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Essay ★ 01 有珠山:好奇心と倫理
Letter★ Ikeさん・Minさん・Obaさんからのメール


有珠山の鳥瞰図

有珠山南方より眺めたもの。


有珠山の鳥瞰図

有珠山北方のから地形図と合成した標高3D図。


地形解析による地上開度図

 地上開度とは、空の見通しの度合いをあらわすもので、尾根の地形の分布や密度がよくわかります。
 噴火前と噴火後の比較で、赤で囲った部分が2000年の噴火で新しくできた噴火口です。


地形解析による傾斜量図

 傾斜量とは、からある地点の最大傾斜方向から傾斜の度合いを求めたもので、地質の違いや断層の判読、浸食の程度、崩壊地形などが区別しやすくなります。
 有珠山南麓の流山地形がよく見えます。


有珠山の流山地形の部分の航空写真

 流山地形は、海岸にも及んで小さな島ができています。


1978年の噴火中の有珠山


1978年の噴火で折れた木々


噴火後に芽を出したエンレイソウ


有珠山西山火口の様子(2002年)


有珠山西山火口の様子(2003年)


西山火口周辺の断層(2003年)


洞爺湖の中の中島火山(2003年)

 

 火山は、人々に温泉やきれいな景観などの恵を与えてくれる一方、いったん噴火が起こると、自然の激しさ、厳しさを見せ付けます。そんな火山を地質学だけでなく、人とのかかわりでみてきましょう。人といっても私のことですが。

★ Essay 01 有珠山:好奇心と倫理

 私は、地質学を専門としていますが、活火山を専門としているわけではありません。しかし、過去の海底の火山活動でできた岩石を研究テーマにしていました。ですから現在の海底での火山噴火には興味があり、火山とは無縁ではありません。その対比のために、陸上での火山を、地質学者たちの見学(巡検(じゅんけん)といいます)で、いくつも見てきました。
 激しい噴火をしている火山は、火山を専門としている研究者でない限り、間近には、なかなか見ることができません。しかし、私は、有珠山とだけは、1977年と2000年の2度の噴火で、少々縁がありました。そんな話からはじめましょう。
 1977年の夏は、私は大学で地質学を専攻することを決めたばかりでした。1977年8月7日9時12分、火口原の中で有珠山は噴火しました。私の属していた学科や学部をあげての総員体制で噴火調査、観測に臨んでいました。そんなあわただしさの中、私たちはまだ専門家でもない、専門教育もこれから受けるような学生は、非戦闘員よろしく、大学でおとなしくしているしかありませんでした。
 私は、岩石学の講座で専門をおこなうことは決めていました。その講座の教授として、火山学の大家、勝井義男先生がおられました。しかし、私は、火山をテーマとして卒論をしませんでした。でも、勝井先生とは深い付き合いで、今もその不思議な縁は続いています。
 調査から帰ってこられた先生達の車が、火山灰まみれで、火山弾、降下軽石などで凹んでいるのをみると、噴火の恐ろしさを、間接的ですが感じていました。その夏のある夕方、札幌にも雨とともに火山灰が降って、傘に重く積もったのが、今でも心に残っています。
 噴火の翌年、残雪の残る1978年の春、私は有珠山を見るために、仲間と出かけました。噴火の最中の有珠山は、その傷跡も生々しく、木々が火山灰の重みで折れたり、未だに激しく噴煙を上げている火口などに圧倒されました。しかし、火山灰をかき分けながらのぼった斜面に、生命の象徴のようにエンレイソウのつぼみが出ていることが、強く心に残っていました。そして、生命のタフさを味わいました。
 これが、地質学もよく知らない学生時代の私と火山噴火との接触でした。1977年から1978年のかけての噴火で、3名の犠牲者がでました。勝井先生の落胆は、傍で見ていても大きなものであることがわかりました。そのとき、私の好奇心と若さによる行動に、なんの疑問もありませんでした。
 その後、私は、研究者としての道を歩むようになって、専門家ではないのですが、論文や専門書、映像などから火山についての知識は身につけていました。そして、研究者としての職を得て、地質学者として研究をするようになって、科学あるいは科学者としての立場から、火山を含めて、自然や地球を見る目を持ちました。もちろんそれは専門家としては必要な姿勢で重要なことであるのですが、いつの頃から、私は専門家という立場に立ってしか、自然や地球を見ていなかったのです。それを気づかせてくれたのが、実は有珠山だったのです。
 2000年3月31日、有珠山の噴火は、西山とよばれる有珠山の西側の山ろくから始まりました。有珠山は、歴史時代の噴火では、明瞭な前兆現象があり、最終的には必ず噴火するという繰り返しをしてきました。そこから「有珠山はうそをつかない山」と呼ばれています。2000年8月頃には噴火は終焉したので、その年の11月に、当時神奈川県に住んでいた私は、北海道に行く用事がったので、有珠山を見たいと思って出かけました。
 もちろん有珠山の噴火の様子をみるのは、地質学者としての知的好奇心だったのですが、まだ地元ではあわただしく、噴火の処理がされていました。家をなくし、避難されている方もおられました。その処理の模様をみていると、私は自分本位の興味で火山を見に来たことに嫌悪感を覚え、何もできなくなり、すごすごと引き返したのです。
 それ以降、科学と人とのかかわりについて、人と自然とのかかわりについて、科学と自然とのかかわりについて、考えるようになりました。
 日本の中でも、有珠山は、一番よく調べられている火山の一つです。そして、防災は難しいとしても、さまざまな減災へと取り組み、災害対策へと取り組みも一番進んでいる火山です。これは、火山に対して、地元住民や自治体、各種メディア、そして科学者が取り組んできた成果だと思います。
 このような体制をとるには、火山に関する観測や研究は不可欠です。そして、有珠山の火山研究者だけでなく、日本あるいは世界中の火山研究者が、実際の火山現象をみて、経験をつむこと、研究上の議論することは必要です。各地での防災対策に活かせる経験となるはずです。専門家が有珠山を見学することには、それなりの意義があります。また、メディアが有珠山に関する情報を適切に報道することも重要なはずです。
 しかし、研究や報道が、どこまでが必要なことで、どこからがやりすぎかを、よく考えておく必要があると思います。1977年の噴火の時、私は好奇心にかられて、噴火の近くまで見に出かけたのです。もちろんいろいろと得ることはありましたが、もしかするとあれは、越えてはいけない一線を越えていたものなのか知れないと今は思うようになりました。予想外の噴火や事故があれば、関係者に大きな迷惑をかけます。一緒に言った友人は今は、新聞記者となっています。どう思っているか聴いてみたい気がしますが、まだ機会がありません。
 私だけでなく、どんな人や分野でも、越えてはいけない一線があると思います。研究者、ジャーナリスト、行政関係者などで、被災者にぶしつけな質問をしたり、被害調査として他人の家や畑に、了解なく、遠慮なく入り込んだりしてはいないでしょうか。ボランティアとして、相手に親切を押し売りしていないでしょうか。義捐金を出したからといって、自分は被災者に充分はこと、できることはしたと思ってないでしょうか。善意と自己満足、責務と好奇心、やらなければいけないこととやってはいけないこと、その辺の境目が、未だに私にはよくわかりません。
 今のところ、私は、少なくとも研究者は、被災者に迷惑にならない範囲で、できるだけ多様な人が、自分の専門とする手法で記録を残すべきだと思っています。一人でも、グループでもいいです。将来どんなデータが必要になるかわかりません。そのときにしか取れないデータがあるはずです。また、誰がどんな有用なアイディアを生み出すかはわかりませんが、知識や知恵を記録して、知的資産として蓄えていく必要があるはずです。それが後の防災、減災へと導くはずです。
 さて、長々と私と有珠山のかかわりを述べましたが、最後に、有珠山の地質史を短くまとめておきましょう。
 有珠山は、洞爺火山の一部です。洞爺火山は洞爺カルデラをつくった大規模は噴火活動と、その後のカルデラ周辺の後カルデラ火山に分けられます。
 洞爺火山は約11万年前に破局的噴火が起こりました。その結果、直径11kmにおよぶ洞爺カルデラが誕生しました。周辺には火砕流による台地ができました。そのときの火山灰は、周辺はもちろん、風向きの関係で、北海道南部から東北中部の宮城県まで到達したことが確認されています。
 その後、約5万年前にカルデラ中央(中島)、約2万から1万年前にカルデラ南の有珠山で活動が起こりました。一時は1000mに達する成層火山になったのですが、8000から7000年前の噴火で崩壊しました。その名残は、南東側のでこぼこした流山地形と呼ばれるものとして残っています。歴史時代になって、有珠山は、1663年から30年ほどの周期で噴火を繰り返しています。1977年と2000年の噴火もその活動の一環です。


★ Letter to Reader Ikeさん・Minさん・Obaさんからのメール 

・Ikeさんからのメール・
このメールマガジンをはじめるあたって、1月3日に創刊特別号を出しました。
すると何人かの方から、メールをいただきました。
いくつかを紹介します。
Ikeさんから、
「中学での地学は、生涯最後の学習の場となる生徒がほとんど」
というメールをいただきました。
それ対して、私は、
「残念ながら、そうなるかもしれませんね。
現実社会では、地学的素養や視座というもの、
あるいは地球や自然に対する理解は大切です。
その欠如が現在の地球環境問題の一因ではないでしょうか。
地球や自然に対する理解から生まれる、
地球や自然に対する不思議さや面白さだけでなく、
畏敬の念や危険、そして危険を回避する必要性など
を考え、学ぶことになっていくはずです。
それは地球規模から、自分自身の身を守ることまで、
規模はさまざまでしょう。
そして人間も、地球や自然の一部であるという認識に
到達できるのではないかと思います。
なにも学校で学ぶことがすべてではないと思いますが、
学校教育は、最初のステップとして非常に重要だと思います。
自然認識や地球的視座の不足が、
将来、大きな禍根を残さなければいいのですが、不安です。
このメールマガジンがそんな認識の一助となればいいのですが。
努力はするつもりですが、
さてさてまだ始まっていませんから
どうなりますやら。」
と答えました。

・Minさんからのメール・
Minさんからメールをいただきました。
私は、
「地質学は、自然や地球の出来事、現象、歴史などを解明する学問です。
つまり、自然や地球という対象が、はっきりとあるものです。
そんな対象は、誰だって興味を持てるもののはずです。
素晴らしい景観、美しい鉱物、大きな化石、不思議な地層、
そんなものに多くの人は心惹かれているはずです。
ところが、学問となると、とたんにつまらなくなるのは、残念です。
ですから、私は、できるだけ対象を示しながら、
エッセイを綴りたいと思います。
そして少しでも多くの人に自然や地球の素晴らしさや
面白さを理解いただければと願っています。」
と返事を書きました。
また、Minさんから、
「なるべく分かち書きをすると 読みやすくなります」
というご指摘をいただきました。
それに対して私は、
「アドバイスありがとうございます。
私は、いくつかのメールマガジンを発行しているのですが、
それらのメールマガジンでは、読者の方々とのやり取りの結果、
このような形式にたどり着きました。
なんのことはない、普通のべた書きという形式です。
今回も、その形式を、何も考えずに踏襲しました。
私自身いくつかのメールマガジンを読ませていただいているのですが、
きっちりとした長文の文章や、印刷をして読むことを考えると、
多数の改行や分かち書きは、かえって読みづらい気がします。
なにも考えずにこの形式をとりましたので、
再度検討してみます。
その結果は、1号で示したいと思います。」
と答え、結局、当初通りの形式となりました。

・Obaさんからのメール・
Obaさんから
「私のような見えない者には
少なくとも1人では内容を理解しようもありません。」
というメールをいただきました。
それに対して私は、
「メールマガジン自体は基本的にテキストだけで読めるものにします。
そこでは、写真や画像について、言及しないつもりです。
するとしたら、エッセイとは別の欄でするつもりです。
もちろん、ホームページで画像をみれば、
よりわかりやすくなることもあるでしょう。
でも、基本的にメールマガジンは
テキストとして独立したものにしようと考えています。
ですから、新しいメールマガジンもよろしければ、
目を通してみてください。」
ご覧のように、文章は、まったく画像とは関係のないものとなりました。
しかし、ホームページでは、地形の画像や、
有珠山の現地の様子を記録した画像は紹介しています。
よろしければ、晴眼者の方はそちらもご覧ください。


の地図の作成に当っては、
国土地理院長の承認を得て、
同院発行の2万5千分の1地形図を使用したものである。
(承認番号 平15総使、第140-623号)

10mメッシュ標高データ及び解析データは
北海道地図株式会社作成の
高分解能デジタル標高データを使用した。

地図、航空写真、Landsatの画像合成には
杉本智彦氏によるKashmirを使用した。


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