地球の調べ方
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Essay■ 5_63 かなたの星まで3:年周視差
Letter■ いい気候・ティコ・ブラーエ
Words ■ 今が北海道のいい夏


(2007.08.23)
  前回は30mメッシュの公開のニュースを紹介したので、「かなたの星まで」が一回休みました。今回は、以前の続きで、三角測量で星までの距離を測る方法についてです。


Essay■ 5_63 かなたの星まで3:年周視差

 行くことができないほど遠くにあるものまでの距離を測る場合、三角測量を利用するという話をしました。三角測量には、原理的に3つの方法がありますが、行くことのできないものまでの距離を測るには、「一つの辺の長さとその辺の両側の角度を決める」方法がだけが使えます。
  この方法を、星までの距離を測定するのに利用すればいいわけです。この方法は、測りたいものが遠くなればなるはど、一辺の長さに比べて、他の2辺が長くなります。つまり、測れる一辺の両側の角度が90度に近づいていきます。
  数学では、無限遠の時のみ90度で、有限の距離であれば、90度以下の角度になるはずです。しかし、観測には誤差がつきものですが、遠くのものを測定するときには、その誤差が大きくなっていきます。原理は簡単なのですが、実際に測定しようとすると、非常に難しいものとなります。
  地球上で使える実測可能な一番長い辺は、地球の直径(約13000km)を誰もが思い浮かべるでしょう。これは、日没後と日の出前などに、同じ星を観測すれば、地球の直径分の距離を確保して、観測したことになります。もっと、長い測定可能の距離を、利用することができます。
  地球は太陽の周りを公転しています。この公転の直径を使えば、1億5000万kmとなり、地球の直径の1万倍の辺を手に入れることができます。ただし、この観測には半年かかという気の長いものとなります。
  このような地球の公転の直径を辺としたとき、星の位置がずれことを年周視差と呼びます。このずれは、もっと多くの動かない星を背景に決めていくことになります。
  ところが、1億5000万kmという距離をもってしても、星までの距離は遠いのです。このような年周視差が角度で1秒(1度の360分の1)になる距離は、3.26光年に当たります。この距離を天文学では、距離の単位して利用していて、パーセク(parsec)と呼んでいます。
  地球に最も近い恒星であるケンタウルス座α星は、年周視差がわずか0.76秒しかありません。
  このような年周視差の原理が、星の距離を測定するのに使えることは、かなり古くからわかっていました。しかし、なかなか実測されるに至りませんでした。ですから、ティコ・ブラーエは、年周視差が観測できないことから、地動説を否定し、天動説が正しいと考えていました。
  実際の年周視差を用いて観測されたのは、1838年にフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが、はくちょう座61番星の年周視差を観測できた時でした。その年周視差は、なんと0.314秒でした。その後、ベガの0.26秒、ケンタウルス座α星の0.76秒など、続々と年周視差による観測結果がでてきました。
  現在では、技術の進歩によって、当然ことながら、観測できる距離はもっと長くなっています。それは、次回としましょう。


■ Letter to Reader いい気候・ティコ・ブラーエ

・いい気候・
北海道の湿度が高い高温の時期は、お盆の数日でした。
先週末にはいつもの北海道の気候に戻りました。
私も一息つくことができました。
ただ、夏バテの影響か、運動不足がたたっているのか、
まだ、本調子ではありません。
しかし、過ごしやすい気候となっています。
それに大学は今夏休みですから、仕事をするのには、一番いい時期です。
いろいろと仕事をこなしていきたいと考えています。

・ティコ・ブラーエ・
ティコ・ブラーエ(1546〜1601)は、デンマークの天文学者です。
非常に精密な観測をした天文学者でした。
精密な観測を大量におこない、彼の観測データは、
当時としては最高のものでした。
天体望遠鏡が発明されるのは、
1608年で望遠鏡が発明され、1609年にその噂を聞いたガリレオが、
望遠鏡を製作したのが始まりです。
ブラーエは、望遠鏡を利用することなく天体観測をしていました。
もちろん時計もありませんでした。
残念ながら、彼は、自分の観測データをまとめることはできませんでしたが、
弟子のケプラーによって、その記録からケプラーの法則が発見されました。
その他にも、いろいろ業績はありますが、
年周視差が観測できなかったので、
「太陽は地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星が公転している」
という「天動説」を提唱しました。
この天動説は、彼が古いタイプの人間であったせいではなく、
望遠鏡を利用しない方法の限界であったのです。
彼自身は、観測結果に基づいた当然の帰結を述べたのです。


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