地球の調べ方
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5_7 科学と常識と


人類の宇宙への
第一歩 

(2001年3月8日)
 科学では、客観的で誰がおこなっても同じ結果が出るはずです。科学は、主観の入らない客観的な学問の典型だと考えられています。多分、今でも多くの人はそう考えていると思います。科学者の多くもそう考えています。でも本当にそうでしょうか。少し哲学的で長くなりますが考えていましょう。


 私たちは、基本的には常識的な判断に基づいて日常生活をしています。そのため、常識的な判断によって科学もおこなわれています。このような常識的科学観の基盤を築いたのは、デカルトとベーコンであり、カントによって集約されます。
 デカルトは、「方法序説」の中で合理主義に基づく機械的な自然観を示しました。理性により一つの原理から個々の事実を証明するという演繹法を確立しました。デカルトから始まる合理主義は、パスカル、スピノザ、ライプニッツへと進んでいきました。
 ベーコンは、先入観や偏見を持たずに、自然をよく観察する経験主義を唱えた。いろいろな事実から一つの原理を導く帰納法という手法を確立しました。ベーコンから始まる経験主義は、ホッブス、ロック、バークリー、ヒュームへと受け継がれていきました。
 このような経験主義の流れの中に、ニュートンもいました。ニュートンは「われ仮説を作らず」と語り、ベーコン的な精神を表明しました。
 ニュートンの科学に強い影響を受けたカントは、自然科学では扱えない形而上学の領域を確保した。従来の経験主義と合理主義と批判しつつ、発展させ統一した。カントから始まるドイツ観念論は、フィヒテ、シェリングそしてヘーゲルによって集大成されました。
 このような科学や哲学的な潮流から、原因を追求すれば法則や理論が発見できるという要素還元主義と、法則や理論によってこの世は成り立っているという機械論的世界観が主流となりました。常識的科学観は、要素還元主義を基本的な方法論とした機械的世界観でした。そして、1950年までに、常識的科学観に基づく科学哲学が構築されました。
 しかし、このような常識的科学観に大きな変化が現れました。技術の進歩によって、自然に関するデータが爆発的に増加しました。それによって、要素還元主義的手法だけでは、すべては解明することができない現象が各分野で明らかになってきました。例えば、量子力学や宇宙論、生命科学などの分野で顕著に表れました。確実さには限界があることを量子力学は示しました。カオスやフラクタルなどの複雑系として自然とは複雑で混沌とした面があることが「科学的」にわかってきました。遺伝子の探求だけで生命の全体像が明らかにならないこともわかってきました。このような常識的科学観による科学の方法論に関する行き詰まりから、新しい科学哲学として、ゲーデルの完全性定理と不完全性定理、ポパーの批判的合理主義、クーンのパラダイム説などが提唱されました。
 ゲーデルの完全性定理は、人間の思考を形式化、体系化した記号論理学が完全であることを証明し、人間の論理能力に上限をつけました。不完全性定理は、自然数を用いる数学の公理系が不完全であることを示しました。自己の無矛盾性をその体系内で証明することができないのです。一般化すれば、体系をいくら論理的に整えても、この体系を否定も証明もできないことが多いことを意味します。新しい科学観では、意識的かあるいは無意識にかはわかりませんが、ゲーデルの不完全性定理が組み込まれています。
 常識的科学の方法は帰納的手法ですが、ポパーはこのプロセスを逆転させ、演繹的手法を提唱しました。ポパーの方法論的反証主義による理論の特徴は、理論を提唱した科学者自身が、反証を試みる点です。さらにポパーは、弁証法を批判して問題解決の新しい図式(トライ・エンド・エラー)を示しました。
 クーンは、科学が累積的に発展・進歩し続けるのではなく、断続的に転換すると考えました。このような科学革命をおこなうような規範的な理論を、パラダイムと呼びました。ある日突然、今まで常識だったことが、新しいパラダイムの出現で、すべて間違いとなってしまうのです。パラダイムは、その後、思想の枠組みという意味で一般に拡大解釈され、大流行しました。パラダイムの変換期を科学革命と呼び、最近ではパラダイム・シフトと呼ばれることもあります。
 以上述べたように、常識的科学観である要素還元主義と機械論的世界観は成功し、現在もその手法は有効です。しかし、それが唯一の科学のやり方ではないのです。科学には一つの方法や考え方があるのでなく、方法も考え方も時代や社会に合わせて変化しています。その変化は、昨日まで常識とされていたことが、今日には間違いだということがおこるのです。つまり、科学にも、主観が入り、再現性がなく、不確実なことがあるということです。