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Essay ★ 29 伊豆半島:時間スケール
Letter★ 心の目


伊東の大室山周辺の2万5000分の1地形図と10mメッシュ数値標高による画像。


上と同じ位置を地下開度による地形解析図。大室山以外にも丸い火山地形が見える。


上と同じ位置を地上開度による地形解析図。


上と同じ位置を傾斜量による地形解析図。大室山以外にも丸い火山地形が見える。


大室山から海岸までのランドサット画像に10mメッシュの数値標高を用いて表したもの。


大室山から海岸までを地上開度による地形解析図で示したもの。海岸まで達している溶岩流が見える。


大室山から海岸までを傾斜量による地形解析図で示したもの。海岸まで達している溶岩流が見える。

 伊豆は、関東の人からすると、手ごろな観光地です。がんばれば日帰りだってできます。観光地だけでなく、海の幸、山の幸、そして温泉もあります。そんな観光地の伊豆をみていきましょう。

★ Essay 29 伊豆半島:時間スケール

 私は、伊豆半島の付け根とも言うべき、湯河原(ゆがわら)に、1999年12月から2002年3月までの2年3ヶ月間、住んでいました。それ以前は、伊豆半島より少し北になりますが、小田原市の足柄(あしがら)平野の中に、4年間住んでいました。ですから。私は、6年間も、伊豆半島の近くに暮らしていたことになります。
  伊豆半島の大部分は、静岡県に属しています。湯河原は神奈川県ですが、街の中を千歳川という川が流れています。その川向こうは静岡県熱海市になっています。ですから、静岡県の伊豆半島は非常に身近な存在でした。
  湯河原は箱根の裏側にあたりますので、私にとって箱根はもちろん身近な存在ですが、箱根だけでなく、伊豆半島にも、身近なものでした。伊豆半島は、いろいろ見所があり、よく出かけたものです。
  私は、伊豆半島でも地質学的に興味のあるところを見に行きました。伊豆半島は、地質学的な見所だけでなく、温泉や観光でもいろいろ見所があるのをご存知の方も多いと思います。ところが、地質の見所と観光名所は、別々のところではなく、共通していることが多いのです。言い換えると、地質学的に面白い現象がみられるところは、観光地としても人気があるところだということです。
  伊豆半島には、いくつもの観光地がありますが、自然の景観が見所となっているところが多数あります。例えば、下田の爪木崎(つめきざき)では亀の甲羅のような不思議な岩場が、奥石廊崎や波勝岬、城ヶ岬海岸では嶮しい断崖絶壁、堂ヶ島では不思議なガケの模様や洞窟、天城の浄蓮の滝や河津の七滝(ななだる)では柱が並んだような岩からできた滝、達磨山や大室山ではなだらかで丸い山、天城山や矢筈山(やはずやま)は険しい山、一碧湖では丸い形の湖などなど、さまざまな景観があり、それぞれが観光地となっています。
  伊豆半島の観光地は、山あり、川あり、海ありで、非常に多彩で、いろいろなタイプの自然の景観を見ることができます。伊豆半島を単に観光地として巡るとあまり気づかないのですが、地質学を学んだことがある人や石に詳しい人には、ある共通点があることに気づきます。
  観光地の多く景観は、溶岩や火山噴出物、水中火山砕屑物がつくるものであったり、火山体自体や噴火口などのマグマの火山活動によってできたものなのです。もちろん、伊豆半島は、火山活動だけでなく、堆積岩からできている地層もあり、その中には化石が見つかることもあります。しかし、伊豆半島では多くの火山活動の痕跡を見ることができます。そして、伊豆半島は、今も活動中の火山地帯なのです。
  伊豆半島周辺をみていくと、活火山は、伊豆半島より北側の富士山と箱根にあり、伊豆半島を飛ばして、伊豆大島にあります。伊豆半島に活火山というのは、ぴんと来ないかも知れません。しかし、かつてニュースにもなって記憶にも残っているかもしれませんが、手石海丘という海底での噴火がありました。
  1989年7月13日、伊東市の沖3kmの海底で起こったこの噴火は、伊豆半島での2700年ぶりの火山噴火なのです。つまり、有史以来、初めての噴火となったのです。ですから、伊豆半島が火山地帯であるのを気づかなかったのも無理はないことなのです。
  伊東周辺には大室山や小室山の丸い山があり、それは小さな火山であることがわかっています。地形図をみると、伊東周辺には、このような小さな火山がたくさんあることがわかります。気象庁は、手石海丘の噴火後、伊東周辺の小さな火山を総称して、伊豆東部火山群と呼びました。
  地質学者は、伊豆東部には、60個ほどの火山があることを知っていましたので、東伊豆火山群と呼んでいました。また、火山は半島の陸上部だけでなく、手石海丘のように、伊豆半島と伊豆大島の間の海底にも40個ほどの火山があることがわかっていました。これらの海底火山は、東伊豆沖海底火山群と呼ばれています。
  気象庁は、陸地と海底の火山を総称して、伊豆東部火山群と呼びました。つまり、伊豆東部火山群は、伊豆半島の東半分と伊豆大島まで続くほどの直径30kmにも達する広い範囲に及ぶ火山地帯だったのです。その規模は伊豆大島や箱根より広く、富士山に匹敵するほどだったのです。
  伊豆東部火山群は、活動地域が富士山や箱根、伊豆大島と肩を並べるほどですが、火山の形や活動様式には大きな違いがあることがわかります。
  富士山や箱根、伊豆大島は同じような場所で何度も火山活動を起こしています。ですから、火山自体が非常に大きく高い山となります。このような火山は、一度の活動で終わるのではなく、何度も繰り返し活動しています。ですから複成火山と呼ばれています。
  一方、伊豆東部火山群は、大室山や小室山のように比較的小さい火山がほとんどです。古い時代の火山の形は、風化侵食で変わっていたり、マグマの種類によって形の様々ですが、小規模で一度の火山活動でできた火山であることがわかっています。このような火山を単成火山と呼んでいます。ですから、伊豆東部火山群を、地質学者は東伊豆単成火山群と呼んでいました。
  手石海丘の噴火は有史以来はじめての記録でしたが、東伊豆単成火山群は、15万年前ころから活動をはじめました。
  知られている最初の火山活動は、天城高原近くの遠笠山でした。13万年前には高塚山、長者原、巣雲山の3つの火山が活動しました。10万年前には伊東市南部でいくつもの火山が噴火し、一碧湖が噴火口として残っています。4万年前に鉢ノ山が、2万5000年前に登り尾南が噴火し河津七滝をつくる溶岩が出ました。1万7000年前に鉢窪山と丸山が噴火し、浄蓮の滝をつくっている溶岩が流れました。1万4000年前には小室山が噴火、4000年前には大室山が噴火し、城ヶ崎の溶岩をつくりました。3200年前に、天城山が噴火し、何度も軽石の噴出や火砕流が発生しました。2700年前に、天城山の北東斜面でいくつもの火山噴火が起こり、それ以降しばらく火山活動がおさまっていました。
  そして、1989年の手石海丘の噴火になったのです。ほんの2700年ほど休止期間があっただけでの活動です。それ以前の火山活動には、もっと長い休止期がありました。
  東伊豆単成火山群は、このような噴火の歴史をもっているのですが、人間の歴史には火山活動の記録は残されていませんでした。仕方がありません。地質学などない時代ですから、過去の火山活動を知ることはできませんでした。しかし現在では、火山活動が活発に起こっている地域であることがわかっています。ですから、伊豆東部火山群は、活火山に分類されています。
  人間にとっては、手石海丘の噴火は、有史以来はじめての経験だったのですが、地質学的はたまたまここしばらく活動がなかっただけの時期にすぎなかったのです。人間の残した記録は、大地や自然の記録とは、時間スケールが違っています。ですから、大地や自然の見方も、大地や自然の時間スケールで見ていく必要があります。そんなことが、伊豆の観光地から垣間見ることができます。


★ Letter to Reader 心の目

・心の目・
北海道の私が住む町では、暖かくなり、今が桜の盛りです。
このような気候や花の変化が、季節の巡り教えてくれます。
季節の巡りは、もちろん自然の時間の流れです。
しかし、今回のエッセイでも示したように
非常にゆっくりとした万年、億年の時間の流れも自然にはあります。
自然はあまりに壮大です。
時間という見方をしても、
風の動きや天気の移り変わりのような秒や分、時の時間スケール
太陽や月の動きのような日や月の時間スケール
季節の星座の変化のよな月や年の時間スケール
火山活動のような100年や万年の時間スケール
大地の変動のような億年の時間スケール
など、あまりに多様です。
このような自然の多様なスケールを見るには
人ももっと多様なスケールをみる心の目が必要なのでしょうね。


の地図の作成に当っては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平15総使、第140-623号)

10mメッシュ標高データ及び解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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