地球地学紀行

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Essay ■ 4_84 日ノ御崎から付加体の旅へ:南紀1
Letter■ 常識破り・風邪
Words ■ 北国にも、春の芽吹きが始まった


(2009.04.09)
  北海道は暖かかったとはいえ、まだ雪解けが終わったばかりです。花の季節はもう少し先です。春の南紀に出かけました。南紀では、咲きはじめた桜をいっぱい見かけました。南紀では、付加体を見る旅となりました。その様子をシリーズで紹介していきます。


■Essay 4_84 日ノ御崎から付加体の旅へ:南紀1

 春休みを利用して、家族で紀伊半島を一周しました。私は、和歌山や三重の伊勢志摩は来たことがあるのですが、一周するのは初めてでした。レンタカーで、できるだけ海岸線を走りたいと思っていました。
  ところが初日から、そうもいきませんでした。海岸沿いは狭い道が多く、時間がかかりました。予定の宿に着けそうもないので、大きな国道にルートを変えて、やっと一泊目の日ノ御碕までたどり着きました。
  今回の旅の目的は、紀伊半島の南半分、南紀と呼ばれる地域の海岸沿いを見て回ることです。南紀は、地質学的見ると、日本でも有数の地層が見られるところです。さまざまな地層の姿を、南紀で見る予定でした。
  その日、予約していた宿舎は、町並みを抜け、道路の突き当り、岬の丘の上にありました。人里から少々離れた、緑に囲まれ、海の見える、眺めのいい宿でした。ここから、南紀の旅行をはじめました。
  南紀には、四万十帯(地層の区分では累層群(るいそうぐん)とよばれます)に属する地層が見られます。四万十帯は、古いものから、日高川帯(地層の区分では層群(そうぐん)とよばれます。以下同じ)、音無川帯、牟婁(むろ)帯に区分されています。日ノ御崎では、四万十帯のなかでも、もっとも古い日高川帯の地層が見られます。
  日高川帯の地層は、砂岩や泥岩、あるいはその繰り返し(互層(ごそう)といいます)からできています。これらは、風化や侵食によって陸地の岩石が砕かれ、河川によって土砂が海底に運ばれ、固まったものです。いわば陸を起源とする(陸源といいます)物質によってできた堆積岩です。
  ところが、日高川帯の地層の中には、土砂だけでなく、火山岩やチャートなどが混じっています。
  火山岩は、海底で活動したマグマによってできたものです。溶岩が水中でつくる枕状の形が残っています。枕状溶岩と呼ばれるものです。また、枕状にならずに、溶岩流や岩脈として大きく固まったもの、あるいは壊れてしまったものなどもあります。このような火山岩は、海底をつくっているマグマと同じ性質を持っています。つまり、海洋底の本体の切れ端といっていいものが見つかっています。
  チャートは、海洋のプランクトンが死んで、その遺骸が海底にたまって固まったものです。チャートがたまるには、長い時間が必要です。その間、陸が近くにあれば、堆積物がチャートの間に挟まってきます。ところが、多くのチャートには、陸源物質をはさむことは、ほとんどありません。つまり、陸から遠く離れた深海底で、多くのチャートが形成されていることを意味します。
  日高川帯は、多くの陸源堆積物と、陸から遠く離れた深海堆積物、および海底の破片という、いろいろなものからできていることになります。このような地層は、プレートの沈み込みによって、海底にあった堆積物が陸にくっついた付加体と呼ばれるものです。四万十帯は、付加体によってできています。四万十帯は、西日本の海側の大地の代表的な構成物で、似たものが房総半島、関東、東海、四国、九州へと連続して分布しています。
  日ノ御崎では、桜が咲き始めていました。日ノ御崎に至る道でも、咲き始めた桜をいっぱい見かけました。北海道は暖かかったとはいえ、まだ雪解けが終わったばかりです。花の季節はもう少し先です。春の南紀で付加体を見る旅を紹介していきます。


■Letter to Reader 常識破り・風邪

・常識破り・
地層は、つぎつぎと新しい土砂が海底にたまっていきます。
ですから、先にできたものが下になり、
時代も古いということになります。
これは地層累重の法則という地質学では基本的な常識です。
ところが、この地質学の常識を、付加体は破ったのです。
付加体は、沈み込むプレートの作用で形成されます。
堆積物は、沈みこまれるプレートの下に付加されていきます。
すると、新しい地層が、前の地層の下に付け加わることになります。
この作用が連続すると、地質学的上にあるものが古く、
下のもが新しいという構造の地質体ができてきます。
このようなことが起こっていることは、
地層の含まれている微化石を丹念に調べる技術ができ、
それを付加体に適用してはじめてわかってきたことです。

・風邪・
3月25日に関西空港からスタートして、南紀をめぐり、
最後は三重県伊賀上野から奈良を通り抜けて、
31日には、関西空港に戻ってきました。
三重県伊賀上野に行ったのは、
次男が忍者が大好きなのです、
忍者発祥の地である伊賀にいきたいというので、
そのリクエストに応えたためです。
長男は鳥羽の水族館でした。
この間、次男がずっと鼻水をかんでいました。
行動には支障がなく
大事に至らなかったのでよかったのですが、
たぶんその風邪が私にうつったようです。
私は、最後の夜になった、
急に悪寒がしだし、ダウンしましたが、
翌日も車を運転していたのですが、
何とか大事にならず、自宅まで戻ってきました。
しかし、自宅で一気に風邪が悪化しました。
その風邪がまだ抜けてないのです。