目次
Letter 121
Letter 122
Letter 123
Letter 124
Letter 125
Letter 126
Letter 127
Letter 128
Letter 129
Letter 130
Letter 121 本音で考えること
2002/ 2/23 15:17
菅井様
前置き、抜きです。
前に、大学院進学話を、巡検に行く車の中でした記憶があります。ですから、もともと大学院進学だと思っていたのですが、菅井さんが思わせぶりな言い方をしていたので、大学院進学以外の全く別の道を進もうとしているとばかり思っていました。まあいってみれば、菅井さんの予定通り、あるいは私の予想通りの進路だったわけですね。
菅井さんから、転進に対しての意見を求められました。私としては、実際に菅井さんの立場でないので、判断できません。それに、人生の岐路なるものに対しては、どうこう言わないほうがいいと思っています。結論だけを聞いてあげることが、一番いいのだと考えています。と、つっぱねると、あまりにも、人非人のようなので、こうしましょう。私が、人生の岐路に立った時、どうしたかを話しましょう。それを意見に換えます。
さて、私の人生の岐路は、考えてみると、いくつもありました。大学受験(どの地域のどの大学)、大学内での進路決定(留年の決意と地質学への希望)、大学院修士課程の決定(北大以外の大学へ行くか)、大学院博士課程の決定(岡山大学以外のどの大学へ行くか)、ポストドクター時の転進(北大に残るか他の大学へ行くか)、博物館への就職(どの職につくか)、今回の転進(どの地域のどの研究職にするか)です。その多くは、「地球のつぶやき」や今回の「転進のホームページ」で書いています。
ここでは、大切なことだけを書きます。私は、どの岐路に立った時も、一番大切にしたのは、「本音」です。「本音」で、すべて決定していました。それで後悔はありません。見栄えや肩書きなど、もっとらしいものがあっても、「本音」に照らし合わせて決めていました。今回の転進もそうです。公務員から、私学ですから、安定性、給与、各種条件面からいっても不利になるはずです。でも、後悔はしていません。私は納得づくの転進ですので、わくわくしています。
恥ずかしいので、あまり話したことがないのですが、一番、感情的で、でも「本音」のいい例が、修士課程から博士課程への進学の時です。修士課程は、鳥取県三朝町の岡山大学の研究所にいました。岡山大学には修士課程しかなかったので、どこか別の大学に行かなければなりませんでした。東大でもよかったのです。東大の一番入りやすい入り方は、大学院で入ることです。修士論文さえしっかりできていれば入れます。博士課程の大学院は、どこでもよかったのですが、当時つきあっていた人が、旭川に住んでいたので、その人の近くがいいとおもって、北大の博士課程にしました。
この決定を、人によっては、不純な動機だと思うかもしれません。でも、私の本音は、それで良かったのです。今でも、後悔はありません。もちろん、彼女は、今の家内ではありません。彼女とは、札幌に行って、半年ばかりで別れました。
一番大事なのは、人生において「些細なこと」に惑わされないことです。見栄や、肩書き、過去の因縁、便不便などはもってのほか、研究テーマや研究手法、指導教官ですらも、自分自身の人生においては「些細なこと」と考えられる場合だってあるはずです。そんな「些細なこと」に左右されることなく、「本音」で決めるべきです。
研究テーマなんて、何度も変えてもいいのです。それも自分の「本音」で選んだ人生であれば、すべて許されるのです。ある分野で、ある一定期間、懸命に研究し、成果を出せば、それになりに評価を受けます。それに、要領よく努力さえすれば、1年程度で、学界の最先端の知識は身につきます。そこから、努力すれば、1、2年で充分な評価が得られます。
私の例ですが、専門は、地質学です。でも博物館で、科学教育の必要性を感じ、1999年1月に地学教育学会に加入し、年1回ですから3回の学会発表、4篇の論文を投稿するという成果を出しました。すると、その業績は評価され、3回のシンポジュウムのパネラーとして講演とその座長も頼まれるようになりました。
また、全く違った分野として、廃棄物学会があります。2000年5月に入会し、1回学会発表し、1篇論文を書きました。地質学会で関連の分野で、シンポジウムで発表し、議事録に論文が掲載されました。それで、協力している企業が潰れそうなので、それで、学会も廃棄物からも手を引くつもりで、いったん止めようとしたのですが、企業が存続できそうなので、まだ続けていく予定です。
というように、研究者として一番重要だと考えられる研究テーマですら、絶対不変ではなく、可変なのです。
「本音」は他人には推し量れません。それに、今回の菅井さんのように、人に自分の転進に関する悩みを相談したとしても、どこに本音があるかはわかりません。仮に、菅井さんが、これが本音ですといっても、本当の本音ではないとだってあるのです。ですから、ほんとうの本音は、自分の心に聞かなければなりません。その心の声を聞けるのは、菅井さん自身なのです。ですから、自分の胸に手を当て、よーーーく考えてみることです。きっとそこに答えがあるはずです。多分、私に聞く以前に、菅井さんには、その声が聞こえてくるはずです。
以上です。参考になればいいのですが。
ではまた。
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Letter 122 ムリでした…
2002/ 2/28 23:56
小出良幸さま
梅・沈丁花・水仙…いろんな春の花の匂いに心弾む季節となりました。そして、そのうららかな陽気に乗って(?)論文が仕上がりませんでした。
寺田寅彦のエッセイを材料にしながら展開していこう思ったのですが、間に合わず、残念です。
しかし、大学院の方は、概ね決定の方向です。
聖心女子大学大学院文学研究科日本文学専攻になると思います。前回のメールでAとした学校です。お金を振り込み、今日入学許可証が送られてきました。
悩んでいたもう1つのB大学院とは、フェリス女学院大学です。小出さんはどちらの大学もご存知ないかもしれませんね。聖心は、美智子さまや緒方貞子さんの出身校で、カトリックです。フェリスは横浜の緑園都市にあるプロテスタントの大学で、女子アナが何人か出ています。
本音で考えると、フェリスの方が授業が面白そうですし、研究もはかどるような気がしました。ですから、あのメールを戴いた翌日、私は「フェリスにしよう」と思いました。しかし、その決断を聞いた母は、「じゃあ聖心には振り込まないのね、もったいないけど」と言いました。「もったいない」…私がどちらにするか悩んでいた間、母は自分の憧れる大学として聖心をずっと推していたのだと気付きました。
フェリスの先生は、私のことを異常なくらいに認めてくださいました。卒論も批判せず、「筆勢がいい」とお褒め下さり、研究計画も面白そうだと仰いました。しかし、私にはそれが不満でした。批判できる所がたくさんあるはずなのに、なぜ批判してくれないのかと。それに比べて、聖心の先生は、卒論も研究計画も適切な批判を下さいました。卒論にはたくさんの付箋が付けられていて、ただ読んだのではないことも一目でわかりました。
23・24と考え、聖心の最終締め切りの25日の朝、聖心に振り込むと決めました。困難に思える場所でやりぬくことのほうが、自分のためになるかもしれないと考えて。しかし、今度は母のほうがフェリスを薦めてきました。私がフェリスにしようと思った理由を理解してくれたからでした。「フェリスにしたほうがいいよ、楽しく学校に通ってくれた方が嬉しいし」と自己を省みながら泣きそうな母に、「困難な方が自分のためになるんだ」とか何とか言い放って、聖心にお金を振り込んでもらいました。
母がお金を振り込んでいる間、私はうなだれていました。そして、その後ずっと、わけもわからず1日中泣いていました。フェリスをやめた後悔もありますが、自分の優柔不断な性格に対して涙したのだと思います。
今は大分落ち着いて、未練も50%くらいまでに減りました。フェリスの期日が4日までなので、母はまだ諦めていないようですが、私は変えないつもりです。
これを書いているうちに、23歳になってしまいました。又1つ、老いました。
では、夜も遅いので、今日はこの辺で。
スガイミサト
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Letter 123 前向きの精進
2002/ 3/ 1 11:00
菅井様
今度の休日に、多分人のごった返している幕山公園に家族で梅を見に行こうかなと考えています。いつもは人でごった返しているので、敬遠していたので、最後ですから見ておこうと思っています。そして、子どもも、保育園を2月一杯で辞め、これから毎日、自宅が・・・・・。
大学院への進学。それは、菅井さんにとっては、23年間における最大に近い決断だったでしょう。私の45年間におとずれた決断のなかでは、大学院進学は、中くらいでしょうか。ちなみに、上の決断は、今回の転職と博士課程を終わって岡山大学の地球内部研究センターにいって、ゼロから研究を仲間とはじめようとしたとき、の3つです。歳をとるということは、こういう事を意味します。いいことなのか、悪いことなのかわかりません。
前田君も、多分、今日、運命の時を迎えているはずです。
進学の決断が、先生の振る舞いに絞る点が、「菅井さんらしい」です。そしてお母さんへの配慮も、「菅井さんらしい」です。さらにいえば、このお母さんにして、この菅井さんありという気もします。
さて、将来は、選んだ一つしか体験できません。ですから、「もし、Bにしていたら」というような悩みは、不可逆という宿命をもった時間の中においては、詮無きことです。やるべきは、「前向きに、精進あるのみ」です。
私自身、大学院時代は、寄り道もありましたが、受験以上に勉強しました。もちろん、卒論の時以上にです。でも、受験などと違って、すべて、自主的な好奇心に基づいたものですので、大変でしたが、嫌ではありませんでした。卒論の時以上に大学院の研究生活は面白かったです。
多分、人生で一番集中できる時代を、自分の好きなことに没頭できるのは素晴らしいことです。そして、自分の限界を知り、そして能力を広げることもできます。今思えば、あれもやっておきたかったとか、これもやっておきたかったとか、詮無きことも考えないでもないですが、今に至るプロセスとしては、好奇心に基づいた「前向きの精進」に、悔い無しです。少しマゾイスティックな気がしますが、一つのことに打ち込むというのは、そういうことではないでしょうか。そして、私は、マゾ状態は今も続いています。
この、好奇心に基づいた「前向きの精進」というのは、麻薬的な面白みがあります。菅井さんも、「前向きの精進」というマゾイスティック・ワールドに嵌られることを期待します。そして、それが、研究者への道だと思います。
さた、お願いしていた論文ですが、全く手付かずですか、それとも、少しは形あるものになっているのでしょうが、あと1、2週間なら待てますが、どうでしょうか。だめなら、研修会の報告を推敲をお願いします。
では、また。
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Letter 124 お願い&夢のマゾ?
2002/ 3/ 3 00:34
小出良幸さま
今日は、運動不足解消のため(?)鎌倉の明月院まで歩いてきました。梅は南へ行くほど散ってしまって、大船辺りでは一足早く桜が咲いていました。昔は入学式の時に桜が咲いていたように思いますが、温暖化なのか単なるズレか、卒業式には桜が散りそうですね。
まず、先に連絡事項&お願いがあります。
何日か後に、熊谷南峯さんから、小出さんのところへ届くかもしれません。私がさっさと住所をお教えすればよかったのですが、何かといろいろあったので後回しになってしまったため、今回も小出さん気付けで、と餅田さんからメールが入りました。すみません。(餅田さんには先ほど私の住所を送りました。間に合うといいのですが。)
もし、届きましたら、教えてください。小出さんのお引越しもありますから、即刻戴きに参ります。
次に、論文です。まだ終わりがまとまらないので、どこら辺までできたかは言い難いのですが、以前のものを推敲しつつ、やってみます。
そして、やっと本題です。
マゾというと、怖いようなイメージが先行しますが、近頃自分はマゾっぽいなと感じていたところです。自分にとって辛い過酷な状況になると、最初はぶつかることを躊躇するのですが、案外そこに身を置くことが楽しいと感じることに気付いたからです。計画的に少しずつ成し遂げることは、理想としてあります。しかし、追い込むだけ追い込んで、凝縮した時間・状況の中で物事を成し遂げることができたときに得られる充実感や達成感を、求めている自分がいます。大学院への進学も、この側面があることは否めません。
高校大学と好きなことだけやってきた私は、非常に感覚的に生きてきたと思います。何をやるにも、頼りは「勘」です。そして、その「勘」が一番生きる場所が、文学でした。
中学高校と授業を受ける(話を聞く)のは好きでしたが、試験前に勉強するような習慣はなく、成績は常にクラスの最下位でした。でも、中3あたりから、数学と入れ違いに、国語の模試の成績が急に上がりました。理由は未だに不明です。(ただ、教育原理の授業で知ったのですが、女子の数学の成績は中2がピークで、以降は急激に下がる場合が多いというデータがあります。私もその一人のようです。)
これはあくまで、模試の国語ですから、学校の成績には何ら影響はしません。それに、確固とした土台の上に成り立った成績でもないので、私の中には今でも「国語=不得意・苦手」の意識は根強く残っています。
大学に入っても、この意識を拭い去るほどの力を身につける努力をしませんでした。でも、だから、今度は逃げも隠れもできないような所で…マゾを強いる環境で、改めて、「勘」ではない「力」をつけたい…そのためには、心地よい環境を避けたいと思ったのだと思います。
私の場合は、まだ生き方としてのマゾに止まっていますが、これが学問に応用されると、小出さんの文学バージョンになれるのでしょうか。それにはまず、読書ですね。速読・読書量も然ることながら、古典や哲学関係の論文を読みこなす力の不足を、逸早く克服することから始めましょう。未練もほとんどなくなって、やるしかないでしょと思う気持ちが強くなってきました。
少し話がズレますが、ここ数日、用事があって指導教官とメールのやりとりをしていました。もちろん、大学院のことも話したのですが、今日きたメールに「指導不足を先輩に指摘された」とありました。つまり、私が受けた、あるいは受ける予定で卒論を提出した大学に、指導教官の先輩が何人かいらして、私の卒論の誤りをなぜ正さなかったのかと問われたということです。指導教官は「気付いた時には後の祭りだった」「指導不足でスマナイ」と仰っていました。私も提出後に、誤字脱字をたくさん発見したので、卒業できるか否かが気になっていたのですが、先生にとってはそんなことどころではなかったようでした。
私が行く予定の大学院にも、先生の年下の先輩がいらっしゃるので、私の振る舞いは筒抜けで伝わるだろうと思っています。だから余計に、全速前進です。
また、真夜中を過ぎてしまいました。では。
スガイミサト
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Letter 125 論文&変化パート1
日付: 2002/ 3/14 05:53
小出良幸さま
ご近所さんの庭に植わっているレンギョウが開き始めました。また、天上に向かって祈る手のような形をしたコブシや、甘い香りのチンチョウゲも満開で、外を歩くのが楽しい季節になりました。異動計画は着々と進んでいますか?
はじめに、もう遅いかもしれませんが、論文(?)ができました。WORDで10数枚だったものを、推敲して半分にしました。論文というより意見陳述のようで、論理的には隙の多い内容になりました。
さて、小出さんの異動を知ってから、「3月になったら文章にしよう」と思っていたことがあります。それは、小出さんと出会ってから今までの間に、自分がどう変わったかです。前田君への返信に10代・20代のうちはたくさん変化・転機が来るものだという趣旨の言葉がありましたが、時は流れるものですから、そんなに多くの変化・転機を覚えていられるほどのキャパシティーは、自分にないように思うので。
変わったことは、前向きに物事を考えることが増えたことです。なんだ、と言われてしまいそうですが、私にとっては生き方を左右するくらい重大な変化です。
私の得意なことは、自分のことは後ろ向きに考えることでした。小学5年生くらいから、そんな思考が定着したのだと思います。何か1つでも欠陥を見つけると、だから私はダメなんだと思い、更に別の欠陥を見つけると、私は生きるに値しないのだと結論付けます。世の中では、こんな人間が自殺すると「短絡的」と言われてしまいますが、頭が割れるかと思うほど考えた末、私はいつもそこに辿り着いていました。
高校3年から大学2年生までは、ほとんど毎日生きるに値しないと思いましたし、自殺できない自分の意志の弱さをとても情けなく思い、悔やみました。つまり、私は大学1年から2年に上がる時の春に、ボランティアの講習を受けたので、ボランティアとしてだけ活動していた時分は、その渦中にありました。
しかし、大学2年の冬にClubGEOの活動がはじまってから、その思考が多少変化してきました。少年少女と一緒に目的をもって行動することにより、生き返ったのかもしれませんが、前年と比べて小出さん他学芸員の皆さんを身近に感じるようになったというのはそれより大きな要因だと思います。
聞かれたことに応答するのが精一杯で、言いたいことや考えていることを思ったように口に出せない・・・大学入学以来、私は自分が最も嫌いだと思う人間に変わりました。(表面的な付き合いが増えたことで、人だけでなく、あらゆる動植物・無機物に対して恐怖を感じるようになったからです。)学芸員の皆さんについても、同様の恐怖感を抱いていました。でも、博物館に通い、いろんな所へ巡検に行くうちに、学芸員の皆さんに「人間」を感じるようになりました。もともと人間に違いはないのですが、表面的な関係ではなく、関係性に「ココロ」を感じるようになったということです。そのお蔭で、私の緊張状態は大分、快方へ向かいました。
それでも、幾度か送った陳謝メールを見てもわかるように、なにかにつけ後ろ向きに考えていました。ちょっとした皆さんのしぐさや行動・言動に、ビクッとしたり、怖いと感じることもありました。恒常的には恐怖を感じなくなった、ということです。
そして、ちょうどClubGEO一周年を迎えた昨年、小出さんとのメール交換が始まりました。
随分長かったですが、3年のお付き合いのうち、2年間についてざっと書きました。5時間あまりを費やしました。ここからが、私としては重要なのですが、夜が明けてしまいました。続きは次回です。(ちょっとくたくたです。)
私の部屋は南東向きなので、直射朝日が入って来ます。小出さんは、今ごろ出勤準備中でしょうか・・・。
スガイミサト
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Letter 126 中国&変化パート2
日付: 2002/ 4/ 4 01:12
小出良幸さま
EPACSの近況報告、読みました。私は引越しを15年来経験していないのですが、大変そうですね。風邪などひかれていませんか?落ち着いた途端に体を崩すケースがよくありますから、その点お気をつけてください。
小出さんは、札幌学院大の入学式に参列なさいましたか?私は昨日入学式だったのですが、予定に載ってていない学科のガイダンスと昼食会がありました。試験の時の緊迫した空気はなく、少しホッとしました。少人数制の大学だからか、学生と先生方のコミュニケーションがうまくいっているようで、いい空気がありました。
そして、時は遡り先月の27日、無事家に帰られましたか?4日間は、終始自分が今どんな状況にあるのかを理解できず、成田に着いてもその調子のままでした。気が付いたら小出さんと高橋さんはカウンターで手続きをなさっているご様子で、お別れのご挨拶もできませんでした。
細胞一つ一つが休まることのない初海外巡検は、いろんなことを考えさせられました。最後の夕食の時、一言感想を話す機会をいただきましたが、1番言いたかったことがまとまらず、結局口にできませんでした。ですから、その分、HPにできる限り書こうと思っています。
今日(3日)はサンプルについて書くために博物館へ行きましたが、下部カンブリアの魚卵状石灰岩を磨くのに時間を費やし、あまり進みませんでした。早く濃いHPができるに越したことはありませんが、もう少しかかりそうです。
●では、ここからは前回の続き(変化パート2)を載せます。1550字程度です。●
ClubGEOが一周年を迎えた昨年度、人に対する恐怖感や後ろ向きな考え方が恒常的でなくなってきたことは、前回お話しました。今回は、昨年の春から今年度にかけてを書きます。
昨年の冬、初めて博物館でアルバイトをすることになり、博物館に頻繁に出入りしました。実際、仕事は4月までかかり、最も通った時期は2月です。仕事が終わるまでの3ヶ月間、いろんなことに不安を感じていました。卒論が書けるだろうかという不安・非母校で行なう教育実習への恐怖感・卒業後の進路など、4年生になると同時に訪れる出来事に対する漠然とした不安です。入学試験や学校のテストなど、結果を出さねばならないとき、失敗を重ねて来た私は、かかる不安を目の前にして、ひるみきっていました。それぞれの予定に最悪な結果を、毎日思い描きました。
その思いが極まったのが、ちょうど2月でした。博物館へ行く日は、気分を少しでも盛り上げるように心がけましたが、日ごとに気が滅入っていきました。そして、気が滅入るのと同時に、また人が怖くなってきました。人の優れている面・良い面を見ながら、自分の悪い面・劣等意識ばかりを感じていました。
さらに、ちょうどその頃、小出さんがメール交換の提案をしてくださいました。2001年2月14日位だったと思います。小出さんは、私の筆の遅さや未知なるものへの不安を気遣ってくださいました。とても嬉しくて、涙したのを覚えています。乾いた心に清水が流れたような心地がしました。しかし、その水があまりにも貴重だったためか、「私にはもったいない」「このような私で良いのだろうか」といったような、別の懸念が生じてきました。2月14日の後は21日、3月9日・・・と博物館に通う間隔が開いたのは、上記のような心理的要因によるものです。
でも、ただ家に引きこもってあがいていたのではありません。高校3年生秋からClubGEOに参加するまでの間に染み付いた対人恐怖・劣等思考を払拭しようと、積極的に外出しました。季節の花を見に三島や身延山へ、思いつきで那須・日光に行ったり、登呂遺跡を見たり。映画鑑賞や美食遊食、近隣散歩など、毎日のように出かけ、気の良い人とそこかしこで出会いました。思いがけない楽しい出来事に、たくさん遭遇しました。人のあたたかさに触れ、もっと心を開こうと思うようになりました。偶然とも必然とも感じられる出来事にめぐり合って、もっといろんなことに出会いたいと生に対して前向きな気持ちが高まりました。
4月14日、南足柄巡検には、大分平常心、否、改善された心持で臨みましたが、それでも周囲に「変だ」と思われるような状態だったようです。しかし、この巡検に参加して、心を縛っていた最後の紐が切れました。
18日に巡検の感想を、臆することなくClubGEO宛てに送りました。思い感じたことをストレートに書きました。そして、小出さんや皆さんからの返信を読んで、感謝の気持ちで一杯になりました。このような自分がいることを認めてくださることが、素直に嬉しく、ありがたいと思いました。
そして、小出さんとのメールのやりとりが日常化し、積み重なるにつれ、より前向きに、心から楽しんでメールを送り、HPを作り、文章が書けるようになりました。
私のメールは、言葉足らずだったり、口調や語気が強く感じられてしまうことが多いようで、誤解も生じやすく、納得のいかない場合も多々あるようです。また、筆が遅いというより、波があるため、例えば今回のように断続的になることもあります。でも、たくさん書いているうちに、「要」が伝わればいいと思うようになってきました。また自分の書いたものに、いろんな意見・反論をもらえることが、「成長」に繋がるのだということを再認識しました。
ちょうど1年を経過し、黙秘していた昨春の出来事も解禁です。小出さんの異動と昨春抱えていた不安が、全て運良く順調に進み終えたことから、今回の解禁に至りました。
私は来週から授業です。週3日か4日通う予定で、今履修科目を勘案中です。小出さんは毎日出勤なさるのでしょうか。週3日通勤の先生が文系では多いようですが。
では、今日はこの辺で。書いている間に、また日が変わってしまいました。
スガイミサト
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Letter 127 新しい自分の創出
2002/ 4/ 4 08:59
菅井様
まだ、落ちつきませんが、朝型生活を続けています。また、整理すべきことがたくさんあるのと、新しいことが一杯押し寄せているので、疲れがぬけません。でも、5時過ぎに起きて、6時前後に自宅を出ます。大学までは徒歩で、20〜30分です。途中のコンビニで朝食を買って、6時半ころ大学につきます。多分、教員では一番でしょう。そして、研究室で朝食を食べ、おもむろにパソコンに向かいます。
昨日、やっとメールが繋がったのですが、テクノリサーチのメールボックスとホームページへの転送(FTP)ができません。つまり、テクノリサーチ宛ての私のメールが読めません。2〜3週間分溜まっています。早速、テクノリサーチの山崎氏と電算機センターのSEが調整してます。問題ははっきりしているのを、どう解決するかだけです。
中国からの帰りは、高橋氏と羽田に着きました。私の予約のあった飛行機は30分も前に飛び立っていました。5時頃の便に変更でき、すぐ出発ロビーに向かいました。高橋氏とは、そこで別れました。家についたのは、8時頃でした。長い一日でした。
私の中国日記は、私のホームページ「Libarary」、メールマガジン「地球のささやき」で掲載予定です。転載不可です。リンクはOKです。でも、余裕ができたら、書きましょう。
菅井さんの長い「metamorphic」、変化パート1、パート2を読みました。
私に大学の文系の先生の実態は、まだ知らないのですが、私は、可能な限り、月曜から土曜まで出るつもりです。原則として教職員は、月曜から金曜の9時〜5時、土曜9時〜12時が勤務時間です。しかし、教員はそれに束縛されません。教員のノルマは、水曜と木曜の1、2の講義をおこなうことと、木曜午後の会議に出席することです。
菅井さんの変化を読み、そしていろいろ考えました。私が菅井にとった行動が、プラスとなっていたら、負担となり、変調を導いたりしたこともわかりました。ある時期は菅井さんの様子が変だと思うことも度々ありましたが、そのせいだったのですね。
年齢を経るに従って、年少の人と接する時、私の何気ない一言、ちょっとした行動が、私より年下の方には、大きな衝撃を持って受け取られることがあることを、最近何度も味わってきました。菅井さんだけでなく、青木さん、視覚障害者の佐藤君などもそうです。私は、彼らのために良かれと思うことが、彼らの重荷になったり、ちょっとしたしたことを正すことが大きな圧力になったりとか、いうことに出会い、私自身が戸惑ってしまうこともあります。しかし、私の性格、やり方は変えることができませんので、今まで通りやりますが、それなりの配慮を可能な限りしていくように心がけます。
菅井さんが、「前向きに物事を考えることが増えたこと」というのは、いい変化だと思います。私も、新しいことに対して、ついつい、億劫だとか、疲れるだとか、今すぐでなくても、などなど、ついつい、後回しや現状維持で、考えてしまいます。でも、このような現実逃避を続けている限り、「今までも自分」から、進歩することができません。「新しい自分」を創出するためには、「前向き」になるしかありません。「前向き」に進んだ結果が、自分が一番望む目標、「新しい自分」であるはずなのです。
でも、なぜ、「後ろ向き」に考えるような仕組みが人間になるのでしょうか。「後ろ向き」に考えるような仕組みは、本能の一部でしょう。この本能は、危険回避や暴走の制御のためになるのだと思います。「前向き」と「後ろ向き」の兼ね合いが難しいところでしょうが、現代社会では、少々の危険や暴走があっても、生死にかかわることがないのでしょうから、もう少し、この「後ろ向き」の本能が少なくなてもいいはずです。それに、その「後ろ向き」の程度も人それぞれです。これが、生物の多様性、人間の個性なのでしょう。
ちょっと時間がなくなりました。
ではまた。
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Letter 128 こだわりと式辞
日付: 2002/ 4/ 9 22:59
小出良幸さま
はじめにちょっとお断りします。今回のメールは、8日に書き始め、9日に送ろうとしたものです。しかし、毎度のコンピュータトラブルとプロバイダとの接続トラブルが続き、インターネットに繋がることも、メールを送ることもできませんでした。どちらのトラブルも理由がわからないのですが、コンピュータトラブルはどうにか自力で対処しました。接続トラブルの方は、コンピュータのせいではないようなので、テレフォンサービスに聞いてみようと思っています。
小出さんは、コンピュータ関係のトラブル、解消されましたか?8日小出さんのHPを開けてみたら、4月6日の日記(思いつくまま)が載っていたので、HPへの転送はできるようになったのでしょうか。私はメールチェックと同時に、小出さんのHPを開いて見ることがほぼ日課になっています。8日は、久しぶりに書庫も覗かせていただきました。
北海道限定の建築・・・「木の城たいせつ」の建築を私はまだ知りませんが、量産品の多い現代で、「こだわりの逸品」のような品物が増えていますね。こういう流れは、自分を見失わないための1つの方法かもしれません。私はこだわりの中でも、「地のもの」に興味があります。その土地のものを、その土地で消費するという生活のパターンが、理想です。ただ、住宅街に「地のもの」はほとんどありませんから、「国産のもの」というところまで、手を広げているのが現状です。また、フェアトレードなどの活動も盛んになってきた昨今、人と人とのつながりが密接な生産・流通・消費にも目を向けるようになりました。それでも、殊に食生活の基本となるような米・パン・牛乳などは、やはり国産を離れられません。
先日の北京巡検の際、司さんが「農業を維持するのではなく、環境の保全のために水田の保水や森林の保護をするようになってきている」「日本は人件費が高すぎる」と仰っていました。現実として、「国産」のものが減ってきていることは、日本文化の根もとの危機のように思います。cultureの語源となっている言葉(ラテン語かドイツ語)は農業を意味する言葉だそうですが、定住化と文化・文明の発展がセットになっている農耕民族の場合、農業の危機は最大級の恐怖ではないでしょうか。
さて、変化についてですが、前向きと後ろ向きの兼ね合いは、とても難しいものだと思います。ただ、後ろ向きに、マイナスの方向に、ずっと突き詰めていくと、そこにはもう前向きに、プラスに進むしかない道筋があると思うことがあります。もうこれ以上この方向へは進めない、という限界のようなものです。もちろん、これはプラス・前向きの方向にも言えることかもしれません。しかし、この限界は、突き進んでいる最中には見えず、はたと自分に気が付いたとき(客観的になった時)、初めて見えてくるものだと思います。
小出さんは学長の式辞に心を動されたそうですが、私も、入学式の式辞に感ずるところがありました。院生に向けて、学長は「高きを望め」がキーワードになっている言葉を送ってくださいました。外国の方(誰だか忘れました)の言葉です。深く、広く、高いものを求める心を持ち続けなさい・・・という内容でした。研究に対する心構えといったところでしょうか。
ただ、これだけでは自己満足に終わってしまいます。式の後の院生ガイダンスでは、英文学の先生が学長の言葉に加えて、「自分の専門的な研究の成果を、社会に発信してほしい」とおっしゃいました。また、これは少し別ですが、恵泉の荒井学長が卒業式の式辞で「For Everyone」の精神を忘れず、実行力のある人になって欲しいとおっしゃいました。恵泉建学の精神と重なる言葉で、先の先生の言葉にも近いです。しかし、先の先生が「自分から発信する」というに止まった所、荒井学長は「世のため・人のために尽す精神」からの実行力を求められました。私は、荒井学長の方に惹かれます。
文学や芸術は実学ではないため、社会貢献とはすぐに結びつかないかもしれません。でも、文学および芸術一般は、人心にダイレクトに訴えるものです。文学・芸術が一人一人の人間の心を豊かにし、その平安な心で平和な世界を創り上げてゆくことができれば、それは文学・芸術の社会貢献になるのではないかと思います。私はその1つの方法として、若い人たちにこのような文学の意義に触れられる場を設けたい・・・と思って丸5年経ちました。失敗の許されない教育の場で実践できる日が来ることを、未だに願っています。
小出さんは、地学あるいは自然科学がどのようなアプローチによって、社会貢献ができると思いますか?
8日から授業が始まりました。履修登録まではまだ日にちがあるので、1・2週間は履修計画を練る時間です。実際、通ってみると、都心の学校は、辛いです。行きも帰りもラッシュで、前より30分くらい通学時間は短いはずなのに、前の3倍疲れます。江別市では、通勤ラッシュってあるんでしょうか。耳で知ってる繁華街・すすき野は、小出さんの話を伺ってもやはり繁華街なようですが。
今日も日付が変わってしまいました。では・・・。
スガイミサト
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Letter 129 季節の便り
日付: 2002/ 4/17 20:50
小出良幸さま
お久しぶりです、お元気ですか?
この頃は暖かい日が多く、ハナミズキと一緒に藤が満開です。風が強く、昨日今日と少し雨も降ったので、山桜はほとんど残っていません。
新しい大学での授業も2週目に突入し、少しずつ慣れてきました。ここ1週間はコンピュータに触れる時間がありませんでした。あわただしい毎日でした。
4年の時は週2〜3日でしたし、長期休みで鈍りきっています。でも、今年は院ゼミが5コマに学部(モグリ)が4コマ、日数的には週4日通うことになりました。少し大変に思いますが、来年の修論を考えて、今年の負担を増やしました。ゼミは中世の連歌・近世の俳諧・近代が2つと日本語学(伊勢物語の読解)です。学部では近現代の詩歌のゼミと源氏物語・近現代文学史・日本文化論の各講義です。
今日は近代の文学理論ゼミでした。学部時代に難しそうだと思って敬遠していたソシュールやジュネ、フーコーなどが打ち立てた理論―「構造主義」の文学理論バージョン―を大まかに学んでいます。今でも、難しいと感じることも多いのですが、非常に面白い内容です。(辛くてもおいしければ食べれるように、難しくても面白ければ楽しめるんですね。)
「作者は死んだ」という言葉に象徴される構造主義文学理論は、作者を作品から切り離して考えます。(「作者の言いたいことは何ですか」という問いはナンセンスなものになります。)そして、各々の作品(テキスト)の構造を明らかにしていきます。ゼミでは、これらの理論が韻文・散文でどのように応用できるかというところまで探ることを目的としていますが、私はこれに加えてカルチュラルスタディーズの導入についても考えたいと思っています。
春を満喫する散歩をしないうちに、春が過ぎ去ろうとしています。ゼミの当番が回ってくる前に、春を味わいに出かけようと考えています。
では・・・ スガイミサト
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Letter 130 哲学
2002/ 4/18 09:38
菅井様
久しぶりにメールをします。
ある人がいいました。北海道には、本州のような四季はないと。あるのは、半年の冬と、短い春(5、6月)、夏(7、8月)、秋(9、10月)だと。そして冬は、初冬(11、12月)、厳冬(1、2月)、晩冬(3、4月)があると。北海道は、今、春は始まりつつあります。しかし、家では、まだストーブを使うときがあります。ですから、また、晩冬なのでしょう。ゴールデンウイーク頃から本格的な春です。
さて、大学生活は、思ったより大変です。それは、講義を創るということを、この1年間しなければならないからです。でも、どうせやるなら、私がいま一番興味をもっている方向でやろうと考えています。つまり、さまざまなこだわりを持ちつつ、地質学に取り組むことです。そして、地質学の根本に向かいながら、そこから抽出した概念を公開していきたいと考えています。前期後期とも4コマの授業します。しかし、2コマは同じ内容ですので、週に2コマ分の授業をつくればいいのです。とはいいながら、これが結構時間を食います。まあ、自分の新しい研究テーマの基礎だと思えばいいのです。
メールマガジン「Terraの科学」で、講義内容を公開します。メールマガジンは、週1コマですから、全部紹介するのに2年かかります。それに、2年後には別の講義をしているかもしれません。気長にやりましょう。今日、メールマガジンの発行許可が下りました。来週から発行していく予定です。ClubGeoのメンバーにも、近々アナウンスする予定です。
この年になってから思うのですが、大学の講義は、講義案内を見ていると、面白いものが一杯あります。どうしても聞きたくなるような講義が、いくつかありました。しかし、実際に聞く訳には行きませので、教科書があれば購入しようと考えています。そんな講義をしている先生とコンタクトを取りたいのですが、はじめての人だと、なかなかきっかけがなく、コンタクトを取るのが難しいです。でも、そろそろ直接乗り込んでいこうかと、考えています。
菅井さんも、いろいろ新しい分野に向かって突き進んでいくのですね。ソシュールやジュネ、フーコーですか。構造主義ですか。構造主義的考え方は、いろいろな分野に入っています。生物学の分野でも持ち込まれていて、私もいくつか読んで、挑戦したのですが、むつかく理解できないので、諦めました。構造主義文学理論というと、筒井康隆の「文学部唯野教授」で、唯野教授の講義で、確か構造主義文学理論を展開していた記憶があります。その時も面白そうだったのですが、後半は理解できなかった記憶があります。
私は、今、地質学者で弁証法を研究していた井尻正二の書物を少しずつ読んでいます。地質学における思索を繰り広げようとすると、先人として井尻正二がいます。欧米ではたくさん、そのような地質学者がいると思いますが、私が知っているのはグールドです。今、井尻正二の著作をそろえています。ほとんどは古本で購入しています。選集10巻も1万円で買いました。
私が、哲学や思想を読む気なった一番の理由は、自分が考えるときの道具に利用できないかということです。学生時代、井尻正二の「科学論」を読んで、哲学は自然科学にも利用できるのだと、感動したことがありました。例えば、弁証法の三分法が、研究に役立たないかという視点で読んでいます。あるいはエンゲルスの「自然の弁証法」が
さらなる理由は、教養としてです。教養というのは即戦力にはならないかもしれませんが、じわじわと役に立つ基礎体力のようなものです。教養として身に付けるには、やはり興味が持てなければなりません。それが難しいのです。理系の文献を多く読んできたものには、哲学書はあまりに難解で、馴染みがなく、読み解くのに時間がかかります。それがまどろっこしいのです。ですから、ヘーゲルを、直接読む気にはなりません。
本を読む時間がなかなか作れないのが一番の悩みです。以前は、通勤時間で読書をしていました。行き帰りで1時間ほど読書時間を作れました。しかし今は、歩いて大学にくるし、大学にくるとついつい仕事をはじめてしまいます。でも、読書時間を決めて生活パターンの中に入れたいと思います。
ではまた。