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Essay▼ 118 市街を守る陣立て:桂浜
Letter▼ 中秋の名月・不幸中の幸い


高知の桂浜。


桂浜には砂浜、岩石、岩礁、松の緑、海と空の青がある。


この辺りの地層は四万十層群の砂岩と泥岩からなり、砂浜に点在する岩は砂岩である。


砂岩の接写。


桂浜の遠望。遠くには浦戸湾への入り口を守るように人工物がある。


南にも点々と波消しの用の防波堤が見える。


桂浜で有名な坂本竜馬像。


岩礁からみた桂浜。


十六夜の名月。


桂浜周辺の地形図。


上と同じ範囲の航空写真。


上と同じ範囲の航空写真と地質図を合成したもの。


上と同じ範囲の地形解析の地上開度図。


上と同じ範囲の地形解析の地下開度図。


上と同じ範囲の地形解析の傾斜量図。


広域の地質図。

(2014.10.15)
  桂浜は、観光地として有名です。そんな観光地でもあるのに、人目にふれるところに大規模な防波堤などの人工物があります。そこには、人が自然の地形を古くから利用してきた歴史を感じ取ることができました。


Essay▼ 118 市街を守る陣立て:桂浜

 9月の調査では、日程と時間の都合で、桂浜の宿に到着時と出発時の2度同じ所に泊まりました。結果としてそれがよかったのですが、それは後の話しです。
  さて、私の興味は、景勝の地の背景にある自然、そして露頭です。自然によって成り立っている景勝地は、たいてい岩石や地層が、その基礎となっています。桂浜もそうです。丘や岩礁に岩石ができています。
  高知空港から桂浜に向かうときは海岸を県道14号線(黒潮ライン)で進むことになります。14号線を東に向かうと、平野からやがて海と丘陵に囲まれた海岸を進み、そして小高い丘に至る直前に橋を渡ります。一見河口にみえるような狭いところに掛かる橋ですが、それは湾のくびれとなっています。橋を渡り丘を回ったところが桂浜になります。小雨の中、まずは宿泊地のホテルに向かいました。丘の上に来るのは初めてです。ホテルの横には、高知県立坂本龍馬記念館があります。雨の日の夕方なので、この記念館を見ました。
  桂浜は、以前に一度みにきていて、あまり岩石がよく見えない海岸なので、地質学的にはあまり興味が湧かないところです。地質の見学には、高知市から少し離れれば、自然の砂浜、岩場などがいっぱい広がっていて、似た地層がよく見れるところがあるのですから。
  それでも桂浜は、有名な観光地でもあり、朝、時間があったので、見学しました。丸く湾曲した砂地浜の海岸、その先に突き出た岩礁、後ろに小高くそびえる丘などが、狭い地域に多様な要素が組み込まれています。丘には松の緑が覆います。砂の白、海の碧、空の青とのコントラストもきれいです。岩礁や丘の上から桂浜を眺めると、海岸線の優雅な幾何学的カーブ、水平線のあるかないかの緩やかな湾曲とが見てとれます。自然の織りなす変化に富んだ景勝の地でもあります。
  高知の市街地のすぐ近くにこのような景勝の海岸があるのは、なかなかいい環境です。ところが高台のホテルからは、丘にある緑の松越しにみる白い砂浜の桂浜はきれいなのですが、その向こうに見える防波堤はやはり違和感があります。
  桂浜に立っても、北(市街地ある方)を見ると、防波堤や堤防などコンクリートや岩石による人工物が海岸を覆っています。景勝地に、なぜこのような人工物かあるのだろうかと思うのですが、地形図をみるとその理由がわかります。
  人工物は、湾の入り口を守っているのです。堤防の奥は、狭い海峡をもつ浦戸湾となっています。桂浜に至る県道14号線で渡った橋も、この海峡にかけられたものです。湾の一番奥に、鏡川などの河川が形成している平野があります。この平野部は東西に広がっています。そこが高知の市街地となっています。
  海岸側には、海岸線と平行に小高い丘陵が点々と並んでいます。丘陵地の奥(北側)に、平野部が広がっています。高知市がある周辺は、海岸に平行に、丘陵、平野、そして山地が東西に並ぶような地形になっています。
  東西にならぶ地形は、地質構造の影響を受けていてできています。このエッセイで何度もでてきましたが、四国の南部は東西に並んで形成された付加体である四万十層群が分布しているところで四万十帯と呼ばれています。桂浜から高知市街の平野の南端の丘陵までは四万十帯になっているのですが、その北側の平野は全く違った地質が分布しています。つまり、丘陵が四万十帯の北の境界部にあたることになります。
  四国の地図をみると、高知県の海岸は、土佐湾を囲むように北に湾曲しており、東の室戸岬、西の足摺岬が海側に出っぱっています。出っぱりの部分は四万十層群が広く分布しています。一方、四万十層群の一番狭い部分が土佐湾の奥まったところにあたります。そこが高知市のある桂浜に当たります。ですから広く分布している四万十層群も、高知市では幅が狭く薄くしか出ていなのです。
  四万十層群の北には秩父層群と呼ばれる古い付加体があり、秩父帯と呼ばれています。そして秩父帯の中には、黒瀬川構造帯が点在します。黒瀬川構造帯は、古い時代に形成された、起源も少々変わった異質な岩石類からできています。市街の奥まった丘に高知城がありますが、黒瀬川構造帯の上に築かれています。まあ、これはまた別の機会の話としましょう。
  高知平野の手前にある丘陵までが四万十帯で、丘陵の端から平野にかけて秩父帯となり、平野の北側には黒瀬川構造帯が分布しています。秩父帯も黒瀬川構造帯も東西に並んで分布しています。
  桂浜の丘は、そんな四万十帯の丘陵の最前部となっています。16世紀はじめには、この丘の上に本山氏が海側の守りとして浦戸城が築かれて、16世紀終わりには長宗我部氏が用いていたそうです。そんな解説板を読んでいると、幾筋かの丘陵群自体が、守りの要所であることがわかりました。
  そうなると最前線部に立つ、天然の海岸と平行して並ぶ丘陵は擁壁、高知の市街地の後ろの黒瀬川構造帯も後衛の陣で、そして黒瀬川構造帯の最前部が高知城で本陣となっています。東西に伸びた秩父帯が本陣を守る陣、そして四万十帯が最も前の陣で、桂浜がある丘は、常に海に向かって警戒している最前線の陣です。地形や地質が、高知の市街地を取り囲むように幾重にも並んだ守りの陣立てにも思えました。
  現在では、桂浜の地は、防災の要所でもあるのです。防波堤に囲まれた浦戸湾には高知港があり、湾の最奥部に高知の市街地があります。昔の人もその地形を利用していました。今では坂本龍馬が青雲の志を抱きながら南の海に向かって立つ、明治維新の象徴の場となっています。
  桂浜は、自然の織りなす美しさと、自然の脅威への人知と天然による守りの陣の両方をみることができるところもであるようです。


Letter★ 中秋の名月・不幸中の幸い

・中秋の名月・
私が調査の最終日にとまったときは、9月の中秋の名月は終わっていました。
中秋の日には桂浜に灯りがともされ名月をめでる催しがありました。
ところが、あいにくの曇り空で月がよく見えなかったようです。
私がとまったのは中秋の翌日でイベントは終わっていたのですが、
よく晴れた月の綺麗に見えるよるでした。
そんな十六夜(いざよい)の月をホテルの窓から見ることができました。

・不幸中の幸い・
名月を見るなら、ホテルの窓越しより桂浜に出て見たほうがいいはずです。
それができない事情がありました。
実はぎっくり腰で動きがままならないまま行動していました。
帰る飛行機の便まで腰をいたわりながら日程を過ごしていたのです。
8日間の調査の6日目にぎっくり腰なったのです。
調査の目的を順調にこなし、最後の目的地の調査をするために
急な崖を降りている時、ぎっくり腰なりました。
痛みを感じながら、ゆっくりと崖をのぼって車にたどり着きました。
幸い車に座っている分には、痛みがあまりなく移動できました。
ですから最後のホテルも本来は一番安い部屋を頼んでいたのですが、
和室での寝起きは辛いので、ベットのある部屋を頼みました。
そこは高い部屋で一番眺めのいいところでした。
桂浜の名月も浜に降りることなく、部屋から見ることができたのです。
これは、不幸中の幸いなのでしょうね。



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