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Essay ▼ 135 湯河原:侵食の隙間にて
Letter▼ 熱海・温泉 


湯河原の5万分の1地形図。


湯河原のランドサット衛星画像。


湯河原の地形解析の高まりの尾根筋などの状況がよく分かる。


湯河原の地形解析の地下開度図。河川の解析状況がよく現れている。


湯河原の地形解析の傾斜量図。河川の解析度と真鶴半島まで続く溶岩、外輪山など、地形の変化がよく合わられている。


湯河原の別表現の地形解析の傾斜量図。

(2016.03.15)
 湯河原は、我が家族にとっては懐かしい街です。あまり長い期間住んでいなかったのですが、その後訪れていないので、ますます懐かしさがつのる街です。そんな湯河原の地質学的な生い立ちを見てきましょう。


 神奈川県の南西部にある湯河原は、箱根と熱海に挟まれ目立ちにくく、交通も隘路を経由するので行きづらい場所です。関東の奥座敷や別荘地、保養所として、関東の首都圏にお住まいの方には、知る人ぞ知る地ではないでしょう。ただ実際に、訪れた人はどれくらいるでしょうか。熱海や箱根と比べれは少ないのではないでしょうか。
 私にとって、湯河原は思い出深いところです。11年間務めていた神奈川県にある博物館が県の西部に移転しため、私も湯河原に自宅も移したので馴染み深い地となりました。馴染み深い地なので、このエッセイでも取り上げていただろうと思っていたのですが、一度も取り上げていませんでした。私が博物館の仕事として湯河原の紹介や解説を何度も書いていたため、すでに扱っていた気がしていたのですが、勘違いでした。今回は、湯河原を紹介します。
 湯河原は、私にとっては懐かしい地ですが、転職後、訪れたことがないので、古い記憶に基づくものです。しかし、地質学の扱っているの情報は、人間歴史と比べたら、ずっと過去のことなので、問題はないでしょう。まあ学問も進歩すのですが、それはいかなくても把握できますので。
 さて、関東と東海を結ぶ交通路には、主に3つのルートがあります。北側は東名高速や国道256号、JR御殿場線などが通る山北のルートです。ここは箱根と丹沢の境界にあたり、酒匂川が流れているので、狭いですが、交通路としては納得のできるルートですが、少々遠回りになります。真ん中のルートになるのが、箱根超えです。小田原から箱根を越えていく国道1号線が通るルートで、くねくねとした山を登攀する道となります。南側は、小田原から海岸沿いに熱海までいき、熱海から山越えで函南から三島に抜けるルートです。東海道線と東海道新幹線がこのルートを通っています。険しくいルートで、JR線はトンネルが続きます。神奈川(関東)と静岡(東海)の境界は、伊豆から箱根、そして丹沢へと続く山並みの連続で境される地形的区分がもとになっています。
 箱根の南山麓に位置するのが湯河原で、熱海ルートの途中になり、険しい道です。海岸にまで山が迫っている隘路がいくヶ所もあり、交通の難所でもありす。しかし、熱海という一大温泉観光地が控えているので、交通路は重要になります。湯河原にも温泉はあるのですが、熱海が有名な温泉地なので、日常生活するには静かで落ち着いた街になっています。
 箱根から湯河原までの地形は、箱根の中央火口丘に位置する駒ケ岳周辺の火山から、カルデラ湖の芦ノ湖、外輪山の大観山、そして麓から相模湾へと続きます。多くは、山がそのまま海に落ち込むように、急な山並みからすぐに海へと続きます。ただし、湯河原と熱海だけには、平地が少しあります。
 湯河原は外輪山が深く高く、海との間に少々距離があります。河川が侵食を受け、その堆積物がつくる狭い平地があります。新崎川と千歳川の2つの川にはさまれた河口にできた狭いの平地が、湯河原の町並みになっています。山が海に迫っている地形からわかるように、後ろには箱根火山を構成している山並みがそびえています。その前にも、2つの川の真ん中にある城山、新崎川の北に位置する幕山や南郷山があり、真鶴半島へとつづく高まりがあります。
 湯河原を取り囲むすべての山並みは、箱根火山に関連したものです。
 箱根火山が巨大な成層火山として、40万から23万年前まで活動していました。その後、23万年前に大規模な軽石を出すような噴火によって、成層火山をふき飛ばし、大きなカルデラを形成し、今の芦ノ湖になっています。そのカルデラの壁となったのが外輪山です。湯河原から見える一番高い山並みは、この外輪山です。
 23万年前以降、13万年前にかけて、外輪山の南東側からも単独の火山(単成火山)がいくつか活動しました。大猿山溶岩、岩溶岩、白磯溶岩、本小松溶、真鶴溶岩の5つのグループがあるとされています。これらは数カ所の火口が北西から南西に連なる火山の活動でした。安山岩からデイサイトの溶岩ドームがいくつも連なっていたようです。幕山も南郷山も、同じ時期の15万年前の火山活動でできた溶岩ドームです。真鶴半島も一連の火山活動でできました。
 幕山は湯河原梅林で有名で、梅林の奥には柱状節理がみえます。この火山岩は、デイサイトと流紋岩が縞模様をつくっており、2種類のマグマが混在していた状態を示しています。柱状節理が幕のようにみえるので、幕山と呼ばれているそうです。
 13万年前以降、箱根の火山活動は、カルデラ内だけになりました。湯河原では火山活動はおさまり落ち着いてきました。火山は、大地を盛り上げる活動です。火山活動がおさまると、奥深く大きな外輪山からもたらされる豊富な水によって、河川が形成され、侵食が進みます。河川沿いは、解析が進み生活の場にできるほどの平地もできます。河川によって運ばれた堆積物によって、河口に小さいながら平地を形成しました。それが湯河原の大地の生い立ちです。
 それまでの借家や公舎住まいから、中古物件でしたが、はじめて一軒家を購入して住んだのが湯河原でした。家族で移り住み、次男が生まれたのもこの地です。そのため、私にとって湯河原が思い出深いのです。
 国道は観光用の道路でもあるので、休日には渋滞するのですが、国道から離れれば、生活するには問題はありませんでした。国道もコツがわかれば、渋滞でたうまく通れました。町の中は交通で混むこともなく、それなりの観光地でもあるので、暮らしを楽しむには、なかなかいい町でした。そんな落ち着いた町ができたのは、地質や地形の恩恵があったからなのでしょう。


Letter▼ 熱海・温泉

・熱海・
熱海も湯河原と同じように、2つの河川によって
侵食、堆積作用を受けて平地ができています。
湯河原の方がやや広いようです。
熱海は、湯量や歴史もさることながら、
湯河原よりも交通の要所だったようです。
これは、伊豆の方に伸びる線もあるので、
熱海には新幹線の駅もできています。
でも、私は奥まった落ち着いた湯河原が好きでした。

・温泉・
家があった住宅地は
別荘や保養地を中心とした団地ですが、
そこに定住している人もそれなりにいました。
私が購入した中古住宅は、
もとは小さい企業の保養所でした。
小さいのですが庭があり、
その庭の大半が石造りの露天風呂がありました。
団地には居住者がつくっている温泉組合があり、
加入すれば、垂れ流し温泉に引ける
という特典がありました。
加入金と月々の支払がなかなかのものだったので、
温泉を引くことは諦めました。
しかし、町民のカードを見せれば
格安で入浴できる町立の日帰り温泉施設があり、
そこに時々入れば、満足できました。
それも住みよさのひとつでした。



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