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Essay ★ 31 角島:人と大地の架け橋
Letter★ にぎ女・響灘


2.5万分の1地形図と10mメッシュ数値標高を用いて示した角島。


上と同じ範囲を50mメッシュ数値標高を用いて示した角島。


上と同じ範囲をLandsat衛星のETM+画像と10mメッシュ数値標高を用いて示した角島。


上と同じ範囲を10mメッシュ数値標高を用いて地上開度による地形解析をした図。


上と同じ範囲を10mメッシュ数値標高を用いて地下開度による地形解析をした図。


上と同じ範囲を10mメッシュ数値標高を用いて傾斜量による地形解析をした図。


角島大橋と角島。


鳩島の柱状節理。


鳩島の柱状節理。


鳩島の柱状節理。


角島大橋の袂の火山岩の海岸から角島大橋と本土を眺める。


シェルサンド。


シェルサンドの海岸。


夢ヶ崎沖の座礁船。

 山口県で有名な観光地として、カルスト地形の秋吉台があります。しかし、山口には他にもいくつか地質学的に面白い見所があります。山口県の北西の日本海側にある角島もその一つです。

★ Essay 31 角島:人と大地の架け橋

 響灘(島根県から山口県の日本海を指します)にある角島(つのしま)へは、学会の見学旅行で訪れました。それまで私は、この島の存在を知りませんでした。2005年公開された映画「四日間の奇蹟」という映画の舞台になって有名になったそうですが、私はその映画を知りません。私が訪れたのは、2002年の夏のことでしたたから。
  角島は、4km2ほどの小さな島ですが、北長門海岸国定公園内に入っています。1965年に国定公園の指定を受けましたが、1997年に角島一帯が北長門海岸国定公園に編入されました。この国定公園は、響灘に面した複雑な海岸線がウリとなっています。海岸線の複雑さは、大地の生い立ちと、形成後の隆起や沈降、そして波による侵食によって形成されてきました。そのような複雑な生い立ちの縮図ともいうべきものが角島でも見られます。
  鼓のような形をした島で、北西の夢ヶ崎と北東の牧崎の岬が、牛の角に似ていることから、角島と名付けられたそうです。角島は古くから知られており、万葉集にも詠まれています。
  かつては、角島へは下関市豊北町から1.5kmほど離れているため、船で渡らなければなりませんでした。現在では、角島大橋ができ、車で渡れるようになっています。角島大橋は2000年に完成したもので、1780mもあり、離島への一般道にかけられた橋としては、日本でも2番目の長さを誇っています。橋は、きれいな曲線を描いており、長さだけでなくその優雅さもなかなか見事です。
  橋を渡っていく途中に、鳩島という小さな島の脇を通ります。ここもなかなかの地質学的に見どことがあります。鳩島にはきれいな柱状節理を見ることができます。しかし、橋から鳩島は少し離れているので、見るだけで島に上がることはできません。
  柱状節理をつくっているの岩石は火山岩です。残念ながら鳩島では、岩石に近づくことはできませんが、角島の橋の袂や、西部の海岸で手にすることができます。
  角島は、北東側と南西側にふたつの高まりがあり、両地区を結ぶ中央部が低い地帯(本文では地峡部と呼びます)となっています。北東側を元山地区、南西側を尾山地区と呼んでいます。
  角島は、今ではひとつの島ですが、地峡部をはさんで島の両地区の生い立ちが違っています。
  島の大地の歴史は、3500万年前ころの火山の活動からはじまります。この火山活動によって、尾山地区を構成する主要な岩石である火山岩(下部が輝石安山岩で、上部が角閃石流紋岩)ができました。この火山岩は、田万川火山岩類と呼ばれています。
  その後、地峡部に、3000万年前の砂岩や礫岩からなる地層(日置層群峠山累層)がたまります。
  1600万〜1500万年前には、元山地区の主な岩石である砂岩や泥岩の地層(油谷湾層群川尻累層)が堆積します。そして、地峡部に大きな断層ができます。断層は今も海岸で見ることができますが、元山地区が下がり尾山地区が上がるような活動をしました。この断層によってめくれ上がった岩石が今も少し顔を覗かせています。少し見える岩石から、尾山地区の、田万川火山岩類の下には、さらに古い(白亜紀)火山岩があることがわかっています。
  1000万〜800万年前になると、鳩島や元山地区の角島大橋の袂、尾山地区の西部にみられる玄武岩の火山活動が起こります。この火山でできた火山岩(アルカリカンラン石玄武岩と呼ばれます)は、山陰の周辺地域で広く活動した火山岩類(山陰火山岩類とも呼ばれています)の仲間です。
  40万〜10万年前には、尾山地区の中央部だけに、礫岩(チャートと呼ばれる礫を含む)や砂岩からなる地層(尾山礫層と呼ばれています)が堆積します。
  断層によって形成された地峡部は低くなりました。両地区の結合部である地峡部の沿岸には、今では、砂浜があり海水浴場となっています。海岸の砂をよくみると、貝殻の破片をたくさん含んでいることに気づきます。これは、シェルサンドと呼ばれるもので、貝殻の破片を60〜70%ほど含んでいます。海岸の一部の地域で貝殻が集まったような海岸は、局所的ならいくらでもあるのですが、これほど広域にシェルサンドがあるとろは、珍しいのではないでしょうか。日本のどこからにあるのかもしれませんが、私は知りません。もちろん、海外では、とんでもなくすごいシェルサンドはありますが。
  このような砂地は、6000年前ころから、氷河期の海水面の変動と季節風によって砂丘として形成されたものです。尾山地区の中央の北岸にも同じような砂丘堆積物が少しみられます。
  島の中央にできた断層は、2つのまったく違った生い立ちの違う大地を生みました。しかし、その断層によってめくれ上がった大地が、島の生い立ちのまったく違うことを教えてくれています。一つの島で、これほど違った地質を持つものは、珍しいのではないでしょうか。
  地峡部の砂が、断層で境された島の両地区の架け橋となっています。さらに、鳩山と同じ火山岩が、尾山地区と元山地区の架け橋となっています。
  火山岩や砂丘などの架け橋は、1000万年前から6000年前にかけて、地球の営みによってできたものです。そして砂の架け橋ができてから約8000年後に、人は、響灘に角島大橋という人のために架け橋を渡したのです。
  角島は、人との大地との2つの架け橋が、みられるところなのです。


★ Letter to Reader にぎ女・響灘

・にぎ女・
万葉集の巻16の3871番に、
角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之共 荒有之可杼 吾共者和海藻
という歌ががあります。
現代文で書き下すと、
  角島の
  瀬戸(せと)の稚海藻(わかめ)は
  人の共(むた)
  荒かりしかど
  我れとは和海藻(にきめ)
(詠人知らず)
となります。
この歌の最初にでてくるのが角島です。
万葉時代から
ここで「にきめ」とは、
新鮮なワカメの茎とツワブキのつくだ煮のことです。
地元では、にぎ女(にぎめ)と呼ばれていて、
今でも名産品となっています。

・響灘・
響灘(ひびきなだ)は、なかなか情緒のある言葉です。
響灘は、日本海の西の端にあたり、
島根県西部から、関門海峡付近を通り、
福岡県北部の沿岸付近までの海域のことをいいます。
しかし、その字をよく見ると、情緒があるなどと
いってはいれないような言葉です。
響とは、音や振動が、余韻をもって伝わることです。
灘とは、洋とも書かれることがありますが、
波が荒く、潮の流れも速いところのことです。
灘は、サンズイに難という字ですから、
古くから船で行くことが困難なところとされています。
響灘とは、どうも荒れ狂う海という意味合いで
使われていたのではないでしょうか。


の地図の作成に当っては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平15総使、第140-623号)

10mメッシュ標高データ及び解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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