地球地学紀行

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Essay■ 4_152 2019年残念シリーズ 5:宗谷の周氷河地形
Letter■ ロシアに近い街・秋も深まる
Words ■ 秋深し・・・・


(2019.10.24)
 周氷河地形は、氷河時代に、氷河に覆われた大地の周辺にできるものです。寒冷によって、大地が凍ったり溶けたりするという、繰り返しによってできます。長い年月のと大地の特性によって形成されたものです。

Essay■ 4_152 2019年残念シリーズ 5:宗谷の周氷河地形

 前回に続いて道北での残念シリースです。今年は、道北の調査は5月に2度、9月に1度、計3回行っています。これくらい繰り返し調査に出かけると、ある時、天候に恵まれなくても、別の時にはなんとか目的の調査はこなせることになります。
 ところが道北で、果たせなかった目的もあります。それは、周氷河地形の観察です。日本の地形で、周氷河地形の典型としてあるのが、宗谷岬の周辺とされ、北海道遺産にも指定されているものです。典型的な地形があり、なおかつ樹木の植生がなく、見やすい地域でもあります。それが、まだ見れていません。
 周氷河地形とは、氷河期にできた地形のことです。氷河地帯の周辺で生じたものです。形成の条件として、地中の温度が氷点下になり、凍結することで土壌に破砕が生じること、植生が少ないこと、さらに地表面で凍結と融解が繰り返されることなどです。注意が必要なのは、現在ではなく、氷河期のときの条件がそれを備えていたかどうでかです。
 凍結、融解の繰り返しによってできる構造土、地表面が盛り上がったピンゴ(pingo)やパルサ(palsas 泥炭地の丘)などと呼ばれる丸い丘ができます。ピンゴが陥没してたアラス(alas)と呼ばれる凹地もできます。
 北海道の山岳地帯は、氷河に覆われていました。硬い岩石で土壌が少ないところ、急峻な地形では条件を満たさず形成できません。宗谷の丘陵地帯は氷河の周辺にあたっていて、土壌もあり、植生も少なかったようです。そのため上記の条件が揃ってたため、周氷河地形ができました。
 氷河期に終わってからは、宗谷は森林限界は越えていないので、林がありました。ところが、明治に起こった山火事により、樹木がなくなったそうです。その後も、低温と強風のため、樹木が回復していません。現在、草原地帯になっているため、周氷河地形がよく現れて見ることができるようになっています。
 周氷河地形は、ゆるい傾斜の丘が広ろがっているところに、船底状や皿状の谷(デレ dell)が、急な切り込みとして刻まれます。見ようによっては、典型的な北海道の酪農地帯の風景になります。実際に酪農に利用されていますので、周氷河地形が酪農地帯の典型となっているでしょうか。
 この周氷河地形の典型的なものを宗谷周辺で見たい、記録したいと思っているのですが、まだ出会っていません。事前のリサーチで周氷河地形の典型とされている地点があり、そこにいきましたが、どうも満足できません。部分部分では周氷河地形はあるのですが、地上に立って典型なところは、まだ見つけていません。多分、違った場所に行けば、「これぞ周氷河地形」とわかるところがあるはずです。今後も探すことになりそうです。


Letter to Reader■ ロシアに近い街・秋も深まる

・ロシアに近い街・
道北の街、稚内は大きな街です。
そして、北には宗谷海峡があり、
樺太が近く見みえます。
樺太はロシア領なので、
ロシアに最も近い街といえます。
道路の表記にはロシア語も併記されています。
夏には稚内からサハリンの連絡船もあり
ロシア人も多く訪れるためでしょう。
今回の調査では通り抜けただけなので
ロシアの人を見かけることはありませんでしたが。

・秋も深まる・
北海道は寒くなってきました。
同じ種類の木であっても、紅葉の進みがどうもなだらで
例年のように一気に紅葉になっていません。
何が紅葉の進み方を左右していのでしょうか。
紅葉はまだらでも、季節はめぐります。
雪虫も一斉にではないですが、
何度か飛んでいます。
近々里でも初雪が降るでしょう。
そうなると秋も終わりになります。