地球地学紀行

表紙に戻る


Essay■ 4_180 西予紀行 7:四国西ジオパーク
Letter■ サバティカル終了・御礼
Words ■ 半年間夫婦共々お世話になりました


(2023.10.05)
 四国西予ジオミュージアムは、西予市でも奥まった城川にあります。なぜ、このような奥まった地にあるのでしょうか。シリーズの最終回として、ジオパークの精神にもとづいて考えていきましょう。

Essay■ 4_180 西予紀行 7:四国西ジオパーク

 日本全国の各地で見られる過疎化が起こっています。西予、城川の各地でも、その現状を目の当たりにしてきました。西予では、そんな流れに対処するために、継続的に取り組まれていました。特に西予市では、四国西予ジオパークの活動に重きをおいて、市全体で取り組んでいます。
 例えば、ジオパークのシャツ(ポロシャツ)が市の公式のユニフォームにされています。それで公式の場に出れます。行政、市民、企業、研究者など、さまざまな組織や人材が投入され、ジオパークの視点をもとに、地域の活性化に取り組んでいます。ジオパークの精神を具現化した素晴らしい視点での実践を、身近に見聞きしました。
 西予がもっている地質や地形を中心にして、そこに住む人が、その地の過去から現在までの自然の営みを理解し、未来を考えていくこと、その考えに基づいて行動していくことを実践しています。
 ジオパークの活動は、その地を形成している石や土地がスタートになります。その地が、大地の営みによって、過去から現在に至った歴史を理解していきます。過去から現在、さらに未来を理解していくことも重要になります。そして未来に向けて行動していきます。行動とは、地域の特徴の保護や保存、地域が抱えている危険性に対応した防災教育、地域の特徴を伝える環境教育やツーリズム、特産を活かした商品開発など、未来を考えながらいろいろな行動していきます。これがジオパークの精神で、西予は強く意識しながら進めています。
 このような行動には成否が問われるのですが、成否とはある時点の結果に過ぎません。そこに暮らす人にとって、ある時点での成否はすぐに過去のものになってしまいます。常に未来に向けて、「現在」の行動を考えていく必要があります。また、「現在」暮らしている人への防災教育、環境教育、さらには「未来」を担う次世代の人たちへの教育も必要になります。
 ジオパークの活動のひとつの拠点となるのは、実体のあるミュージアムです。四国西予ジオミュージアムが、昨年新しく開館しました。しかし、その場所は、西予市の中でも奥まった地にありました。それには理由があります。
 西予市がジオパークへと向かう、大きな契機となったのが、地質学的に重要な黒瀬川構造帯が城川にあったことです。
 黒瀬川構造帯は、戦後すぐ詳しく調査され提唱されたました。黒瀬川村に広く分布していました。黒瀬川村は、合併して城川町になりました。多くの地質学者が、黒瀬川構造帯に、調査や見学に訪れていました。城川町の時代には、城川地質館が設立されました。
 その後、2004年4月に市町村合併で西予市になり、ジオパークを目指すことになりました。そして、2013年9月に認定され、2020年1月には再認定されました。そして西予市城川地質館が2021年12月末に閉館し、2022年4月に四国西予ジオミュージアムが完成しました。
 四国西予ジオミュージアムに半年間、サバティカルでお世話になりました。西予の皆様、城川の皆様、半年間、夫婦ともども、お世話になりました。
西予のジオパークとジオミュージアムは、以下がページが参考になります。
四国西予ジオパーク
http://seiyo-geo.jp/
四国西予ジオミュージアム
https://seiyo-geomuseum.jp/ja/
また、城川地質館の旧ホームページも保存されています。
http://seiyo-geo.jp/chishitsu/


Letter to Reader■ サバティカル終了・御礼

・サバティカル終了・
サバティカルが9月末で終了しました。
2010年の1年間のサバティカルのときは
あまり感じなかったのですが、
半年間のサバティカルは
非常に短く感じました。
盛りだくさんな目的や、
行動をしたためでもあるかもしれません。
もっと滞在したいと感じています。

・御礼・
このシリーズは毎月、一度、
西予紀行というシリーズで、
西予市として市町村合併した時の
城川、野村、宇和、三瓶、明浜の
5町をテーマにすることしました。
今回はシリーズの最終回として、
四国西予ジオパークと四国西予ジオミュージアムを
紹介していくことにしました。
特にミュージアムと城川支所には
お世話になりました。
半年間、ありがとうございました。
その御礼も兼ねてミュージアムを紹介しました。