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Letters 6

(メールマガジン:No. 52〜No. 60)


No. 052
【No.052:2001.08.30】知る人ぞ知る、穴場
カオスとは/アノマノカリスとは/懸賞当選
・カオスとは(Umさんへ)・
以前、カオスについて、
Umさんから質問がありました。
それについて、答えを書き、
また質問ということを何度か繰り返しました。
そこから今回のエッセイが生まれました。
エッセイには盛り込めなかったのですが、
いくつか重要な質問もありますので、
ここに採録します。

「この、何回も繰り返していこうとする
その作業の意味というか、
目的が理解できないです。
もしくは、動機というか。」
という質問です。

これに対して、私は
「実は、これが一番本質的な質問です。
上辺は、繰り返せば、その不思議な振る舞いが見えてくるからです。
単純作業は人間には不向きなのですが、
コンピュータには向いています。
ですから、このようなカオスや複雑系の研究は
コンピュータが発達してからのものです。
そして、コンピュータがあれが、
だれでも、カオスを試してみることもできます。

でも、その目的や動機とは、と聞かれた時、
はたと困ってしまいました。
その目的や動機と、
突き詰めれば、
なぜ科学するのか、なぜ科学が必要か
という問いに達するような気がします。

これは、大問題です。
社会的には何らかの答や論理は必要だと思います。
しかし、個人的には、好きだから、面白いからです。
自然や自然現象に対する好奇心です。
そして、私が面白いと思っておこなったことが、
今でも将来でもいいのですが、
人類の役に立つこと、
役に立たなくでも、人類に知識の体系の一部となることです。
そうすれば、私のやったことは無駄ではなく、
何らかの役に立つ可能性がでてきます。
それが、手間のかかることであれば、
後の人はその手間を省いて、
次のステップから進めます。
そうなればと思っています。
死後には、小出という名前が別に出なくてもいいのです。
それが、私が科学をする理由です。」
と答えました。

また、
「進化論では、
『遺伝子の将来的な変化は予測できない』
らしいですね。
これって、カオスですか?」
という質問がありました。

それに対して、私は
「ある研究者は、生命の進化をカオスや複雑系を利用して研究しています。
ですから、カオスということも可能ですが、
まだ、結論はでていません。

このような研究の一部として、
人工生命とALとかA-Lifeとか呼ばれているものもあります。
ある基本的な働き、
例えば、じゃんけんのような仕組み組み込んだ、
グー、チョキ、パーの3種の生き物を考えます。
あるところで飼うと、最終的にはどうなるでしょうか。
その3種の分布は、ばらばらになるか、偏るか。
最初にどうばら撒くかによって、
もしかすると後々大きな変化が生じるかもしれません。
そうなれば、まさにカオスです。
現実の生物で、カオスがあるかどうかは、
結論はでていません。」
と答えました。


・アノマノカリスとは(Obさんへ)・
前回で、5回にわたるカナダのエッセイは終わりました。
今年の夏は、カナダで始まり、カオスで終わりました。

また化石についての質問がありました。
「アノマノカリスなどの実際の形や、
どんな風にして生きていたのかなどについても、
書いていただければと思います」
という質問です。

それに対して、私は
「アノマノカリスの説明が不足していました。
ではアノマノカリスの説明をします。
これは、前のエッセイのメモでも紹介した
S.C.モリス著『カンブリア紀の怪物たち』を参考しました。

アノマノカリスは、完全な全身標本といえる化石が見つかっていません。
いくつかの部分がばらばらに見つかっており、
それぞれ別の生物だと考えられ、
別々の分類名が付けられていました。
しかし、部分部分をつなぎ合わせて、
その全体像があきらかにされつつあります。
その結果、アノマノカリスの特徴は、
奇妙さと、その大きさにあることが明らかになりました。

まず奇妙さについてです。
当初アノマノカリスと呼ばれた化石は、
原始的な甲殻類の原の部分と考えられていまして。
エビの美味しい尻尾の部分です。
その大きさは10センチメートルでかなり大きかったのです。
また、ペイトイアと呼ばれるクラゲの仲間と考えられていた化石がありました。
ペイトイアは変わっていました。
缶詰のパイナップルに似た形でした。
輪切りにしたパイナップルの芯を抜いた形で、
その穴の周りに32枚のプレート状のものが囲んであります。
時には変な化石があって、
ウォルコットがナマコとしていた化石をよく見ると
ペイトイアのようなものがついていました。
ですから一時、これは、
カイメンにペイトイアが乗っかっているのが
化石になったと考えられていました。
ある葉っぱ状の不思議な訳のわからない化石を
慎重に掘り出していったところ、
エビの尻尾ようなアノマノカリスが出てきました。
さらに掘っていくとペイトイアの丸い構造物が出てきました。
そこで、これまで別々の生物だと考えたれてきたものが
一つの生物の部分だったのです。

今では、エビの尻尾はアノマノカリスの付属肢で、
ペイトイアはアノマノカリスの口と顎、
ムカデの足と考えられていたものが、
前に飛び出た一対の足、
葉っぱ状の訳のわからない化石は、泳ぐための道具と判明しました。
さらに、中国で見つかった化石から
扇状の尻尾があることや、
葉っぱ状の突起物の下には歩くための足があったこともわかってきました。

アノマノカリスのもう一つの特徴である大きさは、
すべてを復元していくと、1メートルを越えるのです。
今では、アノマノカリスは
節足動物の仲間だと考えられていますが、
多分、カンブリア紀の海では
最大でかつ最強の肉食動物だったと考えられます。

ちょっとややこしいのですが、
アノマノカリスのその実態の変化を追っかけていくと、
科学者の苦労と、発見の喜びが伝わってきそうです。」
と答えました。


・懸賞当選(Moさんへ)・
Moさん、当選おめでとうございます!!!!!
(拍手)(歓声)

私のホームページのトップで
「思いつくまま」というエッセイを
ほほ毎日書いています。
多いときには、1日に2回以上書き換えることもあります。
その回数が100回になったので、
多分、誰も読まないだろうと思って、
メールを頂ければ豪華商品をあげると書きました。
すると、予想に反して、
このエッセイの読者でもあるMoさんから
読んだというメールがきました。
驚きと感謝をこめて、ここで紹介します。

実は、このNo.100のエッセイの懸賞応募期間は、
14時間しかありませんでした。
なのに応募されました。

Moさん。
マメというか、暇というか、ありがたいというか。
実は、かなり感激しています。
私のホームページは、ほとんどアナウンスしていません。
ですから、ほとんど見る人はいません。
なのに、見た人がいたのは、感激でした。

なお、豪華商品は、Moさんのみが知っています。


No. 053
【No.053:2001.09.06】ヒトは、地球の代表ではない?!
特別号の発行について/オフライン・ミーティング
・特別号の発行について・
このメールマガジン「地球のささやき」の発行を始めたのは、
2000年12月3日です。
しかし、No.1の発行は、9月20日になっています。
(理由は、また別の機会に紹介しましょう。)
ですから、このメールマガジンを始めて、もうすぐ、1年になります。
よく続けてこられたと思います。

近々、購読者数が1,000名を越えるかもしれません。

メールマガジンにおいて、
1年とか、1,000という数字に意味がある訳ではありません。
もっと多くの読者を集めている
メールマガジンが多数あります。
しかし、数が多いから、連載期間が長いからよいとも、
少ないから、短いから悪いともいえません。
もちろん、その逆の
少ないから、短いからよいとも、
多いから、長いから悪いとも
当然、いえません。

大切なことは、私が発信する情報を
必要であるとか、無駄だととか、
役に立つとか、役に立たないとか、
面白いとか、くだらないとか、
いろいろな感想や思いを抱きながらも、
受信して下さる方々(購読者)がいるということです。
情報の発信と受信の関係が成立しているから
このような個人雑誌(メールマガジン)の存在意義があると思います。

もし、数人程度なら、
通常のメールで充分用が足せます。
しかし、このようなメールマガジンの存在を
不特定多数の人が知ることはできません。

もし、読者が数十人以上で、
不特定多数にも読んでもらいたいなら、
「まぐまぐ」のようなメールマガジンの仕組みが有効です。

人数に関わり無く、
この機能が、
私の情報発信と誰かの情報受信に
有効なシステムである限り
今の形態を続けます。

さて、長い前置きでしたが、
1周年と購読者1,000名(突破できないかもしれません)を記念して、
特別号を発行しようと思っています。
ただし、この特別号は、
「地球のささやき」にするには
ちょっと変わったエッセイを載せます。
今まで私にメールを下さった方へのお礼を込めて書きました。

ただし、私のプライベートなことも書いていますので、
今までの「地球のささやき」と違うものとして扱います。
ですから「地球のつぶやき」とでもしましょうか。
今までメールくださった方には、
無条件でこのメールマガジンはお送りします。
メールを下さった方は、数えると、
22名でした。
そして、メールのやり取りを示すメールカウンターは、
9月2日現在、281通になりました。
一番長いメールは、一通で6300文字もありました。

興味があって読んでみたい方は、
ぜひ、私宛に特別号が欲しいというメールを下さい。
特別号をお送りします。
もちろん、停止もできます。
これは、まぐまぐとは別の仕組みで発行します。
私が、手作業で送るメールマガジンです。
100名までが登録できます。

特別号の発行予定は、
9月20日ころを予定しています。
もしかすると、登録者には、
たびたび、特別号がいくかもしれません。
登録者の方は、お楽しみに。


・オフライン・ミーティング・
9月下旬に、学会である町に行きます。
そのときに、読者の方々と会って
歓談できるかもしれません。
まだ、調整中ですが、
実現すると楽しいでしょうね。

このメールマガジンが取り持つ縁で、
オフライン・ミーティングまで発展しそうです。
一度、読者の方が、私を訪ねて来ようとされたのですが、
都合が悪くなって、実現しませんでした。

ですから、今回のが成功すればすれば、
始めての催しとなります。
お会いできるのを楽しみにしています。


No. 054
【No.054:2001.09.13】ヒトとは、悩む生き物、かも
なぜ、インターネット/情報とは
・なぜ、インターネット・
糸井重里著の
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(ISBN4-06-210347-8)
を読みました。

糸井氏は、
徳川埋蔵金発掘のテレビ番組や、
コピーライターなどとして有名です。

ところが、今や、
「ほぼ日刊イトイ新聞」(http://www.1101.com/)
の主催者で有名です。
このサイトは、アクセス数が毎日30万件を超えていることでも有名です。
著名人が、文章を書いていることでも知られていました。
木村拓也もペンネームで書いていたそうです。

私も、何度か覗いたことがあったのですが、
そんなにこったページでもないし、
単に文章が、たくさんの人によって書かれているな
という程度の関心でした。
アクセス数の多いのは、やっぱり芸能人が書いてるからかな、
くらいに考えていました。

それが、この本を読んで、
糸井氏が目指しているものや、
インターネットにかける意気込み、
そして、商売ではないという点など、
いくつも感じることがありました。

もしかすると私が目指していることと
合い通じるものがありそうな気がします。

興味をお持ちの方は、本を読んでみてください。
言葉の達人、糸井氏ですから、
面白く、わかりやすく書かれています
そして、もしかすると、
毎日覗いて見たい気がするかもしれません。

これから、糸井氏の書かれているもの少し興味がでたので
いくつか読んでみます。


・情報とは(Fuさんへ)・
Fuさんは、
「小さな出版社からの依頼原稿や講演など、
可能な限りうけていますが、
どれだけの方々が読んで下さり、
聞いてくれているのか、疑問です。」
といわれます。

そんなれにたいし嘆きに対して、私は
「情報には、多くの人に見せるという、
主要な目的があるかもしれません。
でも、情報のもう一つ重要な目的として、
少数でも、その情報を本当に必要とする人に届ける
ということもあると思います。
となると、必要な人に届くのであれば、
数人であっても、まさに、臨床のごとく1対1であっても、
その情報を発信する価値はあるはずです。

発信する情報を、多分、多くの人がもっているはずのに、
それを見出せないとか、
発信する意欲が無いとか、
発信手段を持たないとか
のさまざまな条件によって、
発信していないの現状だと思います。

でも、私もFuさんも、
発信すべき情報と、
手段を持っているのですから、
余力のある限り、
発信しようではありませんか。」

と返事しました。


No. 055
【No.055:2001.09.20】我々は、いつ生まれたのか。それは永遠のなぞ?
再び、カオスへ/カンブリアの怪物たち、再び
・再び、カオスへ(Umさんへ)・
「5_11 カオス(2001年8月30日)」で書いた
「カオスは、物理学だけのではなく、
経済学、生物学、社会学、情報科学など
さまざなま 分野で研究されています。」
という内容に対して、
Umさんから、
「カオスが、経済学や社会学が、直接関係しているのでしょうか?」
という質問がありました。

私は、この質問に対し、
「経済学や社会学においてカオスという概念だけも使われていますが、
カオスや複雑系の数学的手法が利用されています。

成功するとその効用が非常に大きくなるなる可能性があります。

例えば、株価の動きに周期性があり、
気候や天候、政策、あるいは外交関係によって変動するとします。
もし、政策において、総理大臣が何を言ったとします。
その発言が持つ影響を、ある定量的な数字にできれば、
複雑な初期条件を決めたことになるかもしれません。
すると、その初期条件による株価の変動が、計算可能かもしれません。
そして、それがカオスを生む式でも、
カオスの領域に入らない付近で周期性をもつ領域
であったとしたらどうなるでしょうか。

そのプログラムを使った人は、
株価の近未来かもしれませんが、
正確な変動予測ができるのです。

つまり、その動きを予想して株を売り買いすれば、
大きな利益を生むことになります。
まあ、政治のような複雑なものでなくても、
季節変化や気候変動などが初期条件なら、
もしかすると株価予想が可能かもしれません。

そんな望みを抱いて、
カオスを株価予想に利用しようという試みがなされています。

しかし、予想できたという報告も聞かないので、
無理なのかもしれません。
もし、そのようなことができれば、
巨万の富を手に入れることが可能なので、
カオスによる株価予想に成功した研究者は、
今ごろ、だまって優雅な生活を送っているかもしれません。

 今のは、極端な例ですが、
定量化されたデータが、カオス的な振る舞いをするものであれば、
カオスの研究手法を使えば、
ある数式にたどり着くかもしれません。
もしたどりつければ、
あるときの初期条件が決定できれば、
以降がカオスになるのか、
カオスにならないである周期性を持つ領域なのか
が決定できるかもしれません。
すると、複雑なふるまいをする現象の未来予測が、
可能になるかもしれないのです。

今まで、複雑すぎて、科学の素材にあがらなっかた現象が、
科学の対象になる可能性を示したのです。
それは、自然現象だけでなく、
社会現象や、人間の振る舞い、経済などにも
応用可能なのかもしれないのです。
そんな、期待感があったのです。」
と、応えました。


・カンブリアの怪物たち、再び(Obさんへ)・
Obさんから
「カンブリアの怪物たち」のエッセイに対し、
「アノマノカリスの説明、とても面白かったです。
世界の異なる場所で見つかった化石を組み合せて
一つの生物を発見するなんて、すばらしいですね。
それにしても、1メートル以上ある節足動物なんて
想像するだに奇妙ですね。
どうやって体の形を保てたのでしょうか、
壊れてしまいそうなのに、ふしぎです。」
というメールをもらいました。

私は、それに対して、
「さて、アノマノカリスのイメージがつかめましたか。
絵で見せればいいのですが、
とっても妙な生き物です。
まあ、絵で見ても変な生き物です。」
と応えました。
Obさんは全盲の視覚障害者の方です。


No. 056
【No.056:2001.09.27】未だに、学、成り難し
諸刃の剣/リテラシー/購読者1000名突破
・諸刃の剣・
Naさんから、
「ネット上では責任感というものが希薄なためか、
何をやっても良いと勘違いしている人も多いのではないでしょうか。」
といういう質問を受けました。
それに対し、私は、
「Naさんのという発言は、
インターネット全体に、その解釈を広げても通じる主張です。

新しいメディア、あるいは新しい科学技術が出現すると、
常に同じような問題が発生したのではないでしょうか。
古くは、新しいメディアとして、
印刷技術の発明、電信、電話、テレビなどの発明と普及の時も、
同じような問題が発生したのではないでしょうか。
科学技術でも同じで、
蒸気機関、自動車、原子力、コンピュータなどの出現の時も、
同じような問題を含んでいたのではないでしょうか。
つまり、これら新しいメディアや科学技術が持つ
便利さと危険さに対する議論への展開できるのではないでしょうか。

メディアでも科学技術でも、
道具というのは、諸刃の剣で、
よい面も悪い面も持ち合わせています。
私の考えは、道具を、どう使いこなすのかは、
使う側で考えるしかないというものです。
ですから、危険だと感じる人は
被害の及ばない範囲で使用するか、
使わないでおくかしかないのです。
一方、便利だと思う人は、
大いに使えばいいのではないでしょうか。
その代わり、被害を受ける危険性を承知の上で行うことになるはずです。
でも、多くの場合、利便性のみを見ているため、リスクはすぐに忘れてしまいます。

皆が、危険だと感じるなら、
その道具は使われなくなり、
過去の遺物となります。
皆が使えば、それは、印刷やコンピュータのように発展していくでしょう。
そして、セキュリティやマナーなどは、
ある程度は成立するようになってくるのではないでしょうか。
そういえば、電車で大声で携帯電話をする人は大分少なくなったような気がします。もし、インターネットやメールも発展するとするなら
(私はそう信じていますが)、
私は楽観的に使う側に回ります。
当然、リスクも背負うつもりです。

「発言の責任」は重要です。
他人や他のグループへの誹謗中傷は、
インターネットというメディアが無い時代と比べれば、
被害は格段に大きくなります。
しかし、このようなことは、
誹謗中傷の手段、メディアをインターネットやメールに変えただけで、
基本的にそれは、人間性の問題です。
それが、インターネットだからというのは、
道具のせいにし過ぎではないでしょうか。
それを恐れて、これほどの便利な道具を手放すのは、
待ったいない気がします。

マナーは、是非学ぶべきものです。
このようなマナーは、道徳とか倫理という教育の範疇です。
教育を受けているはずなのに、
そのような行為が起こるのは、
インターネットのせいではなく、
人の性(さが)なのかもしれません。
ただ、その被害は従来のメディアより甚大です。
それは、このメディアに
我々がまだ、習熟してないか
あるいは、メディアが成熟してないのかもしれません。


・リテラシー・
Naさんに対する上のような返事から
インタネットにおけるマナーの話しから、
教育へと話しが展開しました。
そのときの私のメール内容です。

「Naさんは、
「他人に迷惑をかけずに生きる」
ためには、「教育」が必要といわれます。
私も同感です。

さらに、Naさんは、
「教育」を「伝える」ことや「知る」こと
と表現されましたが、
私はこれを「リテラシー」と呼んでいます。
リテラシーとは、何の事はない、
昔で言えば「読み書きそろばん」のように、
人間として基礎的な素養と、
そして生きるために非常に重要な技術のことです。

リテラシーの内容は、時代ごとに変わります。
もともとリテラシーは、読み書き能力を表す言葉でした。
でも、今では、基礎素養的な意味で使われています。
インターネット時代には、
当然インターネットにおけるリテラシーが必要です。

リテラシーなどという言葉はどうでもいいのです。
要は、その国あるいは同時代人すべてが、
良いことと悪いことが、共通するような社会教育が必要だということです。
それがないと、この社会は成立しませんし、
リテラシーが国ごとにずれいていると、
誤解や紛争や戦争へと導きます。
ニューヨークのテロ事件も、
宗教によるリテラシーのずれに起因するものという見方もできます。

リテラシーは、ある程度は学校教育で身につけることができます。
でも、それですべてが身に着くわけではないと思います。
他にも家庭や社会からも学ばねばならないことがあります。
つまり、健全な社会、家庭、学校があってこそ、
はじめてリテラシーが充実するのです。
ですから、いつの時代でも、
リテラシーが充分ということはないのかも知れません。

江戸時代は、「読み書きそろばん」が、リテラシーの目標でした。
今や日本では「読み書きそろばん」は、達成されています。
今の日本では、より高度のリテラシーを求めています。
高度のリテラシーとして、インターネットに関する「技術」もそうです。
でも、このような「技術」は小手先のことかもしれません。

実は、江戸時代にはすでに達成されたリテラシーが、
今は達成されてないのでないでしょうか。
それが、問題なのです。
道徳とか倫理とも違う、
「人間として」という部分まで遡った何かです。

また、「最近の若い人は、、、」などという決まりきったフレーズに対し、
Naさんは、
「情報を得る方法がわからなかったり、機会に恵まれていない」
からであるといわれました。
これを、リテラシーという見方で考えれば、
世代によって必要とされるリテラシーが違うということではないでしょうか。
歳相応のリテラシーを身につける必要があるということです。
リテラシーとは、もしかすると、
いくつになっても努力しつづけないと身につかないもの、
あるいは永遠に身につけられない、
「悟り」のようなもかもしれません。

さらに、「最近の若い人は、、、」に関するもう一つの問題は、
類型化の弊害です。
若い人には若い人の文化や流行があります。
その共通項だけをとって
「近頃の若い者」という類型化をして、
それですべての若い者に転用するという、
論理の飛躍をよくしてしまいます。
これは、論理的に考えれば、間違いは簡単にわかります。
でも、同じような間違いを多くの人が犯しています。
私も犯します。
血液型による類型化、
占星術や手相などによる類型化、
あるいは肩書きによる類型化、
宗教による類型化、
人種、民族、国による類型化、
などなど、いつもどこかで類型化をしています。

我々は、まだまだリテラシーが足りないせなのでしょうか。
リテラシーという悟りへの道は、遠そうです。」
と応えました。

・購読者1000名突破・
いつ宣言しようかと思っていたのですが、
2週つづけて1000名を越えているので、
大丈夫でしょう。
なにかの事情で、1000名を下るかもしれませんが、
1000名を越えたのは事実です。

何度もいいますが、
1000という数に意味はありません。
でも、区切りとして、
そこに意味をつけます。
私は、その意味として、
この連載を支えてくれた人に、
感謝の気持ちを表すことにしました。

それが、もう一つの「地球のささやき」にあたる
「地球のつぶやき」です。
先週の1周年記念の1号に続いて、
今度、1000名突破の2号を
配送しました。
購読ありがとうございました。


No. 057
【No.057:2001.10.04】はじめのヒントは月にあり
はじめシリーズ/夢を忘れずに/釈迦に説法
・はじめシリーズ・
今回のエッセイは「固体のはじめ」です。
前回の「最初の大気」に続いて、
はじめシリーズです。
数回に渡って、地球の歴史で、はじめて起こったこと
を取り上げて紹介していきます。
予定としては、
海、陸、海洋底、生命
という順で紹介できればと考えています。
御期待ください。

実は、この当りの地質現象を
現在、私は一番面白いと思って研究しています。
その内容や考え方についても、
おいおい紹介するつもりです。


・夢を忘れずに(Itさんへ)・
前回のリテラシーにも関連しているのですが、
Itさんから
「もし、もう一度学生に戻れるなら
○○を志望したいと思います。」
というメールを頂きました。

それに対して、私は
「人間は、いつになっても、目指すことがあれば、
その道に進むことができます。
それに、Itさんには、
学生の頃にはなかった経験や、目的意識があるはずです。
そのような、「学ぶ心」があれば、
今日からでも、「学生時代」が再現できるのではないでしょうか。
単に夢に終わらせるか、
それとも、夢に向かって一歩を出すかどうか。
夢は夢と何もしないのであれば、
そんな夢は幻のごとく、役に立ちません。
夢に向かって、一歩でも進めば、
その時点で、その夢が実現する可能性が出てきます。
夢は待ってるものではなく、歩み寄るべき存在なのです。
そんな人にのみ、夢は微笑み、近づくのです。
ですから、夢を見て、そこに向かおうではなりませんか。
○○を勉強してみてはどうですか、
きっと学生時代にはなかった感動が味わいえるともいます。
私も、また、夢に向かって前進中です。」
という返事をしました。

その後、Itさんから、
「「夢を忘れるな」との励ましを頂きました。
今まで余り深く考えなかったテーマについて関心を持って
そこから更に突っ込んで取り組むものが
見つけられたらと考えています。」
という返事がきました。

それに対して、私は、
「私もそうですが、続けることが、簡単なようで難しいのです。
私も、あるいは誰でも失敗の経験があるはずです。
運動、日記、勉強など、続けなければと思っても、
今日くらいという気の緩みが、挫折につながります。
習慣化すればいいのですが、
努力が要することが伴うと、ついつい気が緩むことがあります。
だから、「継続は力なり」です。
おわかりのように、これは、
Itさんへのメッセージと共に、私への自戒でもあるのです。
お互い、目標に向かって頑張りましょう。」
という返事をしました。

・釈迦に説法・
実は、Itさんは、
私よりずっと先輩(実際の大学の先輩でもありました)で、
「幼少の頃から虚弱体質」だったので、
運動とは無縁の生活をしていたそうですが、
30歳台半ばから、フィットネスをはじめ、
56歳からフルマラソンを9回完走できるまでになっているそうです。
それに、定年後、パソコンを購入し、インターネットやメールに取り組み、
私のこのメールマガジンの出合ったそうです。
まさに、「釈迦に説法」だったのです。
Itさん、失礼しました。


No. 058
【No.058:2001.10.11】「小さな親切、大きなお世話」が、大好き
遅配のおわび/真実は何処に
・遅配のおわび・
メールマガジンが遅れて申し訳ありませんでした。
以後、気をつけますので、
ご容赦を。

・真実は何処に・
Itさんから、
「ジルコンが地球に生成した最初の鉱物」
という内容のメールがありました。

ちょっと表現が気になったので、
以下のような、補足しておきました。

「まず、注意すべきは、「最初」といっても
「現在、私たちが手にした最古のもの」
という意味です。
もっと古いものがどこかに隠れいてるかもしれません。
「真の最古」はもっと古いはずです。
前回紹介したジルコンも、
「結構古い」けれど、
多分「真の最古」ではないはずです。
言っていること、わかりますか。
真実と私たちが知りうることとは、違うということです。
限りなく真実に近づくことはできるはずですが、
どうしても真実にはたどりつけない
という教訓かもしれません。
過去の事象についてもは、特にそうかもしれません。
「真の最古」は、多分、月の歴史で紹介したように、
たどり着けない真実でしょう。
「真の最古」は、もはや残っていないはずです。
なぜなら多分、その岩石はもう残っていない可能性が高いからです。

もう一つ、現在残っている「最初の鉱物」が
ジルコンという鉱物なのです。
ジルコンだけができたわけではなく、
岩石の中の一つの結晶としてジルコンができました。
その他にも多くの鉱物ができていたはずです。
でも、ジルコンが丈夫で、
後の時代の堆積岩に入っても
できた当時のまま残っていたのです。
これも真実は一部しか残らないという教訓でしょう。」
と、応えました。
多分Itさんの言葉の綾だと思いますが、
老婆心でした。


No. 059
【No.059:2001.10.18】生きていること、次に好きなことができること、次に・・・
体調不良につき休み
・体調不良につき休み・
現在、風邪につき、闘病中です。


No. 060
【No.060:2001.10.25】始まりがあれば、終わりもあるのか
「最初」シリーズ/説教/お見舞いへのお礼/復帰報告
・「最初」シリーズ・
前にもお話ししましたが、「最初」シリーズを続けています。
今まで、
最初の大気、
最初の固体、
最初の海、
最初の陸、
最初の海洋底、
ときました。
さらにいくつか続けていきたいと考えています。

今まで紹介した「最初」は
すべて40億年前におこったことばかりです。
でも不思議なことに、
最初は激しい変化があったかもしれませんが、
「最初」が終わると、
あとは驚くほど穏やかに、地球の変化はおこります。
あるいは、ほとんど変化しないこともあります。
そんな歴史の果てに、今の地球、生命そして私たちがいるのです。

「最初」のどれか一つでも起こらなかったら、
今の地球や私たちは、なかったはずです。
もしかすると、非常に微妙なバランスの上に
私たちの今に至る歴史は刻まれているのかもしれません。
それも、これからの科学が解き明かしてくれるでしょう。


・説教(Koさんへ)・
私の話すことが、
最近、説教くさく聞こえるようです。

それに対して、Koさんは、
「自分の考えを他人に押しつけようとすると、
『説教』くさく聞こえるのではないか」
とおっしゃられました。

私が、
「説教が、人を動かすことができれば、
『本物』なのかもしれません」
というと、

Koさんは、
「説教だけで人を動かそうとは思わない方が良いようです。
共に行動する中で、
哲学や人生観も伝わるのではないでしょうか。」
といわれました。

このようなやり取りの後、私は、Koさんに
「同感です。
でも、Koさんの言も、
なかなか『説教』くさいでね。
行動は必要です。
共に行動することも必要でしょう。
でも、行動するだけで、
哲学も人生観も第3者に伝わるでしょうか。
私は伝わりにくいと思います。
やはり、哲学も人生観も、
はっきりと言葉や文章にして、
示さなければいけないと思います。
それでこそ、『ヒト』ではないでしょうか。
問題は、自分の考えていることが、はっきりしなかったり、
うまく言葉にできなかったりすることです。
そういう意味で、『ヒトはまだまだ未熟』だと思います。」
と答えました。

この禅問答は、まだしばらく続きそうです。


・お見舞いへのお礼・
先週のメールマガジンは、
病気中につき失礼しました。
多くの方から、お見舞いのメールを頂きました。
ありがたいことです。
職場の人たちも、
「おはよう」を「大丈夫ですか」に、
「さようなら」を「お大事に」という言葉に挨拶してくれます。
でも、メールのように文字で頂くと、
ありがたさが身にしみます。
メールだけの付き合いで
顔も知らないもの同士が、
お互いの健康を気遣う。
こんな関係がたくさん築けたことを、
幸せに思います。
本当にありがとうございました。
心からお礼を申し上げます。


・復帰報告・
病気からの復帰の報告をします。
10月14日(日曜日)に東京都北区王子で
ある学会のシンポジウムがありました。
そこで午前中30分の講演をし、
午後は座長をしました。
自覚症状は、シンポジウム中でした。
午前中からから調子が悪かったのですが、
そのシンポジウムが終わった後、
息も絶え絶えに、自宅に帰り着き、
そのまま病に倒れてました。

病気は、激しいの頭痛の伴う風邪でした。
丸2日間、ひどい頭痛と高熱にうなされました。
17日にやっと食事をし始め、
19日に、職場に復帰しました。
書類上は2日しか休んでないのですが、
床に臥していたのは、4日間です。
今も咳をすると頭痛が襲い、
体もまだ本調子ではありません。
でも、一応、復帰はできました。

生きている幸せ、
痛みがない幸せ、
自由に考えられる幸せ、
自由に動ける幸せ、
を、順次味わっています。
そして、健康の幸せ
を早く味わいたいものです。


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