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Essay ★ 51 増毛:ライマンの見た断崖
Letter★ ニシン・ライマン雑記


留萌の黄金岬にある玄武岩の柱状節理。


留萌にある柱状節理の玄武岩でで小島。


海岸の絶壁をつくる柱状節理。


海岸の絶壁を流れる白銀の滝。


20万分の1地形図による増毛から厚田までの海岸。


Landsat衛星画像を用いた上と同じ範囲の画像。


上と同じ範囲を傾斜量による地形解析の画像。


上と同じ範囲を地下開度による地形解析の画像。


絶壁を眺めるための展望台。

 

(2009.03.15)
  札幌からほんの1、2時間ほどのところに、増毛という町があります。今では、海岸沿いに国道ができ、短時間で行けてしまいますが、かつては陸の孤島として近寄りがたい断崖が連なる地域でした。そんな険しい海岸も、昔、アメリカの地質学者が調査をしていました。そんな地質学者の足跡をたどりながら、断崖を眺めましょう。


Essay ★ 51 増毛:ライマンの見た断崖

 増毛と書いて、「ましけ」と読みます。北海道の地名です。語源は、アイヌ語の「マシュキニ」や「マシュケ」、「マシケナイ」から由来しているといわれています。「マシュキニ」の意味は、「カモメの多い所」ということで、海に面した増毛の昔の様子を表しています。
  増毛に列車で行くためには、札幌から函館本線に乗ります。函館本線は、函館から小樽を回るコースで札幌に出て、さらに旭川に向かう、全長420kmの路線になります。札幌から、北に向かいます。深川で、函館本線から、留萌本線に乗り換えます。留萌本線は、深川から留萌を通り、増毛まで通じる70km弱の路線です。ここより先は線路もなく、増毛が終着駅となります。
  そのコースとは逆を通って、大学生時代、増毛から札幌まで帰ったことがあります。暑寒別岳(1491m)に雨龍沼側から登り、縦走して降りたところが増毛だったのです。友人と二人で、暑寒別岳を縦走しましたのは、6月上旬でした。麓には春が来ていたのですが、雨竜沼から上は残雪の中を歩くことになりました。この登山は、マイカーなどない学生時代ですから、行きも列車、帰りも列車でした。
  その後、北海道に移住して、車で増毛に行きました。増毛は、今では漁港がある小さな町ですが、かつては多くの人口を抱えた栄えた町でした。留萌が留萌支庁の中心になっていますが、かつては、増毛支庁として増毛がこの地域の中心地となっていました。
  増毛では、江戸時代からニシン漁が盛んで、栄えていました。いまでも、その名残の建物が増毛には見られます。ニシンの群れ(群来「くき」と呼ばれていました)が来ると、カモメが餌として捕るために海面に群れていたのです。その様子から、「カモメの多い所」(マシュキニ)という名称がついたのでしょう。「石狩挽歌」という歌にも「ゴメ(ウミネコのこと)が鳴くから、ニシンが来る」という歌詞があります。これは、海鳥がニシンの産卵が始まるの察知して群れている光景を歌ったものです。
  明治には、ニシン漁によって栄えた増毛までの交通路として、鉄道が早い時期から整備されました。ニシン漁による賑わいは、昭和初期まで続き、現在もその名残として建築物が残されているのです。だから、留萌の先の増毛まで鉄道が通じているのです。
  ところが、増毛より先は、険しい海岸線が続き、通行の難所として古くから恐れられていました。1981年に国道231号が開通して、冬でも往来ができますが、それ以前は、海岸にへばりつくようにしてあった雄冬などの村々は、海の荒れてないときに、船で行くしかない陸の孤島となっていました。
  日本の地質学を興した、お雇い外国人として来日したライマンも、調査のために、このルートを通っています。
  ライマン(Benjamin Smith Lyman、1835年12月11日-1920年8月30日)は、明治6(1873年)年1月18日に来日し、4月下旬には函館にきています。その後7ヶ月をかけて第一回北海道調査で道南部をおこなっています。その翌年の明治7(1874年)5月20日からは、第二回北海道調査を行っています。その後明治8(1875)年にも、茅沼・空知の炭田を精査しています。
  第二回北海道調査は、長距離、そして長期にわるものでした。ライマンが、増毛を訪れたのは、この第二回目の調査のときでした。
  函館を5月26日に発ち、室蘭、苫小牧、札幌を経て、石狩川を遡上、そして十勝川の支流の音更川を下り、十勝川河口の大津に8月5日に着きます。その後、休むまもなく、海岸線を、広尾(8月6日)から反時計回りに石狩までたどります。その途中、増毛から厚田にいたる険路を通っています。
  北海道の地図を見るとわかりますが、ライマンの通った海岸ルートで、知床とこの増毛が一番険しいルートになります。当時知床の海岸今と同様、道はほとんどなく、訪れる人も少なく、海岸をたどることができず内陸を進みました。ただ知床硫黄山には、海路から苦労をしながらたどりついています。
  ライマンが長い調査の途中、増毛に着いたたとき、札幌をたって以来の最高の宿と感心しています。また、学校をみて、教育と文化の高さに驚いています。このようなライマンの驚きからも、増毛の繁栄ぶりがうかがわれます。
  増毛から先は、今回の調査では、海岸ルートとして最大の難所を行くことになります。迂回路の山道が雪で通れなくなるのを恐れて、先を急いでいます。増毛から海岸を避けて、山越えの山道から浜益(ライマンは浜増毛と呼んだ)に、必死の思いで一日かけて到着しています。さらに次の難所の濃昼(こきびる)の海岸も苦労して夜半にやっと厚田に通り抜けています。この難所を、天候悪化のため、浜益で一日足止めをさせられていますが、実質2日間でたどっています。しかしフィールドノートの記述からは、その苦労のほどが伺われます。
  増毛から厚田までの間は、道もはっきりせず、海岸沿いは危険なところも多かったようです。現地の案内人を雇っていっても、苦労する難所でした。そのような人を寄せ付けないような険しい海岸が、増毛と厚田の間には、昭和の終わり頃まで立ちはだかっていたのです。今では国道ができ、車であっという間に通過できます。しかし、その国道もトンネルが多く、険しいが道が続いています。今でも、海岸線沿いの道路は、崩落危険箇所で、雪や雨、風が強いと通行止めになってしまうところです。
  険しい切り立った海岸線があるのは、暑寒別岳を主峰とする山塊が、海岸までせり出しているからです。その暑寒別岳一帯の山塊は、火山でできています。海岸線の露頭では、マグマがつくった構造や、マグマが海に入ったときできる構造などが見ることができます。
  マグマの構造としては、節理(せつり)がいろいろみられます。マグマが固まるとき体積が少し減ります。すると溶岩は縮むときに割れ目ができます。このような割れ目を節理と呼んでいます。節理は、溶岩のかたちや冷え方によって、さまざまなものができます。溶岩が固まるときにできる割れ目が柱のようになっている柱状節理、放射状になっている放射状節理などがみられます。
  切り立った断崖絶壁は、地質学者には、岩石や地層が良く見える、なかなか見ごたえがある景色となります。
  北海道の海岸線を眺めていると、海岸に断崖として切り立っている場所は大抵、新しい火山体が海にまで達しているところです。そんな火山の荒々しさが、長く人や交通を拒絶してきました。
  荒々しい絶壁の露頭は、地質学者には、ぜひ見てみたい場所となります。ライマンも、北海道の海岸を巡ったのは、海岸の露頭を見たいという思いだったのかもしれません。増毛では、そんな荒々しい自然に昔から戦ってきた人々の営みを、海岸の限られた平地に造られた小さな集落に感じることができます。


Letter★ ニシン・ライマン雑記

・ニシン・
3月上旬、小樽の海岸で、
ニシンの大群が産卵しているという
ニュースが放送されました。
このような産卵は今年で5回目だそうです。
その映像をみると、
確かに海岸付近が白っぽくなっていました。
ニシンは、今では鰊と書きますが、
かつては「春告魚」と書かれ、
春の到来を告げる風物詩でもありました。
北海道の人には春が待ち通しのですが、
昔のニシン漁を知る人には、
昔の栄華が頭をよぎったのではないでしょうか。
ニシンの産卵が今年になって小樽周辺で
何度か目撃されているそうです。
こんなことは、55年ぶりだそうです。
今では「春告魚」が、死語となっているようですが、
「春告魚」という言葉も復活するかもという
淡い期待を持たせてくれます。

・ライマン雑記・
今回、ライマンの調査を書くに当たって、
副見恭子さんが地質ニュースに連載されている
「ライマン雑記」を参照させていただきました。
副見さんはマサチューセッツ大学図書館の
ライマンコレクション委員をなされている方です。
「ライマン雑記」は1990年から今(?)も
連載されています。
ホームページで閲覧できるのは、
2006年1月に掲載された「雑記」の21回までです。
その中の10回と11回が1874年の調査の様子を
フィールドノートの記述から紹介されています。
この「雑記」がどこまで続くのかは知りませんが、
日本の地質学としては重要な史料となります。
これからも継続することを願っています。
そして、完成の暁には出版していただきたいものです。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、同院発行の
2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平18総使、第294-12号)」

1解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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