ことの意味は、構造に目を向けることで生じやすい現状の滞留を回避し、前進すること(より発展させること)でしょうか。
だとすると、円環状ではなく、らせん状の思考軌跡を描くように心がけるのがいいでしょうか。構造(足場)を確認しながら、確実に進む(文学なら、「科学的に」読む)というあり方が良いように思いました。どうでしょうか。
いろいろやること・やりたいことがある時は、動き始めると止まりませんね。今日も長い間(3000字程)、お付き合いくださって、ありがとうございました。
明日から4or5連休!『伊勢物語』を読み替える(今までの読み方に異議を唱える?)ために、『源氏物語』とにらめっこしなくては!!
スガイミサト
:追伸1:
このメールをお読みになって、変だな…と思われましたでしょうか。そう、転送メールです。
実は、メールが送れなかったのです。受信はできても。原因はNorton AntiVirusの[発信電子メールをスキャン]をオンにしていたためでした。正月に入ってから、メールで年賀状を頂いた方にはメールでお返事を出しました。[送信済みアイテム]フォルダにメッセージが移動するので、安心していたのですが、実際は送られていなかったのです…。MLに投稿しても自分の書いたものがリターンされて来ず、またお手紙を送った誰からもお返事が来ず、ついに「おかしい」と思い、自分のところへ確認メールを出してみたら届かない…という衝撃的な事実が判明したわけです。(ま、ClubGEOのMLは昨日の今日なのですが。)OCNに夜な夜な電話して、今先ほど原因が新顔CPの設定にあると判明し、今大慌てで寒中見舞いメールを再発送しているところです。皆さまも、ウイルス対策の高度化にご用心ください。悔しいので、冒頭の転送案内はそのまま!
:追伸2:
北朝鮮がNPTから脱退しましたね。ありうる選択肢でしたが、その責任を感じてしまうのは、気のせいでしょうか。「平和」って、「平和への協力」って、何なのだろうと、改めて考えさせられます。核の有無、戦争の有無、軍隊の有無、兵器の有無…こんなこととは関係なく、「平和」というものはあるのではないでしょうか。どうなんでしょうか。
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Letter 193 すべてからの自由
[Clubgeo 525] より転載
日付: 2003/ 1/14 14:57
皆様
明けまして、おめでとうございます。本年もよろしく願いします。
菅井さんが、パソコン導入中に、この一連の議論には、まったくの進展はありませんでした。誰からも返事や意見はありませんでした。静かな正月を迎えました。
松が取れるとともに、菅井さんが復帰され、にぎやかになってきました。
さあ、議論をはじめましょう。
菅井さんの質問と意見に関してですが、私の
「この手法に、構造を見出さないでください。「逸脱」すら構造化されてします。それでは、もはや逸脱ではなくなりますから。」
という発言に、菅井さんが、いきなり、食いついてきました。
私は、構造から逸脱しなさいという意味でいったのに、その逸脱を構造化すると、逸脱ではありえないのです。私は、そこにパラドックスをみました。
さて、いきなり脱線します。
最近読んだ書籍で、なんとなく構造主義的内容がありました。それは、アミール・D・アクセル著の「「無限」に魅入られた天才数学者たち」という本です。
無限というものに対して、数学的にとりくんだカントールという数学者を中心にして、ケーデルやラッセルなども扱っています。そのなかで、私が、構造主義に関して、いろいろいっていたことに対して、わが意を得たりという内容が、ありました。今まで、私が、逸脱や構造に思いをめぐらせて、話していて、いつもなにか、しっくりこなかったものがはっきりしました。それは、パラドックスだったのです。矛盾を生み出すべきして生まれた矛盾、つまりパラドックスが、その「しっくりこなかった」原因だったようです。実は、今まで私は、それに気づかずに扱っていたからなのでしょう。
少し引用しましょう。
「与えれた系の内部にいたのでは捉えられない概念や性質が存在し、それらを理解するためには、より高いレベルに移らなければならない。一方、カントールが示したように、最高のレベルというものは存在しないのだから、いかなる系の内部にも、把握できないアイデアや性質が必ず存在することになる。」
ここで、「カントールが示したように」というのは、「無限」というのは、いろいろな濃度のものがあり、濃度の違うものを階層としてみること、際限もなく、つまり「無限」に、「階層」も上がりうるというものです。「無限」という階層も、「無限」のです。しかし、それは、その証明は、残念ながら、まださなれていません。カントールおよびゲーデルという二大巨頭が、二人とも鬱病で、死んでしまったということは、なんとなく「無限」の魔性に魅入られたようで、意味深ですね。
さて、この文章の「無限」に「逸脱」と同じような文脈が見え隠れしてませんか。
上で引用した文章は、断るまでもなく、数学の内容を扱ったものです。数学というきわめて論理的で、抽象化され、そして菅井さんの言を借りれば、きわめて「力ある共同体」での世界での話です。
その数学の世界は、20世紀初頭まで、完全であるという幻想、神話があったのですが、カントール、ゲーデル、ラッセルなどの、そうそうたるメンバーが、数学における、ある体系の完全さは、保障されないことを示したのです。
ゲーデルは、数学的手法という同じ土俵で、「任意の系が与えられたとき、その系の内部では証明できない命題が常に存在する」ということを証明してみせたのです。これが、ゲーデルの「不完全性定理」です。
どういうことかというと、数学の基本となる、公理や定義において、実は内部矛盾を抱えていたということを明らかにしたということです。数学の体系は、論理的整合性をもたないことを、持ち得ないことを証明したのです。
それを象徴することして、パラドックスがあります。古いものでは、クレタ人エピメニデスの作とされるパラドックス「私は嘘をつきです」が、あります。あるいは、「この文章は嘘です」というのでもいいでしょう。この言葉は、説明するまでもなく、パラドックスです。
それと似たようなパラドックスを、数学の集合論や数理論理学のなかで、ラッセルが再発見したのです。そのパラドックスは、「セヴィリアの理髪師」とか「グレリングのパラドックス」とかの例でよばているものです。
こんな例を出しましょう。「犬」という生き物の「犬集合」を考えます。「犬」以外の、ありとあらゆる、すべてのものは、「犬でない集合」のなかに入ります。
では、「犬」という言葉は、どちらの集合に属するのでしょうか。「犬」という言葉は、生き物の犬ではないので「犬でない集合」に入れるべきです。続いて、「これは犬です」という文章も、やはり生き物の犬ではないので「犬でない集合」に入ります。では、「犬集合」という集合自体は、どうなるでしょうか。もちろん、生き物の犬ではないので、「犬でない集合」に入ります。さて、「犬集合」はどこにいったのでしょか。ここに、パラドックスが生じます。
簡単にパラドックスは、発生してしまうのです。これは、単に言葉の遊びではない、深刻な事態なのです。数学というのは、論理によって、体系化されているわでけす。その論理、それも、基本的なレベルで、成立しないということは、数学の体系自体を否定しかねないのです。
さて、この「集合」でこおなったことを、「逸脱」や「構造」と読み替え、あるいは置き換えてみると、同じようなことがおきないでしょうか。もしそうなら、これは、避けることができない「論理の宿命」というものなのかもしれません。
ここで、私がいいたいのは、「逸脱」や「構造」でパラドックスが発生するかどうかという議論ではないのです。「逸脱しなさい」というのは、そんなパラドックスにかかずらわるな、パラドックスからすら自由になれというという意味です。これが、前の私のメールの主張にも通じることです。
ですから、今までの議論は、すべて、前書きとなります。
本題です。私の主張は、構造主義という手法を限定すること自体が、可能性、自由度を減らすことになりはしないかということです。それを、私は、「構造を意識すると問題解決できない」と表現した真意です。
「構造に捕らわれないことこそ、その構造を一番よく利用することではないか」というのは、階層を一つ上がったような「構造」という意味です。でも、これも、パラドックスなのですよね。不適切でした。
どうせやるなら、最初から、「構造」や「集合」などという定義、つまりは「構造」、「集合」には、とらわれず、自由な発想、自由な手法、自由な展開を「する」、あるいは「できる」という「自由」をもっておくほうが、いいのではないかということです。菅井さんのいう「力ある共同体」での世界という限定、つまりは「構造」、「集合」すら、はずしてしまったほうがよいという主張です。自由がいちばんの「逸脱」の方法であり、自由がいちばんの「構造」であり、自由が私のいちばんの「主張」です。
カントールがすんでいた地の一角に、ブロンズ銘板があり、つぎのような一文が刻まれているそうです。
「数学の本質は、その自由性にある」
私は、この言葉を、科学、あるいは学問に読み替えたいと思います。
「学問の本質は、その自由性にある」と。
ではまた。
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Letter 194 お元気ですか
2003/ 5/ 9 08:34
菅井様
御無沙汰しております。お元気でしょうか。私は元気です。
先日のゴールデンウィークに、家族で、四国の西部に行ってきました。6泊7日の旅行でした。目的は、四万十川の調査です。コースは、前に巡検で行ったようなコースですが、四万十川を源流から河口まで3日間かけて、ゆっくりと全部走破し、資料を採取し、写真を撮影しました。
家族旅行をかねていましたから、四万十川の源流は、いけるかどうか不安だなと思っていました。まあでも、登れるところまでいこうとスタートしたら、バイクのライダー姿の若者が降りてきました。なかなかたどり着かないのであきらめて帰ってきたそうです。
子供たちがいけるかどうか心配だったのですが、山道の30分ほどを子供たちは歩きました。次男は危ないところは、だっこやおんぶで行きましたが、長男は全部歩きとおしました。たくましくなったものです。
その旅行の途中に、城川に一泊しました。高橋司氏および央くんともあいました。奥さんは、広島の実家の母親が体調を崩されたそうで、そちらに行っておられました。また、翌日高橋家も広島に里帰りをするというので、あまりゆっくりと話ができませんでしたが、2、3時間、ビックリハウスと地質館を家族に見せながら、話していました。
私は、3年ぶり?になるので懐かしかったです。来年度には市町村合併で「西予(せいよ)市」となるそうで、あわただしそうでした。そして、高橋自身の身の振り方、地質館の存続すら未知数となっています。ですから、できるだけ、協力して成果を出すようにしていくことを考えています。
さて、私のことばかり書きましたが、菅井さんの近況はいかがでしょうか。余裕があったら連絡をください。のんびりとお持ちしています。
ではまた。
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Letter 195 レポート3:私にとっての環境
日付: 2003/ 5/12 00:02
※※※※お断り※※※※
本レポートは、指示通り、具体的な資料を参考にしませんでした。調べれば何らかの解決があるかもしれない問題や語彙についても、調べずに思考を積み重ねています。本レポートの源泉には、環境からの様々な影響と、数々の誤解があると思われます。その上で、今今、思い、考えられる限りを尽くしてみました。
※※※※※※※※※※※
【環境=私を私たらしめるもの】
「他者(自分以外のもの全て)」との関係によって、「私自身」はクッキリとした輪郭を持つことができると思います。確かに、実体として私は存在しているのですが、私たちは皆、自分以外の者と接触し、関係を持つことによって生きています。お題は「私にとっての環境」ですから、ここでは実体論としてではなく、関係論としての「環境」を捉えたいと思います。すなわち、私にとって、「環境」は「私を私たらしめるもの」です。日本語文法的にはオカシイのですが、「私」(特に自己)が形成されるために必要なものが「環境」です。
本レポートは「環境」の定義を求められていますが、「環境」よりも「他者」と言った方が、環境を作っている一つ一つの構成要素が見えるような気がするので、「他者」という言葉を用いて、以下話していきます。(「自分以外の全てのもの」という意味では「環境」も「他者」も同義ですが、ニュアンスの違いがあるように思いました。緑色か、青と黄色の点描か・・・みたいな感じ。)
【私】
「私」は、<@実体(個体)としての私>と<A他者との関係によって作られた私>の二面性を持っています。@は本質的、Aは社会的な私です。「作られた」とは、@の実体としての私に、他者からの影響によって@以上の何か(社会的なもの)が加わったことを意味しています。
例えば、私が今使っている「言葉」は、親や周囲の人たちが喋っているのを真似たことから、使えるようになったものです。今では、日本語の話し言葉・書き言葉は、駆使できなくとも、母語としてコミュニケーションに支障が無いくらいには使いこなしています。日本語のように使いこなせはしませんが、英語・その他の言語も、少しなら理解できなくもありません。
「言葉」の他にも、いわゆる本能に関わる部分以外の能力は、サルマネが始まりなのですから、皆「環境」の所産ということができます。ローレンツとか、狼に育てられた少年・少女の話を思い起こすと、文化的能力(と言っていいのでしょうか)は、文化的環境からの影響と、その環境の中で文化的な生活をしている先人からの習得によるものです。
次に、冒頭部に括弧で記した「自己」について。「自己」は社会的に一人前の人間に数えられるために必須の要素だと思います。年齢だけでなく、「社会に適合できる能力を身につけた者である」という暗黙の社会的承認によって、ヒトは人間になります。(ヒトは@、人間はAの意で便宜上分けました。)
「社会に適合できる能力」は、協調性や順応性だけではありません。それらの核にある、「自己」が重要だと思います。つまり他者によって照射される自分自身を認識することが。
実体論に近い立場から見ると、「自己」は、積極的・内発的なものとみなすことができると思います。しかし、関係論の方面から見ると、他者を他者として認識することと、他者とは異なる(他者によって照射され、形作られる)自分を認識することは表裏の関係にあります。
【“自己同一性”幻想】
上記の関係論に従えば、他者との関係によって「自己」が形成されるのだから・・・究極的には、「自己は他者である」と言うこともできるかもしれません。アベコベの感も否めませんが、<A他者との関係によって付加された私>は、<@実体(個体)としての私>にとって、「他者」性を帯びているのではないでしょうか。
「自己同一性」…今時は「アイデンティティ」が定着しているのであまり使われない訳語ですが、ここには、「矛盾」ないし「背反」しうる二つの「私」が含意されています。本当のところは不知ですが、私解によれば、A社会的な私と、Aとは関係なく存在する@本質的な私です。
アイデンティティの確立は、概ね思春期に行なわれるものですが、ここでいう「確立」とは、先の背反しうる二つの私を一つの私と認識することです。本来別種のものである二つの私を一つと認識するのは、難しいはずです。しかし、多くの場合、同一性を認識している(あるいは認識できていると思い込んでいる)から、「アイデンティティの確立」というフレーズが一般化しているし、思春期を越え出てフツーに大人をやっていると思っています。でも、どうやって、「アイデンティティの確立」をしているのでしょうか。
多分、A社会的な私を@本質的な私だと思い込むことによって、確立しているのではないでしょうか。
思春期の身に降りかかってくるものとして、他者からの期待・偏見があります。「私」は、それに気づいた時、ある矛盾を感じます。「私」自身が思い描いている私像、つまり「自分が認識している自分」と、必ずしも「自分が認識している自分」とは合致しない、「他者が認識している自分」との間の差異に気づくということです。
「他者が認識している自分」がAに含まれるのは異議なしと思いますが、「自分が認識している自分」がAに入るのだと言うと、異論があるかもしれません。しかし、他者との関係によって照射・形成されるという点に着目すると、「自分が認識している自分」もまた、他者によって成り、Aに含まれます。
一方で、実体論的に捉えなおすと、自分・他者のいずれの認識によっても、認識される「自分」(@本質的な私)の二側面ということになります。つまり、先程と真逆の答えが出てきます。
混乱してきましたが、ここで、真偽を問うことはできるのでしょうか。本題の、「私にとっての環境」に立ち戻ると、私は関係論の方面から入っているので、実体論は「偽」であるとみなすことができるかもしれません。
でも、私はいずれも「真」なのだと思います。“実体があるから関係が生まれる”という実体論的発想から、実体論もアリというのではなくて、実体と関係は、「私」が存在することによって同時に生じる問題だからです。要は、この世に「私」という一個の生命体が認識された時から、親及び周囲の人間は、「私」に未知数の可能性を見ていると思います。「どんな子だろう」「どんな子に育てよう」…といった具合に。本人には意志のない、ある意味まっさらな実体である時から、「私」はもう他者に認識され、形作られています。
ここまで、「私」の側から考えてきました。では、他者にとって、「私」はどういうものなのでしょうか。今までやってきたストレッチを生かせば、「私とは関係なく存在しているもの」「私を必要としているもの」の二通りの答えが出てきます。やはりこれも、「実体論/関係論」で、いずれも真と思います。後者の方は、チョット意識過剰に聞こえるかもしれませんが、私も私以外からすると他者なわけで。私と他者の両方があってはじめて、そこに「認識(関係)」の糸が結ばれることを考えると、これでよいかと思います。
他者他者と、顔の見えない不特定多数の人間を名指すような口ぶりですが、ようやく「環境」という言葉を取り上げる番になりました。環境は、私以外の全てのものです。確かに、私がいなくても、それはそれとして、存在します。でも、私は、別の誰か(何か)にとって、環境の一部です。だから、私は、自分以外の全てのもののことを、自分のことと同等に、思い、考えます…?
そう、本当に自分のことと同等に、思い、考えているでしょうか?小さい頃から、自問してきたこの問題に、私はまだ「はい」と答えられません。むしろ、「いいえ」です。そして、たぶんこれからもずっと、「いいえ」です。マイナス思考というだけが理由ではないでしょう。私は、ずっと「いいえ」でいいのだと思っています。「自分のことと同等に、思い、考えたい」という永遠の理想を、希求することが、私の生き方なのだと思います。
なんだか、またも妙な終わり方ですが、書き終えてみたら、胸がスーっとしました。書いている途中は、自分が何を言いたいのか、考えているのか、わからなくなっていたのに。久しぶりのレポートは、出来の如何はともかく、初心にもどったような心地がしました。
以上、ミニ感想付で終わります。■
contentへ
Letter 196 こんにちは
日付: 2003/ 5/12 00:23
小出良幸さま
またしても、随分ご無沙汰してました。
おげんきですか?
「寺子屋」は発行の度、読んではいるのですが、意見・レポートを提出するには、ある程度の時間を要するので、相応の覚悟がいります。今回の【環境】も、考えれば考えるほど、わけのわからない方向へ流れてゆきました。主観―客観、本質的―社会的…二元論の悪夢にうなされました。
普通「環境論」というと、地球環境や遺伝子の問題を取り上げることが多いのかもしれない、と書き終わった今、思っているところです。しかし、今回の私の環境論は、そっくりそのまま他者論にシフトしています。どんなお題を与えられても、自分の興味関心の向く方へ、自ずから話は進むものですね。
そして、「自己同一性」に絡む「A社会的な私」は、デカルトのコギトに似ているのではないかと思います。ただ、いまだにデカルトやその他の哲学を勉強していないので、あくまで推測ですが。ただ、自己同一性幻想によって、本来別種の二つの私が、分裂せずに済み、精神的平安を得られるのだろうと考え付いたのは、驚きでした。正しいか否かは別として、そういう考え方もありかな、と。また、考え付いた瞬間、私自身の「二つの私」が、一瞬ではありますが、分裂したような気がしました。とても、怖かったです。
・・・と、ここまでを4月30日に書いていました。そして、GW中にレポートを加筆修正し、5月9日11時30分、2日ぶりにメールチェックをしました。今日このメールに手を入れるのは、今回が3度目です。
「書き終わった今」と言いながら、加筆修正…普通のレポートではありえない話ですね。メールレポートならではでしょうか。(笑)ついでに4月30日までに書いたレポートは、そのまま生かされているのですが、結論の部分が最終段階で大幅に変わりました。30日の段階では見えなかった結論が、出ています。
小出さんがGW中四国へ行くというのは、メルマガ・HPに書いてあったので知っていました。ですから、実はGW中に送って、「あ、久しぶりだな」と驚いてもらおうなんて思っていました。残念、書き終わらず、小出さんに先を越され、私のほうが、驚きました。(笑)
それにしても、3年ぶりでしたか。私もClubGEOで行って以来、行っていません。懐かしいですね、四国。そんなにいろんな場所に行っているわけではないので、比較はできないのですが、今のところ愛媛は一番好きな土地です。二番目は仙台、三番目は該当者なし。空気がいい・緑が多いといった、住環境だけではなくて、時間がゆったりと流れているような感じが好きです。のんびりぼーっとすることを許してくれる四国時間は、私にぴったりです。
市町村合併で、日本の地図も随分変わるようですが、城川もなんですね。司さんを始め役場の皆さんは、今頃おおわらわでしょうね。ただ、ご都合主義・合理主義で合併が進む中、地域性をどれだけ保持できるのか、合併して予算を得られても、その予算をどれほど活かせるのか等々、将来をちゃんと見定めないと、いつぞやの一億円みたいになるんじゃないかな、と思います。どう転ぼうとも、司さんにとって、城川の皆さんにとって、いい方向にことが進むといいですね。
さて、私の近況…大学院生活も、早二年目。あっという間でしたが、随分変わったと思います。この一年と少しの間に変わった点を、箇条書きにしてみます。
以前よりも、
薄っぺらい人間になりました。
親不孝をしています。
自分を見失っています。
きちんと話をまとめられなくなりました。
キツイジョークを言うことが多くなりました。
要領が悪くなりました。
ぼーっとしていることが多くなりました。
また、以前にはなかったこととして、
本を読むのが怖くなりました。
よく、自分のすべきことがわからなくなります。
人の話を、ほとんど上の空で聞いています。
人の言葉がすぐに理解できなかったり、心に響かないことがあります。
心身の健康状態の波が、生活に支障をきたすようになりました。
親しい人と一緒にいる時、表情が暗くなっている(笑わない)と思います。
総じて、マイナスの方向に変化しているのは、明らかです。
軽く口にすべきことではないですが、その原因は環境(詰まるところ大学院)にあると思います。環境が悪い、というのではありません。私が環境に順応できないために、かような変化が起こるのだと思うので。ただ、環境に順応したいかといえば、否です。研究環境としては、悪くないと思います。
4月の終わりに、博物館友の会の下見という名目で行なわれた長野・山梨の巡検に同行させてもらいました。いろんな人がいたので、それだけでも刺激的でした。好奇心旺盛な人ばかりであったことに圧倒されつつ、久しぶりの巡検(多分一年以上ブランク)であることに加え定常的に上記のような状態であることから、私は皆の後ろをウロウロしながらメモを取って、ときどき写真を撮ったり岩肌に触れたりしていました。いわば壁の花でした。
そして、最終日(3日目)の最後のポイントで、「巡検に来たんでしょ?」と言われました。「寒い」と言った時、「東京の学校に行って皮膚が薄くなったんじゃないの?」とも言われました。誰かはあえて言いません(といっても想像付くかもしれません)が、どちらもぐさりと突き刺さる言葉でした。その人は、こういうストレートな言い方で、いつも生傷を直視させてくれます。冷静に思い起こせば嫌味に聞こえるような気もしますし、嫌味のつもりなのかもしれません。でも、私には嫌味よりも、ありがたい言葉に聞こえます。生傷を直視させてくれると同時に、自分がイロイロ理由をくっつけて行動せずに居ること、私が壁の花として見られていることに、改めて気づかせてくれたからです。そして、こういうことをその人が言ってくれなくなったら、オワリだとも思います。
依然として沼の底でもがいていますが、これ以来、上を向いてもがくように心がけています。
また長くなりました。
レポートとあわせると、スゴイ量になってますネ。
スガイミサト
:追伸:
昨年11月に、死にかけたようなメールを送ったのが、ついこの間のようです。
ちょうどあの頃は、ある意味瀕死でした。ものが食べられなくなって、目方も一ヶ月で丸一桁以上減り、精神的にも疲弊していました。体調の変化が止まったら、今度はアルコールアレルギーが後遺症で。チョットでもお酒(特に日本酒)の入ったものを食べると、数時間後、角膜が傷だらけになって目が見えなくなります。わずか3年のアルコール歴。もうちょっとイロイロ飲んでおけばよかったと、今更ながら後悔しています。
contentへ
Letter 197 プラスへの助走
2003/ 5/12 12:24
菅井様
こんにちは。
久しぶりに菅井さんのメールを読みました。懐かしくもあり、そして重くもありました。レポートへの返事は、連休明けのぼけた頭では、まだ、反応できません。そりあえず、四方山話を。
大学院での1年余りで、いろいろ悩まれているようですね。人それぞれに悩みがあり、それぞれの悩みの程度はその時々によって違います。でも、人生において、心身に支障をきたすほど大きく悩むことは、何度かあるようです。そして、それも重要な人生経験ではないでしょうか。まるで大人ぶった言い方をしましたが、それでは、なんのためにもならないので、私が以前陥った大きな悩みの話をしましょう。
私も、大学院の時に大きな転換の時期が来ました。博士課程1年生から2年生にかけて、体重が10数kgも減るほど悩みました。その原因は菅井さんと同じで、環境でした。大人になると、心身に支障をきたすほど考え抜くこと、悩むことができるのです。これは、子供にはなかなかできないことでしょう。真剣に生きてている証拠でもあるのかもしれません。
当時私は、大学院生の請け負うべきものとしてある学会の庶務を命じられ、学会の中心的な仕事を請け負っていました。何事もきっちりとやらないと気のすまない私は、それこそ寝食を忘れて、その激務に取り組みました。
しかし、その仕事の意味のなさと、他のメンバーの不誠実さに悩みました。この影響で、2年近く、大学院での研究はまともにできませんでした。ただし、野外調査に2ヶ月ほどと、データを出すために、化学分析だけは、地球内部研究センターに年に1ヶ月ほど出かけていました。それが唯一の救いでした。
とうとう1年目の2月か3月に、その学会に対して、謀反を起こしました。その学会の事務局会議で、学会の体質改善の提案を正式な文面として提出しました。そのとき、会議は一瞬しーんとしました。でも、こなさなければならない議題を取り合えずというかたちで、すすみ、結局は暖簾に腕押しでした。
でも、私としてはすっきりしましたし、翌年度からは学会事務から開放されました。人間関係のために、すぐにその学会をやることができませんでしたが、北大を出てからは、その学会をあっさりと辞めました。いまでも、このとき行なったことは間違っていなかったと思っています。
しかし、1年目のツケが、2年目にきました。それは、研究面です。野外調査と分析だけはおこなっていたのですが、研究時間が圧倒的に少ないために、研究上の進展、展望ができませんでした。やろうとしてたテーマも本質的でなく、迷路で行き詰っていました。そんなとき、私は、研究者には向いていないかもしれないと考え、教員になろうと、あわてて、教員のための単位を取り始めました。大学院で研究を続けながらも、なんとなく悶々としながら、1年間かけて、教育実習以外の単位をそろえました。
でも、2年目に冷静に考えたとき、自分にとってこの選択は大きな間違いだと気づきました。もし、私が教員になったとしたら、それは、自分の研究というものを中途半端に投げ出し、逃げとして、教員になったとこになります。もし、そのような選択をしたとしたら、教員という職に対し不本意な逃げ場としての職業となったはずです。それでは、他の真摯な教員に失礼だし、なにより生徒と自分に対して、不誠実で申し訳ないような気がしました。
そこで、もう一度、じっくり自分の進むべき道を考えました。その結論として、研究にすべてをかけて、再度取り組み、そこで、自分がどこまでできるかを挑戦することにしました。それは、研究を進めながらも、自分の限界と、研究に対する自分の適正と見つめなおすことでもありました。そして、限界や適性がないと自分で判断でき、納得がいけば、そのとき次の目標を立てようと考えるようになりました。
その結果、2年遅れて5年目にして博士をとることができました。提出した時点では、研究内容もそれなりの成果があったと思います。
もし、そのときその環境や悩みに負けてつぶれていたら、今の自分がなかったでしょう。そして、別の職業で無気力に生きていたかもしれません。それを乗り越えられたからこそ、今の自分、そして考え方、処世も得ることができたと思っています。これは、後で思えばの話、結果論かもしれませんが、あの経験は、心からよかったと思っています。
その後の自分自身や研究への考え方の変化によって、自分の研究への評価は変わってきました。なんとスケールの小さなことをしていたのだろうという評価ですが。でも、これは哲学あるいは見方の変化だとおもいます。
いずれにしても、私は、その苦悩の2年間で、自分なりに成長できたと思います。そして、私自身の考える姿勢も、いつの頃かわかりませんが、すべてをプラスに考えるというものになってきました。
マイナスは、自分がマイナスと思った時点から、マイナスにしか作用しません。大変ですが、もし、その境遇や逆境を、二度とない経験、他人には絶対味わえない体験、気持ち、あるいは、別の視点で自分や自分の行なっていることを考えることができるチャンスだなどというように、プラスに考えるようできないかということです。最近、私は、つねにこう考えるような姿勢を持つようになりました。これは、最近の私の研究姿勢、あるいは研究の本質とすごく関係がでてきました。
マイナスも、ものごとや人の大いなる属性であるという前提に立ちます。その上で、マイナスでもプラスでも、他のものごとや人が持っていないものであれば、それを最大限の活かす方法を考えれば、これは、大いなるプラス、もしかするとOnly
Oneのセールスポイント、他との差別化になるかもしれません。
障害もそのような属性と考えて、私は障害者と付き合っています。もし、その障害者がいろいろ問題があるのなら、それは、障害のせいではなく、その人自身の個性の問題と考えます。ですから、その障害者には、障害をマイナスと考えないように常に接し、そして説得を試みています。それは、Dialogを読んでいただければ、わかるのではないでしょうか。
そして、まだ漠然としてどういう形になるかわかりませんが、このような姿勢が、最近より強くなってきました。そして、それを地域の自然を利用した自分の研究対象にしようと考えています。金曜日に「冬総合研究所」というシンクタンクのある部署の代表の方と4時間ほど話をしました。そこで、その「冬総研」となにか新しいことがことができないかを考えようという話になりました。
北海道は「冬」が産業、行政、経済すべてにおいて、最大のマイナスとなっています。それではいけない、北海道の「冬」をプラスにしなければ、本当の北海道からの情報発信ができないと考えました。そんなことを考えるシンクタンクとして「冬総研」があります。この「冬総研」は、「木の城たいせつ」という建築会社の出資する組織で、なかなかその本社の影響から脱することができません。でも、その考え方は、先日、間違っていないという手ごたえがありました。
ですから、あとは、「冬総研」としての軌道修正をすべきで、そのために組織全体で考えるべきだとという話をしました。すると、こんど、正式に「冬総研」の代表(専務)や研究所の関係者とブレインストーミングをすることになりました。6月には行ってから、1泊2日の合宿になるかもしれません。
何が生まれるか知れませんが、それこそ北海道のOlny Oneを生みたいと考えています。それは、私の地質学や、科学教育、地質哲学を活かす場、ユニバーサルデザインなどの私が取り組んでいることの、集大成のになればいいと考えています。
この1年間Seedingとして、いろいろなことに手を出してきました。まだまだ、面白そうなことが一杯あり、どうなるかわかりませんが、なにか漠然とした手ごたえのようなものなものが、最近感じられるようになりました。
これが、私の悩みの経験から生まれた処世術と精しい近況でした。参考になればいいのですが、悩んでいるときには、役に立たないかもしれませんが、真剣に生きている人は、このような心身に支障をきたすような悩みを何度か経験指定という例になれば幸いです。
では、また。
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Letter 198 近未来
2003/ 5/12 12:30
菅井様
先ほどのメールで、近未来のことを書くのを忘れていました。
それは、5月26日から27日に学会で東京へ出ます。
学会は千葉の幕張であり、26日は、夜遅くまで予定は詰まっているので、
時間は取れません。
しかし、27日は、帰るだけですので、
午前中なら、東京もしくは品川、浜松町あたりで、会うことは可能です。
27日は火曜日の平日ですが、講義があるかもしれませんので、
もし都合がつけばでいいです。
よろしければ、話をしませんか。
連絡をお待ちしています。
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Letter 199 連絡請う
2003/ 5/16 08:38
菅井様
こんにちは。
5月27日の予定は、いかがでしょうか。
もしだめなら早めに連絡をいただけるとありがたいです。
よろしく。
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Letter 200 パラドックス
2003/ 5/20 08:36
菅井様
こんにちは。
これは、レポートへの私のコメントです。
「私にとっての(つまり菅井さんにとっての)環境とは」のレポート、読ませていただきました。なかなか深みのある内容でした。私の手落ちを補ってもらっている形にもなっています。それと菅さん自身の苦悩の表れもあるのでしょうか。私にとっても、悩み多きレポートでした。そして、私のこのレポートの解釈が間違ってないことを願っています。
菅井さんの論を、私なりに整理させていただきます。以下に、菅井さんが意図的に使われた、あるいは私が重要だと思ったフレーズには「」をつけました。ただ、菅井さん自身の「」とダブっているのでわかりにくいかもしれませんが、以下そういう書き方をします。
私は、この「Terraの科学」の講義で、フラー氏の言葉を引いて、宇宙と環境を定義しています。フラー氏は、「宇宙とは、私を含むすべて。環境とは、私以外のすべて」(後半のフレーズは菅井さんも使われています)としており、この定義で私自身は、納得していました。
この内容を、言葉を変えて、菅井さんは、「「環境」も「他者」も同義」と表現されました。これは、上の私の考えと同じものだと思います。
ところが、私は、講義では、「私」というものを深く追及せずに、環境、そして宇宙というものにテーマを移して、講義を進めました。その盲点であった「私」に焦点をあてて、菅井さんはレポートを展開されています。さすがです。
その点で、私の講義の不備を補っていただいてるような気がします。
さて、菅井さんは、「私」には、「実体としての私」(本質的)と「他者との関係によって作られた私」(社会的)あるとされました。両者の関係は、「作られた私」とは、「実体としての私」に、他者から社会的なものが加わったものであるとされました。
そこで問題になるのは、「実体としての私」です。菅井さんも、そのような展開をされています。レポートでは、「自己」について議論を展開されました。「自己」とは、「他者によって照射される自分自身を認識」でき、「他者とは異なる自分」の「認識」である、とされています。「自己」は、「他者を他者として認識」できるのと「表裏の関係」をなす、とされています。「他者との関係によって付加された私」とは、「実体としての私」に、「他者」性を付加したものである。
以上のところで、実は、「自己」について言及されていますが、「実体としての私」が、十分定義されず、不明のままです。「自己」と「実体としての私」は等価、同義なのか、よくわかりません。単に、「表裏の関係」から、「他者」あるから、「自己」があるのか。もしそうなら、「実体としての私」とは、「他者でないもの」にすぎないのか、という疑問も生じます。
これは、菅井さんの混乱ではなく、一般論としての認識(私は混乱だともいます)だというように、菅井さんの論は「アイデンティティの確立」として展開されています。
つまり、「社会的な私」(「作られた私」こと)と「本質的な私」(「実体としての私」のこと)、つまり「背反しうる二つの私を一つの私と認識すること」が、「アイデンティティの確立」となる、とされています。いいかえると、「社会的な私」を「本質的な私」だと「思い込む」ことによって、「アイデンティティの確立」がなされる。「自分が認識している自分」(「本質的な私」のこと)もまた、他者によって成り、「社会的な私」に含ま」れ、結論として、「自己は他者である」ともいえる、とされています。
このあたりが、私がフォローした範囲です。誤解があるかもしれません。
もし、この解釈に誤解がないとすると、菅井さんは、やはり「実体としての私」が捉え切れてないような気がします。それは、いいかえると「自己」や「アイデンティティの確立」を「他者」から論じているからであって、「実体としての私」からあるいは「私」から論じてないからなのです。
これは、「ゲーデル命題」の一種かもしれません。「ゲーデル命題」とは、論理体系の真偽の問う命題のことです。ある論理体系が正常(論理的に間違いない)であったとしても、その体系の「真偽」が証明できないというゲーデルの「不完全性定理」に由来するものです。
「ゲーデル命題」によく使われる例が、自己言及や他者言及によって生じるパラドックスです。
自己言及としては、
「この文章はまちがっている」
があり、他者言及としては
「ソクラテス曰く、プラトンは正しい。
プラトン曰く、ソクラテスは間違っている。」
などというよく知られている例があります。
菅井さんの論は、どうもそのような世界に迷い込んでるような気がします。
つまり、「作られた私」と「実体としての私」を定義したいのですが、「実体としての私」を定義するとき、「作られた私」や「他者」を用いておこなうため、他者言及のパラドックスに陥ったような気がします。
上のパラドックスの例は単純なものですが、複雑な内容、論理になると、このような自己言及や他者言及の循環論法的な世界に知らないうちに迷い込んでしまいます。菅井さんの混乱もそこから生まれているのではないでしょうか。
その混乱が、菅井さんの悩みと種となっているのではないでしょうか。
「私は、別の誰か(何か)にとって、環境の一部です。だから、私は、自分以外の全てのもののことを、自分のことと同等に、思い、考えます…?」
「私は、ずっと「いいえ」でいいのだと思っています。「自分のことと同等に、思い、考えたい」という永遠の理想を、希求することが、私の生き方なのだと思います。」
私にも、このような悩みは常にあります。ですから、私は、このようなパラドックスは解けないものであるという認識のもとに、いかに妥協、あるいは協調するかを模索しています。
子供がキリスト教の幼稚園に通っているのですが、そこでは唯一神の信仰を説きます。信仰による自己管理は、自己統制はいいことですので、それを否定はしません。私は神を信じていません。でも、子供にそれを押し付けてもしょうがないのです。日本的な、自然崇拝、八百万の神々のような多神教的世界もあることを、話題になるたびに伝えています。これが、私の信仰との現段階での妥協点です。
このようなことが、実生活ではいろいろおこります。子供との関係でも、「なぜ、うちにはサンタクロースが来ないの」という質問受けること、クリスチャンの幼稚園でひな祭り、節句、クリスマス休みではなく暮れと正月休みがあることの疑義。でも、これは、言っても詮無き事と妥協しています。
若いとき、ひとりで生活しているときは、妥協なき生き方も可能でした。しかし、家族を持ち、多くの個性持つ人がいる職場で職業につき、多くの社会人との付き合いをするにつれて、そのような妥協点が多くなってきました。これも、しょうがないことと思っています。
これは、決してあきらめているのではありません。自分の考えを主張し認めてもらうことは、他人の考えも認めることを含意しています。ということは、自己主張をすることは、表裏一体として、妥協を前提としなければ、議論自体が成り立たないのです。こんな簡単なことが若いときはわからなかったのです。
あまり「自分」について議論が進みませんでした。それに、私の解釈(菅井さんの悩みの部分も含めて)が間違ってなければいいのですが。
長くなりました。ここまでです。