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画像をクリックすると大型の画像が見ることができます。
ただし、大きなファイルの場合がありますので注意ください。

Essay ★ 65 黒瀬川:新天地から
Letter★ 新しいホームページ・人的ネットワーク


5万分の1地形図でみた黒瀬川。青のラインが黒瀬川。


上と同じ範囲をLandsat衛星画像で示した。


上と同じ範囲を地形解析の傾斜量で示した。


上と同じ範囲を地形解析の地下開度で示した。


上と同じ範囲を地形解析の地上開度で示した。


執務している城川総合支所(オレンジ色のレンガの建物)。


三滝火成岩類からできてる三滝山の三滝神社に伝わる国選択無形民族文化財の八つ鹿踊り。


黒瀬川沿いのチャートの巨大な転石。その上に田んぼがあり、5月下旬には田植えがされる。


転籍の上の小さな田んぼ。


山合いで傾斜地が多く、棚田がたくさんある。棚田は多大な労力をかけて積まれた石垣によってつくられている。


隣町での化石採集。白亜紀後期の四万十層群のイノセラムス化石。

(2010.05.15)
  2010年4月1日付けで、サバティカ(研究休暇)に入りました。愛媛県西予市に1年間滞在することにしました。山奥なのですが、私には、落ち着いて研究ができる環境です。仕事をしている場所の前には、黒瀬川が流れています。その黒瀬川の流れを眺めながら、新天地からのご挨拶です。

Essay ★ 65 黒瀬川:新天地から

 「大地の眺める」のホームページを、最近、ごらんになられた方はお気づきだと思いますが、いつもの定期的更新だけでなく、トップページの内容を少し変更しました。
  ひとつは、リンクされていない画像があることです。毎月のエッセイのページにたくさんの画像を用いています。以前は、その画像のサムネールから大きな画像へのリンクが貼られていたのですが、前回のページから大型画像はアップロードしていませんので、リンク先に行こうとしてもエラーがでます。これは、今後もこのサイトは継続するつもりなので、今までと同じ形式でそれぞれのページを作成しておき、大きな画像は別の機会にアップロードしよう考えているからです。自宅に帰ったときに、アップロードしたいと思っています。
  もうひとつは、本州の地図から四国を分離して独立させたことです。なぜ、このようなことにしたかというと、来年の3月まで一年間、四国に滞在しているので、四国に関する内容がこれから増える予定なので、それに耐えられるように準備しました。
  さて、今回は、現在滞在しているところを紹介しましょう。
  私は、愛媛県西予市城川町というところに滞在しています。私が主に作業をしているのは、西予市城川総合支所というところです。その向かいには、一級河川肱川(ひじかわ)の支流である黒瀬川が流れています。地質学を学んだ人であれば、「黒瀬川」という名称は聞いたことがあると思います。私も城川と深く関わるまでは、黒瀬川の名前は聞いたことがあったのですが、この地にある川の名称だとは知りませんでした。
  地質学のどのような内容で黒瀬川という名称がでてくるかというと、日本列島の地質の生い立ちを習ったときでした。私が学んだのはプレートテクトニクスがまた完全に定着していない時期で、私がいた大学はアンチ・プレートテクトニクスの人たちがたくさんいました。ですから、地向斜造山運動という考えで大地の生い立ちは考えられていました。
  古生代のカレドニア造山運動を習ったときに、日本でもカレドニア造山運動の時期にできた岩石があったという説明を受けました。その証拠が、この黒瀬川から見つかっているという紹介でした。それは、「黒瀬川構造帯」とよばれ、三滝火成岩類や寺野変成岩類などシルル紀に形成された古い大陸の岩石が見つかっています。
  カレドニア造山運動とは、古生代前半(カンブリア紀からデボン紀)にかけて起こった、全地球的な造山運動です。造山運動とは山をつくると書いてありますが、大地が激しく変動して、新たな大構造がつくられる地質学的運動のことです。地向斜造構論の基づいていた考えですが、今ではプレートテクトニクスによって解釈しなおされています。造山帯とは、プレート境界の沈み込み帯や衝突帯で形成される地質体を指すものとなっています。
  そもそもはノルウェーから、北海、イギリスへと続くシルル紀後期からデボン紀前期の造山帯をカレドニア造山帯(狭義というべきでしょか)と呼びました。地質学発祥の地のイギリスで提唱されたことなので、その造山運動は世界的に知られることとなりました。そして古生代前半(カンブリア紀からデボン紀)の造山運動を、カレドニア造山運動(広義)と位置づけました。
  プレートテクトニクスのモデルでいえば、大きなゴンドワナ大陸への小大陸の衝突していったことよって説明されます。ゴンドワナ大陸とイアペイタスと呼ばれていた海を挟んで、いくつかの小さな大陸(ローレンシア、シベリア、バルティカ)がありました。それがゴンドワナ大陸に衝突していったときできたのがカレドニア造山運動です。黒瀬川構造帯の岩石も大陸や衝突帯の一部を構成していたことになります。
  ただし、黒瀬川構造帯自体は、カレドニア造山運動でできたのではなく、ジュラ紀に、ゴンドワナ大陸の破片がユーラシア大陸に付加したではないかと考えられています。三滝火成岩類の花崗閃緑岩の年代は、4億3970万年前(シルル紀最初期)から3億7700万年前(デボン紀後期)の年代、寺野変成岩類からは4億3900万年前の年代を持つことから、ゴンドワナ大陸を構成していた岩石であったと考えられます。それらが大陸起源の岩石があることから、黒瀬川古陸と呼ばれていました。黒瀬川古陸とはいっても、単独の大陸ではなく、ゴンドワナ大陸の北端(とはいっても赤道付近)にあったと考えられています。
  また、三滝火成岩類や寺野変成岩類を覆っている岡成(おかなる)層群は石灰岩や酸性火山砕屑岩類からできていますが、その石灰岩からシルル紀やデボン紀のサンゴ(クサリサンゴやハチノスサンゴ)や層孔虫、三葉虫、コノドントなどの化石が見つかっています。また、古生代後期から中生代に黒瀬川古陸に付加したと考えられる地層の中の石灰岩からは、石炭紀のフズリナ(紡錘虫ともよばれるプランクトンの一種)の化石を含むものも見つかっています。
  オーストラリアからも同時期の近縁の化石や火成活動があったことから、黒瀬川古陸は、もともとオーストラリアの近くか、もしくはくっついていたのかもしれません。そんな黒瀬川古陸の破片が、黒瀬川沿いに分布しています。
  今は、西予市城川総合支所で仕事をしているのですが、当初は城川町内にある城川地質館で仕事をする予定でした。地質館は黒瀬川のさらに支流の三滝川の上流にあたります。城川町でも山奥に当たる地質館には、電話回線がきていません。それに携帯電話(docomoもauはダメ、Sofbank、WILLCOM、EMOBILE、ディズニー・モバイルは持っている人がいなので試してない)も、つながりません。まあ、山奥だから仕方がありませんが、docomoが誇るFOMAの日本全国におけるの人口カバー率100%からもれている地域なのです。電話回線がきていませんから、インターネットもつながりません。
  仕方がないので、常駐するところを、城川町の旧役場、現在の城川総合支所に間借りすることになりました。3階立ての立派な建物なのですが、市町村合併で、現在は支所(出先機関)となり、1階しか使っていません。2階や3階は会議室や物置になっています。私は、2階にある元町長室を使わせてもらっています。贅沢な執務室となっています。
  総合支所であれば、携帯電話網(docomoもauもOK)に入ってますので、FOMAのデータ通信専用機のL-05Aというのを、今年1月末に2年契約で購入しました。キャンペーン中でしたので専用機の料金は、非常に安かったのです。
  現在、それをルータに差し込んでパソコン2台をつないLAN環境を構築しています。今まで大学は専用高速回線を利用できましたし、自宅も光通信で高速通信をしていましので、ついつい画像の大きさを気にしないようなホームページを構築したり、blogでも容量や画像サイズを気にしなくてもサイト運営ができました。こちらに来るにあたり、通信速度が気になっていたのですが、実際に今までどおりできるかどうかデジカメでとった画像を送ってみたら、やはり遅くてメーラーがつながらなくなってエラーが出るようになりました。
  ですから、大型の画像にリンクするような今までのホームページの作成は1年間休止することにしました。私のportalサイトは大きな画像を使っていないのでアップロードに負担はかかりませんでしたので、そのまま運営することにしました。その他に、西予市の滞在時専用のサイトとして「西予の自然史と風物誌」というのを作成して、公開するようにしました。
  今回は、地質の話より、身の周りの話が大半になりました。ご了承ください。


Letter★ 新しいホームページ・人的ネットワーク

・新しいホームページ・
前回のメールマガジンも、新天地からの配信でした。
しかし、なかなか落ち着かない状態でしたので、
今回は落ち着いて原稿を書いています。
ただ、現在、野外調査で外に出ていますので、
事前に書いて配信を予約していますが。
ちなみに、上で紹介した私のPortalサイトは
http://www.ykoide.com/index.html
で、西予の自然史と風物誌は、
http://geo.sgu.ac.jp/seiyo/index.html
です。
興味があれば覗いてみてください。
城川ですが、来年であれば、
ケーブルテレビが城川町内に引かれ、
それでインターネットができるよていでした。
私の滞在が1年遅ければ、
それが使えたのですが、仕方がありません。

・人的ネットワーク・
城川で地質調査を新たにするわけではありません。
それで論文を書くつもりはありません。
しかし、城川や西予につて再度勉強しなおして、
地質学的な見所を一通り見ておこうと考えています。
幸い、地質好きのおばさんと
理科好きの小学生に知り合いになりました。
おばさんはよく山に行っては化石やノジュールを採ってきます。
化石の産地を聞いては私の採りに行ったりしています。
先日は小学生の家族と隣町まで化石採りに行きました。
近くにお住まいの教頭先生が化石の採れる場所を
わざわざ教えてくださいました。
草の多いところで見逃しそうなところですが
おかげで化石を採ることができました。
近くの小学校の先生から出前授業の依頼も受けました。
少しずつですが、人的ネットワークもできています。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)、
数値地図25000(地図画像)、
数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)、
数値地図10mメッシュ(火山標高)及び
基盤地図情報を使用した。
(承認番号 平21業使、第53号)」

解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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