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Essay ★ 66 大歩危:三波川に開いた窓
Letter★ アプローチ・アウトドア専門店


20万分の1地形図でみた中央構造線と四万十帯のナップ。


20万分の1地形図でみた中央構造線と四万十帯のナップ。


大歩危の景観のパノラマ。


四万十帯に属することになる変成岩。


三波川帯と四万十帯ナップの境界。


三波川帯と四万十帯ナップの境界の近接写真。


三波川帯の変成岩。

 

(2010.06.15)
  大歩危は「おおぼけ」と読みます。大股で歩くと危険という意味だと書かれていることもありますが、「ほけ」は古語で「断崖」を意味しているため、「大きな断崖」という意味だそうです。そんな大歩危の断崖を下り、川面近くたたずみ、地質の新しいモデルに悩んでしまいました。

Essay ★ 66 大歩危:三波川に開いた窓

 5月31日から6月4日まで、香川から徳島にかけて調査をしました。徳島では、吉野川の河口から、上流に向かって祖谷(いや)まで行き、いったん戻って支流の銅山川を遡上して、新居浜(にいはま)に抜けました。4泊5日の調査となりました。祖谷では午後から雷雨に見舞われましたが、それ以外は天気に恵まれ、予定通りに調査が進みました。
  吉野川は、徳島市の紀伊水道を河口として、西が上流となります。蛇行はしますが、ほぼ真西に向かっています。三次(みよし)市で90度南に折れ曲がります。それからは、急峻な地形の中を流れます。小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)などの険しい渓谷があり、観光地ともなっています。しかし、道路は断崖を縫うように走る険しいところです。
  四国の地質は、東西に延びているのが特徴的です。地質体の境界は、中央構造線や仏像構造線など有名な構造線となっていますが、それも東西に走っています。このような構造線は、両側に異なった地質が接しているので、基本的には断層です。それも非常の大きな境界なので、一つの断層ではなく、断層群ともいうべきものです。東西にまっすぐ流れている吉野川も、中流までは中央構造線に沿って流れています。
  大歩危の渓流沿いに立って、四万十(しまんと)帯と三波川(さんばがわ)帯が接するとされている境界の露頭を観察しました。これは、最新の研究で、非常に詳細な検討結果です。どうもまだ、私には腑に落ちないところがあります。その地を見ながら、西南日本外帯の構造について考えました。
  四国では断層に境されて、南北にいろいろな時代の地質体が並んでいます。まずは、四国の北側からみていきましょう。瀬戸内海に面して領家(りょうけ)帯が分布します。領家帯には、変成岩や花崗岩があります。領家帯の変成岩は、堆積岩が原岩で、堆積した時期は化石(泥質岩からの放散虫)から、三畳紀からジュラ紀だと考えられています。そして高温の変成作用を受けています。花崗岩は白亜紀後期に活動しています。
  香川では瀬戸内海に面した五色台や屋島などには、サヌカイト(sanukite)と呼ばれている安山岩の火山活動が起こっています。瀬戸内火山帯とも呼ばれているものです。1891年ドイツの岩石学者ワインシェンク(E. Weinschenk)がこの岩石を調べ、特異な性質をもつことから、香川の古い呼び名の讃岐(さぬき)からとってサヌカイトと命名しました。非晶質のサヌカイトは、たたくとカンカンといい音がすることから、カンカン石とも呼ばれ、土産物にされています。
  領家帯の南側で、和泉(いずみ)層群が不整合に覆っています。和泉層群は、泥岩や砂岩泥岩の繰り返し(互層といいます)の地層で、形成時代は放散虫化石や年代測定から白亜紀最後期であるとこがわかっています。
  和泉層群は中央構造線によって南の三波川帯に接しています。中央構造線より北側を日本列島の内帯と呼び、南側を外帯と呼んでいます。
  ここで話はそれますが、日本の地質の大区分を紹介しましょう。
  ナウマン(Heinrich Edmund Naumann、1854-1927)は、1885年に糸魚川から長野県を通り静岡県の駿河湾に抜ける大断層帯を、フォッサマグナ(Fossa Magna、大きな窪みという意味)と名づけました。それ以来、フォッサマグナより東を東北日本、西を南西日本と呼ばれています。同じくナウマンは、西南日本には、中央構造線を境に内帯と外帯に区分しました。北側の内帯には古い地層が、南側の外帯には新しい地層があるような、大きな地質境界となっています。
  西南日本や東北日本、内帯や外帯という区分名称は、当時としては、非常に賢明な区分であり、現在も使われています。しかし、定義が必ずしも昔のままでなかったり、重要性も変化してきます。詳細な地質調査や年代区分がなされ、日本列島の構造は、必ずしもそんなに単純でないことが分かってきたからです。
  さて、中央構造線の南側には、三波川帯があります。三波川帯は高圧変成岩で、領家帯の高温変成岩と対(ペア)をなしていると考えられています。三波川帯は、いくつかの異なった地質体(ナップと呼ばれています)から構成されています。そのナップの位置づけについて、あとで紹介しますが最近新たな考え方が提示されています。
  三波川帯の南側には御荷鉾(みかぶ)帯があります。御荷鉾帯は、玄武岩類などの火成岩を主とする岩体で、もともとは海洋地殻や海山、海洋島の一部だったと考えられています。連続した帯はなしていないのですが、三波川帯の中で南側に点在しています。御荷鉾帯の南に秩父帯があり、御荷鉾帯が一種の構造線となっています。
  秩父帯は、東西の断層によって北帯・中帯(黒瀬川帯と呼ばれることもあります)・南帯(三宝山帯と呼ばれることもあります)に区分されています。北帯は、三畳紀〜ジュラ紀の地層からできていて、変成作用を受けています。中帯は、蛇紋岩に取り込まれたさまざまな時代の地層や岩石やシルル紀の石灰岩、三畳紀の浅海の地層なども含まれています。南帯は、ジュラ紀から白亜紀の地層からなり、変形作用を受けていません。秩父帯は、仏像構造線で四万十帯に接しています。
  四万十帯は、古い北帯と新しい南帯(境界は安芸構造線と呼ばれることがあります)に区分されます。白亜紀から新生代パレオジンにかけて形成された付加体で、海洋地殻の断片なども含まれています。
  四国あるいは日本列島はこのような地質区分が整然とあるように見えますが、実は、地質学の進歩によって解釈はいろいろと変化しています。
  たとえば、フォッサマグナです。フォッサマグナの東側にも西南日本に属する地層があることが分かってきました。ですから今では、棚倉(たなくら)構造線が東北日本と西南日本の境界になると考えられています。ただし、現在でも、東北日本と西南日本の境界は使われており、その境界をフォッサマグナとしていることもあります。
  内帯と外帯の区分も新しい考えが導入されています。プレートテクトニクスでは付加体という考え方が導入されて、西南日本の東西の地質帯の並びが説明されています。内帯が古く外帯が新しいというのは正しいのですが、それぞれの付加体が、北ほど古く、南ほど新しいという規則性があります。中央構造線だけが地質学的には大きな境界でないということです。ただし、地形的には一番大きなものですが。
  さらに最新の研究で、三波川帯と四万十帯が、秩父帯を通り越して接している見解が示されてました。上で述べた三波川帯の中のあるナップが四万十帯の地層だということがいわれだしました。その境界が露頭が大歩危にあります。私は、そこでたたずんだのです。
  それらの成果によると、三波川帯の地層は1億3000万年前以前にたまり、沈み込み帯に入り込み、少なくとも60kmの深さまで潜り込みました。潜り込んで、高圧タイプの変成作用を受け、そのピークは、放射性年代から1億2000万から1億1000万年前に起こったことがわかってきました。その後三波川帯の変成岩は、8800万から6500万年前には上昇していき、変成作用が終わりました。
  一方、四万十帯は、原岩が1億年より若く(三波川帯より新しい)、変成年代は6600万から6100万年前(三波川帯の変成作用より新しい)となっています。このような原岩の年代、変成年代の違いから、今まで三波川帯に含まれていた変成度の低いナップ(変成度の低い堆積岩が中心)が、四万十帯の北帯に相当するということが新たに提案されています。
  この提案が正しければ、三波川帯の中に、かなりの広い四万十帯の分布が窓のように開いていることになります。大歩危周辺では、断崖の下の渓流の三波川帯に穴がいて、下にある四万十帯が覗けることになります。もちろん四万十帯と三波川帯の境界は、断層(衝上断層と呼ばれます)となっています。
  その境界の露頭を見ながら、その提案が本当かどうか考えていました。もしそれが本当なら、上で述べたような現在の構造をどう説明しなおすのか。ペアの変成作用の説明は変更しなくて大丈夫なのか。西側にある東赤石山の有名なエクロジャイトやカンラン岩の岩体の地質学的位置づけはどうなるのか。最新の地質図や断面図を見ながら、そんなことを悩んでいました。そして、今も、もやもやは続いています。


Letter★ アプローチアウトドア専門店

・アプローチ・
大歩危の周辺の道路は整備されていますが、
断崖を巡るので車を案して停められるところは限られています。
幸い目的の地は、駐車場もあり、川原まで降りる道もあり、
アプローチも楽でした。
ただし、そこは前日の午後に見る予定でしたが、
雨のため諦め、翌日にしました。
幸いにも翌日は快晴で
心地よい朝の空気の中で露頭を眺めることができました。
じっくりと落ち着いて悩むことができました。

・アウトドア専門店・
私は、今はほとんど山登りをしなくなりましたが、
調査に出るときに使う道具や衣類などは、
アウトドアのスポーツ専門店で購入することがあります。
今ではインターネットでなんでも購入することができるのですが、
実物を見たり、サイズを確認するためには
やはり店頭で選ぶのが一番納得して買えます。
でも田舎にいるとなかなかそうもいきません。
さて大歩危を走っているとき、
立ち寄ったところに、
なんとMont-Bell(モンベル)の大きな店がありました。
アウトドアスポーツされる方ならMont-Bellは
有名なメーカーなのでご存知の方も多いと思います。
私も、思わず入っていろいろ見まてしまいました。
聞くと直営店だそうです。
実は吉野川の大歩危周辺はラフティングのメッカで
そのためにラフティングのために多くの人が来ます。
その人たちのための店のようです。
久しぶりにアウトドア専門店に入った
わくわくしました。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)、
数値地図25000(地図画像)、
数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)、
数値地図10mメッシュ(火山標高)及び
基盤地図情報を使用した。
(承認番号 平21業使、第53号)」

解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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