地球と人と
表紙に戻る
 

6_8 新天地とヒト

(2001年6月7日)
 「6_7 ヒトと宇宙と」で、ヒトも「新天地に向う」という特性を持っているといいました。このような開拓者精神(フロンティア・スピリッツ)は、生物が本質的に持っているものであるといいました。しかし、ヒトだからこそ、生物の本性をむき出さない生き方を取るべきなのでしょうか。考えてみましょう。


 ヒトも生物の一つの種です。ですから、生物の基本的性質を持っています。例えば、食べること、排泄すること、子孫を残すこと、そして進化することなどです。今回のテーマは、この進化するということに関係があります。ヒトにおける進化とは何かうを考えましょう。
 ヒトは、原人から旧人、新人、そして現代人へと進化してきました。このような時の流れからすると、当然、将来、現代人も進化して、別の種となっていくはずです。もしかすると、その進化の方向は、自分で選ぶことができるかもしれません。
 進化の要因として、ダーウィン以来、自然淘汰が一番有力だと考えられています。一つの種が新しい種として進化と遂げるために、新しい性質を持った子孫たちが必要です。その子供が、その以降もその新しい性質を持つためには、DNAにその性質が刻み込まなくてはなりません。でも、その新しい性質を持った子供たちは、どうして生まれるかは、よくわかっていません。
 私は、このような性質は、新しい環境に進出した時、目立って生じるのではないかと考えています。あるいは、潜在的にそのような性質が生じては消えていたのが、新天地へ進出したとき、現われたのかもしれません。新しい環境でその性質が活かされる場合、一気に花開くのではないかと考えています。つまりその時その環境に最適な遺伝的形質が発現し、その種全体に継承され、定着するということです。私の専門は生物学ではないので、多分誰かがこんなこと言っていると思いますが、私は知りません。
 つまり、新天地に進出し、その新天地に適応しきれた個体を中心にして新しい種へと発展するのではないかということです。その進化に要する時間は、クールドのいう断続平衡進化説のように、一気におこるはずです。失敗すれば、別の種がその新天地を支配するはずです。
 こんな考え方は、妄想でしょうか。それとも真実でしょうか。これを証明するには進化できるだけの実験時間が必要かもしまれません。そして、その答えは、新天地にこそ、存在するかも知れません。もしかすると、ヒトにとっての新天地は、地球外の宇宙や深海底、他の天体かもしれません。そして、そのような環境選ぶかによって、新しい種の変化の方向が決まるかもしれません。つまり、自分たちの未来を選ぶことができるかもしれません。