地球地学紀行

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Essay ■ 4_93 大野ヶ原:西予8月
Letter■ 地元シリーズ・暑い夏
Words ■ 夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナララダヲモチ


(2010.08.19)
  愛媛県西予市は、西は宇和海に面し、東は四国脊梁にまで達する東西に長く延び町です。もともと5つあった市町村が合併して西予市となり、多様な自然や景観をもつ市となりました。私がいるのは山里の西予市城川町です。そんな西予とその周辺の風物誌を月に一度紹介しようと思います。今回は東の端の大野ヶ原を紹介します。


Essay■ 4_93 大野ヶ原:西予8月

 現在滞在している愛媛県西予市城川町について、このエッセイでは書いてきませんでした。それは、別の月刊エッセイ(大地を眺める)で、今年1年は四国を中心に紹介していたことと、ホームページ(西予の自然史と風物誌)で写真と一言のコメントをつけて毎日紹介していたからです。
  ところが、エッセイでは四国全体の話になり、西予市や城川は5月に黒瀬川を紹介したので、もう紹介する予定はなくなりました。また、ホームページでは短い文章なのであまり詳しい紹介はできません。ですから、本エッセイで、月に一度くらいのペースで、城川や西予市、その周辺を紹介していこうかと考えています。さて、前置きが長くなりました。本編をはじめましょう。
  まず紹介するのは、8月の暑いときですので、涼しい場所にしましょう。大野ヶ原です。7月下旬、論文の投稿が終わったので、近くの山里をいくつか回ったときにも大野ヶ原にいきました。近隣は非常に暑かったのですが、大野ヶ原までくるとほっとするほど涼しくなりました。大野ヶ原は、標高が1000m前後あり、下界と比べてかなり涼しくなります。西予市の最高峰1402.8mの峰(源氏ヶ駄馬と記されているがその上にある峰)が大野ヶ原にあります。
  源氏ヶ駄馬という地名は、源平に時代まで由来は遡るようです。壇ノ浦の合戦で敗れた平家残党が大野ヶ原に逃げてきたのですが、源氏の騎馬軍団が追ってきたので平家はさらに逃亡していったといいます。その逃亡には、次のような逸話がありました。ある朝、平家の見張り番が、源氏の騎馬軍団が攻め来てたのを見つけました。その知らせで、あわてて平家の残党は逃げたといいいます。平家は赤旗、源氏は白旗を用いていたのですが、源氏の色である白の軍団が白馬にのってきたのを見張りが見つけたのです。
  しかし、見張りは、石灰岩を白い騎馬兵と見まちがえたのです。びくびくしていると石も敵にみえるようです。この白い騎馬軍団にみえたのは、ピクナルやカレンフェルトなどのカルストの特有の浸食によってできた石灰岩の形状でした。カルストとは、石灰岩が露出している地帯で、浸食によって特有の地形ができているところをいいます。大野ヶ原は、四国カルスト西端にあたります。石灰岩は、秩父帯に属し、大野ヶ原より西側にも点々と分布しています。しかし、石灰岩の規模が小さいとカルスト地形と呼ばれるものにはなりません。それなりの広さの分布が必要になります。
  何度か大野ヶ原には来ているのですが、7月には源氏ヶ駄馬の一番上の駐車場まで車でいったのですが、山頂までは登りませんでした。思い返したら、何度も大野ヶ原には来ているのに、山頂までは行ったことがありませんでした。ですから、近いうちに西予市の最高峰を制覇したいと考えています。駐車場から直登すれば、30分ほどでいけると思います。そして大野ヶ原にはおいしいアイスクリームがありますので帰りの楽しみとしましょう。大野ヶ原は下界が暑いときこそ、いいところなのです。


Letter to Reader■ 地元シリーズ・暑い夏

・地元シリーズ・
地元シリーズを月一回ほどのペースで
はじめることにしました。
せっかく西予市にいるのだから、
その滞在記をいろいろな形で出していこうと思います。
東西を車で縦断するには3時間以上かかるほどです。
西予市の地質データベースをつくるときに、
一通り巡っています。
でも、再度一人でのんびりと見て回ろうと考えています。
走行しているうちに滞在の期間の半分近くもたってしまいました。
月日の流れるのは早いものです。
せっかくに機会ですから、
きっちりと残ることをしておきたいと考えています。

・暑い夏・
今年の夏は暑いですね。
私は、北海道から四国に来てるので
夏の暑さにはかなり参っています。
城川は山里なので
夜から明け方には涼しくなるので、
なんとか寝れるので、ばてずにすんでいます。
でも、なかなか熟睡はできないようで、疲れが抜けず、
朝も寝起きが悪くなっています。
特にお盆の暑い時期から
寝過ごすことが多くなっています。
8月いっぱいはこんな調子でしょうか。
なんとかがんばって乗り切るしかありませんね。