地球と人と
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Essay■ 6_153 ホーキング博士追悼
Letter■ 映画のホーキング・アイス・バケツ・チャレンジ
Words ■ 春は名のみか


(2018.04.12)
 ホーキング博士が、先月、お亡くなりになりました。ホーキング博士は、宇宙物理で大きな成果をいくつも挙げられており、世界中に知られている有名な科学者です。その訃報に接して思うことを紹介します。


Essay■ 6_153 ホーキング博士追悼

 3月14日、イギリスの物理学者、スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking)博士の訃報が、世界中に流れました。ニュースでの報道、科学番組では特番もありました。でも、政治家や芸能人など比べて、その扱いが小さく思ったのは、私だけでしょうか。
 さて、私は地質学を専門としているので、物理学は外野から眺めるだけでした。一般向けの解説書を読んだり、ニュースを見聞きしたり、興味ある成果をエッセイで取り上げたりして、接している程度でした。ホーキング博士の偉大さは、専門ではないので詳細にはわかりません。その前提でお読み下さい。
 以前、彼の本「ホーキング、宇宙を語る」(1989)を読みました。日本だけでなく、世界的にも大ベストセラーになったので、読んだ方もいるかと思います。私はこの本で2つ点で感銘を受けました。
 ひとつ目は、一線級の研究者が、一般向けの本を書いたことです。執筆時点の46歳で、すでに「特異点と時空の幾何学」(1967)、「ブラックホールの蒸発理論」(1974)、「無境界仮説」(1983)など、重要な成果をいくつも発表されていました。超一流の理論物理学者でした。このような成果の評価は、多くの受賞歴が物語っています。なぜかノーベル賞の受賞のないのが残念です。有名な研究者にはノーベル賞を逃している人も何人かいますが、ホーキング博士もその一人でした。
 その一線級の研究者が、科学普及書を書いたのです。最近では多くの研究者が一般向けの本を書くようになってきました。その御蔭で、違う分野の一流の研究者から、現場の最新情報や生の研究生活の話などが聞けるようになりました。かつては、ほんの少しの研究者が、このような科学普及をしていたにすぎませんでした。学界では、一般向けの解説者になることは、一流ではないことのように考えられていました。今でもそのような傾向が残っているかもしれませんが。博士は、そんな貴重な先駆者の一人でした。
 もうひとつの大きな感銘を受けた点は、彼が病気を押して執筆したことです。病気は、あまりに有名な話しです。ホーキング博士は、オックスフォード大学卒業後、ケンブリッジ大学大学院に入学しました。入学から1年後の1963年に「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)と診断されました。そして、余命2年と診断されています。当時、ALSは発症から数年で死に至るとされていました。治療の効果でしょうか、進行が非常の遅くなり、長年研究活動に従事されてきました。そんなALSの闘病中での執筆でした。執筆は不自由な状態で苦労されたと思います。
 そしてなんと76歳まで生きてこられました。ある時期から、意思伝達のためにコンピュータによる合成音声を利用されてきましたが、それもホーキング博士のアイデンティティになっていたように思います。
 ホーキング博士のご冥福をお祈りします。


Letter■ 映画のホーキング・アイス・バケツ・チャレンジ 

・映画のホーキング・
2004年のBBC制作のテレビ映画「ホーキング」もありました。
私は、CSで見ました。
30歳位までの半生の物語です。
ベネディクト・カンバーバッチが
主演したことも有名になりました。
後の人生は、「博士と彼女のセオリー」で
描かれているようですが、私は見ていません。
いずれ見たいものです。

・アイス・バケツ・チャレンジ・
ALSで連想されるのは、
「アイス・バケツ・チャレンジ」です。
2014年にアメリカ合衆国で始まったALS支援運動でした。
有名人が、氷水を頭からかぶっている様子が
報道され、話題になりました。
これの活動はホーキング博士とは
直接関係がないかもしれませんが、
私には、関連付けられています。


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