Letter Box No. 7


Letters 「境界と越境」

目次

Letter 061 
Letter 062 
Letter 063 
Letter 064 
Letter 065 
Letter 066 
Letter 067 
Letter 068 
Letter 069 
Letter 070 


Letter 061 Re: [Clubgeo 253] 言語変換の延長
[Clubgeo 254]より転載
こんにちは       前田です。
小出さんのメールで
>  ところで、前田君、前にも書いたのですが、クレオール語とは、
>CABO BERDEの「国語」に付けられた固有名詞ではなのですか。もし
>そうなら、「クレオール語は日本に も点在しています。」という意味がわ
>かりません。それに、「ピジンクレオール語」 の意味もわかりません。
>軽くでいいですから、説明して下さい。
 クレオール語や,ピジンや,クレオール語について説明するのは,自分にはちょっと無理です。もし,知りたいのであれば,本を読んでください。たぶん横浜の図書館でも借りることができると思います(神奈川県立図書館の本は,自分が借りているので今行ってもありません,10月に入ってから行けばあると思います)。
 「クレオール語と日本語」田中克彦 岩波書店¥2100+税 岩波セミナーブックス77(神奈川県立図書館の図書番号・・・820 106   HH)です。
 これを読めば,もうばっちり。しかも,面白く,だれでも楽しめる本だと思います(確証はもてません)。
 興味があるようなら探してみては。
 以上です。
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Letter 062 クレオール語とは
前田様
 前田君が「クレオール語や,ピジンや,クレオール語について説明するのは,自分にはちょっと無理です。」というので、私が紹介しましょう。
 以下、データソースは伏せます。調べれば、この程度の情報は、すぐに簡単に手に入ります。それが、前にやった「インターネットで調べる」の目的だったのですが・・・・

・クレオール語 creolized language
 植民地などで外来の移住民の言語と土着の言語が接触した結果生じた言語。混交語,混成語ともいう。さまざまな言語間の混成が起こりうるが,クレオール語として有名なのは西太平洋で行われるビーチ・ラ・マール Beach‐la‐Mar や,中国人が商業上用いるピジン・イングリッシュである。文法の簡易化がその特徴である。

・ポルトガル語
(抜粋)
15世紀以降のポルトガルの海外発展を背景に,アジアやアフリカの各地で現地語との接触を通じて形成されたポルトガル語系のクレオール語が,一部の地域(スリランカ,澳門(マカオ),カボベルデ,ギニア・ビサウなど)で今日もなお使用されている。

・ピジン諸語 pidgin language
 〈ピジン〉という名称の語源には,英語の〈business(仕事)〉の中国語訛り起源説,ポルトガル語〈ocupacao(職業)〉の中国語訛り説,ヘブライ語〈pidjom(交易)〉説,南米ギアナ沿岸の先住民の言語の〈pidian(人間)〉説などがある。現在のところは,〈buisiness〉説が一般的である。
 (中略)文法が非常に異なる言語を話す二つ以上の集団が接触した場合,さまざまな結果が見られた。(中略)(4)新しい言語が生まれてくる,などである。
 ピジン語の話題は,このうちの(4)の例に関わる。ピジン語の主な特徴は以下のとおり。(1)特に文法面で非常に異なった仕組みを持つ2言語以上の接触の結果として形成されうる。(2)話者はピジン語以外に必ず自分の母語である言語を持つ。すなわち2言語以上の話者である。(3)ピジン語の表現力は限られたものである。話者は自分が表現したいことのすべてを母語の場合と同じようにピジン語で表現することはできない。生活のある面で必要となる補助言語である。(4)接触に関与した複数の言語のうち,簡略化された形でではあるが,ある特定の言語が文法面を受け継ぎ,語彙も多くをその言語に依存するものとなる。しかし,発音面では別の関与言語の音声に近いものとなる。
 初期,安定,拡大といったピジン化の過程を経て,ある程度の文法項目と語彙を整えても,その多くは土地の政治情勢や社会変化などにより形成過程で立消えになってしまう。しかし,中にはピジン化を経て,文法や語彙面を充実させるのみではなく,その使用地域を急速に広め,ついにはそれまで話されていた土地の従来の言語を消し去り,そのピジン語が住民の新たな母語となってしまう場合がある。このようにピジン語を経て,その土地の人々の新たな母語となってしまった言語をクレオール語と呼ぶ。クレオール語はいかなることをも表現することが可能な,一つの完成した言語である。
 ピジン語は世界各地に点在してきたが,そのあり方は非常に不安定であり,過去の記録としてのみ残されている例(◎印)も多い。以下の諸語は,その代表的なものである。
[アジア]
◎中国沿岸部ピジン英語 China Coast PidginEnglish
◎横浜英語 Yokohamese
◎バンブー・イングリッシュ Bamboo English―韓国語・日本語・英語ピジン
(後略)

 これくらいにしておきます。あまりやると、前田君の楽しみを奪いそうですから。
では、議論を待っています。

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Letter 063 [Clubgeo 264] 参考文献
2001年9月20日 23:05
 小出良幸さま&前田信さま&皆さま
 昨日仙台から帰ってきた菅井です。蔵王のお釜を見たり、牛タン定食を食べたり、夜の仙台を闊歩したり・・・楽しい里帰りでした。
 先日、前田くんがクレオール語に関する文献(選書)を紹介していましたが、時間のない人や私のような面倒くさがりの人間にはもう1ランク手前の入門書がいいかもしれないですね。
 先週数時間立ち読みする暇があったときに発見した論文に、ほんのちょっとだけクレオール語のことが書いてありました。内容は、「一言語主義・二言語主義・多言語主義」から考える言語の取り扱い方(言語のあり方)についてです。数分で読めるくらい、たった4ページの論稿です。読んだ後に、「なるほど!」と思うとともに、言語の本質を再考させられます。言語のこれからを考える皆さんに、是非立ち読み・・イエ、御一読をお勧めします。
 書名・著者は以下のとおりです。
●『国文学10月号(今月号です。)』所収、林正寛「多言語主義と日本語」126p.(この雑誌は日本文学・日本語学の雑誌としては最もメジャーで読みやすいものです。)
  スガイミサト
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Letter 064 研修会が終わって・・・
[Clubgeo 262]より転載
Misato Sugai <santouka@crest.ocn.ne.jp>
2001年9月12日 20:27
小出さま・平田さま・山下さま
 研修会お世話様でした。
 学芸員の皆さんがどんなふうに手順を踏んで考えを進めていくのかが、少しだけわかったような気がするのと、地球のいろんな現象についてわかりやすくお話してくださったのとで、面白かったです。また、学校のゼミよりゼミっぽく、ためになるなあ、と終始興味シンシンでした。
 大室山の玄武岩が、2日目の巡検では一番面白かったです。司さんから戴いたオコボレの中には、大きな白い班晶もありましたが、小さい黄色い粒(前田橋の石に入っていたのに似ている、カンラン石?)やさりげなく目立たないようにいる黒い粒の方が、素敵でした。いつものように、私は石の叩き方が全然なっていないので、露頭に悪いなあと思いました。巡検中に思ったことは、HPに書き込むと思うので、其の時また・・・。
 台風の影響があるにもかかわらず、観察中は雨に降られずにすんで良かったですね。司さんとヨウくん、無事帰れたのでしょうか。飛行機は飛んでいたようですが。
 次回の巡検は芦ノ湖西岸徒歩コースですか?山下さん。
 楽しみにしています。
   スガイミサト
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Letter 065 玄武岩について
[Clubgeo 263]より転載
Yoshiyuki Koide <y@ykoide.com>
2001年9月20日 8:33
菅井様クラブの皆様
 研修お疲れ様でした。そして、予定通り巡検(野外観察会のこと)がいけなくって残念でした。タイ風ではなく台風のせいなのでしょうがないです。でも、多分、多くの人に印象に残る巡見ではなかったでしょうか。長く地質学に接していると、巡検の毎年何ヶ所も行っているので、一つ一つの石や露頭は印象は薄くなります。でも、興味のある石や露頭は結構覚えているようですが。
 私は、遅い夏休みで、1週間、家族旅行でしてました。それで連絡遅れました。 菅井さんの「大室山の玄武岩が、2日目の巡検では一番面白かったです。司さんから戴いたオコボレの中には、大きな白い班晶もありましたが、小さい黄色い粒(前田橋の石に入っていたのに似ている、カンラン石?)やさりげなく目立たないようにいる黒い粒の方が、素敵でした。」この文章から、この玄武岩の特徴が読み取れます。まず、玄武岩の中には、大きな結晶、つまり斑晶(はんしょう:詳しくは図鑑参照のこと)としては、「白い班晶(字が違います。ハンはまだらの斑です)」、「小さい黄色い粒」、「やさりげなく目立たないようにいる黒い粒」です。「白い班晶」は、斜長石(多分灰長石(An)成分90から80%程度のもの)で、)「小さい黄色い粒」は、多分「カンラン石」で正解でしょう。かんらん石は英名がオリビンです。オリーブの実のオリビンです。ですから、黄色ともオリーブ色とも見えます。色が淡いかんらん石はMg成分の多いかんらん石です。苦土カンラン石(Fo)成分が80%程度のものでしょう。「やさりげなく目立たないようにいる黒い粒」は奇跡ではなく輝石、それも単斜輝石(透輝石もしくは普通輝石)でしょう。3つの鉱物はすべて、固溶体(こようたい)です(前に一度説明しました。わからなければ図鑑参照のこと)。一般的な岩石をつくる鉱物の多くは、固溶体です。ですから、一つの結晶でも、さらに細分できるのです。
 というようなことは、石を見る前から知識として知っているものです。それをわかったような顔をして、人に説明するのです。科学者というのはずるいのでしょうか。でも、このような見たことも無いことでも、知識を動員すれば、概略を予測できる。これも、科学の一端ではないでしょうか。
 でも、やっぱり、実物を見て、経験を積す必要があります。それと実物が導いた知識が最良の知識ではないでしょうか。
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Letter 066 玄武岩について&派生疑問
[Clubgeo 265] より転載
Misato Sugai <santouka@crest.ocn.ne.jp>
2001年9月21日 2:11
小出良幸さま
 固溶体のお話、前にうかがったのを覚えています。
 「小さい黄色い粒」としか書かなかったのに、「色が淡いカンラン石は・・・」と小出さんは説明なさっています。
 驚きました。
 同じカンラン石でも、成分の違いで色が異なることはあるでしょうに、私はそれを考えていませんでした。平戸橋(前田橋ではありませんでした。)の石の中にカンラン石を見つけたとき「なんて黄色い鉱物が入っているんだ」と思ったのを思い出しました。平戸橋のカンラン石は、オロナミンCみたいな濃い黄色です。オリーブ油の濃い色によく似ています。そして比べるまでもなく、大室山のほうは色がだいぶ薄いです。
 こうしていろいろ考えているうちに、疑問が出てきました。
 @大室山で採集したのは、玄武岩ですが、カンラン石と斜長石に加えて輝石が晶出しています。とすると、この石の源になったマグマは、安山岩質マグマに近い玄武岩質マグマということになるのでしょうか。
 Aカンラン石の色が薄いのは、Mgが多いためですよね。では、平戸橋のカンラン石のように濃い黄色のものは、Mgが少なくて、代わりに何が多いのでしょうか。三角形の他2辺をなす元素がわからないので何とも言えないのですが・・・。Feとかでしょうか?
 B「白い斑晶」は、「斜長石(多分灰長石(An)成分90から80%程度のもの)」とありますが、私が「白い」と思っているものが「斜長石」なら色はないはずですよね。白く見えてしまうのは光の屈折の関係でしょうか。それとも、灰長石の量と関係があるのですか?
 他にも沸々と疑問の泡が上がっているのですが、上手く整理できないので、こんな所でしょうか。
 Aは今度博物館に言った時に本で少し見てから正解を教えていただけるとうれしいです。
 @とBは手が開いたときにでもチラッと教えてほしいです。
 以上です。
スガイミサト

:追伸:
>  というようなことは、石を見る前から知識として知っているものです。それをわ
> かったような顔をして、人に説明するのです。科学者というのはずるいのでしょう
> か。でも、このような見たことも無いことでも、知識を動員すれば、概略を予測でき
> る。これも、科学の一端ではないでしょうか。
 科学でなくても、こういうことはあるような気がします。例えばいまどき流行の精神心理学などでは、相手がどんな考え方をし、どのように振舞うのかを聞いて「きっとあの病かな」と判断して有効なアドバイスをするメール診断みたいなことを試みているお医者さんもあるようです。きちんと診断するには実際に患者なり実物なりに面と向かってみないとわかりませんが、別に十中八九外れない予想なら何の問題もないと思います。知ったかぶりで説明する科学者と又聞きで井戸端会議する人・・・公害は後者でしょう。

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Letter 067 岩石学入門
2001年9月24日 13:32
菅井様
 さて、岩石や鉱物の質問です。一応、私の専門ですので、順番にお答えしましょう。そして、岩石学への導入となります。

 @大室山で採集したのは、玄武岩ですが、カンラン石と斜長石に加えて輝石が晶出しています。とすると、この石の源になったマグマは、安山岩質マグマに近い玄武岩質マグマということになるのでしょうか。

 なかなかいい質問ですね。これは、近代岩石学の一番重要な疑問に通じます。それは何かというと、まず第一に、各種のマグマが、どのような変化をして固まっていくのかという疑問です。マグマも結晶を出していくと(晶出(しょうしゅつ)という)、結晶がなくなった分、化学組成が変化します。第二に、変化する前のマントルや地殻深部で最初に形成されるマグマ(本源マグマという)は、どのような種類があるのかという疑問です。このような本質的な疑問は、いままで多くの岩石学者が取り組んで、かなりの部分を解明してきました。それは、岩石学の教科書に集大成されています。
 まず、一般に多くの本源マグマは、玄武岩質だと考えられています。ただし、島弧の場合、安山岩質の本源マグマの可能性があります。
 玄武岩質のマグマでも、冷めていくと、結晶をたくさん出していきますと、マグマは玄武岩質から安山岩質、デイサイト質、流紋岩質へと変化していきます。でも、火山岩の場合は、マグマが噴出するとすぐに固まってしまうので、このような現象が起きるのは、マグマ溜(たま)り(火山の下にあるマグマが地下から上がって集まっているところ)でおきます。そして、結果として噴出するマグマが、つまり火山岩の岩石の種類が、そのように変化していくことがあります。一つの火山で、マグマの化学組成の変化が見られることがあります。
 さて、今回の場合ですが、顕微鏡や化学分析して答えをだすべきですが、一般論でいえば、まず、かんらん石が最初の結晶として、できてきます。そして、かんらん石がやがてでなくなって、輝石が出始めます。斜長石は、マグマ化学組成によって、かんらん石より早いこともありますが、一般にはかんらん石よりあとで、出てきます。
 それに、かんらん石も固溶体なので、マグマの化学組成の変化に応じて、組成を変化します。つまり、フォルステライト(Fo)から、ファイヤライト(Fa)に向かって変化していきます。輝石も固溶体ですので、デオプサイド(Di)からフェロシライト(Fs)へ変化していきます。斜長石もアノーサイト(An)からアルバイト(Ab)へと変化していきます。
 このようなマグマの組成と、出てくる結晶の順番や、その変化はほぼ完全に解明されています。ですから、岩石の化学組成(一応マグマの組成に近似できます)や、鉱物の組成を分析すれば、その岩石がどのような条件で形成されたかはわかります。鉱物ごとに、温度や圧力、マグマの組成によって、どのような組成変化をするかを示した図(相図(そうず)といいます)があります。また、鉱物間の化学反応や鉱物の出る順番などの規則は、かなり詳しく、解明されています。
 火山岩の大きな結晶(斑晶(はんしょう)といいます)を観察すると上で述べたような、晶出順序や移り変わりがわかります。つまり、顕微鏡観察です。もし、かんらん石が、輝石や長石の中に取り込まれているような様子(包有(ほうゆう)あるいはインクルージョンといいます)が、顕微鏡で見ることができたら、カンラン石が一番先にマグマから出ていた結晶であるとわかります。この意味、わかりますよね。一枚の薄片から、あるいは鉱物同士の関係から、時間の流れが読み取ることができるのです。あるいは、岩石自身の岩石の履歴が刻まれているのです。また、斜長石に輝石が含まれていたら、斜長石が最後に出てきた結晶であるとわかります。このような関係を細かく見ていくと、今は亡きマグマの変化の様子が、見て取れるのです。過去の時間は、現在ある岩石という固い無機質な物質の中に、その痕跡を留めているのです。
 菅井さんの質問に戻ります。「この石の源になったマグマは、安山岩質マグマに近い玄武岩質マグマ」かどうかについてです。本源的には玄武岩質マグマだと考えられます。ただし、この岩石(あるいはあの露頭をつくった一連の溶岩)は、本源マグマではないかもしれません。正確には分析しないとわかりませんが、この岩石をつくったマグマは玄武岩質です。一般的には、玄武岩では、このような斑晶の組み合わせが、普通です。でも、この岩石は、本源マグから多分やや結晶がとられたかもしれない(分化(ぶんか)といいます)マグマから固まった玄武岩(あるいは安山岩)でしょう。その理由は、秘密です。知りたければ考えたのち、質問して下さい。

 Aカンラン石の色が薄いのは、Mgが多いためですよね。では、平戸橋のカンラン石のように濃い黄色のものは、Mgが少なくて、代わりに何が多いのでしょうか。三角形の他2辺をなす元素がわからないので何とも言えないのですが・・・。Feとかでしょうか?

 かんらん石の化学組成は、上でも述べましたようにフォルステライト(Fo)とファイヤライト(Fa)の二種類(端成分(たんせいぶん)といいます)です。フォルステライト(Fo)の化学式(鉱物の場合は構造式といいます)は、Mg2SiO4(あるいは2MgO・SiO2とも書けます)で、ファイヤライト(Fa)は、Fe2SiO4(あるいは2FeO・SiO2とも書けます)です。FoとFaは、MgとFeを入れ替えることで固溶体をつくっているのです。このようなMgとFeの置換は、色のついた鉱物(有色鉱物、苦鉄質鉱物)では、一般的に起こる置換です。なぜなら、苦鉄質の苦とはMgのこと、鉄はFeのことで、MgやFeの多いものが一般には、色が濃く、有色となります。ただし、色は難しく、ある程度その理屈は解明されていますが、まだわからないことがあります。
 かんらん石では、Foが多いほど、色は淡くなり、淡い緑になります。Foが減り、Fa成分が増えると、色が濃くなり、Faの成分が増えると赤っぽくなっていきます。それと、カンラン石は変質しやすく、少しでも変質すると蛇紋石や緑泥石ができ、黒っぽくや濃い緑になってしまいます。Feが多くなると赤っぽくなるという傾向ありますが、結晶の色については、よくわかりません。あるいは知りません。あしからず。

 B「白い斑晶」は、「斜長石(多分灰長石(An)成分90から80%程度のもの)」とありますが、私が「白い」と思っているものが「斜長石」なら色はないはずですよね。白く見えてしまうのは光の屈折の関係でしょうか。それとも、灰長石の量と関係があるのですか?

 斜長石の本当の結晶の色はありません。ですから、無色(透明)に見えるはずです。でも、斜長石は、包有物を含んだり、一つの結晶ですが結晶の成長する方向が何度も規則的に変化し(双晶(そうしょう)とよばれます)たりします。それに、変質もしやすく、石英と比べると白っぽく見えることが多いです。でも、斜長石の固溶体は、なかなか見分けられません。ですから、知識による推定です。玄武岩に出てくる斜長石の一般的組成を述べたものです。
 このような結晶の見え方は、一般論ではいえます。しかし、実際には、岩石ごとに、色や形が変わってきます。たとえば、同じ斜長石でも、黒っぽい玄武岩中にあるときと、灰色っぽい安山岩中にあるとき、白っぽいデイサイト中にあるときと、それぞれの見え方は違います。また、マグマの性質によって、斜長石でも固溶体として組成を変化しています。ですから、非常に多様なものとなります。そのへんの路傍の石にも、この世に二つとして同じものがないのです。
 それでも、斜長石の性質には、共通するものがありますから、その性質を見極めれば、野外で結晶の種類を見分けることができます。そして、知識が加われば、私のように、もっと、見てきたようなホラがふけるのです。
 ではまた。
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Letter 068 つぶやきに一言
2001年9月23日 17:50
小出良幸さま

 まずはじめに、「地球のつぶやき」送っていただいてありがとうございました。
 「今度頼もう×2」と思っていながら、白熱した議論(?)に飲み込まれて、日が経ってしまいました。 でも、送っていただけたので良かったです。かなり一安心。
 今回はお礼の意味も込めまして、「地球のつぶやき感想編」です。8KBと長いですので、サーッと読んでください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 順序が逆になりますが、Umさんへの回答について。
 きっとあの文章をお書きになっているとき、「昔はなぁ・・・」と思っておられたのではないでしょうか。そんな感じがしました。でも、それと同時に、今も小出さんはそんなに変わってないのでは・・・と思うこともあって面白かったです。(人の人生を面白いというのは失礼かもしれませんが。)
 そして、小出さんの成り立ちを聞いていたら、自分も何か生い立ちを書いてみようかという気になりました。今までに何度も思って一度もできなかったことです。いわゆる3日坊主の常習犯なものですから。それに、書いているうちにどんどん落ち込んでしまうために続かないんです。でも、今なら書けるかもしれません。やってみましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 サラさんとの対話の中で、「失われていく文化」に対するコメントに窮しておられるようでしたが、私は一つだけ思うことがあります。
 文化というものは、元来変容するものです。どんなに古くからの伝統を受け継いでいるものでも、です。例えば、能や狂言・歌舞伎・筝曲といった日本の伝統芸能について考えてみます。(つまり、日本の場合を考えてみます。)
 能も狂言も歌舞伎も筝曲も、昔から変わらない日本の文化だと一見思われるかもしれません。でも、能も狂言も筝曲も、人びとの趣味や新しい文化(他の地域や国の文化)に影響を受けて、成長してきた経緯があります。能や狂言ではあまり新作を出すことがないようですが、歌舞伎では猿之助のスーパー歌舞伎とか、筝曲でも20弦30弦お琴を使ったり、洋楽とジョイントしたりすることもあります。定着するまでは新物として、従来の古典芸能と別個に扱われますが、その古典芸能だって、定着するまでは新物をいくつも出してきたわけです。いくつもの作品を生み出し、成長していく一方で、より洗練され、人々に愛されたものだけが「伝統」として残るのだと思われます。
 文化は変容するものだから、変容する時代の流れに身を任せよう、あるいは、民族や個々のアイデンティティのよりどころである伝統は強固に守るべきだという考えに、私はどちらも賛成できません。前者は人間がアイデンティティを確立するのに最低限必要なローカルネットワークが失われる危険があります。逆に後者では、たとえ多文化主義の蓑を着たとしても排他的民族主義の種を作る恐れがあります。(古典重視しすぎて、文化のもう一つの重要な側面である発展性が失われるとも言えるかもしれません。)
 では、どう考えたらいいのでしょうか。
 先ほど、文化は変容するものだといいました。あくまで、変容です。古来よりずっと続いてきた伝統は、少しづついろんな影響を経て今に至っています。でも、なぜその文化が今まで続いているのでしょう。その理由は、その文化の中にその文化の担い手である人々のスピリットがあるからだ、と私は考えます。いくら変容しても、その文化を支えてきた人にとって大事な部分は変わらず残ってきたから、今もその文化が消えずに、あるのではありませんか?
 そう、川の流れに似ているかもしれません。いろんな所から流れてきたたくさんの支流が、大きな本流を作り、やがて大海原に流れ込む。しかし、大きな川の出口は、ただ広がるばかりではなく、時としてまた別の川を作る。文化も、はじめは小さな源流が、いろんな影響を受け太い流れとなっていく。出口近くになったとき、いろんな形体となって、さらに発展していく・・・ここでいう源流が、文化を担っている私たちのスピリットであり、文化の本質です。(「文化」という言葉自体が実体のないものですので、その本質と言われても、わかりにくいかもしれません。)
 古典芸能を担う方々は、私たちがグローバル化の中で見失いかけているスピリットを常に見つめ、伝承している人だと思います。
 私の好きな人に、東儀秀樹という方があります。ご存知かもしれません。今話題の雅楽奏者で、この頃ドラマやクイズ番組などいろんな所で活動されている方です。紅茶で有名なLiptonの宣伝で篳篥を演奏なさっています。昔、皇女紀宮さまの旦那様候補に挙がったこともあるそうです。
 東儀さんは、以前NHK教育の番組で河合隼雄さんと対談なさったとき、「型」の重要性について触れられています。「型」というのは、やはり文化の大切な部分(変容せずに伝わってきたもの)のことです。彼は宮内庁楽部を辞めて、今雅楽奏者としてフリーで活動なさっているのですが、決して「雅楽の革命児」的存在ではないといいます。つまり、彼は文化が今まで経てきた、変わらない文化の本質を軸に進化する(深化する)という長い伝統文化の流れに沿って生きているんです。だから、今まで倉に眠っていた古典譜を書き起こしてらっしゃいます。一方で、雅楽をシンセサイザーや他国の音楽と融合させることにも挑戦なさっています。この双方を同時にすることは、彼でなかったらやれなかったことだと思います。そして、なぜ彼がそれを成し得たかと言えば、やはり、雅楽の大切な部分は絶対に見失わなかったからでしょう。
 私は、東儀さんの考え方は、グローバル時代を生きるのに最善のものではないかと思っています。また、文化を考える上で貴重な材料になるとも思います。
 古典は、変容する時代の流れの中で、先祖より変わらぬ、あるいは変わってはならぬスピリットを見つめなおし、立ち戻るために伝承されてきたものでしょう。だから、大切にしたいと思います。
 古典をしっかり伝承していくことと、更なる広がりを求めていくことの双方が、文化には欠かせないことだと思います。ただ、現実に、他人から文化・伝統を奪い、自己に吸収してきた歴史があることは残念なことだと思います。日本でいえば、アイヌや琉球をはじめとする固有の文化をもった地域に対する同化政策、大東亜共栄圏の名のもとに行なわれたアジア侵略が主なものでしょうか。外国に目を向ければ、植民地政策によって虐げられたアフリカの人々、また、グリーンランディックの現在も、含まれるでしょう。
 「持たざる者/持つ者」という構図の中で、持つ者は故意に、持たざる者は知らぬ間に、持つ者に吸収されていく・・・誰にも止められない悲しみのように思います。一つ、また一つ・・・とどこかの誰かさんのアイデンティティの拠り所が失われていくんです。失われそうな文化を守るには、やはり「保存」という考え方が必要になってくると思います。日本で、方言やアイヌ・琉球文化が保存されるように。また、アメリカやカナダで、バイリンガル教育として、固有(インディアンやスパニッシュ)の言語・文化を守っていこうとしているのと同じく、グリーンランディックの言語・文化も、「保存」の立場から捉え、次世代を担う子供達に、グリーンランディックのアイデンティティを教育の中で伝承していくことが、これからのマイノリティを支える鍵になるのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ああでもない、こうでもないと考えるうちに、今や8KB。書くのに3日かかってしまいました。結構簡単に書き終わりそうだったのに、光陰矢のごとし(?)です。受け取る側のことも考えて、もっと手短に思ったことがいえないと、これからの社会では生きていけなさそうです。
 というわけで、「地球のつぶやき」感想、終了です。

   スガイミサト

●追伸●
 半ば無理やり、二分法を持ち込んで話をしたのに気付かれましたか?
 境界を見つめ始めるとまた長ーくなりそうだったので、やめましたが・・・。

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Letter 069 血の匂いのついた文化
2001年9月24日 14:57
菅井様
 学会から、帰ってきました。まずは、メールの処理をして、そして、今までゴメンナサイをしていた、重要なメールを順番に書いています。これは、面白いのですが、結構大変です。持田さんにも金沢で会ってきましたが、それも後にします。
 さて、文化の継承についてです。まず、菅井さんは、
「文化も、はじめは小さな源流が、いろんな影響を受け太い流れとなっていく。出口近くになったとき、いろんな形体となって、さらに発展していく・・・ここでいう源流が、文化を担っている私たちのスピリットであり、文化の本質です。」
と文化を定義しています。さらに、
「文化は変容するものだから、変容する時代の流れに身を任せよう、あるいは、民族や個々のアイデンティティのよりどころである伝統は強固に守るべきだという考えに、私はどちらも賛成できません。」とし、そして、「古典をしっかり伝承していくこと」それを「スピリッツ」や「伝統」言葉で表現し、「更なる広がりを求めていくこと」の両者があって初めて、生きている文化というわけですね。すばらしいです。
 「半ば無理やり、二分法を持ち込んで話をしたのに気付かれましたか?」もちろん気付きましたよ。何も、二分することないと思います。文化とは、突き詰めれば、「スピリッツ」や「伝統」のことで、「生きている文化」の重要な属性として、「更なる広がりを求めていくこと」が含まれていると思います。
 それより、「型」と「保存」が問題です。「型」とは、文化の一構成要素です。つなり、文化の「型」があれば、それは、「型」を中心に伝承し、「更なる広がりを求めていくこと」が可能かも知れません。「型」として伝承できるものがあればいのですが、でも、「型」が、つまりそこまで、「文化度」が高くないものは、「保存」するしかいのでしょうか。変容のうちに、朽ち果ててしまうことを、サラは悲しんでいるのだと思います。
 能や歌舞伎のように、「生きている文化」として、誰もが誇れるものがあればいいのです。しかし、エスキモーとはまた違うグリーンランディックの文化は、もっと脆いものです。例えば、その踊りを、博物館に映像保存しても、観光用として保存しても、「心」は消えていきます。アイヌやインディアンの文化もそうだと思います。また、どんなに努力しても、アイヌという民族の血が薄れていけば、「生きている文化」は消えていくのではないでしょうか。
 文化とは、すごく民族の「血」の匂いのついた部分もあります。それがすべてはいいませんが、血が薄まることによって、その「血」に染み付いた文化も消えゆくといことはないでしょうか。私には、それが、サラの悲しみに見えます。
 どうしようもない時代の流れ、逆らうことのできない流れが、今、サラを押し流しています。その流れに不本意ながらのかっている自分、その流れのもっと前に進みたたがっている娘がいる。そして、多分その流れの中に消えていき、グリーンランディックよりデンマーク人を選ぶであろう娘。守りたいけど、守り切れそうもない自分たちの「血」の匂いのついた文化。それが、サラの悲しみではないでしょうか。
 博物館にはいった「保存された」能や歌舞伎が楽しいでしょうか。多分楽しくなく、長い年月のうちに、朽ち果てていくのではないでしょうか。いま、「生きている」から「更なる広がりを求めていくこと」ができるのです。
 そして、消え行くものは、静かに見送るしかないのでしょうか。それが、私にはわかりません。「保存」では、少なくとも、サラの悲しみは消えないでしょう。
 ちょっと時間が足りません。今日はここまでです。私も半ば無理やり、二分法を持ち込もうとしました。気付きました?
 ではまた。

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Letter 070 ??!!岩石学??!!
2001年9月25日 15:51
小出良幸さま
 『岩石学入門』読みました。(というより、24日投函のメールは全部読みました。)
 早急なお返事有難うございます。山下さんから、「ひょとしたら、22〜24日は誰もいないかもしれません。」と伺っていたので、今度行くまでに回答はこないだろう・・・と浅はかにも思い込んでいました。ウカツデシタ。
 本当は、ClubGeo宛てに送ろうかと思ったのですが、あまりにも粗雑な状態のメールなので、小出さん個人宛てに送ります。耐えられないかもしれませんが、宜しくお願いします。
●「本源マグマから多分やや結晶がとられた(分化した)かもしれないマグマから固まった玄武岩(あるいは安山岩)でしょう。その理由は、秘密です。知りたければ考えたのち、質問して下さい。」
●考えました。と続けて言いたいところですが、仮説をたてる前に、マグマのことについて整理させてください。また、考える材料収集としていくつか質問?があります。
[マグマについて]
@まず、本源マグマがある。その種類には「玄武岩質」や「安山岩質」のものがある。(他にもあるのでしょうか?)
A次に、「本源マグマ」がマグマ溜りのところまで上がってきた段階で、「結晶が取られたマグマ(A)」がある。冷め方によって、「玄武岩質」「安山岩質」「ソレアイト質(石英安山岩質のこと?)」「流紋岩質」と変化する。<玄武岩・安山岩・流紋岩の場合、噴出後すぐ冷えるのでここまで。>
B最後に、ゆっくり冷え固まるマグマの場合、完全に冷え固まるまでの間に「さらに結晶が取られたマグマ(B)」へと変化してゆく。その結果、斑レイ岩・閃緑岩・花崗岩が生成される。
合ってますか?(付け足した所も含めて)
●次に、考える材料収集です。質問とも仮説ともまとまらぬ、頭の中に浮んだいろんな事を箇条書きにします。
カンラン石が晶出した後、斜長石や輝石が晶出する。すると、カンラン石だけでなく斜長石・輝石が晶出していることから、カンラン石だけが晶出する状態よりも、この岩石を作ったマグマの温度は低くなっていることがわかるのでは・・・?
どんなマグマも、地表に噴出するまでの間に徐々に冷やされているのではないか。(なぜ冷やされるか:仮説@マグマの通り道は、岩石である。当然、マグマより温度が低い。ならば、通り道を輪切りにしたとき外側のになるマグマは、冷えやすいはず。仮説A本源マグマのある場所と地表では、地表のほうが温度が低い。本源マグマからマグマが離れれば離れるほど、それは温度の低いほうへマグマが移動することになる。ならば、地表に近づくに従って、マグマの温度は維持されずに低くなっていくのではないか。)
 もし徐々に地表に出るまでの間にマグマ全体が冷えてくるとすれば、地表に出るまでの道程で結晶を取られてくるのでは・・・えっ?もしそうだとしたら、本源マグマそのままの状態のマグマでできた岩石は手に入らないことになる!?・・・あれっ?そうだとしたら、小出さんの仰った「本源マグマから結晶が取られたマグマ」というのは、本源マグマのある場所から離れたマグマすべてに当てはまってしまうの??
大室山(単成火山)が産地であることを加味しなくてもわかることなのだろうか。

そして、おしまいにもう一つ。
 ムムッ・・・!?「岩石学入門」を読んでまたも疑問が・・・島弧だと何で本源マグマが安山岩質の可能性があるのでしょう?
 大磯の調査のとき、大陸や島弧と海洋島と中央海嶺で、マグマからできた岩石の性質が異なるという話を伺いました。伺ったときは、「ふーん、できた場所が違うと化学組成が違うんだ」と思う一方で、「なんでできた場所によって違うの?同じマグマからできた石なんじゃないの?」と思いました。後者は、もう一回同じような疑問を持ったときに伺おうと決めていましたが、ついにその日がきてしまったようです。
 当時はマグマは一つと思っていましたが、今回、本源マグマ、マグマA、マグマBがあることがわかりました。そこで疑問もバージョンアップです。
【疑問:@なぜ、マグマからできた岩石は、場所によって化学組成に違いが出るのでしょうか。その一つには、本源マグマが違うから、ということが考えられます。では、Aどうやって本源マグマを探るOR推察するのでしょうか。】
 *今や私はムンクの叫びです、ヒョーッ*
 小出さんに言わせれば、「書かせるようなことを聞いてきたのは君のほうだろ」ということになるでしょう。仰る通りです。面白く読みつつ、ん゛ーと悩みながら草食動物の歯で岩石をすり潰すのでありました。(笑)
 とはいえ、「その理由は、秘密です。知りたければ考えたのち、質問して下さい。」なんていう風に言われますと、曲がりながらも考えて、聞きたくなるのが私の性分だったりします。(もしや、そのこともわかっててこう書かれたのでしょうか。生まれ年を同じくするサルとしましては、そんな憶測もしてしまうのですが・・・。)ニヤニヤ笑いながら、この1文を打った小出さんを横目に見ながら、受講生は皆前田風?いえ、ヒートアップしてしまいます。(特に私はし易いほうです。)
 そんなわけで、いろいろ考えました。現在私の考え得る限りでは。まだ、小出さんの求めようとした質問には程遠いかもしれませんが。どうでしょう?
 いかなるお返事でもお待ちしています。
 スガイミサト

追伸:
 私、アメリカに似ているかもしれないと思いました。タリバンやオサマ・ビン・ラディン氏に反米感情を持たせてしまったのは、アメリカ自身ですよね。自分で火種を巻いておいて、テロでやられたら、報復!しかも、その報復、上手くできる保証はほとんどないですね。
 私も、自分から質問・発言して、回答・反論等を受けたら、劣化ウラン弾のように周りに公害をまき散らしながら(要は、上手く的を得た言葉が出てこないままということ)戦地に突っ込んでいっているような気がします。
 (ちょっと別ですが、正義はアメリカにないと思います。私は、悪気はないです・・・)

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