地球地学紀行

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Essay ■ 4_81 千枚田:能登と飛騨の旅3
Letter■ 今年の秋・年齢
Words ■ もうそろそろストーブが恋しくなる季節


(2008.10.02)
  区画整理されていない棚田は、耕作する人には大変なものです。しかし、それを遠目で眺めるものには、郷愁をさそうものです。千枚以上も棚田が連なる千枚田で、考えました。


■Essay 4_81 千枚田:能登と飛騨の旅3

 能登半島の西海岸を北上中に、輪島から少し北に、白米(しろよね)というところがあります。今回の能登の旅のために地図をみていたら、白米に千枚田と書いてありました。道すがら、そこも見ていこうと思っていました。
  国道249号線をまたいで、小さな多数の段々の田んぼがあります。解説版によると、実際には1004枚の田があるそうです。傾斜に作られた田んぼですから、その形は不揃いで、大きさもさまざまです。一番小さい田は、0.2平方mといいますから、学校の机程度の大きさしかありません。この白米の千枚田は、国指定名勝となっていて有名なところでした。
  不規則な形をした田んぼが斜面に連なっていますから、維持管理はすべて手作業になっていきます。13戸の農家が、この千枚田を、今も守っています。農家の高齢化によって、維持管理がやはり大変になってきるようです。田植えや稲刈りには、ボランティアが全国から200名以上も集まって行われているそうです。昨年から、一枚一枚の田に対してオーナー制度が行われています。100名ほどのオーナがおり、各田んぼに名札がつけられています。
  輪島の市街地からこのあたりまで、地形や地質に詳しい人には、地すべり多数あるところとして知られています。白米の千枚田も地すべりがあったところです。千枚田の後ろにある高州山(こうしゅうさん)の緑の濃い山並みから、耕作地になると急になだらかな斜面が海岸まで続いています。ゆるい斜面は馬蹄形になって海岸に向かっています。典型的な地すべりの地形となっています。
  千枚田だけでなく、私は能登でももうひとつ、飛騨でもひとつ棚田を見ました。能登では、輪島の手前の大笹波にある水田です。そこの棚田は、海岸段丘の上のゆるい斜面を利用した田んぼです。日本の棚田百選に認定されているところです。飛騨は、白鳥市の山間の正ヶ洞にある棚田でした。
  いずれの棚田も、はじめて訪れたのですが、どこか懐かしさを感じさせてくれます。なぜでしょうか。私の実家は農家で、田畑をもっていました。盆地に広がる氾濫原でしたので、広い平野があり、そこに田畑がありました。ですから、私が知っている田んぼは、四角く区画整理されていて、まさに田の字形になっていました。山間の斜面にある棚田は、なぜか郷愁を誘います。名勝や棚田百選などの選定がおこなわれているということは、はやり多くの人が私と同じような郷愁も持つのでしょうかね。


■Letter to Reader 今年の秋・年齢

・今年の秋・
北海道は、晴れたり曇ったりのはっきりしない天気が続いています。
朝夕は、めっきり冷え込んできました。
いよいよ秋が深まりつつあります。
山での初冠雪の便りが届いています。
平野でも、木々が色づいてきました
しかし、不順な天候のせいでしょうか。
紅葉がいまひとつきれいではありません。
きれいに紅葉する前で、
散っている葉も多いようです。
こんな秋もあるのでしょう。

・年齢・
知り合いの先生が相次いで亡くなられました。
親しくしていた友人にも、もう死んだ人がいます。
私の母は元気ですが、
父は長男が生まれて5ヶ月ほどして亡くなりました。
最近特に私の恩師の世代の訃報をよく耳にするような気がします。
私の恩師のひとりは、残念ながら数年前に亡くなられたのですが、
そのほかの恩師は存命です。
先生の世代の訃報を耳にするたびに、
自分の人生の残された時間が気になります。
彼らは、それなりのものを研究者として世に残されてきました。
彼らの業績は、人類の知的資産として蓄積されています。
科学者として自分のこれまでの生き方が正しかったのかどうかを
もし世に残る業績が示しているとすると、
私がなしたことが、人類にとってどの程度価値あるものだったのか。
あるいは人間としてまっとうな生き方をしてきただろうか。
さらに、家族たちに接してきた方法はこれでよかったのか。
そんなことを、考えてしまいます。
自分もそんな年齢になってきたためでしょうか。