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Essay ★ 77 龍安寺:石庭の宇宙
Letter★ 桜・矛盾


龍安寺の石庭の島


石庭の島AとB。 1:礫岩。 2:玄武岩質礫岩(ハイアロクラスティック角礫岩)。 3:層状チャートか珪質角礫岩。 4:層状チャート。


石庭の島C。 5:玄武岩質礫岩(ハイアロクラスティック角礫岩)と砂岩。


石庭の島D。6:枕状溶岩の玄武岩(ハイアロクラスティック角礫岩)。 7:砂岩


石庭の島E。8:玄武岩質砂岩(ハイアロクラスティック砂岩)。 9:砂岩。 10:玄武岩質砂岩(ハイアロクラスティック砂岩)。


石庭の島F。11:層状チャート。 12:砂岩


石庭の島G。13:砂岩。 14:層状チャート。 15:礫岩


15個すべての石がみるはずの位置。


吾唯足知(吾唯足るを知る)の石の蹲踞(つくばい)。花崗岩からできている。


衣笠の道沿いの崖でみられる層状チャート。

(2011.05.15)
  今回は、地域を取り上げるのではなく、ある寺院内の石庭が舞台です。非常に小さい石庭から、地域の地質の特性を見出すことができます。宇宙すら感じることができます。この石庭を眺めてきた多くの人の視線や思念が、ここには、こもっている気がします。庭を作った人の作為、維持している人の努力、眺める観光客の視線や思念が、この石庭をより深いものにしているのかもしれません。


Essay ★ 77 龍安寺:石庭の宇宙

 昨年、愛媛県に滞在しているとき、京都の実家まで帰省をなんどかしました。朝のJRの特急に乗れば、昼過ぎには京都に着きました。料金もそれほど高くないので、親孝行のつもりもあって帰省しました。
  帰省して時間があれば、昼間は京都の街をぶらぶらと散策しました。夜は、母や兄弟、親戚の人たちと会い話をしたり、母の代わりの祭りの手伝い役などもこなしました。まあ、特別な目的があって帰省してるわけでも、母以外に連絡しているわけでもありませんので、私が帰っているというのを聞きつけて、ぽっつりぽっつり訪問者がいるていどで、のんびりと過ごしました。そして訪れた人と、じっくりと話をしました。
  京都の散策で、あるとき衣笠(きぬがさ)にでかけました。京都の西の金閣寺や仁和寺があるあたりです。観光地ですが、観光シーズンからも外れで、梅雨の時期でもあったので、観光客も少なく、比較的のんびりと見て歩くことができました。衣笠では、金閣寺や仁和寺の有名なところも見ましたが、龍安寺の石庭をみることも目的でした。龍安寺には、以前にも2、3度来ているところなのですが、久しぶりに訪れました。
  金閣寺から龍安寺にまでの道(きぬかけの路と呼ばれています)を歩いていくのですが、立命館大学沿いの道に崖があり、その崖には層状チャートが見ることができます。衣笠付近には、層状チャートが分布しているようです。
  このように私は、地質学を初めて以来、石があれば、その石を見ることが習い性となっています。崖があればそこの地層を見、庭石があればその由来を考え、石段があれば石の種類を調べ、石積みがあれば近くの採石場を想像してしまいます。観光地でもあっても同じことをしてしまいます。まあ、いつものことですから、私自身はそれが通常なのですが。
  龍安寺は、小さな寺ですが、石庭が有名で、世界遺産にも登録されています。石庭は狭いのですが、禅における世界観を感じさせる静逸さが魅力です。龍安寺は、禅宗のひとつの臨済宗(りんざいしゅう)の寺院です。
  訪れた人の多くは、縁に腰おろし、庭を眺めます。庭を眺めながらも、無言のまま、自分自身の思いの世界に浸りこんでいきます。極限まで単純化された石庭に何をみるでしょうか。内省するのでしょうか。未来を考えるのでしょうか。宇宙を見るのでしょうか。私は、石をみます。
  石は、白砂のなかに、ぽつりぽつりと置かれています。白砂の中に点在している石は、コケが周辺には生えていて、島のように見えます。石の配置には、対称性も規則性もありません。不規則なようですが、何かの調和があるような不思議な配置をもっています。それが作者の意匠なのでしょう。
  縁側に座り込んで、石庭を眺めました。もの思いにふけるより前に、石が何かをじっくりと見ていきました。
  白砂には、ほとんど丸みがないごつごつしたものなので、川砂ではないようです。角閃石や黒雲母のような黒っぽい鉱物のつぶつぶが見えます。透明感のある石英らしきものも量は少ないですが見えます。白っぽく見えるのは、長石が多いためです。白砂の原岩は、花崗岩のようです。花崗岩の破片だけからできている砂なので、「マサ(真砂とも書かれます)」かもしれません。マサとは、花崗岩が風化して壊れたものです。
  花崗岩からできてる山で風化が起こると、侵食・運搬などの川の作用を受けることなくても、大量の砂(マサ)が、花崗岩の山の周辺に形成されます。このマサが、龍安寺では白砂として利用されているようです。
  島をなしている石と比べて、マサは新しそうです。白さが鮮やかなので、いつかはわかりませんが、最近入れられたものかもしれません。となれば、時々砂は入れ替えている可能性があり、近くにマサを採取できるところがあるのかもしれません。
  実は、京都の周辺には、点々と花崗岩が分布しています。近いところでは、比叡山や比良山が花崗岩からできています。
  京都の南部から奈良にかけては、広く花崗岩が分布しています。南部の花崗岩は、領家帯に属します。領家帯とは、中央構造線より北側で、花崗岩を主として、変成岩を伴っている地帯のことをいいます。白亜紀の花崗岩の活動が特徴的で、古期(1億2000万から9000万年前)と新期(1億1000万から7000万年前)の活動時期があり、古期のほうには片麻状構造があるとされています。
  京都市周辺の花崗岩は、山陽帯に属しています。領家帯より北側に当たる地帯になります。山陽帯の花崗岩は、3つの活動時期が区別されていますが、琵琶湖周辺の花崗岩は、一番新しい時代(6500万から5800万年前)の活動だと考えられています。これらの花崗岩は、あとで説明する丹波帯の堆積岩類を貫いています。つまり、丹波帯より花崗岩のほうが、新し時代にできたことを意味します。
  白い砂の海に浮かぶ島は、7つあります。島は1個の石からできているものもあれば、複数個からなるものもあります。高低もさまざまです。置かれている石の数は、全部で15個です。15個の石が、一見無造作に7か所においてありますが、縁や座敷の座る位置によって、石や島の見え方が異なるようになっています。また、15個の石は、どこから見てもすべてが見えないように巧みに配置されているとされています。本当は見える場所があるのですが。
  そんな石庭の石ですが、よくみると石の種類を窺い知ることができます。層状チャートと玄武岩質砕屑岩(いわゆるハイアロクラスタイトとよばれているもの)がいくつか使われているようです(注を参照)。そして、砂岩や礫岩もあるようです。
  層状チャート、玄武岩、ハイアロクラスタイト、砂岩や礫岩などの組み合わせは、日本列島ではごく普通に見られる岩石種です。このような岩石の組み合わせは、付加体とよばれる列島固有の地質体を構成している岩石種でもあります。
  付加体は、このエッセイでは何度も出てきていますが、海洋プレートが海溝に沈み込むことで形成されます。海洋プレートの沈み込みにともなって、海洋地殻の破片(玄武岩やハイアロクラスタイト)や海洋底の堆積物(層状チャート)が、陸側に剥ぎ取られます。それらが陸から運ばれてきた堆積物(砂岩)と混ります。丹波帯はこのような付加体からできています。
  石庭をつくりあげている岩石は、丹波帯の付加体を構成している岩石種と一致しています。衣笠のきぬかけの路沿いの崖でみた層状チャートも、付加体のメンバーです。
  龍安寺には、もう一つ私がいつもみるものとして、石でできた蹲踞(つくばい)があります。蹲踞とは、茶室に入る前に手を洗うために手や口を清めるための水を入れるものです。蹲踞は、吾唯足知(吾唯足るを知る)という文字がデザインされています。4つの漢字は、すべて口という字が使ってあります。その口を共有して、蹲踞の水を貯めるところにしています。すばらしいデザインではないでしょうか。
  龍安寺の蹲踞は、徳川光圀の寄進だとされていますが、本当のところは不明だそうです。現在では、置かれているものは、レプリカですが、多分そっくりなものなのでしょう。
  この蹲踞は花崗岩からできています。マサも花崗岩由来でしたが、どうも種類が違うようです。マサは白っぽくするために、石英や有色の鉱物が少なく、長石の多いものが利用されています。蹲踞の花崗岩は、石英が結構含まれています。ですから、花崗岩の分類でいえば、マサと蹲踞では、花崗岩でも、違った名前がつきそうです。産地の違う花崗岩かもしれません。レプリカですから、石の産地や細かい種類まで一致させているかどうかは不明です。
  石庭の石は、京都の周辺でみられるものばかりです。石庭には、実は京都の地質が凝縮されていることになります。でも、実際にはこれらの石が本当に京都から持ってこられたかどうかはわかりません。庭石は川の転石で姿のいいものが採取されて、利用されます。また、大量のマサは、近くの比叡山からではなく、どこかの採石所から持ってこられたかもしれません。でも、昔は今ほど流通がなかったはずだから、近場にある素材を利用していたのではないだろうか・・・・・・・などなど、縁側で、そんなことに思いを思いを馳せていました。
  石庭の小さいな宇宙を眺めて、心のなかのでいろいろな思念が、次々と移っていきます。そんな空想の宇宙を羽ばたいているうちに、時間が過ぎ去ってきます。

(注)遠目でながめて推定した岩石種(番号は画像の番号に対応しています)島のアルファベットは、左のものから順につけました。ホームページに写真があります。
1:礫岩(島A)
2:玄武岩質礫岩(ハイアロクラスティック角礫岩)(島B)
3:層状チャートか珪質角礫岩(島B)
4:層状チャート(島B)
5:玄武岩質礫岩(ハイアロクラスティック角礫岩)と砂岩(島C)
6:枕状溶岩の玄武岩(ハイアロクラスティック角礫岩)(島D)
7:砂岩(島D)
8:玄武岩質砂岩(ハイアロクラスティック砂岩)(島E)
9:砂岩(島E)
10:玄武岩質砂岩(ハイアロクラスティック砂岩)(島E)
11:層状チャート(島F)
12:砂岩(島F)
13:砂岩(島G)
14:層状チャート(島G)
15:礫岩(島G)


Letter★ あるがまま・力を抜いて

・桜・
今年の春は、どんよりした天気が多いようです。
気温も例年より低そうです。
桜の開花も遅れいているようです。
そんな遅い北海道の春ですが、
今週末が桜の満開になりそうです。
ただ、天気があまりよくないので
どうなることでしょうか。
桜には青空が似合います。

・矛盾・
大学の教員は学生の教育と自分自身の研究を
進めることが主要な任務です。
その比率は人それぞれでしょう。
それ以外に大学の教員には
大学という組織を円滑に運営するための
仕事(校務)も不可欠になってきます。
校務は自分たちの組織を維持することにもつながるので
しなければならない仕事となります。
教育の対象は学生です。
学生の入学者数が大学の命運を握る時代になってきました。
そのために、学生の供給先である
高校へのさまざまなアプローチが必要になり、
すべての大学で熱心に取り組んでいます。
その担当は大学の教員や職員となります。
大学の教育は学生への教養や専門的学問を
身につけさせることです。
その重要な最終目標は就職です。
就職先を多数用意するために、
企業へのアプローチも必要になります。
それも教員と職員の仕事となります。
昔の大学は、黙ってても大学に学生が来て、
企業からは求人がきました。
しかし、時代は変わりました。
大学への入口も出口も
大学側が世話をしなければならない時代です。
大学の教職員のリソースは
華やかかりしころと変化はありません。
いや、むしろ減っています。
特に非常勤講師は激減させています。
そのしわ寄せは、教員に及び、
研究や教育の質に反映するはずです。
研究や教育の質を落として、
学生へのサービスが向上するのでしょうか。
そこに矛盾はないのでしょうか。
そんなことを考えさせられました。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)、
数値地図25000(地図画像)、
数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)、
数値地図10mメッシュ(火山標高)及び
基盤地図情報を使用した。
(承認番号 平21業使、第53号)」

解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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