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Essay ▼ 189 宗谷:氷河のあった頃
Letter▼ 来年のこと・後期も遠隔授業が主


宗谷の丘陵地帯の周氷河地形。


宗谷の丘陵地帯の周氷河地形。


豊富の丘陵地帯の周氷河地形。


周氷河地形のち2万5000分の1地形図。


上と同じ範囲の10mメッシュによる地形。


上と同じ範囲の地上開度による地形解析図。


上と同じ範囲の地下開度による地形解析図。


上と同じ範囲の傾斜量による地形解析図。

(2020.09.15)
 氷河期に周期性があることは、よく知られています。周期性を現在の気候変動に当てはめて考えることが、なぜかなされていません。宗谷の氷河地形から、氷河期に思いを馳せましょう。

 9月初旬にスケジュールを空けることができたので、道東に今年はじめて野外調査する予定を組んでいました。ところが、8月末に体調不良を起こし、短期間ですが入院しました。その体調不良のため、野外調査の中止も含めて当面の計画もすべて変更になりました。まあ、悪く考えるときりがないので、考え方を切り替えて休息できたと考えましょう。
 今回こそは、新しい調査の様子を紹介したかったのですが、昔いったところを紹介することになります。残念ですが、しかたがありません。ご了承ください。
 氷河期の話からはじめましょう。最も新しい氷期(ヴュルム氷期)は、最終氷期とも呼ばれているのですが、7万年前〜1万年前までの期間です。日本列島では、日本海と太平洋の間の海峡が狭く浅いため、氷河期には太平洋からの暖流の流入がなくなりました。そのため日本列島はより寒冷化し、西日本にも亜寒帯の植生となっていました。降雪量が少なかったようで、氷河はあまり発達していませんでした。もちろん、高山地帯の日本アルプスや高緯度の日高山脈では、山岳氷河が形成されていました。氷河期の最盛期には列島だけでなく大陸とも陸続きになっていて、動植物の移動し、人類も歩いて来ていました。
 ヴュルム氷期が終わると、急激な温暖化の時代に入っていきます。日本では縄文時代となります。地質時代区分では、完新世(かんしんせい)と呼ばれる時代になります。完新世のはじまりは、1万1700年前とされています。この時期から急激な温暖化が起こります
 氷期と間氷期には周期があります。その周期は10万年が優勢だと考えられています。あまり規則正しい繰り返しではありませんが、ここ100万年間ほどは、10万年周期になっています。それ以前は4万年周期になっています。いずれにしても氷期と間氷期が、繰り返されることが、ここ2、300万年間の地球の気候変動の特徴となっています。ですから、10万年の周期性は今後も繰り返されそうです。
 この氷河期と間氷期の周期には、変動のパターンが決まっています。間氷期の温暖期は短く、1万年ほどで終わります。その後、一気に氷河期に入っていき、平均気温で10℃ほど下がります。氷河期に入ってもじわじわと気温が下がり続けて、氷河期の終わり頃にもっとも寒冷になります。そして、間氷期になり一気に温暖化が起こり、10℃ほど上がります。このようなパターンを、氷河期と間氷期で何度も繰り返してきました。
 現在の間氷期は、1万年ほど温暖な時期が続いています。現在もっとも暖かかった縄文期より2℃ほど下がっています。もし、これまでの変動のパターンが繰り返されるのなら、近うちに、再度、氷河期に入っていくと予想されます。これまで、氷河期への転換は短期間で起こってきました。ですから、いつ氷河期に転換し、寒冷化しても不思議ではありません。そして一旦、氷河期が訪れると、寒冷期は10万年間ほど続きます。
 地球温暖化が問題になっていますが、これは数10年、せいぜい百年間の単位での予測です。しかし、上で述べたように、数万年、数十万年、数百万年の単位で地球史を見ると、全く違った未来が見えてきます。
 この過去の歴史を地質学者はよく知っているので、温暖化というものはあったとしても、温度の変動幅や人類、生態系への影響を考慮すると、寒冷化の方を問題視、危険視しています。なかなか声高に主張する地質学者が少ないのですが。
 北海道では、氷河期に氷河のあった証拠がいくつも見つかっています。
 氷河は主には山岳地域にあったもので、山岳氷河の証拠になります。その痕跡が、山岳地形のカールとして残されています。本エッセイでも、幌尻岳のカール(36 幌尻岳:石を愛でる楽しみ 2007.12.15)として、取り上げたことがあります。カールとは、稜線に雪が貯まり、氷として固まって移動することで、山腹が丸くスプーンで削られたような地形ができていきます。カールの底は平坦になります。カールの周辺では、岩盤に氷河擦痕(氷河にけずられた痕跡)や、カールの先にはモレーン(氷河に運ばれ土砂のたまった地形)の堆積物などが見つかって、氷河あったことがわかります。
 このような氷河地形を見つければ、そこに山岳氷河があった証拠となります。幌尻のカースでは、モレーンの地形が2段あることから、2万年前と4〜5万年前に氷河が成長したこともわかっています。
 また、氷河のあった地域には、適応した高山植物(ツクモグサ)や動物(北海道のナキウサギや本州の雷鳥など)が生息し、高山には現在も残っていてます。生きた化石、氷河期の生きた証拠となっています。
 さて、前置きが長くなりました。今回紹介するのは、山岳氷河ではなく、比較的平坦な丘陵地帯でできる氷河の周辺にできる地形です。周氷河地形と呼ばれる氷河期にできた地形です。
 日高山脈は北海道の中央部を南北に走る山脈です。襟裳岬から、道央の大雪山まで続きます。これが北海道の脊梁ともなっている山並みで、急峻な地形となっています。しかし、大雪山より北側では、急峻さはなくなり、宗谷岬まで穏やかな山並みが続きます。
 宗谷周辺の山並みには不思議な地形が広がっています。景色は、典型的な北海道の酪農地帯なのですが、ゆるい傾斜の丘が広がっています。しかし、谷は、急な切り込みとして船底状や皿状の谷(デレと呼ばれるもの)が刻まれています。このような不思議な丘陵地形は、酪農に適していて利用されています。
 宗谷の丘陵地帯は氷河の周辺にあたっていて、硬い岩盤ではなく土壌もあり、植生も少なかったため、このような周氷河地形ができました。 氷河期に終わって、宗谷には林がありましたが、明治に起こった山火事により、樹木がなくなりました。その後も低温と強風のため、樹木が回復せず、草原地帯になっています。そのため、周氷河地形がよく見れるようになっています。
 また、地中の温度が氷点下になり凍結して土壌に破砕が生じます。凍結と融解が繰り返されることで構造土、地表面が盛り上がったピンゴやパルサなどと呼ばれる丸い丘ができます。ピンゴが陥没してたアラスと呼ばれる凹地もできます。このような周氷河地形が宗谷周辺の丘陵にはあります。
 実は、宗谷へは、ここ2、3年、何度か周氷河地形を探して観察しにいったのですが、なかなかいい場所が見つかっていません。再度、訪れて、典型的なところを見つけたいものです。今年度は宗谷へいくことはできません。しかし、来年度には、もう一度でかけたいと思っています。


Letter▼ 来年のこと・後期も遠隔授業が主

・来年のこと・
今月上旬の道東への調査も、日程と、大学の許可で
なんとか出かける予定を組んだのですが、
都合で出かけられなくなりました。
今年は新型コロナウイルスで、
まったく野外調査ができてませんでした。
来年度は、新型コロナウイルスがどうなっているかはわかりませんが、
この様子ならば、道外への調査は難しいと考えています。
次年度の調査計画は、道内だけで組もうかと考えてます。
9月なのに来年年度のことを考えるのは、早すぎるでしょうか。
実は、9月下旬から、来年度の科研費の申請がはじまります。
そのため、来年度のことをついつい考えてしまいます。

・後期も遠隔授業が主・
来週の連休明けから、大学の後期の講義がはじまります。
対面授業も一部で復活します。
大人数の講義は、遠隔授業でおこなわれます。
遠隔授業も、ライブ授業は許可されていません。
対面授業が復活するため、
学生にとっては、大学と自宅での受講が混在するため、
遠隔でのライブ授業を、聞けない学生がでてくるためです。
なかなか悩ましいものです。



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