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Essay ★ 106 名南風鼻:太古を感じる
Letter★ デジャブ・キャンセル


名南風鼻の景観。


後期ジュラ紀から前期白亜紀の池ノ上層。


後期ジュラ紀から前期白亜紀の池ノ上層。


ばべ鼻の黒瀬川構造帯のペルム紀の砕屑岩類。


ばべ鼻の黒瀬川構造帯のペルム紀の砕屑岩類。


名南風鼻の黒瀬川構造帯の石灰岩。


名南風鼻の黒瀬川構造帯の石灰岩。


名南風鼻の黒瀬川構造帯の花崗閃緑岩。


名南風鼻の黒瀬川構造帯の片麻岩。


名南風鼻の黒瀬川構造帯の花崗閃緑岩。


名南風鼻の黒瀬川構造帯の花崗閃緑岩とそこに貫入する玄武岩。


名南風鼻の周辺の地図。


上と同じ範囲の航空写真。


上と同じ範囲の地質図。


名南風鼻の地図。


名南風鼻のパノラマ画像。

(2013.10.15)
  和歌山県の名南風鼻は、人もあまり来ない小さな海岸から行くことができます。この名南風鼻には、黒瀬川構造帯の岩石がでているところです。和歌山県ではもっとも古い岩石が分布しているところでも、太古を感じることができるとこでもあります。


Essay ★ 106 名南風鼻:太古を感じる

 9月中旬、和歌山県から三重県にかけ、調査に出かけました。しかし、日本各地に被害を出した台風15号が関東を直撃した時が、出発予定でした。東京羽田経由で南紀白浜空港に向かう日程で、乗る飛行機便は欠航でした。空港のカウンターで手続きをするつもりでに、一番列車でいったのですが、すでに長い行列ができています。アナウンスでは、ネットから便の変更や払い戻しができるとしていましたが、つながりません。1時間以上並んで、別の便に変更をしてもらいました。羽田から白浜への乗り継ぎのできる便は、2日後しかとれず、調査日程は大きく変更しなければなりません。しかたがありませんが、予定を変更することにしました。
  もともとは5泊6日の予定でしたが、3泊4日となり、乗り継ぎの移動日もあるので正味2日間が調査日となります。当初は、和歌山から山間部も通り三重の海岸をポイントを定めて周る予定をしていたのですが、時間的に無理になったので、少ない地点を、集中的に周ることにしました。一日2箇所、すべてで4箇所を、何があってもみることを決意して調査にでました。そのひとつが、今回紹介する、名南風鼻です。
  「名南風鼻」と書いて、「なばえ(の)はな」と読みます。南風は、通常であれば「みなみかぜ」や「なんぷう」と読みますが、「はえ、ばえ」という読み方をすることがあります。いずれの意味はおなじで、文字通り南方から吹く風のことです。漁師たちは、南風が吹いたら、天気が変わる前兆と考えていました。天気予報などがなかった時代には、このような言い伝え、経験則によって、行動していたのでしょう。地名にも用いられることもあります。
  また、「鼻」は、鼻のように突き出した地形、海では岬状の地形に対してつけられる名称です。ただし、半島や岬より小さな地形に対して用いられているようです。
  名南風鼻は、和歌山県有田郡広川町にあり、紀伊水道につきでた岬になります。紀伊半島に向かって西に突き出た細長い地形をしています。名南風鼻の南側は険しい地形となっています。名南風鼻は、南風がよく当たる「鼻」だったのでしょうか。
  国道や県道などの幹線道路からはずれた、あまり観光客がくるようなところでもない、目立たないところにあります。岩石を見るにも、小さな山道を歩き、ヤブをくぐり抜けて海岸に出てみることができます。ただし、地質学では少々有名なところでもあります。和歌山県では最も古い地層が出ているところです。
  名南風鼻の周辺には、いくつか黒瀬川構造帯の岩石が分布しています。名南風鼻の南にある「ばべ鼻」、鷹島、黒島の4つの岩体で、他の地層や海で分断されていて関係は不明です。しかし、和歌山の黒瀬川構造帯の分布はこの周辺だけいなります。ですから、小さい分布ですが、地質学的には重要なものとなります。
  名南風鼻とばべ鼻の間には、後期ジュラ紀から前期白亜紀の池ノ上層と前期白亜紀の西広層があります。いずれも陸から浅海でたまった地層で、大陸棚の斜面にたまったものです。黒瀬川構造帯の岩石より時代は新しいのですが、黒瀬川構造帯や秩父帯によく見られる堆積物です。
  名南風鼻とばべ鼻は、狭い海岸を隔てて隣り合った岩体なので、もともとは一連の黒瀬川構造帯であったと考えられます。
  ばべ鼻は、ペルム紀の砕屑岩類とシルル紀からデボン紀の酸性凝灰岩(チャートに見える)、花崗閃緑岩、そして少しですが片麻岩もあります。名南風鼻では、ペルム紀の砕屑岩類、石灰岩、トーナル岩、玄武岩の貫入岩、石英閃緑岩、片麻岩、角閃岩、蛇紋岩などがあります。鷹島と黒島にはいけなかったのですが、似た岩石が分布しています。
  このような岩石群の構成と特徴、時代などは、各地に分布する黒瀬川構造帯のものと同じです。和歌山の黒瀬川構造帯は、狭い範囲の分布しかないのですが、典型的な黒瀬川構造帯に連続することを意味しています。
  黒瀬川構造帯は常に秩父帯の中に存在します。周囲の秩父帯とは、断層で接するのですが、もともとの関係は不明です。
  黒瀬川構造帯は、周辺の秩父帯より明らかに古く、由来の違った岩石群をからできています。秩父帯は、海洋プレートの沈み込みともなって形成された中生代のジュラ紀から白亜紀の付加体で構成されています。一方、黒瀬川構造帯は、古生代初期から中期の大陸地殻を構成していた岩石やシルル紀からデボン紀の堆積物、ペルム紀の大陸斜面などにたまった堆積物などからできています。そして、黒瀬川構造帯は、長く連続することはないのですが、秩父帯の中に点在しているため、密接な関係があることは明らかです。
  紀伊半島は、一般的な西日本(地質学では西南日本といいます)の太平洋側(地質学では外帯といいます)の地質体の同じ構成となっています。外帯とは、中央構造線より海側の地帯をいいます。
  西南日本の地質構造は、四国で典型的な配列を見ることができるのですが、中央構造線から海に向かって、三波川帯、秩父帯、四万十帯という並びになります。三波川帯は低温高圧の変成作用を受けています。秩父帯と四万十帯は、付加体と呼ばれる沈み込み帯特有の地質体からなっています。秩父帯が古い付加体で、四万十帯は新しい付加体となっています。各帯の付加体の中でも、海に向かって構成岩石は新しいものになっています。
  黒瀬川構造帯の起源は、完全には解明されていません。いくつかモデルがあります。「黒瀬川古陸」が取り込まれたとするもの、巨大な横ずれ断層で遠くから移動してきたとするもの、大規模な褶曲により移動してきたというものです。いずれも、周りの地質とは明らかに異なった古い黒瀬川構造帯の地質体を持ってくるためのものです。その作用は、地質学で考えられる造構運動を用いてたもので、その根拠も示されています。
  どのモデルも一長一短があり決着をみていませんが、ここでは有力な褶曲によるモデルを紹介しておきましょう。
  非常の大きな褶曲による動きを想定するモデルは「クリッペ」説と呼ばれています。大陸地殻や付加体などからなる地質体が圧縮作用を受けると、激しく褶曲していきます。圧縮が継続すると、時に倒れた褶曲(ナップといいます)ができます。アルプス山脈などに実例があり、大規模な褶曲により長い距離を移動することが知られています。倒れた褶曲のうち、根本が侵食され、先だけが残ったものをクリッペといいます。クリッペは、周りの地層のと関係が不明まま、異質なものとなってしまうことがあります。クリッペは「根なし地塊」ともよばれることもあります。
  西南日本は、古くから沈み込み帯があり、圧縮する力がかかり続けている場です。「クリッペ」説は、内帯の黒瀬川構造帯を構成していた地質体(現在の地質体との対応は不明)が、激しい褶曲で海側に倒れてきて、やがて褶曲の根っこの部分が侵食され、先端部分が黒瀬川構造帯として残ったという考えです。ある時期、秩父帯が広く分布している上に黒瀬川構造帯がクリッペとして乗っかった、という歴史になります。その後、削剥によって黒瀬川構造帯が切れ切れになったとしています。このモデルであれば、異質な黒瀬川構造帯、秩父帯との関係も説明できます。ただし、このモデルもまだ検証されていないところがあります。
  秩父帯は、紀伊半島では和歌山の海岸付近に少し分布していますが、山間部で消え、三重で再び分布します。三重から東海にかけて、フォッサマグナまで分布は連続しています。四国から紀伊水道は挟んでいるのですが、連続している秩父帯が、和歌山で途切れます。和歌山の秩父帯にともなって黒瀬川構造帯がありますので、山間部に黒瀬川構造帯はなくなり、和歌山県の西と三重県の東部に細長く分布しています。
  秩父帯が消えているところは、北に四万十帯が張り出していることになります。分布が消えているのには、それなりの理由があるはずです。四万十帯には熊野酸性岩類が貫入しています。そのような貫入が四万十帯の高まりを生じ、秩父帯を消していったのかもしれません。このような分布の原因は、海溝に海山が沈み込んでいるためという考えもあります。
  名南風鼻へのルートは、資料があったので大体わかっていたのですが、狭いルートをいくことになっていました。山道は見つけたのですが、途中で森を降りる踏み跡があったので、そこを降りて行きました。もしかするともっといいコースがあったのかもしれません。最後は孟宗竹の藪こぎをして、海岸にでました。
  狭い海岸でしたが、苦労して辿り着いたところは、感慨もありました。ただし、帰りのことを考えると少々気も重いでしたが。やっと辿り着いた露頭ですから、じっくりと眺めよう思いもうまれます。南風もなく、穏やかな快晴の日です。ここでは、太古を感じることができます。
  本来ならもっとじっくりと時間をかけ、それこそぼんやりと佇(たたず)みたいたい気分のところでした。次の地点をめぐる予定もあったのと、食事も飲み物も用意していませんでしたので、見終わったらすぐに帰ることにしました。もちろん、同じコースを帰るときは、藪こぎをし、林の中の急斜面を登ることになりました。少々疲れましたが、達成感が湧いた調査となりました。


Letter★ デジャブ・キャンセル

・デジャブ・
名南風鼻の露頭をみたとき、
景色は全く違っているのですが、
愛媛県西予市の須崎海岸の黒瀬川構造帯の露頭を思い出しました。
須崎海岸には、西予市にいたときや、
西予市の調査で何度か行ったことがありました。
岩相は似ているところもあるのですが、
露頭の様子は全く違います。
でも、デジャブ感があったのはなぜでしょうか。
なかなか再訪は難しいので、
その謎は解けないでしょうが気になります。

・キャンセル・
飛行機の欠航によって、予定が大幅に変わり、
レンターカー会社、旅館へのキャンセルなど
いろいろ連絡をしました。
荷物もすでに送っていますので、
連絡も早めにしなければなりません。
どうスケジュールを組み直すのか
早急に決めかねればなりません。
そんな連絡もいろいろ大変な思いをしました。
もちろん、費用はもどってきませんが、
旅館のキャンセル料もとられなかったので、
痛み分けというところでしょうか。




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