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Essay ★ 81 歴舟川:一攫千金
Letter★ 弥永金博物館・パンニング・パン


歴舟川で採集した砂金。下の目盛は1mm幅。


歴舟川の砂金採取場所。


Landsatによる歴舟川の流域。


上の画像と同じ範囲の20万分の1地形図。


上の画像と同じ範囲の地形解析の地上開度図。


上の画像と同じ範囲の地形解析の傾斜量図。


上の画像と同じ範囲の地形解析の地下開度図。

雨のために、当日の撮影はできませんでした。昔の画像ですが下流域を紹介します。

10年近く前、歴舟川の下流での試料採取。


10年近く前、歴舟川の下流での調査。

(2011.09.15)
  十勝平野の主たる河川は十勝川です。平野の南に歴舟川という目立たない川があります。しかし、歴舟川は、昔、多くの人が夢を追いかけた川です。そしてその夢は今も継続しています。そんな夢を私も見に出かけました。


Essay ★ 81 歴舟川:一攫千金 

 歴舟(れきふね)川は、十勝平野の南側を沿うように流れています。大樹町は、町域のほとんどが、歴舟川の流域にある街です。流域面積は、558.5平方qです。歴舟川は、短い川(全長64.7km)で、二級河川です。歴舟川の名前は、アイヌ語のペ・ルプネイに由来しているという説があります。「ペ・ルプネイ」とは、「水が大きくなる川」ということで、「嵐や西南の風が吹く時は、急に出水する」という意味だそうです。
  源流は、北はヤオロマップ岳からペテガリ岳を経て、神威岳、豊似岳へと続く、日高山脈の南部の主峰に端を発します。上流部は日高山脈・襟裳国定公園になっています。短いながらも水量豊かな清流です。
  清流とは、清い水のことですが、水質で清らかさを示すことがあります。環境省は毎年、全国の河川や湖沼の水質測定結果を公表しています。全国の3335の水域(内訳は河川2561、湖沼184、海域590)を対象として、検査しています。河川は生物化学的酸素要求量(BOD)を、湖沼では化学的酸素要求量(COD)を基準に調査しています。環境省の調査で、歴舟川は水質の良さで、全国で一番に7回輝いています。歴舟川は、河川全体で、1リットル当たりBODが0.5mg以下という清流です。
  そんな清流、歴舟川に今年の夏、家族でいきました。目的は砂金探しでした。歴舟川は、実は今でも砂金の堀りが体験できるところとして有名です。以前も、歴舟川き来たことがあるのですが、下流で砂を採取しただけで、通り過ぎてしまいました。今回は、家族で砂金堀りしてみたいと、砂金堀り用の皿(パンニング・パン)も用意してでかけました。小学校5年生の次男は、「一攫千金」という言葉を何度も口にして、楽しみにしてました。
  午後を砂金掘りにあてていたのですが、午後から小雨が降り出しました。まあ、行くだけは行こうということになり、情報集めも兼ねて、道の駅「コスモール大樹」にいきました。「雨だから砂金が堀りができるでしょうかね」といわれました。採取できる場所を聞いて、とりあえず出かけました。その場所は、道の駅からは10kmほど上流にさかのぼります。
  歴舟川中流にあるカムイコタンキャンプ場にたどり着きました。途中前も見えないような激しい雨になりました。たどり着いたときは少し小降りになりましたが、まだ雨は降っています。河原にはキャンプしている家族、カヌーなどで川遊びしている家族などがいましたが、雨やどりをしたり、カヌーは雨の中を出かける準備をしていました。
  広い河原でした。「こんなとこでは、砂金は取れないだろうな」と思ってたのですが、キャンプ場の上流をみると怪しい一群がいました。彼らは、かなり大規模に川底を掘っています。たぶんそれが、砂金堀の現場だと思って、小雨の中、家族と共に行きました。
  年配のいかにも砂金を掘っているぞという感じの年配の方が3名、その人達に指導しているもらっている家族が2グループいました。参加するために、道の駅の人に聞いてここにきたこと、私たちも砂金堀がしたいこと、道具は持ってきたこと、などを説明しました。
  そのグループは、専門家を頼んで砂金掘りの体験を申し込んだ人たちと、それを指導する人たちでした。その体験は、有料でおこなわれているものです。ですから、私たちのような飛び込みのものは、参加できそうもありません。
  まあ、せっかく来たのですから、年配の方に挨拶をしたら、「自由にとっていいですよ」といってくださいました。「初めての人は、見てやり方を真似しなさい」ということなので、真似をしていました。でも、「カッチャ(砂れきをすくうスコップ)がないと難しいよ」と、いわれましたが、体験ですから、やってみました。家族で見よう見まねでしばらくやっていると、長男がそれらしきものを見つけました。おじいさんたちに聞くと、「砂金だ。そんなところでよく見つけたね」と褒めてもらっていました。最初の砂金を、持参したビニール袋にいれました。
  長男が本当に砂金を見つけたので、次男はライバル心をむき出し、家内もヤル気なりました。私は、時々、おじいさんたちに、話をしに行きました。やがて、自慢気に以前とった砂金を見せてくれました。かなり大きなものもあるようです。すべて、歴舟川でとったそうです。
  何度か話をしていると、おじいさんが今掘っているところをカッチャを貸してやるから泥をすくっていいと言ってくれました。砂金掘りの体験の人たちも、すでに砂金を結構とっているためでしょう、黙認してれくるようです。
  何度か泥をもらい、洗っていくと、家族でそれぞれが数粒の砂金を見つけることができました。その後も、砂金を入れる入れ物や、そこへの入れ方など、いろいろ教わりました。すべて、体験に裏打ちされたノウハウでした。雨にぐっしょりになりながらも、家族全員満足しました。
  さて、大樹町の砂金ですが、じつは古くからその存在は知られ採取されていました。1635(寛永12)年から海岸付近で採取されていたといわれています。寛永といえば、江戸時代の初期です。その頃から、北海道、蝦夷(えぞ)の地で、砂金が見つかっていました。
  明治時代になると、採掘が本格化してきます。次男ではありませんが、一攫千金を目指して、全国から砂金を掘りに人が集まりました。ゴールドラッシュが起こりました。周辺の海岸や川で砂金堀りが盛んにおこなわれ、多い時には1日で100gもとれる日が何日も続いたということです。
  金の相場は、変動が激しいものです。グラム当たりの価格は安い時では1000円、現在急騰中の高い時には5000円ほどになります。当時としても、かなりの現金収入になったのでしょう。まさに一攫千金の夢だったのでしょう。
  最盛期は明治30年から大正にかけてまで、歴舟川には、100人近くの掘り師がいたようです。専門の掘り師は、1971(昭和46)年を最後にいなくなったそうです。愛好家によって、歴舟川では、今も砂金掘りがおこなわています。砂金の指導者のおじいさんたちは、そんな愛好だったのでしょう。しかし、素人が2、3時間パンニングをするだけで、それなりに採れるということは、やはり砂金が豊富にあるのでしょう。
  江戸時代に見つかった海岸の砂金は、もともとは歴舟川から流された砂金が海岸で洗われてたまったものです。それほど歴舟川には、砂金が多かったのでしょう。歴舟川の源流の山並みは、日高変成岩類や深成岩類などです。その構成物には花崗岩類があり、金が含まれることがあります。
  毎年、雪解け水や洪水など、少しは流れてくるでしょうが、その量は微々たるものでしょう。しかし、長い期間をかけて、河川の侵食、運搬、堆積作用によって、砂金として蓄積したものです。砂金も掘りつくしてしまえば、やがては限りある資源と同じようになくなるのでしょう。しかし、専門の掘り師がなきあとなら、市民が楽しむ程度には流され、蓄積されていくのでしょう。
  砂金探しは、かつては一攫千金の夢を見させてくれるものでした。この夢は、昔、この地で砂金を掘った人達の夢でもあったのですが、今では、子供も楽しめる夢となっています。機会があれば、また砂金堀りにいきたいものです。一攫千金を夢見て。


Letter★ 弥永金博物館・パンニング・パン

・弥永金博物館・
札幌の北海道大学の近くに弥永(やなが)博物館があります。
館長の弥永芳子さんは、古銭の収集から、
道内の砂金採取の歴史なども研究され、
著書「北海道の砂金と砂白金」もあります。
そして砂金も実際に集められています。
以前見学に行ったのですが、
なかなか見ごたえのある資料がいろいろありました。
私設の博物館ですが、砂金や金に興味がある方は
一見の価値はあります。

・パンニング・パン・
以前カナダに行った時、
山師たちが使う砂金用の皿(パンニング・パン)を
購入したことがありました。
重鉱物を採取するつもりで購入したものですが、
ほとんど使うことなく、
以前所属していた博物館に寄付してきました。
3年ほど前、博物館の友人と北海道を調査した時、
博物館では今、砂金を集めているとのことで、
夕張川でパンニングをしたら、あっさりと見つかりました。
私もやってみたのですが、ダメでしたが。
私も、砂金に興味が出てきたのでパンだけは、
家族分購入していました。
この夏まで行く機会がなく、
使ったこともありませんでした。
パンは四国にも持っていったのですが、
一度も使うことはありませんでした。
ですから、今年の夏、やっと使りました。
なかなか良い成果をあげることができました。
専門家がいる近くで、専門家の力を借りながら
やったおかげでしょう。
いい経験をしました。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)、
数値地図25000(地図画像)、
数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)、
数値地図10mメッシュ(火山標高)及び
基盤地図情報を使用した。
(承認番号 平21業使、第53号)」

解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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