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Essay ★ 55 津軽半島:陸奥湾の錦石から眺める
Letter★ ねぶた・旅の疲れ・仙台へ


購入した錦石。


青森港の公園の木道。


青森港の公園から眺める下北半島。


青森港の公園から眺める津軽半島。


青森港の公園から眺める津軽半島。


青森港の物産館と展望台(左)。


津軽半島竜飛崎の火山岩と火山砕屑岩。


津軽半島竜飛崎。


津軽半島竜飛崎。


商店街の祭り。


商店街の祭り。

(2009.07.15)
  2年前の夏に秋田から青森の海岸をめぐりしました。そのとき、とることができかなった錦石を入手しました。お土産物として売っていました。公務の出張で出かけた陸奥湾の最奥部の青森市で、錦石を購入することできました。錦石から津軽半島へと思いを馳せることできました。

Essay ★ 55 津軽半島:陸奥湾の錦石から眺める

 7月の上旬、公務で青森に出かけました。着いた日の夕方と翌日の朝、少し時間があったので、海岸沿いを散策しました。今回は、公務だったので、まったくの前調べもなく、知識をもたず、地図もなく、散策しました。
  青森市は、陸奥湾の最南部にある街です。海岸とはいっても、港としてコンクリートで護岸され、木道がある公園として整備されていました。散策にはいいところなのですが、自然を感じるにはあまり適していませんでした。
  それでも、陸奥湾に向かって(北を向いて)眺めると、この陸奥湾が、右手に下北半島、左手に津軽半島に抱かれえるように囲まれていることがよく分かります。下北半島は遠くに、津軽半島は近く見えます。しかし、下北半島の山は高く険しく見えるために、大きさを感じてしまいます。下北半島は理的位置以上に近く感じられます。
  さて、青森の港を夕方に散策している時ことです。泊まっているホテルからも、三角形のガラス張りのビルが目立っていました。その形と近代的な建物で、付近でも、ひときわ異彩を放っていました。どうも物産会館らしく、夕方と6時前でしたが入ってみることにしました。
  一部店じまいをしていましたが、いくつもの地元の業者が入って、まだ店を出していました。その中で、石を売っている店を見つけました。「にしき石」と書かれていました。「錦石」と書きます。その店では、「にしき石」をつかったネクタイピン、ボータイやカフス、ブローチなどが商品として売られていました。色とりどりのきれいな石が加工されています。
  津軽半島の海岸には、錦石と舎利石と呼ばれるものが古くから有名であったことを、私は知っていました。それは、以前青森を旅行したときに海岸沿いを通て調べていたのですが、とることができず、残念な思いをしたことがありました。また、「石はきれい、石は不思議」(ISBN978-4-87175-841-2)という本を見ていました。中でも、中里和人さんの撮った石の写真は非常にきれいで、強く印象に残っていました。
  舎利石とは、玉髄やメノウなどで、釈迦の骨(仏舎利)の代わりとして仏塔に収められたものでした。玉髄とは、珪酸からできている石英のことで、透明感のあるきれいなもので、色もいろいろあります。メノウは玉髄の一種で縞模様をもっているものをいいます。
  錦石とは名前のとおり、鮮やかな色をした石や色が入り混じった石のことです。美しさを基準に使われる名称で、石の種類ではありません。舎利石や錦石は、古くから銘石として珍重されていました。津軽は、銘石の産地として、愛好家だけでなく、海外にもよく知られているところでした。特に津軽の今別と外ヶ浜海岸が有名な産地でした。古くは、津軽半島の縄文遺跡からも錦石を使った勾玉(まがたま)が出土しています。時代を超えて、人は美しいものを好むのです。
  今でも、銘石を趣味とする人や、観光客へのみやげ物用として、石の収集を生業としている人もいるようです。ただし、今ではきれいな玉髄はあまり取れないようで、錦石が主力となっているようです。
  その店では、アクセサリーに加工された錦石以外にも、タッパーに多数の石が入ったものも売られていました。まさに一山いくらの状態で錦石が売られていました。そのタッパーの石は、まさに玉石混交の状態です。
  海岸にあるままでも、玉髄はきれいなものだったようですが、それ以外の錦石は、磨かないときれいにならないようでした。今では、機械で研磨用の砂とともに、ぐるぐると長期間回して磨き上げる自動研磨装置が導入され、みやげ物用に多数の石を同時に加工しているようです。
  その装置で長い時間研磨すると、表面がニスを塗ったようにぴかぴかに光り輝きます。すると錦石がきれいな光沢をはなち、ありがたみが出てきます。そして形や色、模様がきれいなものは、商品とされていきます。
  この自動研磨装置は、多数の石を同時に磨くので、小さいもの、形の悪いものなどのくず石もでてきます。それがタッパーに入れて売られていたのです。きれいでも小さなものは、くずとされるので、私は、いくつもあるタッパーのなかで、きれいなものを選んで購入しました。
  錦石が、そもそもなぜ、津軽半島に産したのでしょうか。それは、津軽半島に錦石のもととなるような石がたくさんあったということです。つまり、津軽半島が、どのような石からできているか、津軽半島の由来を問うことになります。
  津軽半島には、中新世から鮮新世までのネオジン(かつての新第三紀のこと)の地層が出ています。ネオジンの地層は、安山岩からデイサイトの火山岩やその砕屑岩を多数含んでいます。また、さらに古いパレオジン(かつての古第三紀のこと)の火山岩類もでています。
  この地に火山岩があるのは、津軽半島が日本海沿いに分布する火山の激しい活動(グリーンタフ)の一環で形成されているためです。グリーンタフの火山活動は、海水中で起こっているものの多く、熱水変質をしているものもあります。また、繰り返し火山活動が続いていますので、変質が起こりやすくなります。
  玉髄は、火山岩の隙間や変質によってできることが多く、クリーンタフのような火山岩にできやすいものです。また、火山岩が変質すると、赤や緑、青などの色に変わることがあります。そのような変質により、いろいろな色が、錦石を生み出したのです。大地の複雑な営みが、舎利石や錦石を生み出したのです。
  日本海沿岸には、色鮮やかな石がでるところは、いくつかあるようです。ところが、グリーンタフの火山が分布しているところであれば、どこにでも錦石がでるというものでもありません。それが自然の妙なのでしょう。美しい石がでるところを、古くから人は見つけ、珍重してきました。
  今では、機械で磨くことで美しい石をつくり上げることもできるようになりました。かつては、波の作用だけでつくられた銘石でしたが、今では、人の力でつくられるようになりました。でもそもそもの錦石は、自然の石です。模様も色も自然のままのものです。自然の営みが成した研磨を、今では、人が機械仕掛けの道具に肩代わりさせています。土産物屋に並んでいてもきれいだと思えるものは、はやりそこには自然の妙があるからなのでしょう。くず石は、その妙が足りなかったのでしょう。
  今回の出張では、錦石を手にすることができたことが一番の収穫でした。以前青森を訪れて採取することができなかったのが、今回手に入れることができました。陸奥湾の最奥部の青森の海岸の店で手に入れたものですが、今度は本当の津軽半島の海岸で、自然のままの錦石を、自分で手にしたいものです。今は机の上にあるタッパーの中の錦石を眺めながら、津軽の海岸へ、思いを馳せています。


Letter★ ねぶた・旅の疲れ・仙台へ・

・ねぶた・
青森港の公園には、テント村が多数がありました。
そのテントの中では、8月2日からはじまる
ねぶた祭りに備えて、山車の作成をしていました。
準備の様子を見学するツアーがあったのですが、
残念ながら、時間が合わず見学することができませんでした。
テントの隙間から、中を覗くことができました。
山車の骨組みができたばかりのもの多く、
早いところでも紙がはられているだけで、
色づけはまだされていない状態でした。
東北地方は、これから夏祭りのシーズンを迎えます。
私が宿泊していたホテルの近くの通りでも、
夜店が出店して、地元の祭りをしていました。
ねぶた祭りに参加するであろう踊り子たちが多数いました。
子供を中心として大人も同じ衣装を着てました。
そして、夜店の中央には、大きな太鼓が2台置かれていました。
通りすがりの私にも、祭り気分を味わいことができ、
得をしたような気がします。

・旅の疲れ・
週末を出張ですごし、続く月曜日を人間ドックで過ごしました。
その翌日は、少々疲れが抜けない状態でした。
出張中も人間ドックが控えているため、
夜の飲み会は遠慮させてもらいました。
2泊とも夜の9時過ぎに寝るという
我ながら健康な生活をしていました。
人間ドックに備えて、休養は十分にとりながら
出張をすることになりました。
それでも疲れが出るのは、
体力がなくなっているからなのでしょうか。
出張では、幸いいろいろな先生たちと話す時間を持てました。
列車や飛行で何人かの先生と隣席だったので
長く話すことができました。
それでお互いの考えや信条などを垣間見ることができます。
それが刺激的でもあります。
公務以外の実りもあったたでしょうか、
それが疲れとなったのかしれません。

・仙台へ・
青森へは、何度かいったのですが、
仙台は以前に何度か行ったことがあるはずですが。
いつのことか思い出せせません。
一番最初は、中学校の頃、
友人の二人で東北を巡ったときに
仙台に立ち寄ったことがあります。
その後学会で1、2度いった気がするのですが
正確に思い出せません。
もしかするとその後一度も訪れてないかもしれません。
いずれにしても、久しぶりの訪問となりますが、
自由な時間はほとんどありませんでした。
移動中に眺める程度で、あとは夕食の駅前を少し散策しただけでした。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000(地図画像)、
数値地図25000(地図画像)、
数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)、
数値地図10mメッシュ(火山標高)及び
基盤地図情報を使用した。
(承認番号 平21業使、第53号)」

解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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