地球の調べ方
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Essay ■ 5_31 普遍的分類1:普遍と特異の狭間
Letter■ 視点を変えて・北国の春
Words ■ 重いコートを脱いで出かけましょうか


(2004年4月8日)
 「いろいろな石」がなぜあるのか、というテーマで話が続いています。今回は、どのように分類していくか考えていきましょう。


■ Essay 5_31 普遍的分類1:普遍と特異の狭間

 「いろいろな石」があるということは、人間が石の違いを見分けているということです。つまり、人間には、本能的にものを分類ができるのです。しかし、本能だけに頼っていては、進歩がありません。必要とする目的にしたがって、適切な分類をすることが知恵というものです。
 分類に知恵を使うには、どうすればいいのでしょうか。その分類方法が、普遍的で場所や対象によって、いろいろ変わることなく、どこでも、なんにでも使える方法がいいはずです。石にはいろいろなものがありますので、分類するにしても、なにか、基本的なものを基準にして分けたほうがいいはずです。その基本的なものとはなんでしょうか。地学の知識が少しある人は、石の起源をもとに考えればいいと思いつくでしょう。しかし、少し待ってください。本当にその方法は普遍的なものでしょうか。よく考えてみましょう。
 まず、起源をもとにした石の分類は、堆積岩、火成岩、変成岩に区分されています。これに従うと非常に客観的にみえますが、実は、境界があやふやだったり、量的にアンバランスがあります。
 境界があやふやだというのには、分類においては、混乱を招きます。客観的でなく、主観的でもあります。たとえば、変成岩は他の石が熱や圧力によって溶けることなく、別の石に変わったものです。どからを変成岩にするのかというのは、じつはあいまいとしています。研究者によっても違っています。私は、ある研究者は変成岩とみなしているようなものを、火成岩として扱ってきました。その方が、その火成岩をつくったマグマがどのようにしてできたかが理解できるからです。その方がより自然の本質に迫れると考えたからです。
 量的にアンバランスがあると、量的に少ないものもひとつの分類群として考えることになります。そうなると、例外的なものが多いときは、むやみに分類の数を増やすのですが、本質的なことは多数の中にあるかもしれません。つまり、例外的な分類に惑わされて、本質的なことを見失ってしますことになりかねません。
 3つの起源による分類では、量としては、堆積岩がいちばん少なくなっています。地球全体として考えると、地球をつくっている岩石は、火成岩と変成岩がほとんどだと考えられます。堆積岩は、水の作用の働く地表付近だけにできる石です。地表から見た地球と、全体として見た地球とは、自ずから違っています。地表に住む私たちが、一見すると堆積岩が多いように思いますが、実は、量的には非常に少ない、稀なものなのです。大気や海洋についても、同じことがいえます。
 堆積岩は、地球全体としてみたとき、珍しいものであるという考え方は、他の惑星でもいえます。他の惑星でも、ほとんどが火成岩と変成岩からできていると考えられます。私たちがイメージする地層をなすような堆積岩があるとすると、水のある地球と、水があった火星だけでしょう。
 他の天体の堆積岩は私たちが想像する地層はつくりません。似たようなものがあったとしても、それは、起源が違ったものです。隕石が衝突して飛び散ったものが、砂や土としてあったり、衝突によって固まった衝突角礫岩ともいうようなものになります。でも、天体の表面は、地球の堆積岩とはまったく違った堆積岩が広く覆っています。同じ堆積岩というものに分類しても、じつは起源がまったく違ったものになっていきます。
 不思議なことが起きました。起源による分類をもちいて話を進めていったら、同じ分類に。違った起源のものがあったということになりました。これは、地球の堆積岩が、特異で、その起源もはっきりと定義していないためにおこったことです。
 また、惑星の主要部分となる、火成岩と変成岩ですが、火成岩と変成岩の境界があいまいです。ひとつにして考えてしまうと、分類する意味がなくなります。では、どうのように分類をしていけばいいのでしょうか。振り出しに戻りました。ややこしくなってきました。ここから先は次回にしましょう。


■ Letter to Reader 視点を変えて・北国の春

・視点を変えて・
石の素朴な疑問シリーズです。
私たちが、本質的だと思っていたものも、
より普遍的な視点で考えていくと、
どうもある特異な枠組みの中で考えていたことに
過ぎないことがわかってきました。
これは、重要な教訓であります。
違った視点、広い視点で問題を考えてみると、
まったく違ったことを見せてくれます。
それは、もしかすると非常識に見えるかもしれません。
でも、今まで自分が問題にしていたことの答えは
まったく違ったところあるということを
教えてくれるのかもしれません。
常識の中に大発見はありません。
一見非常識に見えるものの中に、本質があるのかもしれません。

・北国の春・
入学式も各地でおこなわれています。
大学の入学式も終わり、
我が家も、入学というセレモニーが
今週で終わります。
北海道も春めいてきました。
昼間はストーブが要らなくなりました。
朝夕も暖かいときはたかずにすみはじめました。
やっと自転車で通える季節になりました。
道路の雪は消えましたが、
まだ、雪はあちこちに残っています。
桜はまだまだですが、
フキノトウや福寿草が芽吹きはじめています。
北国は、冬が厳しいだけに、
春はありがたいものです。
これから、いい季節になります。