Letter Box No. 5


Letters 「境界と越境」

目次

Letter 041 
Letter 042 
Letter 043 
Letter 044 
Letter 045 
Letter 046 
Letter 047 
Letter 048 
Letter 049 
Letter 050 


Letter 041 メールのお付き合い
2001年8月5日 6:48
菅井様
 湯河原では、今(8月5日午前5時半)久しぶりに、まとまった雨が降っています。これで、少しは水不足も解消されるかな。でも、湯河原は箱根の外輪山の裾野にあるので、水は豊富で、枯れたことがないようです。
 今日は、小田原の早川漁港の港祭りの日です。雨だと行けません。子供が、船と魚を見るのを楽しみにしているのですが、どうなるでしょうか。雨について、ほっとするような、がっかりするような話題でした。
 「死ぬのはイヤ?!」については、次回です。
 餅田さんに、菅井さんにメールを教えてもいいかと聞いたら、メールをもらうことを楽しみにしていました。初対面で、大変かもしれませんが、インターネットの世界では、よくあることです。私もそれで、知り合いの範囲が広がりました。挨拶程度いいですから、書いてあげればいいですよ。人生経験だと思って。餅田さんはのことについては、あまり先入観を与えないようにします。私なりの人物像をもっています。でもそれはメールを通じてのことですから。
content


Letter 042 死から生へ
2001年8月12日 9:13
菅井様
 小出家は夏祭り真っ盛りです。夜店、花火、海、山すべてをこの数日に凝縮したように執り行っています。子供は少し疲れ気味ですが、でも喜んでいます。それに、子供は一晩ぐっすり寝れば、回復します。大人のほうが疲れが取れません。と、6日に書いたとこで、中止です。その後、どうも、食欲あるのですが、夏バテでしょうか、疲れています。
 でも、今週は、頑張っています。Club Geoの理論的部分に関する論文の草稿を、書き上げました。今日は、その推敲と図の作成のつもりです。やっと山半ば登ったところでしょうか。でも、一番大変なところは、過ぎました。あとは、腕力勝負です。
 さて、死についてです。私は、「死」について考えるのは、若い時にはよくありました。原因は良く覚えていませんが、嫌なことがありこの世から消えてしまいたいとか、嫌な奴へのあてつけで自分の死を押し付けるつもりの「死」は、しょっちゅう考えていたような気がします。それは現実逃避の一種ではないかと考えています。若い頃私が考えていた「死」は、「自殺」です。今私が考えている死とは違います。
 今、45歳にして考える死とは、自分の意志と関係なく訪れる「寿命による死」です。寿命といった方が良いかもしれません。
 いつ死ぬかは、誰にもわかりません。でも、死は、誰にも公平にきます。その死から逃れるすべは、今のところありません。かろうじて、できるのは、自分の生きた証しを、自分の死後も残すことや、死後使える自分の臓器を他人与え、その臓器と他人の生によって自分の存在証明を若干永らえるかくらいしかありません。私は、ドナーカードを持っています。そしてすべての臓器は提供すると書いてます。さらい、自分の体を献体したいとも書いています。
 でも、考えると、「死」があるから、「生」が明瞭になるのかもしれません。若い頃は、その死が遠くにありすぎたので、「生」も良く見えなかったのかもしれません。でも、人生の半分以上を生き、もはや老後をも視野に入れた生き方を考える時期がきています。そんなとき、「死」を中心として、残りの「生」を考えてしまいます。
 私は、2年程前に、「死の影」つまり自分の寿命と年齢に、ハタと気付き、生きているうちにしたいことや、40歳代でしかできないことを整理し、人生設計をやり直すことにしました。それは、生きているうちに一番やりたいことは何かを整理して、それを最優先して生きていくことです。
 キーワードで言うと、転進、総括、普及、新境地になります。多分何のことかわからないでしょうから、少し説明しましょう。考えてみたら、これは今まで断片的に話していたことはあるのですが、まとめて書くのは初めてです。自分の頭中の整理のつもりです。聞いてください。
 まず、転進は、40代にしかできないことです。別の職場に移ることです。今までの経験を活かし、なおかつ自分には刺激的に生けれるところです。少々分野が違っても何とかできる自身と能力は培ってきました。現在考えている転進先の必要条件は、充分、自分の時間が取れるところでいい環境のところです。多分大学になると思います。国立大学は、一部の大学を除いて希望しません。なぜなら、いま独立行政法人化問題で、国立大学はここ数年、会議ばかりで自分の時間が作れそうにありません。ですから、市町村立か私立の大学となります。それも、立地環境が、自分が今後一生そこに住んでもいいと考えられるような地域にあることです。大学自体の設備や規模は気にしません。私の年齢から考えて、少なくの30年間ほどは存続すること(私学定年が70歳とすれば)が、条件です。私の志向は、田舎暮らしにありますから、都会の大学はもってのほかで、地方都市の私立大学になります。
 つぎに、総括とは、今までやってきた科学教育の総括をすることです。論文は十分書きました。後いく篇か書いて終わりにします。数えると今まで教育に関する論文は、19編ありました。そのうち私自身が書いたものは13篇で、そのうち査読制度のある学会誌の(十分な評価に値する)論文は5編です。10年間の成果とすれば十分なものだともいます。その他にも、科学に関する論文も書いており、単行本も何冊か書いており、普及書も何冊か書いております。一人の学芸員として、日本中でここまで成果を題している人は、多分ほとんどいないのではないかと自負しています。そのような実績を基にして、教育学の論文博士をとること、科学教育の専門書を書くこと、EPACSやClubGeoの参加者のコメント交えて本にすること、が総括です。これが、私が博物館で10年以上にわたって行ってきたことの総括になると考えてます。
 次に普及ですが、これは、科学教育ではなく、科学に関する普及書をいくつか書きたいと考えています。地質学に関するものもいくつか出版されていますが、日本ではまだまだ寂しい限りです。そんなサイエンスライターの一人になりたいと考えています。また、子供向けのもの地球科学の本を、書いてみたいと考えています。このようなものは、構想やシナリオ、一部は半分くらい草稿はあるのですが、時間がなくてなかなか進まないのです。
 つぎに、新境地です。転進することによって、新天地が開けます。転進すると、そこで、周りとの軋轢や齟齬、あるいは切磋琢磨によって、自分が変化していきます。つまり自分の新天地での居場所確保ためにかなりの無理や背伸びをしながら、その場に収まろうとするはずです。そこで、がんばれば新天地がますます大きく広がり、そこに今までに無い新境地が生まれてくると考えています。前の岡山大学地球内部研究センターに初めて行った時も、この博物館に来た時もそうでした。それは、その「もがき」が大きければ大きいほど、新天地は面白く、自分自身にエネルギーが生じることがわかります。
 長々と書きましたが、やっと菅井さんの内容のあるメールに対する、年相応の返事が出来ました。年相応というのは曖昧な言葉です。実質的には多弁によって補うわけです。今回は、単純に文書量と考えていいかもしれません。しかし、多弁は、弁の数が増えれば増えるほど、その内容は薄まっていくのかもしれません。
contentへ


Letter 043 残暑お見舞い
2001年8月16日 21:43
[Clubgeo 215] より転載
 みなさま、残暑お見舞い申し上げます。
 毎日毎日、暑いですね。
 清少納言は「夏は夜がいいわ!」なんて仰っていますが、1000年前から、夏は昼間より夜が好まれたんですね。月も蛍も雨も、みんな涼しさを感じさせてくれるものばかりが心地よく感じられるのは、今も変わりません。というより、あの頃よりも今のほうが温暖化しているわけだから、「風情」を感じる暇もなくクーラーや扇風機に近づいてしまうのが現代人かもしれないですね。でも、家にはそんな現代機器はないため、外出して得られるそれらの恩恵がかえって体調を悪くするようです。近頃、ひどい夏バテです。そのため、コンピューターにほとんど触れていません。よって、HPが作り終わりません。前田くんはもう終わってしまったでしょうか?
 明日は、博物館ワークの日です。這ってでも行きます。観察会のHTML作りの他にも、愛媛HP充実のために、採集してきた石をもう一回見たいと思っていますので、宜しくお願いします。
 では、みなさま、厳しい残暑を乗り切りましょう。
    スガイミサト

contentへ

Letter 044 夏は夜。では夏の昼は・・・
2001年8月17日 8:26
菅井様
 清少納言の名前を懐かしく聞きました。受験生の頃は「お清さん」と呼んでた記憶があります。
 湯河原も「夏は、夜」です。でないと、昼は暑くてたまりません。そんなときは、涼しいところに逃げるしかありません。子供は毎日、保育園のプールでの水遊びをして、涼んでいます。では、私は・・・
 8月15日、休みを取って、山の上に行きました。白金林道という、箱根の外輪山を巡る林道が、湯河原の裏山を走っています。以前、子供を連れて、小田原酒匂の花火が見えないか、このあたりを夜車でうろうろしたのですが、その時、今度は昼間来てみようと思っていました。ただし、花火は見えませんでした。
 一昨日の朝、家族でその林道に涼みに行きました。この林道は、一応通行止めです。ですから、林道の入り口がら少し行って、広いところに車を止めて、舗装された林道で遊びました。
 山の上は、霧で涼しく、また、幻想的でした。子供も大喜びで、林道を走り回っていました。少し走ると、姿が見えないくらい濃い霧でした。
 ほんの1、2時間の山遊びでした。今度は晴れた日に行きたいと思いました。
 ちょっと、夏休みの絵日記風の文章でした。
contentへ


Letter 045 いろいろ思うこと
2001年8月22日 1:26
小出 良幸さま
 台風が接近しているそうで、久々の大雨に新聞もテレビも大騒ぎですね。
 とっても不謹慎なことを言わせてもらいますと、こういう自然災害が起きたときの人間(特にマスコミ)のやる事を見ていると嫌な気持ちになります。マリンレジャーはしないようにと言って注意を促されているのに、わざわざ海岸へ行って波乗りした挙句波にさらわれた人のことは助けなくても良いんではないでしょうか。1時間番組を変更して特番で台風情報を伝えたり、「もうすぐ紀伊半島に上陸」なんて言うふうに何度も更新されない情報を繰り返し流すよりも、テロップで情報を絶えず流すほうが有益ではないでしょうか。台風の影響で災害が出ている地域へ赴いて、雨風に必死に耐えるレポーターが必要でしょうか。雨が降らなくて困ると言ったかと思えば、台風や大雨がやってくると邪魔なもののように迷惑がるのは、チョット勝手じゃないですか。・・・など、災害情報を聞くたびにいろいろと思います。
 書き出すと止まらない――ですかね、私。確かにそうかもしれません。小出さんやClubGeo宛てに送るメールは、長いものが多いような気がします。たまに出す手紙も、長いです。この頃は、レポートも長いです。何で長くなるのか、理由は大体わかっていますが、言わないで置きます。今挑戦中のHP開設プロジェクトが成功したら、そこに書くと思いますので。
 先日、このメールのやり取りを読んだ餅田さんからメールをいただいたことは前に言いましたが、餅田さんのように意見を言ってくださる方があることは、私にとって一番嬉しいことです。私は未だにネットを使うようなやり取りよりも、手書きのアナログを擁護する派ではありますが、その理由として、情報を発信するばかりで、他の人が必ずしもそれに対して意見を言ってくれるとは限らないことが挙げられます。一方通行は、嫌なんです。その点、アナログ、例えば葉書くらいのものなら、書くことといっても内容・量共にタカが知れていますし、書くときは大概暑中見舞いや年賀状ですから、元気に生きているかどうかを確認する意味が大きくなります。もらった相手も、誰からか来ることを予定してる時期でしょうから、返事がきます。・・・やっぱりまだ、アナログ優勢ですね。それに、アナログは、絵も字もオリジナルですから、描くのが楽しいです。また、手書きの返事が返ってくると、向こう側に相手がいることを肌身で感じられるような気がします。
 知らない所で自分の関与したことが表に出ていて、私の知らない誰かに見られることは、怖いことです。(高校までは平気だったのですが、大学に入ってから、怖くなりました。)が、インターネットに関しては、餅田さんのように、何かを返してくださる人があれば、その気持ちも少し薄まるかもしれないと思うようになりました。
 卒論は全然進みません(まだ1字も書いてない!)。書き出すまでに時間のかかる短所が克服できないものかな・・と思案してばかりいます。が、四国のHP作りは、あと博物館にある写真を貼るだけです。私的には、HPもグレードアップしているつもりです。
 そう、「文学と地質学」という奇題(!?)について、どんなことを書こうかと考えています。で、ふと、疑問が浮んできたので伺ってもいいですか?今までEPACSの研修会発表では、障害者と健常者という大きな2グループに対して博物館普及に何が必要かを考えていく試みとして行なわれた実験の報告が中心だったと思うんです。(参加したのは1回だけなのでよくはわからないんですが。)で、今回は、学芸員の方を中心に、自分の興味のある他分野の開拓・・のようなことをしているんですよね。今までの流れと、今回と、方向性が違うような気がするというか、接点が見えないんですが、前回までと今回を貫くねらいは何なのだろう、と思いました。EPACSの代表・小出さん、何ですか?
では、今日はもう遅いので。
(昨日急性不眠症〈?〉になりまして、AM6時まで眠れなくて辛かったです。今日こそ、夜に寝ます。)
  菅井美里
追伸
「お清さん」って、清少納言のことを言うのは初めて聞きました。何か、粋な感じですが、関西方面では、そういうふうに言うんですか。格好イイナア、と思いました。この間博物館へ行ったとき、やたらと調子がいいので我ながら驚きました。ひどい夏バテだったんですが、博物館の1階に下りた途端ケロッと、気分が良くなったんです。チョット部屋が寒かったので上着を羽織りましたが、その程度で済みました。博物館のミエナイチカラですかね。
contentへ


Letter 046 自然史体系の根幹
2001年8月23日 13:36
[earth501] より転載
菅井さんEPACSの閔様
 台風は、無事通過しましたか。私は、博物館い行こうか行くまいか迷いながら、朝5時半から8時過ぎまで、台風報道を見ていました。でも8時過ぎに、家内が子供を保育園に送っていく車に便乗して家を出ました。小田原まで行ったのですが、箱根へ行く交通手段はすべて運休でした。小田原駅で新井田氏に会ったのですが、二人で館に行くことは断念しました。
 さて、EPACSの研修に関する問い合わせが、菅井さんからきました。山下氏からEPACSの研修会のプログラムの詳細については連絡がいくと思いますが、菅井さんから前回は「障害者と健常者という大きな2グループに対して博物館普及に何が必要かを考えていく試みとして行なわれた実験の報告」でした。今回の研修では、菅井さんに「文学と地質学」という奇題でも話をお願いしました。今回の研修は、最後のEPACS研修になるかもしれないので、更なる発展を目指して、メンバー全員に、今までにない発表してもらいたいと、プログラムを考えています。菅井さんの問い合わせは、なぜそのような研修会をするのか、そのテーマの目的に関する質問なので、少々長くなりますが、そのポリシーを紹介します。
 EPACSは、1998年4月にスタートしました。あと1年半で終わります。ですから、活動を終わるにあたって、今までの集大成として、来年春に活動報告書を発行します。そして夏には特別展示と、シンポジュウムを考えています。その準備として、各人に、自分自身を今後いかに発展させるかというテーマでまとめてもらいたいと考えています。もしそれが大変な時は、EPACSの活動に参加して、どのように感じ、どのような不満があり、どのようなメリットがあったのか、などを発表してもらおうと思っています。
 では、菅井さんの質問を、どうしてEPACSのような活動をしているかという質問と読み替えます。でもこれは、結構、本質的なことです。初心に戻ってまとめましょう。
 私は、博物館の情報発信を今までに無い、いろいろな形でアウトプットしたいと考えていました。そのアウトプットも一方通行でなく、双方向性があり、それと今までに無い新規性を持ってやりたいと考えました。
 まず、やり方としては、職人的な経験に基づくものではなく、理論と実践という二本立てで行うことにしました。これは、いくいくは誰でも使える方法論とすることです。専門書と実践書として出版できればと考えいます。
 理論としては、「新しい自然史」という学問体系の確立することです。紆余曲折はありましたが、全体として、「新しい自然史」とは、自然科学、自然哲学、自然史教育の三つが三位一体として機能することが大切であると考えています。
 その理論を実践的に検証していかなければ、この理論は空論になると考えています。その実践の一部を、このEPACSという不思議なグループで行っています。EPACSは目的をはっきりさせ、年限を5年として活動しています。しかし、そこから、いろいろ派生して発展しているものがありました。Club Geoや、Museum network、「Dialog」、それに関連するホームページ、インターネットを利用した組織運営なども、その一環です。今度もまだ新しい活動が生まれるかもしれません。EPACSの目的は、博物館の情報の発信や受信のための新しい道具導入(New Tooles)や仕組み(New Method)を考えるケーススタディをすることです。
 新しい自然史としての自然科学、自然哲学、自然史教育の三位一体を、少し詳しく説明します。
 自然科学は、自然史の研究的側面です。ですから、その手法は一般の科学と同じです。内容、手法は省略します。Club Geoでは、自然史における自然科学の伝達を実践しています。
 自然史教育の実践が、EPACSの設立目的です。
 自然史教育の新しい方法として、新しい学問の導入を考えました。
 まず、考えたのが、「情報科学」の成果の導入です。インターネットの利用も情報科学導入の一展開として捉えることができます。情報科学は、新しい道具や新しい組織運営の手段として有効です。ですから、EPACS、Club Geo、Museum Network、PAC Geoでは、インターネットを極普通の道具と位置付け利用しています。それは、体験されているとおりです。
 インターネットのデータベース機能や双方向性も道具の一つと考えました。そのモデルデータベースとして「地球のからくり」「神奈川の大地」「地球地学紀行(作成中)」をつくりました。そして、インターネット欠点を補うために、CD-ROMの製作も行いました。それらを多くの人に利用してもらい、その活用例や、感想を収集し、今度の展開に備えるものです。双方向性は、メールと掲示板などでおこなっています。それと、一般の市民の反応が少ないであろうという予想の元に、EPACSのメンバーに、使ってくれそうな人として、小・中学校の教員、相談学級の先生、主婦、不登校学生、などが入ってもらっています。そして、つくる側の人間として、学芸員だけでは力量不足ないので、プロバイダーの人が参加しています。
 インターネットを通じておこなった活動は、「メディア論」とも結びついています。
 情報発信を、従来メディアとの組み合わせも考えています。「神奈川の大地」では、有隣堂と提携して、書籍とCD-ROMの出版、それとインターネットという3つを通じて、一つの情報をさまざまなメディアを使って発信するという経験をおこないました。それぞれの長所を活かし、それぞれの欠点を他のメディアで補えればと考えています。そして、受信は、E-mail、インタネットの掲示板、それとアナログ(電話、手紙、口頭など)が可能です。
 また、近々公開する「身近な自然史」と「砂の自然史」では、参加者がつくる情報データベースをいう形式のものがあります。双方向性をさらに拡張したものです。他のデータベースが、すでに作られたものを利用するという立場でしたが、今回の「身近な自然史」と「砂の自然史」は、データベースを作ることから始まります。「身近な自然史」は、デジタル情報を主とし、「砂の自然史」は実物情報を主としています。そのようなデータベースつくりから、何か新しいものが生まれるかもしれません。
 「認知心理学」の導入も必要だと考えています。
 認知心理学の応用として、人間の5感の利用を考えました。従来の展示は視覚中心でした。それ以外にも、聴覚中心、触覚中心、嗅覚中心、味覚中心などの展示や情報発信が出来ないかということです。それを新しい観点の導入(New Perspevtive)とそれに基づいた方法の構築(New Design)が出来るのではないかと考えています。そのような実践のために、障害者の方々がメンバーになってもらっています。それが、前回のEPACSの研修会の内容となりました。そして、彼らと共同で、いくつものテストや情報交換、メール交換、ホームページの作成などへと発展しています。また、秋の観察会では、肢体障害者や視覚障害者が参加できるようなコース設定をしています。感覚試験については、3つの論文がでました。
 PAC Geoで毎年「大地の生い立ちを考える」という講座では、今までに無い発想や道具を導入しています。これは、学芸員自身の、怠慢やマンネリ化を戒め、向上心を促すものです。この講座が、常に新しいものの継続できないようであれば、その学芸員はもう打ち止めです。そろそろ転職か引退、管理職への移行を考えた方がいいかもしれません。
 そして、自然史教育のNew Designとして、ユニバーサルデザインというキーワードへとなっていきました。ユニバーサルデザインとは、単なる言葉で、実際には実践しないと意味が無いことです。ユニバーサルデザインとは、特別なものではなく、私たちが、前から言っていた博物館情報を「いつでも、どこでも、だれでも、いくらでも」使えるようにという意味です。
 自然史の理論体系には、哲学の導入が必須であると考えています。
 現代自然哲学の樹立は、今までの科学や科学思想、社会潮流をまとめていった結果、現代社会の矛盾を解決するために必要な考え方として生まれた発想です。詳しく知りたい人は、以前お配りした小出の論文を読んで下さい。
 突然、長いメールになりましたが、EPACSの趣旨の再確認です。
contentへ


Letter 047 情報発信とは
2001年9月3日 10:41
菅井様
 前回のメールは、Club Geoで質問の半分を答えました。昼は蒸し暑いのですが、夜は涼しくなりました。少し風邪気味です。一度治ったつもりの夏風邪がぶり返したようです。健康には気をつけましょう。
 さて、情報の発信についてです。菅井さんは「情報を発信するばかりで、他の人が必ずしもそれに対して意見を言ってくれるとは限らないことが挙げられます。一方通行は、嫌なんです。」といいます。これは、よくわかります。これについて、私の考えていることを話します。
(考えてみれば、考えてないことは話せないですね(「考えてみれば」というのは不要です。それは、考えてみるまでもありませんでした(でもこれは言葉の入れ子状態ですね(でも、今朝、私のホームページ「思いつくまま」を書いて以来、少し変なのです。(寝起きに書いたので睡眠と覚醒の狭間にいるような気分でした。今もその状態が続いています(そして、入れ子状態の続いています(もう止めましょう。閑話休題(ちょっと古かったですかね))))))))
 さてさて、私のホームページについてです。このホームページは情報発信といいながら、ほとんどどこにも周知していません。私のホームページに入ってくるには、知り合いを除けば、メールマガジン「地球のささやき」の一番最後に書かれている小出のホームページの案内からか、ホームページ「地球ささやき」の著者から、しか入ってこれません。ですから、非常に少数しか見に来ていません。今のところ、270人しか、覗かれていません。そこには私がチェックのために覗いた分も含まれています。
 覗かれたかどうかは、アクセスカウンターをいうものをホームページにつければ数えることができます。でも、もともとこのアクセスカウンターは、このページに誰かが入ってきたかどうかを監視するためにつけたものです。知らないうちに多数の人が来ていたら驚くではないですか。そのための監視用でした。少し、話が横にそれつつあります。
 このホームページの「思いつくまま」は、日記ではなく、誰かに向けたメッセージのつもりで書いています。日記は、基本的には公開するために書かれるものではなく、自分自身のために書かれるはずです。ですから、この「思いつくまま」は、読まれるために書いたものです。読者の数は気にしていません。ゼロかもしれません。書く側の気持ちとして、不特定(多数でなくてもいい。ゼロのという人数かもしれない)の読者を意識するということです。これが大切なところです。これが手紙やはがきなどの特定の相手へ向けてのメディアの気持ちとの大きな違いです。誰か読むかもしれません。誰が読むかわかりません。
 こんな状況は、多分、インターネットのない時代は、誰も、こんなに簡単には作れなかったのではないでしょうか。こんな不思議なメディアは、今までないのではないでしょうか。私は、こんな面白いメディアを使わない手はないと考えています。それが、「思いつくまま」を始めたきっかけです。
 また、これは、菅井さんとのメール交換を「Metamorphic」のホームページで公開する理由の一つです。また、鈴木さんとのメール交換を「Dialog」というメールマガジンとホームページで公開するする理由の一つです。また、「地球のささやき」のメールマガジンとホームページで公開するする理由の一つです。それぞれの情報公開は、私にとっては、少しずつニュアンスも目的も違います。それは、また、別の機会に。
 さて、先日をもって「思いつくまま」の掲載回数が100回になりました。そこで、こんな文章を書きました。再録します。

●三桁の大台?:No. 100● 2001.8.24
 この「思いつくまま」もNo.100となった。なんとなく感慨があるような、ないような。実は、感慨はたいしてない。
 100という数字が意味のあるわけでもないし、区切りでもないし、スタイルを変える必要もない。
 100回記念で、もし、誰かこのページを読んだ人がいて、メールを私にくれたら、豪華商品を上げようかと思う。
 こんなことを書いたら、知らない人からメールが来るだろうか。このページの寿命は、12時間ほどである。だから、多分、こない方に、かける。だから、こんな企画をしたのである。(この企画は終了した)

というものです。これじゃ、不特定というものが、どのようなものか、試すつもりでもあったのです。しかし、一通メールがきました。餅田さんでした。「菅井さんにもと思いました、けれど、これは独り占めしようときめました。ネットゲームは面白いです」だそうです。そこで、今度、さらに「思いつくまま」につぎのようなエッセイを載せました。

●懸賞当選:No. 102● 2001.8.26
 この「思いつくまま」No.100で、懸賞をおこなった。その募集期間は、夕方の5時過ぎから翌朝の7時過ぎの14時間しかなかった。なのに、メールが一通きた。驚いた。そのメールを下さった方もこのページを見たのは、たまたまかもしれないが、私には、うれしかった。実は、このホームページは、あまり知られていない。私の知り合いでなければ、告知してないので、知らないはずである。「地球のささやき」のメールマガジン、もしくは「地球のささやき」のホームページからしか入って来れない。だから、このページのアクセスカウンターもほとんど増えない。2001年6月16日から今日までで275人しか訪れてない。この数を少ないとするか多いとするか。それは考え方である。もともとここのアクセスカウンターは、誰か、このページを覗いてないかを監視するためのものであった。だから、あまり値自体は、気にせず、値の変化だけを気にしていた。でも、反響があることは、うれしいことである。不特定多数からの反響よりも以前からコンタクトのある人からの反響の方がうれしい。身内のような気がする。もとは他人であった人が、私のインターネットを介した活動に興味を持ってくれたのである。そんな人からの反響であるから、その反応は大切にしている。
 私が大切にするという意味は、私の活動に対する反応であるから、私のよき評論家と見なしている。私は、時間と体力、能力が許す限り、返事を書くようにしている。前にも書いたが、「地球のささやき」に関しては、それをメールカウンターとして表現している。
 最後になりましたが、応募いただいたMoさん本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。今後ともよろしく、御贔屓してください。(今回は多分読んでないと思いますが)

というものでした。そして、この件に関しては、餅田さんからの反応はありませんでした。

 今日(2001年8月27日)は、ここまでです。家内が帰ってきました。パソコンを明渡さなくてはなりません。

 さて、続きです(1週間たってしまいました。2001年9月3日。前田君への手紙を書いた後です)。
 情報を発信するというのは、仮想受信者がいるはずです。それは、特定の人の場合もあるし、不特定の場合もあります。そして、他者の反応が欲しいような、でもその反応が批判的だったらどうしよう、などという複雑な気が起きます。でも、これ、ラブレターや一般の手紙でも、同じではないでしょうか。そして、返事をくれる相手なら、ある特定の人にメールを出すようなものです。でも、ホームページというのは、心のどこかで見てくれと思いながら、でも、周知手続きをしないのは、いろいろな理由があると思いますが、どこかであまり見られると恥ずかしいような気もします。そんな、ことがインターネットという場でも読み取れます。
 いいたいのは、コンピュータ、インターネット、E-mailなど、最新のメディアですが、何のことはない、単なるメディア、情報伝達のための道具なのです。そんなに気にするものではないかもしれません。少なくとも私はそうです。
 道具ですから、車の普及と同じような意味合いがあると思います。車は移動手段です。徒歩に比べれば格段に、その時間あたりの移動距離は伸びます。じゃあ、アンチモータリゼーション派が車を排除を唱えたとします。でも、本人は車を使わないとしても、車を使わないで、現在の自分の生活は成り立ちません。すべての流通が車をどこかで介しているからです。もし、完璧なるアンチモータリゼーション派を目指すならば、車のない生活をしなければなりません。そんな生活は、離れ小島での孤独な生活でしか得れないかもしれません。同じことが電話、手紙、Faxなどのアナログ的な情報交換メディアと、デジタルのインターネットやE-mailによるデジタルメディアとの間に起きているのではないでしょうか。どちらも否定する必要はないのです。自分の気持ちの許す範囲で妥協していけばいいのです。いや、妥協しないと生きていけないのです。
 私は、どうせ妥協するなら、使うなら積極的に利用しようと考える方です。たとえば、最寄のところまでJRで行って、レンタカーを借りて目的地に行き、そこからハイキングをしてもいいと思います。
 でも、これは、人の感じ方、生き方の問題です。どうこうしろというべきものではありません。それぞれの好きなようにやるしかないのです。そして、両者が合い間見えたときには、お互いに妥協をするしかないのです。
 と、こんなことを感じました。菅井さんへのメールが遅くなりました。やっと送れます。
contentへ


Letter 048 28日に一括受信〜[earth501] への理解〜
2001年8月28日 17:20
小出良幸さま
 8月もあっという間に過ぎ去って、4階(実質5階)の我が家には涼しい風も入ってくるようになりました。
 [earth501] 自然史体系の根幹を28日に受信しました。・・・と言うのは、きっとご存知ないかと思いますが、EPACSのメーリングリストは、学校のアドレスしか登録されていないんです。そして、学校のメンテナンスがようやく終了したらしい28日、ようやく学校のサーバーと連絡がつきまして、30数通、一気に届けられました。その中の一つが[earth501] です。
 [earth501] を読んで、私が以前質問したことと直結するような部分に関する、理解は以下のような感じです。あっていないかもしれないので、正誤を確認して頂けると嬉しいです。
★EPACSの今回の研修会は、今までの直接的な延長線上としてよりも、今回までに積み重ねた(練られた?)個々の思考ないし感想を、EPACSの集まりがもしなくなるとしても、一人でより高次の段階(理論とか実践?)へ発展させるための最後にして最初のステップと言うことでしょうか。だから、全体としてみると、個々人がまったく違うことをやっているように見える。けれど、EPACS(私の場合はClub Geoが主ですかね?)を通じて得た何かを、EPACSから離れても続けられるはずのそれぞれのフィールド(学芸員なら専門や博物館のあり方、教師なら学校教育や教科教育など)で、捉え直す、あるいは実践してみようという試みであり、枝分かれして考えていたことを一本の幹にするようなことである…ってことですか?★
 自分で打ちながら、よくわからないように思いますが、どうでしょうか。そして、研修会の発表ですが、31日までにレジュメができる可能性は薄いです。でも、[earth505]をよく読んでみると、皆さんの手元に渡る資料より、発表のときにちゃんとできればいいです・・と感じたのですが。加えて、どうでしょう。 (とはいえ、性格的・人間的問題から、ちゃんとできないことはわかっています。)
  スガイミサト・・・卒論が、全然書けません。どうしましょう!?…
contentへ


Letter 049 研修の趣旨
皆様
 先日私が送った「[earth501] 自然史体系の根幹」は、少しわかりにくかったかもしれません。しかし、菅井さんが、今回の研修の意義をまとめてくれました。以下に載録します。
------------------------------------------------------
 [earth501] を読んで、私が以前質問したことと直結するような部分に関する、理解は以下のような感じです。あっていないかもしれないので、正誤を確認して頂けると嬉しいです。
★EPACSの今回の研修会は、今までの直接的な延長線上としてよりも、今回までに積み重ねた(練られた?)個々の思考ないし感想を、EPACSの集まりがもしなくなるとしても、一人でより高次の段階(理論とか実践?)へ発展させるための最後にして最初のステップと言うことでしょうか。だから、全体としてみると、個々人がまったく違うことをやっているように見える。けれど、EPACS(私の場合はClub Geoが主ですかね?)を通じて得た何かを、EPACSから離れても続けられるはずのそれぞれのフィールド(学芸員なら専門や博物館のあり方、教師なら学校教育や教科教育など)で、捉え直す、あるいは実践してみようという試みであり、枝分かれして考えていたことを一本の幹にするようなことである…ってことですか?★
------------------------------------------------------
この通りです。菅井さんありがとう。少々のニュアンスの違いは、OKです。
 皆が、自分なりの考えで取り組んでいただければいいのです。予定通り、予想通りだと、新しいものが生まれてこないかもしれません。皆、「ほぼこの当り」のテーマで、悩み、考えていただくことが一番だと思います。もしかすると、皆さん自身の中で、新たなものが生まれてくれば、大成功です。
 当日配る予定のレジメの「はじめに」の原稿を書きました。そこにも、研修の趣旨説明が、少し書かれています。以下に載録します。
------------------------------------------------------
はじめに
 EPACSの活動を1998年4月にはじめて、早、3年半が経ちました。年1度の研修会は、今年で4回目となります。でも、多分、今年で最後になります。ですから、今回が、メンバーと家族が一同に集まる最後のオフライン・ミーティングとなるかもしれません。鈴木拓也さん、鈴木美沙緒さん、佐藤良幸さん、五島政一さん、広谷浩子さんが、残念ながら、今回は、参加できませんでした。でも、愛媛県城川町の高橋司さん、Club Geoの新メンバーとなった高橋圭さんと青木葉月さんが、はじめて参加して下さいました。
 すべてのことには、始まりがあり、そして、終わりがあります。多くの会は、終わりを定めずスタートします。でも会は、やがて消えていったり、紛糾の後解散したり、別のものに変化したり、分裂したり、より発展した形になったりします。人類の歴史をみれば、永遠と続く会は未だかつて存在しないのです。しからば、目標を定め、年限を定め、目標を達成したら終わる、という会があってもいいと考えています。EPACSとはそんな会です。
 EPACSの成果は挙がっていると思います。EPACSを母体として、Club GeoやMuseum Networkなどの新しい会やプロジェクトが動き出しました。そして、なにより私たちEPACSのメンバー自身が、何らかの経験ができたのではないでしょうか。EPACSでの経験が、皆さんの今後の活動の基礎体力となれば、大いなる成果といえます。
 残すところ、あと1年半。そろそろ収斂に向けての活動になってきました。今回のテーマは、「EPACS ネクスト・ステップ(Nezt Step)」です。新たな発展に向けての準備をしようということです。EPACSの活動から考えたこと、そして活動から得たものを使ってどこへ行きたいのか、学芸員は地質学や科学への興味をどう発展させるか、などを皆に考えていただきます。今までに無い分野へ目を向け、そして、やがて自分自身のテーマをより発展させること、それが、今回の研修のテーマです。
 EPACSの収斂としては、以下のことを考えています。来年春には、博物館から調査報告書を発行します。そこに皆さんの今回の発表していただいた内容を報告としてまとめていただきます。ですから、EPACSの報告書は発行しますが、皆様からのレポート提出はありません。来年夏には特別展を行います。夏休みには、EPACSのメンバーを中心にした、シンポジウムを行いたいと考えています(これはまだ、未定です)。そして、最終的には、私がEPACSを通じて考えてきた自然史教育に関する専門的な書籍と、EPACSの実践をまとめた活動記録を書籍として出版できないかと考えています。
 夢は、今も膨らんで、知的地平を駆け巡っています。限りない夢を見ながら、研修会を楽しみましょう。
2001年9月8日
小出良幸
------------------------------------------------------
以上です。
 参考になれば、いいのですが。

contentへ


Letter 050 [Clubgeo 233] カーボヴェルデがわからない・・教えて下さい
2001年8月31日 1:11
[Clubgeo 233] より転載

前田信さま

さっき届いた前田くんの自己紹介を見て、過去の疑問が甦ってきました。
前田くんのこよなく愛するカーボヴェルデ共和国についてです。
英語だとRepublic of Cape verdeですね。
ポルトガル語だかスペイン語だとRepublicano de Cabo verdeなんですよね。

2〜3ヶ月前にふと気が付いたことなんですが、何で、現地語ではCaveなのに、
英訳するとCapeになっちゃうの?

私の予想はコンナ感じです。
英語でCapeは、「岬」という意味です。(南アフリカにCape Townって
いうのもありますね。)
カーボヴェルデ共和国は、国名ではなく地理的名称で言うと、「ヴェルデ岬諸島」と
地図にあります。
また、セネガルの首都ダカール(パリ・ダカールラリーをやってるところ)には、
C.Verde(=Cave Verde、ヴェルデ岬)もあります。
と言うことは、ラテン系の言葉で「岬」のことを“Cave”と言うのでしょうか。

で、カーボヴェルデ共和国を極力日本語にすると「ヴェルデ岬共和国」が正しいこと
になるのでしょうか。
だけど、国名は東西南北を示すような言葉と政治体制を示す共和国や社会主義などの
言葉以外は、通常カタカナが使われているようです。(例外は漢字文化圏くらいでは
ないでしょうか。)
そこで、カーボヴェルデの場合、「岬」と訳さず、「カーボヴェルデ共和国」と呼ぶ
のかな…。

ではでは、“Verde”ってどういう意味でしょうか。
名前には、由来があるものです。
日本の場合、諸説乱立していますが、アメリカなんかは、発見者Amerigo Vespucciの
ラテン名Americusにちなんでいるって、ハッキリしていますよね。では、“Verd
e”にだって、何か意味があるはずです。
私の手元には適当な資料も辞書もありません。
前田博士、何かご存知なことがあったら教えて下さい。眠れないー。

 スガイミサト

contentへ 


トップへ戻る