地球の調べ方
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Essay ■ 5_33 普遍的分類3:スタートとゴール
Letter■ ループ・春の強風・河原
Words ■ 個性の集積こそが普遍への道


(2004年4月22日)
 普遍的な分類として、化学組成がいいと紹介しました。しかし、一見普遍的にみえる化学組成を分類の基準としても、一筋縄ではいかないことがありそうです、という話をしました。今回はそこから話を進めましょう。


■ Essay 5_33 普遍的分類3:スタートとゴール

 石ころがあるとしましょう。その石の化学組成を、現在では、適切な分析装置を使えば、正確に決めることができます。その石ころがしましま模様を持っていたとしても、決めることはできます。
 しま模様が白と黒だったとしましょう。典型的な白い部分や黒い部分を取り出して、そこを分析すればいいのです。すると、白と黒のそれぞれの部分の化学組成を求めることができます。
 でも、白と黒の石をつくる作用がはたして、ひとつものから由来しているかどうかです。白と黒がたとえば、違ったマグマから由来していたとしたら、それを一緒にして考えることは、間違った結論へと導かれます。また、白には、違った由来のもの2つ、それも同じ化学組成を持っていたとしたら、などと考えると、白の化学組成を考えるだけでは、本質を見誤る可能性があります。
 マグマからできた石であるデイサイトという火山岩が、日本にはたくさんあります。たまたまある川の河口付近に見つかるデイサイトには、まったく別の火山、それも時代の違ったマグマからできたものが混じっているかもしれません。でも、あるものは同じような化学組成を持つことがあるかもしれません。ですから、同じような化学組成をもっていたとしても、同じ起源とは言い切れないのです。
 そのためには、どこのマグマから、つまりどの火山からその石がもたらされてきたかを知ることが大切です。その石が転がってきた崖、露頭の状態を詳しく調べます。そして、同じ石はどこまで広がっているか、他の石とどのような関係を持っているかなど調べていきます。このような情報を産状(さんじょう)といいます。石を調べるにも、その石が、より多くの、より変化を受けてない情報をもつころこまで遡ることです。できるだけ、根源的なものまで、体を使って、野外調査でたどっていくことです。でも、このような野外調査をするということは、実は、石の個性をより詳細に記述することに他なりません。
 野外調査で探れる以前のこと、たとえばその火山のマグマは、本当にひとつの起源だったのか、ほんとうに同じ時代のものなのか、などは、見えないことです。地層をつくっている砂や石ころ粒は、今は存在しない山から転がってきたのかも知れません。このような見えないものが、石ができた背景にはあるはずなのです。
 話をもどして、しま模様だけれども、平均的な化学組成が欲しいというときも、方法はあります。石を砕き、砕いた石を紙の上に広げて、田の字型に4等分します。そして、その対角のある石を2つ集めて、今度はそれをさらに砕きます。このようにして石のムラをなくす方法(4分法とよばれています)があります。しかし、これは、昔、手で砕いてた時代の方法です。手で砕くと石の不均質がそのまま残ることがあるので、このような方法をとりました。しかし、最近では機械で砕きますので、このようなことはしなくなりました。つまり、石全体の化学組成を知りたいのなら、石を丸ごと砕いて、その砕いたものの化学組成を調べればいいのです。
 たとえば、川原に落ちているしましまの石を10個拾って、平均的な化学組成を調べたとしましょう。たぶん、それぞれが違った化学組成を持っているはずです。それは、それぞれの石の個性というべきものです。
 10個の石の個性から、より本質的なものを考えると、しましまの石の個性は、黒と白の多い少ないという比率の違いを反映しているはずです。ですから、このしましま石を、本質的に分類するためには、白と黒のそれぞれの化学組成を調べて、その白と黒がどの程度の割合で混じっているかを調べればすみます。白と黒の化学組成と、その比率を調べることの方が、より本質的であるはずです。つまり、石の分類は、石をつくる構成物とその構成物の比率を調べればいいということです。
 これを進めていくことは、以前ダメだとした鉱物の化学組成とそれぞれの鉱物の比率を調べることにつながります。鉱物にも個性があるために、元素という化学組成までたどり着いたのです。ですから、鉱物と化学組成という関係でなく、石のつくり(組織といいます)と化学組成の関係としてみていった方がいいはずです。もちろん組織を構成するものは鉱物です。鉱物の化学組成も関係しますが、ここではそこには踏み込まないことにします。
 問題はつくり、組織です。組織は、石ができたときの条件、環境などさまざまな複合的なものが反映してできていきます。石の組織をうまく読みとれば、石の素性をかなり詳しく読みとることができます。もちろん、定性的ですが。でも、そこに化学組成という定量的なものを加味することによって、組織の定性的な性質を、定量化することができます。これは、詳細な個性の記述につながります。
 今まで、いろいろ石の普遍的分類を調べてきました。石ころから、より普遍なものを求めてスタートして、さまざまな考えを巡らしました。石ころの個性は、それぞれの化学組成や組織、野外調査から、詳細に記述できます。しかし石の普遍的分類を調べていくことは、どれも、石ころの個性を詳細に調べていくことになりました。普遍性を求めることとは、実は石を調べるためのゴールだったのです。スタートラインこそが、実はゴールだったのです。詳細な個別の個性をいくつも集めて、より普遍的な分類の方法、あるいは石の起源などの本質に迫ることは、地質学の目的だったのです。
 今噴火した火山、今たまっている地層、でも、自然はすべての情報を、私たちに開示してくれていません。見えないところで何が起こっているのか、そこに働く原理は何か、見えないものは、推理するしかないのです。その推理をより説得力を持たすために、断片的な個性の詳細な記述、つまり証拠から、論理を用いて、普遍性を求めることに、地質学者は日夜知恵を絞っているのです。


■ Letter to Reader ループ・春の強風・河原

・ループ・
スタート地点とゴール地点を、今回は見誤っていました。
でも、もしかすると、自然とは、普遍と個別が
次々とスタートとゴールを入れ替わってるいるのではないでしょうか。
普遍性を知るために、個別の情報を積み重ねる。
そして個別の情報から得られた一見「普遍的にみえる普遍性」を
「本当に普遍的な普遍性」かどうかを、
さらなる個別の情報からチェックする。
個別を事実、普遍性を原理、法則、規則などと読み替えると、
科学とは、この繰り返しをしているのです。
科学は、演繹と帰納の繰り返しているのです。
でも、その繰り返しは、同じところを巡っているのではなく、
巡るたびに、より高いところ、あるいはより深いところへと
そのループは向かっているような気がします。
これを科学の進歩というのでしょう。
となれば、科学は、無限に歩み続け、
自然は完全に理解することは、
永久に不可能となります。
でも、限りあるナゾより、限りないナゾの方が私は好きですが。
皆さんはどうでしょう。

・春の強風・
先日の日曜日に、春の陽気に誘われて、石狩川にでかけました。
目的は、いい河原を探すことです。
天気はよかったのですが、
強風でゆっくり河原を探すこともできませんでした。
おにぎりをもって家族で出かけたのですが、
天気はよく気温高かったのですが、
なにせ強風のため、おにぎりを広げることもできず、
車の中で、弁当を食べる羽目になりました。
私は、河原が見つからず欲求不満でしたが、
子供たちは、強風にもめげずに、久しぶりに外で暴れたので、
楽しかったようです。
家内は、ほとんど車にいました。
家にいるのと変わりませんでした。

・河原・
石狩川は、かつては、中流から下流にかけて、
激しく蛇行していました。
それが、明治以来の治水工事で、
いたるところ河川がまっすぐにされてしまいました。
もともと356kmあった長さが、
流路短縮によって、現在は、268kmとなっています。
なんと、100km近く石狩川は短くなっているのです。
もしかすると、私が探していた、石ころや砂がある河原というのは、
より自然に近い川だけが持てるものなのかもしれません。
自然な河原とは、もしすると贅沢なものなのかもしれません。