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Essay ▼ 202 硫黄山と知床五湖
Letter▼ イオウ噴出・秋深し


知床五湖のうち一湖の遠景。笹原の向こうの湖面が見える。


一湖へ向かう木道。その向こうにはオホーツク海が見える。


木道から見た笹原。


一湖へ向かう木道。


知床五湖のうち五湖。


知床五湖のうち四湖。


知床五湖のうち三湖。


知床五湖のうち二湖。


知床五湖のうち一湖。

(2021.10.15)
 9月に世界自然遺産の知床にでかけました。2019年は、6月と10月に訪れたのですが、いくつか見れなかったところがありました。そこを見たいと思い、再度、訪れました。

 知床は、世界自然遺産の地として、自然の回復や、野生動物、特にクマやエゾシカとの共存などに力が入れられています。クマやシカをできるだけ駆除することなく、市民生活も観光も進めていこうとしています。例えば、観光客のキタキツネへの餌やり、クマの撮影ために近づきすぎるアマチュアカメラマンなど、いまだに人側の無理解のための事故も起こっています。そのような人間側への注意喚起も繰り返しおこなわれています。
 最初に訪れたのは、初夏でした。その時期は、クマが活発に動き回る時期で、遭遇の機会が多く、コースで痕跡があったら、すぐに閉鎖されます。また、知床五湖などの決められたコースであっても、その時期はガイドと共に歩くことになり、自由に観察しながら歩くことができません。
 秋であれば、レクチャーさえ受ければ、個人で自由に歩くことができます。知床、北海道の北にあるので、冬の訪れも早く、初雪や寒さもあります。10月にいったときは、山には冠雪がありました。風もあったので非常に寒い思いをしました。ですから、今回は、2度の訪問で見ることのできなかった知床五湖やフレペの滝、知床峠からの眺め、羅臼の間欠泉を見ることにしました。幸いにもいずれも見学できました。
 知床半島の西側にあるウトロ周辺の知床五湖を紹介しましょう。知床五湖は、名の通り5つの湖があり、観光の中心地で多くの観光客が訪れます。湖畔から眺める景観は、林に囲まれた湖面がきれいです。一番大きな一湖からみると、湖面の一方が林で、もう一方が笹原になっています。湖面越しに、知床の脊梁山脈が見えます。山脈と反対側には海が見えます。壮大な景観となりす。
 中央に脊梁山脈が走る知床半島の西側に、なぜかここだけ広く平らな土地が広がっています。そこの知床五湖は位置してます。
 この平坦地は、背後にある知床硫黄山の火山活動によってできたものです。知床硫黄山は、年代測定によって約24万年前から火山活動がはじまったことがわかっています。安山岩マグマが繰り返し活動して、溶岩や火山砕屑物を放出して、成層した火山として成長してきました。
 成層火山でしたが、西側にむかって山全体が崩れるような噴火を起こしました。このようは噴火を山体崩壊と呼び、流れ下った岩石を岩屑雪崩(がんさいなだれ)と呼びます。岩砕雪崩が流れ下ったところには、なだらかな地形になりますが、雪崩に含まれていた大量の大きな岩塊が混じった、ごつごつとした地形ができます。このような特徴的な地形を、流山(ながれやま)といいます。
 硫黄山の山体崩壊による流山地形によってできた平坦地に、できたものです。この岩砕雪崩の堆積物の直下にあった堆積物の年代測定が行われました。年代は3700年前(3740±40年前)でした。ナマコ山溶岩ドームからの火山灰の年代値(3700±60年前)とも一致していました。
 山体崩壊を起こした噴火は、硫黄山の山頂に2つある火口のうち、南側のものです。その後、2つの火口の間に、2つの溶岩ドーム(ナマコと南峰)ができまし。4000年前の山体崩壊で、この平坦地ができ、そこに水がたまって知床五湖ができました。
 大正から昭和の戦後にかけて、この地は開拓がなされました。最初、1914〜1915年に、岩尾別に7家族が入植ました。その後、3度の入植があり、最大で60戸ほどの集落ができました。この地は、流山で畑作には向かないので、酪農がおこなわれました。しかし、自然環境も厳しく、農業には向いていないこともあり、1973年には最後の離農者がこの地を離れました。1970年代には、日本では土地への投機や買い占めが起こ、乱開発の危機となりました。
の影響が、ました。
 一方、1964年には国立公園に指定され、残された自然の豊かさも評価もされてきました。2005年に世界遺産に登録されました。国立公園指定地域外で進む、買い占めや乱開発から自然を守るために、1977年から「しれとこ100平方メートル運動」が起こりました。これは、市民からの寄付金で開拓跡地を買取り、自然の状態に戻していこうという運動でした。
 買取り予定の土地がすべて入手され、運動の目標は達成されました。運動が一段落して、1997年からは「100平方メートル運動の森・トラスト」という新たな組織になり、現在も活動が続いてきます。トラストは、開拓された土地を、自然の状態に戻すために、苗木の植え付けやエゾシカの食害防止策などをおこなっています。
 知床五湖の歴史を見てきましたが、知床は今も変貌しています。しかし、4000年前に火山噴火により大きな変貌を遂げ、現在の地形になりました。噴火直後は、植物もない、殺伐たる荒野だったはずです。その後、流山に見合った植生や野生動物が回復してきました。その豊かな自然を利用するために、人が入植して、50年ほどかかって開墾して農地にしました。しかし、知床の過酷な自然に負けて、開墾に失敗しました。そして人は、この地をもとの自然に戻そうと、20年かかって現状にまでしてきました。
 自然も、クマもエゾジカも、何も語りません。自然のままに生きています。しかし、ある時はクマは守るべき象徴となり、ある時は害獣になります。エゾジカもキタキツネも観光客にとっては自然の象徴に見えますが、この地に暮らす人にとっては、食害や病気をもたらす存在になります。
 知床は、24万年前から火山に翻弄され、加えてここ100年ほどは人に翻弄されているようです。どの姿が知床本来のものなのかはわかりませんが、美しい景観の背景に、そのような自然と人の歴史がありました。


Letter▼ イオウ噴出・秋深し

・イオウ噴出・
硫黄山では、北西の中腹の火口(第1号火口)から、
イオウの溶岩が流出する噴火が、何度か起こりました。
イオウが、今でも岩陰から見つかることがあるようです。
大きな標本は大学の標本で見ました。
木の枝に黄色いイオウが固まった絡まっていました。
溶岩として飛び出した明らかの証拠でした。

・秋深し・
北海道は寒さが増してきました。
秋の紅葉も今年は不揃いで
あまりきれいにはなっていません。
北海道は家全体を温めるような
灯油ストーブを焚きます。
焚きはじめは、ホコリなどが燃えるために
変な匂いがするため、天気のいい日に
事前に一度炊いておきます。
先日、自宅で暖房のためにストーブを焚きました。
いよいよ秋も深まってきました。



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