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Essay ★ 42 仏ヶ浦:青と白と緑の絡み合い
Letter★ 強烈な思い出・実習


仏ヶ浦の奇岩


仏ヶ浦周辺の2.5万の分の1地形図を10mメッシュ標高データで3Dにして示したもの。


同上の範囲の2.5万の分の1地形図を50mメッシュ標高データで3Dにして示したもの。地形がぼんやりとなってしまう。


同上の範囲を10mメッシュ標高データにランドサット画像を貼り付けて3Dにして示したもの。


仏ヶ浦の奇岩


仏ヶ浦の奇岩


仏ヶ浦の奇岩


仏ヶ浦の奇岩


仏ヶ浦の奇岩


仏ヶ浦のパノラマ画像。


地形解析の地下開度による表現。


地形解析の傾斜量による表現。海岸の切り立っている地形がよく分かる。


地形解析の地上開度による表現。侵食が激しいことがよく分かる。

 下北半島の西はずれの海岸に、奇岩が続く海岸があります。仏ヶ浦と呼ばれ、景勝地として名高いところです。しかし、思ったほど観光化されていませんでした。そんな仏ヶ浦で考えました。


Essay ★ 42 仏ヶ浦:青と白と緑の絡み合い

 青森県、下北半島の西はずれに、断崖絶壁がつづく海岸があります。断崖の海岸にも、少しばかりの浜辺があります。しかし、人家はありません。そんな海岸線なら日本のいたるところにあるのですが、仏ヶ浦は少々変わっています。その景観が、この世のものとも思えないような、不思議な光景でした。仏が住むようなあの世を思わせるような景観です。狭い浜辺の断崖に紛れるように神社が造られています。この光景には昔の人も見せられたらしく、詣でる人がいるわけです。しかし、かつては、地形が急峻なこと、交通がないこと、地元の人しかしらないような秘境のようなところでした。
  1922(大正11)年9月に、この地を訪れた文人で紀行家の大町桂月は、
「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」
という歌を残しました。仏宇陀とは、仏ヶ浦のことです。大町桂月がこのように仏ヶ浦を紹介したことによって、全国に有名になりました。今では、大町桂月のこの歌が歌碑として仏ヶ浦に建てられています。
  仏ヶ浦は、1934年には青森県天然記念物に、1941年4月23日には国名勝および天然記念物に、1968年には下北半島国定公園に、1975年には周辺の海域が仏ヶ浦海中公園に指定されています。2007年に、仏ヶ浦は日本の地質百選に選定されました。ですから、この景観は人々の注目を集めていたのでしょう。
  これほど有名な観光地でありながら、仏ヶ浦へのアプローチが不便で、思ったほど観光客が多くありませんでした。陸路は、車で直接いける道がなく、断崖の上にある道路から急な階段を下りていくしか(もちろん返りは登りになります)ありません。しかし、1991年に、観光船が接岸するための小さな桟橋(仏ヶ浦港)が仏ヶ浦に建設されました。この仏ヶ浦港によって、北側の佐井港か、南側の牛滝漁港から観光船によるルートができました。観光バスが横付けできないので、仏ヶ浦を見学するには、時間がかかることになります。そのせいもあって、有名なわりには観光客が少ないのかもしれません。
  私は、昨年夏、家族でこの地に出かけました。むつ市内から車で来たので、一番近い牛滝から行くことにしました。地図を見ると、佐井港は仏ヶ浦から遠く、牛滝漁港はすぐ近くにあります。ですから、迷うことなく、牛滝漁港から船で仏ヶ浦へ向かうことにしました。行く時の船は、私たちの家族だけの貸しきり状態で、快適な船旅でした。海路は快適で、2kmほどに渡って続く白っぽい侵食された岩石の断崖が見ながら、15分ほどで仏ヶ浦に着くことができました。
  仏ヶ浦の不思議な光景は、海岸の切り立った崖が、波や流水によって浸食を受けた結果です。雲の形のように侵食されたタフォニとよばれるものや、流水によると思われる縦にすじがたくさん入った侵食地形、海の波の浸食による崖(海食崖ととよばれます)など、さまざまな侵食地形がみることができます。
  浸食され切り立った地層になるのは、地層を構成する岩石が脆いことを示しています。岩石は、白から緑白色で、場所によっては緑色を帯びることから、グリーンタフ(green tuff、緑色の凝灰岩という意味)と呼ばれているもので、もろい岩石となっています。
  下北半島の西部は起伏の多い山地の地形となっています。この山地は、奥羽山地の北方延長に位置しています。新生代以前の古い地層や花崗岩類が基盤としてあり、その上を新生代のネオジン(新第三紀と呼ばれている時代)の地層があります。さらにその上に第四紀に活動した火山岩や火山砕屑岩が覆います。
  仏ヶ浦周辺の地層は、中新世古期から中期の檜川層と呼ばれるもので、その上に中新世中期から新期にかけて活動した中性から酸性マグマ(安山岩からデイサイトマグマ)に由来するの火山砕屑岩が分布しています。これらの火山砕屑岩がグリーンタフと呼ばれ、仏ヶ浦の海岸線をつくっているものです。
  下北半島の中新世の火山活動は、日本列島の日本海沿岸の広域に起こった一連のもので、グリーンタフ変動と呼ばれているものです。グリーンタフ変動は、本エッセイでも、一ノ目潟(33回)や東尋坊(40回)などで出てきたものです。新生代後期の日本海側の地質の特徴を語る時に、避けては通れない重要な地質の営みです。グリーンタフの火山活動の多くは、陸上だけでなく海中で起こり、火山岩やその水中の火山砕屑岩などとともに、堆積岩も出ることがあります。
  仏ヶ浦の奇岩類も、日本列島を特徴付ける活動の一つだったのです。
  むつ市内からの仏ガ浦までルートとして、国道338号から県道46号を経て川内湖をへて再度国道338号をいきました。しかし、この国道338号は、アップダウンが激しく、くねくね道で、一車線のところも多く、非常に時間がかかる道でした。多くの観光客は、アプローチのいい佐井港から高速観光船でいくようです。それを私は事前に知りませんでした。
  悪いことばかりでなく、時間がかかりましたが、人のあまり使わないルートでした。多分、交通が今ほどよくなかったときは、観光客もこのルートで来たのでしょう。その同じコースで見学することになったのです。いくら時間がかかるとはいえ、半日で見ることができるのです。また、小さな漁船が定期的に運航しているので、好きなだけ仏ヶ浦に滞在することができました。返りたい時に、もし船が来ていなければ、連絡すれば来てくれます。帰りは、もう一組の老夫婦と一緒になりましたが、それでもガラガラの状態でした。
  私が仏ヶ浦に行ったときは、曇っていましたが、仏ヶ浦の断崖とともに、海の色がすごいでした。そして、仏ヶ浦の景観をより際立たせているのは、海の青さではないかと思いました。さまざまに濃淡を変える海のブルーが、白ややや緑を帯びた崖をより一層映えさせていました。仏ヶ浦は、青と白と緑が絡み合っているところでした。


Letter★ 強烈な思い出・実習

・強烈な思い出・
下北半島には、むつ市で2泊しました。
実質は一日半ほどて見学することになっていました。
初日に半日かけて恐山を見学したので、
2日目は、下北半島を一周する予定でした。
時計回りに可能な限り海岸沿いを
見学しながら行くつもりでいました。
仏ヶ浦、大間(昼食でマグロを食べる)、尻矢崎など見て、
一周できればと思っていました。
ところが、大間に着いたのは、1時をかなり回っていました。
子どもたちは、大間でマグロ食べるのを楽しみにしていたので、
探し回って、大間のマグロを食べさてくれるところを見つけて
何とか昼食にありつけました。
今回は、地図と現実の交通とは一致しないので、
予定が狂いました。
しかし、おかげで仏ヶ浦は強烈な思い出となりました。

・実習・
北海道も初夏になって来ました。
本州は梅雨にはいっているようですが、
蒸し暑い日が続いているのでしょうか。
北海道は梅雨がなく心地よい爽快な日々が続いています。
もちろん雨の日もありますが、蒸し暑いことはありません。
この時期、大学では淡々とした授業が続くのですが、
その授業の中に近所の子どもたちを集めて、
行事を企画するという実習があります。
その実習のリハーサルが今週土曜にあり、
来週が本番となります。
40名ほどの子どもがきて、その子どもたちが楽しみながら、
学ぶことができるかどうかが、重要なところです。
さてさて上手くいくのでしょうか。


「この地図の作成に当たっては、
国土地理院長の承認を得て、同院発行の
2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平18総使、第294-12号)」

10mメッシュ標高データ及び解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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