地球地学紀行

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Essay ■ 4_103 黒瀬川ジオパーク2:西予3月
Letter■ 故郷・再審査
Words ■ 西予市の方々、1年間お世話になり、ありがとうございました


(2011.03.31)
  いよいよ、今回が西予市のシリーズの最後となります。最後の回は、前回から続いている黒瀬川ジオパークです。西予市が現在取り組んでいる、ジオパークを目指した活動を紹介していきます。


Essay■ 4_103 黒瀬川ジオパーク2:西予3月

 西予市がジオパークを目指すようになったのは、昨年秋あたりからでした。私も微力ながら協力してきました。私の滞在の目的のひとつには、科学教育もありました。ですから、小学校の授業や公民館や市民グループなどでも講演会をしてきました。そして2月には、ジオパークを目指す市職員のために、市役所で地質の現状を紹介する講演をさせていただきました。今年の秋ころには、地質図や地質の解説パンプレットなども出版する予定があり、私がその作成をすることになっています。
  私の一連の活動も、そのままジオパークに向けての科学普及になっています。私が活動をすることは、1年間西予市に滞在した、お礼にもなると考え喜んで協力させてもらっています。
  西予市は、終戦直後から、城川町や野村町を中心に精力的に地質調査がなされ、詳細なデータが出されてきました。地質学の歴史に置いても重要な地域です。終戦後しばらくは、交通も不便で、地図の整備も充分でなかったはずです。でも、数人の若き地質学者たちが、測量しながら、自力で地図を作成しながら地質調査をしてきました。
  その結果、この地域に分布する岩石や地層には、日本でも有数の古い地質体がであることが、充分なデータとともに提示されました。日本最古の化石がこの地からみつかり、しばらくは日本最古の地層が分布するところと有名になっていました。
  古い一群の岩石は、まわりの岩石とは、時代も違い、岩石構成も異質であることから、「黒瀬川構造帯」と呼ばれました。地元の地名である黒瀬川から名付けられました。黒瀬川構造帯は、まわりの岩石とは異質な存在です。異質な存在とは、「なぜ、この地に存在するのか」という、根本的な疑問をなげかけることになります。そして科学者は、その解決を目指します。
  地質学では、地向斜造山運動からプレートテクトニクスへ地球の見方に対する転換にともなって、地質の位置づけは、大きく変わってきました。黒瀬川構造帯の異質さの記載はかなり進んできました。しかし、現在の時代であっても、「なぜ、この地に存在するのか」という疑問は、まだ未解決のまま残っています。もちろんモデルはいくつか提示されていますが、決着はみていません。
  「黒瀬川構造帯」は、地質遺産として重要な価値があります。それは、地質学の世界で黒瀬川構造帯を多くの地質学者が知るところであることでもわかります。地域の市民たちも、その重要性を理解していくべきです。幸い、城川町窪野には、20年近く前に地質館が建てられていて、地域の地質の重要性を紹介しています。地質館における20年間に渡る活動は、ジオパークに向けて大きな力となるはずです。
  地質館の建設の手伝いが、私と城川の付き合いの始まりでもありました。その縁が今も続いているのです。そしてこれからも続いていくと思います。


Letter to Reader■ ジオパーク運動・引越し

・故郷・
西予シリーズのスタートが8月なので、
8ヶ月にわたる連載となりました。
ただし、2月が3回、3月が2回書きましたので、
合計で11回分のエッセイとなりました。
4月からスタートしなかったのが、悔やまれます。
ただし、城川や西予には毎年のように来ていますので、
周辺の話題を書いたエッセイは
数えたら7つありましたから、
今回の分も含めると合計18編になります。
北海道のエッセイが、28編ですから、
それに次ぐ数となります。
非常に多くの比率を占めています。
やはり西予市は私の第二の故郷となっています。

・再審査・
室戸は日本ジオパークになっていますが、
昨年10月に世界ジオパークに申請手続きをしました。
今年の秋には結果が出ると思います。
選ばれることを祈っています。
ジオパークは、継続的にその運営や活動が
報告が義務付けられていて、
定期的な再審査を受けることになっています。
ですから、活動が低下すると
認定が取り消されることもあるわけです。
継続的に地域の地質遺産を守り
活用することが重要なのです。