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Essay ★ 32 京都と札幌:盆地の暑さと異常気象
Letter★ 熱暴走・故郷の自然


20万分の1地形図と50mメッシュ数値標高を用いて示した京都盆地。


上と同じ範囲を50mメッシュ数値標高を用いて示した。


上と同じ範囲を2.5万分の1地形図と10mメッシュ数値標高を用いて示したもの。水色の部分はメッシュデータのない部分。


2000m上空から京都盆地を見下ろした鳥瞰図。


5000m上空から京都盆地を見下ろした鳥瞰図。


地下開度の地形解析による京都盆地と奈良盆地。


地上開度の地形解析による京都盆地と奈良盆地。


傾斜量の地形解析による京都盆地と奈良盆地。

 北海道は猛暑に襲われています。本州並みの暑さといわれていますが、私は故郷の京都を思い出しました。そんな暑さの中でこのエッセイを書いてます。

★ Essay 32 京都と札幌:盆地の暑さと異常気象

 北海道は猛暑に襲われています。本州並みの暑さといわれていますが、私は故郷の京都を思い出しました。そんな暑さの中でこのエッセイを書いてます。

 暑中お見舞い申し上げます。私は暑さのために少々夏バテ気味です。
  私が住む江別市は、8月上旬は、7月の雨不足を補うかのように、雲りがちで雨の多い天気でした。日照不足が危惧されるほどの曇天でした。ところが8月中旬になると、一転して、30℃を越える、例年にない猛暑と高湿度に襲われました。このエッセイを書いているのも、その暑さの中でです。
  この猛暑は、涼しい北海道の気候になれた人間には、たまらない日々となっています。私はもともと本州の京都の出身で、暑さには馴れているはずですが、北海道にしばらく住むと暑さには弱い体となってしまったようです。
  さらに、北海道の家は、冬の雪対策や寒さへの暖房は完備されているのですが、暑さへの対策はなされていません。エアコンのある家も少なく、もちろん我が家にもありませんので、暑さにはまいっています。寒さ対策だけのはずが、我が家には、なぜか扇風機が2台あります。これは暖房の熱をかき混ぜるために買った冬用ですが、今年は、夏に活用しています。
  特にここ数日は、夜も涼しくなることはなく、寝苦しい天気です。私の寝ている部屋は、風の通りがよくなく、窓を全開にしても蒸し暑さが消えることなく、扇風機で外の空気をいれなければ、寝ることもできないほどの暑さです。私は北海道に来て6年目ですが、こんなに暑い日が続くのは、初めての経験です。
  大学の研究室は、もっとすごい状態です。朝の6時過ぎに来ても、部屋に入るとムットした熱気がよどんでいます。窓を開けても空気が流れません。同じフロアーの廊下の窓をいたるところを開けているのですが、それでも風が流れません。私の研究室は5階建ての5階にあります。南北に伸びる建物で、真ん中の廊下を挟んで両側に研究室があります。私の研究室は西側にあり、窓は西向きにあります。ですから、夏は午前中だけは日も差し込まず、涼しく仕事ができるはずなのですが、この夏の暑さでは、朝からダメです。前日の西日によって暖められた部屋の熱が、暑い夜に冷やされることなく、そのまま留まっています。
  さらに、朝から天気がいいと、屋上を照らす太陽の熱が、最上階の研究室を直接暖めています。そして部屋の空気が流れませんので、ぐんぐん研究室の温度が上がっていきます。先ほど8時過ぎに、あまりの暑さにたまらなくなって、1階の自動販売機に冷たい飲み物を買いにいったのですが、1階の涼しさにほっとしました。5階との温度差は歴然としています。
  まして研究室には熱源となる、サーバのパソコンが常時動いています。そのサーバには無停電装置が付いています。研究室に私がいるときは、メインのデスクトップのパソコン1台、それには4台のハードディスクがついています。さらにノートパソコン、プリンターが動いています。これらは、熱を発生し、室温を高めています。
  風の通らない私の研究室は、まさに盆地の夏の暑さと同じです。そして研究室に多数の熱源があるということは、その盆地に都市があるというヒートアイランドと同じ効果が起こっています。
  私が生まれ育った京都も、盆地でした。私の故郷は、京都の南部の城陽市というところです。京都盆地は、南の最奥部で山一つ隔てて奈良盆地へとつながります。その京都盆地の南の底に当たるところに城陽があります。
  京都盆地の南端の城陽市は、空気の流れが悪く、夏は非常に暑いところになります。また交通の要所ともなっており、排気ガスもかなり多く、学生時代は光化学スモッグ注意報がでて、屋外の活動がストッなったこともたびたびありました。そんなところにわが故郷の町は位置していました。城陽市は、南西部の上野盆地からくる木津川の流れの出口でもあります。川の流れは、盆地をあまり涼しくはしてくれません。
  京都盆地は、木津川だけでなく、北東にある琵琶湖から高瀬川として流れでて宇治川へと続く流れ、京都の北山から流れる加茂川、亀岡盆地に集まった流れが保津峡を通り桂川へなったもの、大きな河川がすべて集まるところでもあります。そんな流れの堆積物が埋めて平らになったのが京都盆地です。集まった川は、合流して天王山のある狭いところを出口として淀川となり海に流れていきます。
  木津川の右岸に広がる城陽市は、東の山からの伏流水で地下水も豊富で水不足になることはありませんでした。しかし、山の開発が進み、地下水位も下がり、実家でも地下水の利用はだいぶ以前からできなくなりました。
  木津川周辺は、水利がよく農耕には適した地でした。しかし、木津川は暴れ川で治水のために堤防を長年にわたって築いてきました。天井川とよばれる高い河床を持つところもあります。しかし、川は恵みももたらしてくれました。木津川周辺は肥沃な農耕地ともなっています。農耕地には、砂の多いところもあり、氾濫原であったことをうかがわせます。そのような砂地を利用して、サツマイモなどの畑作に利用されてきました。
  私は京都を離れて、30年ほどになります。母も兄弟、親族も京都にまだ大勢住んでいます。その間、何度も京都に帰省しています。しかし、法事などの特別な時以外は、夏にはほとんど帰省したことがありません。それは盆地の暑さが身にしみているので避けているからです。ここ数日の暑さは、京都の暑さを思い出させます。
  例年にない気象、たとえば今回の暑さのような日々が続くと、こんな暑さは異常気象だといって騒ぐ人もいます。12日、13日の「日最高気温」は、両日とも札幌で34.0℃となっています。これは、大変異常なことのように思えます。
  しかし、札幌の「日最高気温」の記録を調べてみると、1位が1994(平成6)年8月7日の36.2℃、2位1943(昭和18)年7月21日35.8℃、3位1924(大正13)年7月11日35.5℃、4位1978(昭和53)年8月3日35.2℃、5位1972(昭和47)年8月7日35.1℃となっています。ですから、暑いことに違いはありませんが、記録的ではないようです。3位の1924年を例外とすれば、そのほかの記録はすべて昭和以降のものです。ですから、昭和以降、暖かい時期になっているといえます。
  では、札幌の「日最低気温」もついでにみていきましょう。1位が1900(明治33)年7月8日5.2℃、2位1900(明治33)年7月14日5.3℃、3位1902(明治35)年8月27日5.3℃、4位1899(明治32)年8月7日5.6℃、5位1904(明治37)年7月3日5.8℃となっています。記録を見てわかるように、冷夏の時期は、明治後半に集中しています。そのころが寒い時期であったといえます。
  このような地域の暑い寒いなどの変動は、周期性のある変動があることは確かです。ですから異常気象ではなく、自然の変動の幅の一つに過ぎません。
  もしこの暑さが、地球温暖化であれば、周期性はなく一方的な変動となります。さて本当のところはどうでしょうか。江別の暑さの中で、これは最高記録ではないのだといって気休めを言っていますが、一向に涼しくはなりません。


★ Letter to Reader 熱暴走・故郷の自然

・熱暴走・
今回のエッセイは、予定しているところのデータを
集めることができませんでした。
時間はあったのですが、暑さのためにハードディスクを
認識しないトラブルが何度かありました。
あまりムリをすると熱暴走して、
破損をすると大変なことになるので、
無理をしないことにしています。
ですから、手持ちのデータでささっと今回は書き上げました。
申し訳ありません。

・故郷の自然・
暑くなったら故郷を思い出すというのは、
少々まずい気がします。
もちろん、いろいろなきっかけで故郷を思い出すことがあります。
実家の周辺は帰るたびに変化に気づきます。
私の心の中の故郷の自然は、
いずれも30年以上も前のものです。
その後の変化を私はほとんど知りません。
帰省している時に断片的に眺めてはいますが、
きっちりと心に焼き付けていることはありません。
ですから、古いままの自然が
いまだに私の心の故郷となっています。


の地図の作成に当っては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平15総使、第140-623号)

10mメッシュ標高データ及び解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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