地球の調べ方
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Essay ■ 5_24 海底は何からできているか(その1)
Letter■ 母について・贈る言葉
Words ■ 大切なこととは、なにか

(2003年7月10日)
 今まで大地をつくる石といいながら、陸地ばかりを見てきました。海の底にも大地、つまり地殻は広がっています。海底をつくる石はどのようなものからできているでしょうか。


■ Essay 5_24 海底は何からできているか(その1)

 地球の表面の3分の2は海が占めています。しかし、海の下にも大地は広がっています。では、海の下の大地が、どのような石からできているかを見ていきましょう。
 海底の石がどのようなものからできているかを知ることは、科学者の長年の夢でもありました。でも、なんといっても海は広く深く、なかなか海底の石を調べることはできませんでした。しかし、科学者は、さまざまな智恵と技術によって、科学者は世界各地の海底の石を調べることができろようにないました。
 鉄の網でできたカゴにひもをつけて、海底におろし、船でそのカゴを引っ張ります。網の目を粗くしておくと、その目より大きなものだけが残ります。それを引き上げると、海底に転がっている石ころをとることができます。言葉でいうと簡単ですが、4,000、5,000メートル、時には10,000メートルあるような深いところを、カゴをひきずっていくわけです。ひもは丈夫なワイヤーにしなければなりません。すると数1000メートルのワイヤー自身の重さも大変なものになります。おろす時間、上げる時間を考えると大変な労力が必要です。このような調べ方は、ドレッジと呼んでいます。ドレッジ専用の海洋調査船が必要になります。
 ドレッジによる調査を世界各地の海で行うことによって、海底に転がっている石の様子を知ることができます。でも、これには問題があります。もし、陸地で同じようなことをして、石ころを集めたとすると、その問題点がわかります。
 石ころは、たまたまそこに落ちていたものです。そこの大地をつくっていたものかどうかはわかりません。さらに、石ころは表面に転がっているものです。これは、陸地の表層を調べるときに地質図をつくりましたが、そのとき無視していたものにあたります。
 ですから、本当に海底をつくっている石を知るには、なんとか、海底深くの岩石を手に入れる必要があります。そこで、考え出されたのが、海底を掘り抜く方法です。ボーリング(掘削)と呼んでいます。陸地でも、大きな建造物をつくるときは、たいていボーリングをします。穴の開いた筒を大地に突き刺し、その穴の中に大地の岩石をくりぬいて地表に持ち上げる方法です。この方法を海底でもおこなえばいいのです。
 ところが、これも大変な技術を必要とします。数1,000メートル下の海底めがけて、長い筒を下ろして掘り進まなければなりません。数1,000メートルの長さのボーリングの筒の重さは並大抵ではありません。
 それに、海底の石を取ってくるためには、ちょっちゅうボーリングした筒を船の上まであげて、岩石を取り出し、またおろすというという作業が必要です。大変な手間がかかります。
 さらに大変なのは、ボーリングの筒を同じ穴に下ろさなければならないのです。ボーリングの先端の直径を50センチメートルしましょう。海底の深さを5,000メートルとしましょう。これを陸地の場合を考えてみましょう。5キロメートル先の50センチメートルの的を狙うことになります。あるいは500メートル先の5センチメートルの的を狙うことになります。見えないような的を何度も狙わなければなりません。それも的に当たらないと作業が始まらないのです。さらにこの作業の大変さは、海面は波でゆれたり、風や海流によって流される作業船の上からしなければならないことです。でも研究者はそのような困難な作業を成し遂げました。
 その結果は、次回紹介しましょう。


■ Letter to Reader 母について・贈る言葉

・母について・
前回の私の母に関する文章は思わぬ、波紋をよんでいます。
Kabさんから、いただいたメール対する私の返事です。

「私の祖々母と祖母は、自宅で母の介護の後、自宅で死にました。
父は大腸ガンでしたが、入退院を繰り返しながら、
最後は、自宅療養し、病院に入院した直後になくなりました
医者嫌いの父は、自宅で母にわがままを言いながら介護を受けていました。
母は、3人の肉親を介護し、見取ったのです。
私は、祖々母以外は、自宅を離れていたので、
その苦労を目にすることなく、母から聞くだけでした。
その母が、今は高齢なので、心配です。
近所に住んでいる弟夫婦がいくいくは同居する予定なので、
少しは安心なのですが、それほど喜ばしいことでもなく、
心配でもあります。
母をこちらに呼ぼうと思ったのですが、
やはり長年住み慣れたところがいいと、
私とは同居するはなく、京都を離れません。
足が痛いようですが、天気さえよければ、
畑で野菜をつくる日々を送っています。
現在の状況が、母にとって健康にも、
精神的にもいちばんよさそうなので、
できる限りそうしてもらっています。
そして、チャンスさえあれば、こちらに呼んで、
温泉などに連れて行ってます。
でも、限られた時間ですので、
母を疲れさせるだけのようで心苦しい気もします。
でも、余り長い滞在だと母が嫌がります。
今回も10日か2週間ほど滞在するようにさそっていたのですが、
畑の世話や家を空けることが心配といって、
6泊7日の滞在となりました。
あと何度、母と顔をあわすチャンスがあるでしょうか。
私が、学生時代からすれば、母と顔を合わす機会、
電話をする機会は大部多いです。
でも、母に残された時間を考えると、
今までの親不孝を考えると、
できる限り、あっていこうと思います。
私がなにをいっても自宅を離れたがらないのですが、
子供たち、母からすれば孫たちが電話でおいでさそうと、
その気になってくるようです。
ですから、電話のたびに子供たちにはおいでというようにさせています。
Kabさんの介護の話から、私の母の話へとなりました。
私事ばかりになりました。」

・贈る言葉・
私の教養のゼミの学生のA君が就職の内定が出たといって連絡がありました。
そんなA君に向かって私は、次のようなメールを送りました。

「内定、おめでとうございます。

じじ臭いですが、お話を一つ。
会社は、あなたという人間をみて、採用してくれたのだと思います。
では、来年春から、あなたは、会社の期待通りの社員になりたいですか。
そうすれば、多分、あなたも会社もやりやすいでしょう。

私は、期待を外れて欲しいと思います。
あなた自身の期待からも、外れて欲しいと思います。
つまり、現在の自分から、より大きな自分にむけて、脱皮して欲しいのです。
そのために残された半年を有効に使って下さい。
もしかすると、変わったあなたは、
会社のあなたに対する期待とは違うかもしれません。
でも、あなたが会社のために良かれと思って変わるのであれば、
いいのではないでしょうか。
その時は、期待から外れてしまうかもしれません。
でも、もしかするとそんな期待から外れることが、
将来、あなたにとっても、会社にとっても、
より大きな益となるかもしれません。

今の自分に決して満足することなく、
奢ることなく、
浮かれることなく、
我を忘れることなく、
あと半年間の大学生活を、付録と思わず、
生きていって下さい。
変わった自分を会社に見せつけるほどの気持ちをもって、
半年間を私はこんなに使い、
こんなに自分は変わったのだといえるような、
学生生活を送って下さい。

たった半年。されど半年。
気持ち次第で活用ができるはずです。
これからが、あなたの本当の価値が問われるのではないでしょうか。
そして、もし変われた自分がつくれるのであれば、
そんな能力はきっとこれから役に立つはずです。
社会に出てからできないことが、
この大学できっとできるはずです。
考えて下さい。
悩んで下さい。
そして成長して下さい。
期待しています。
ではまた。」

私にとっても、時間は同じように大切であるはずです。
それを再確認するメールでもありました。
半年後の私は、成長しているでしょうか。